大阪国際宗教同志会 平成15年度第2回例会 講演
『自然環境保護に貢献してきた日本の宗教』

 カリフォルニア大学 教授
 A・グラパール

6月7日、金光教泉尾教会(三宅龍雄教会長)の神徳館国際会議場において、大阪国際宗教同志会(大森慈祥会長)の平成15年度第2回例会が、神仏基新宗教各派の宗教者約50名が参加して開催された。この春、京都で「第3回世界水フォーラム」が開催され、あらためて水資源の確保すなわち山林環境の保全の重要性が確認されたが、わが国において、伝統宗教が果たしてきた山林の保全に対する役割について、独自の観点から研究を進めている米国カリフォルニア大学サンタバーバラ校東洋学部神道講座主任教授のアラン・グラパール博士が解りやすい講演を行った。本サイトでは、数回に分けて、本講演の内容を紹介して行く。

▼水の神と霊山の関係


講師のグラパール教授

 私はよその国の者で、日本の宗教家の先達方にお教えするようなことは何にもございませんが、ただ、数年前から、日本宗教における自然観の歴史的変遷の問題に興味を持って、奈良時代――つまり、書物としての記録が残るようになって――から現代に至るまでの歴史観、あるいは、自然観の研究をしてまいりましたので、本日は、その辺りのことについて、少しだけお話しさせていただきたいと思います。

「日本における自然観とは何か?」ということがよく分かる具体的な書物がいくつかあります。例えば、古事記や日本書紀、それから風土記(註=713年、元明天皇の詔によって諸国に命じて郡郷の名の由来、地形、産物、伝統などを記して撰進させた地誌)、万葉集、これら八世紀の資料を読んでいきますと、自然観も哲学もあると言えると思います。

「記紀(註=古事記と日本書紀のこと)神話」では、神様はたくさんいらっしゃいますが、一番重要なのは「水を司る神」ではないかと思います。水にはいろんな形態がありますが、それに合わせて「水の神」も、泉の神、川の源流の神、井戸の神、池の神、それから淡水じゃないですけど、海の神、海の底にある泉の神等、大勢いらっしゃる。それぞれについての信仰の歴史も非常に深くて複雑です。

  例えば、よく内容が残っている風土記として、『常陸国(ひたちのくに)風土記』があります。その『常陸国風土記』の中に、筑波山の記事がありますけれど、その筑波山は、山でありながら、水の神であります。今でも、男体山(870m)と女体山(876m)という二つの頂があり、その間にきれいな水も流れていますが、それについての記事が非常に長くて珍しい。「常陸の国は実に豊国(とよくに)だ」と書いています。なんでも良い。水も甘くて美味しい。海もあって魚も獲れる。山も川もなんでもありますから、鹿の肉も旨い。霊水の池もあり、その中から出て来る蓮もすばらしいという、「なんでも良い国(=豊国)」と言っています。


グラパール教授の興味深い講演
に耳を傾ける会員各師

 水の神とその歴史をいろいろと研究していますと、やはり水を研究するためには、水は山から流れてくるのですから、山も研究しなければならないという認識が出てまいりまして、それ以来、ずっと日本の霊山の歴史、日本霊山の有り様、日本霊山の地形。どうして、何のためにある特定の山が「霊山」と呼ばれるようになったのか? という問題を見つめてまいりましたが、すべての山が「霊山」と言われるわけではありませんから、「霊山」には「霊山」と呼ばれるだけの何らかの理由があるはずです。

 それをいろいろと調べてみますと、ほとんどの場合、理由は、やはり「水」にあります。京都洛南の醍醐寺の山を登っていっても、「醍醐の水」という霊水(註=醍醐寺の開山理源大師が、山の神から泉の清水をもらい「ああ醍醐味(だいごみ)なるかな」と言って、そこに寺を創建したのが、醍醐寺の由来)もありますし、京都の鴨川の源流(貴船)も大切な霊水ですから、京都は霊水だらけということになります。その歴史も書かなければなりません。貴船神社から現代の井戸に至るまで全部調べていかないといけないので大変です。


▼日光はどうして霊山となったか

 それから、神社やお寺も協力して、その歴史の深さをみんなに紹介すればいいと思います。特に、日本だけでなく、世界中で水資源の確保は非常に大きな問題ですから……。水のない所では、子供はみんな死んでしまうのですけれども、日本は「水にあふれる(水に余裕のある)国だ」とよく言われていますが、日本にも水の問題がだんだんと出てくるのではないかと思います。その問題の理由はいくつかありますが、後で時間がありましたら、それについて述べさせていただきたいと思います。

 8世紀の話になりますが、日本における水に関する信仰は、その水を司る神様(神社)だけでは終わらずに、より複雑な展開になってきます。なぜかというと、仏教が入ってくるからです。仏教はもともと水に対する関心が非常にありました。例えば、インドでは、お寺を造る前に水源を探さなければならない。それから、水の質、土の質を全部口で味わって判断するわけです。今でも、ほとんどのお寺には、池とか霊水とかがつきものです。

 しかし、それを一番よく表しているのは、766年に勝道上人というお坊さんが、今では日光・那須山と呼ばれている二荒(ふたら)(=補陀洛(ふだらく)=観音浄土)山に登り、開山となりました。それについて、弘法大師空海が814年に非常におもしろい文章を書いています。それは『沙門(僧侶)勝道が、山水を歴て玄殊を瑩く碑並序』というような長い文章ですけれども、今でも、その石碑が京都の神護寺に保存されています。その文章が日本における「山の宗教」に関する一番古い記事でしょう。
日本書紀には、「役行者(えんのぎょうじゃ)」の話は出てくるんですが、それはわずか2文章にすぎないですから、本当のお話にはなりませんが、弘法大師が勝道上人について書かれた長い文章は、非常に内容の深い、山の宗教と水の宗教の源流をなすような文章だと思っております。

 なぜかというと、勝道上人は、神と仏の両方を崇拝するために山に登ることに決めて、『願文』を掲げまして、3回登頂にチャレンジして、やっと3回目に成功しました。その上人が山頂で「悟り」を経験なさった時に、千手観音のお告げがありまして、山を下りてから、今の中禅寺湖の畔に、神宮寺を建てられたのです。数年経って、日照りが続いたときに、勅令で「雨乞い」を行ったそうです。弘法大師もそのことについて、書いているのです。

 その内容も2ページくらいの長さの文章ですけれども、今日は簡単に示すことにしますが、「世界(自然)に起こる事象は全部、その木、その水、その季節の移り変わりは、みんな(大宇宙の本源なる)大日如来(の現れ)だ」という考えに基づいています。「全世界が神聖なものである。大日如来と世界の間には隔たりがない。悟りを開いた人間と世界との隔たりもない」という非常に深い思想です。

 「中禅寺湖の水の静けさは、鏡みたいなもの(明鏡止水)で、悟りを開いた心の静けさと同一なものである」と書いてあります。また同時に、「大日如来の大安鏡池、その大いなる智慧の鏡と全く同じだ」と書いています。「その湖の波のために小石が動かされて、同時に、鶴とかいろんな動物の声が聞こえる。それが、全部大日如来の教えだ」と言います。だから、自然の音、自然の色、自然の動き、みんな大宇宙の本源なる大日如来の有り様だと深く信じていたに違いありません。弘法大師の他の書物を読みましても、全く同じような考え方、教えが書かれてあります。


▼山川草木悉皆成仏

 それには、山に対するものだけでなく、日本の宗教の自然界に対する態度の歴史が、5ページくらいの文章の中できれいにまとめられています。もちろん、修験道は(弘法大師より)後からできるものですけれども、そこには同じような思想がずっと流れています。最初は、日光で修行して、それから九州の英彦(ひこ)山に行って、修験道に大きな影響を及ぼした16世紀の阿吸坊即伝(あきゅうぼうそくでん)という山伏――この人物は天台宗ですけど――は、弘法大師と全く同じ様な自然に対するものの見方、存在の解釈の持ち主でした。

 現代の日本の若者に、勝道上人のことを聞いても誰も答えてくれませんね。誰も知らない。これは、教育に大きな責任があると思います。この現状をなんとかしないといけない。なぜかというと、今、日光は国立公園になってますけれども、政府が作った「景観の美しいところだから、これを保存しなければならない」という意義づけだけの国立公園では、理由がちょっと足りない感じがいたします。どうして、「日光の山の自然と水――有名な華厳の滝をはじめ、いろんな仏教的に意味づけられた滝、それから、仏教以前から祀られているいろんな水の神様――が、それらの宗教的に『聖なる場所』があったために、そこ(日光)が残されてきた」ということを(国立公園の説明として)表すべきだと思います。

 いうまでもなく、弘法大師空海は真言宗の開祖ですけれども、このような自然観に関する記録が残っています。天台宗については、初めの頃(平安時代初期の9世紀前半)には、自然についての書物があまりないですけれども、だんだんと時間が経ってゆくうちに、「山川草木悉皆成仏」という非常に深い思想が天台宗で現れてきました。その素晴らしい表現者として、有名な歌人の西行法師がいます。大自然は絶対的な存在である。人間も自然内の存在ですから、全く同じように聖なるものであるという考えです。それを理解したからこそ「涙をこぼして」(註=西行の有名な短歌「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」)しまうんです。自然に関する思想を、西行法師よりうまく言葉を使って表現した人間はいないと思いますので、これからも西行法師はよくよく勉強しないといけないと思っております。


▼山は生きている

 その思想を汲んで、鎌倉時代に現れました道元禅師も、自然については深い思想家で、その『正法眼蔵』という大著作の中でも、特に、『渓声山色』と『仏経』という二つの思想が複雑です。『渓声山色』の中で、道元禅師は「山の形は仏のご身体である」それから、「川の音が本物の説法のもともとの有り様だ」と書いているんです。『仏経』の中で、「本当の経典を勉強したければ、自然を勉強しないといけない」と書いているのです。だから、「山と川と風の動きを全部もう一度考え直さないといけない」と、あります。「それを考え直すためには、まず、山が流れていて、川が動かない。それが出発点だ」と書いているのです。だから、人間としていかに世界の中で生活していくかが問題です。つまり、ものの取り方、考え方の問題です。「山は動かない」と思ってしまえば、本当に山を理解することができなくなります。山も生きているんです。山も飛んでます。「飛来峰」という言葉があります。

 中国の杭州に行きましたら、「飛来峰」というお寺があります。「飛んできた峰」ですね。鎌倉時代では、熊野地方の修験道の古い記述『諸山縁起』の中で、飛来峰という話が出てきます。その話によりますと、「その山は最初、インドから中国に飛んで行って、それから九州の英彦山、さらに四国の石鎚山へと飛んで来て、最後に南紀熊野地方に大きな音を立てながら着陸した」ということになっています。その思想は、馬鹿げたものではなく、非常に細かいところもありますが、後でそれについて感じるところを申し上げます。


山の曼陀羅的構造についても、
図解しながら分かり易く説明するグラパール教授

 そこで、「山は生きている。山が生きていなければ、人間も存在していない」という結論になるのです。だから、山の研究は、全宇宙の奥義の研究になるのです。私は、21世紀は、山の研究をしなければいけないなと深く感じています。修験道の場合ですと、山には多くの構造がありまして、その構造が密教の曼陀羅(まんだら)の構造と同一であるという考え方ですけれども、山伏の峰入りは、胎蔵曼陀羅や金剛界曼陀羅の世界と全く同じような修業の場であるという考え方であります。山脈全体が曼陀羅であって、その水、井戸、源流、大きな石、神木、山頂はすべて、神様と曼陀羅宇宙にある菩薩の本当の形であるという考え方です。だから、修行しながら山を歩いていく(回峰行)時は、寺にある描かれた曼陀羅と全く同じ様に、「印(註=密教で特別の意義を持つと考えられる指の組み方)」を結びながら、お経を唱えて歩いて行くわけです。

 曼陀羅は、宇宙の構造を象徴的に示すものでありますから、拝みながら山を歩いていくのは、宇宙の構造の秘密を自分のものとしていくということと同じことです。「山とひとつになっていく」という、非常に神秘的で深い経験……。そこに、修験道の良さがあると思います。それを示すためにいくつかの例を申しますと、葛城山脈の全体を『法華経』の二十八品(ぼん)(章)に準(なぞら)えて、紀淡海峡の小さな島(友ヶ島)から二上山まで、その長い山系のいろんなところで法華経を埋めた(経塚)わけです。この葛城山系に二十八ヵ所(註=『法華経』は全八巻二十八品からなる経典だから)の聖なる所(葛城二十八宿)ができて、今でも修験者がその長い修行コースで峰入りを行っているのです。山全体が法華経の教えそのものである。だから、法華経とは、決して文字として書かれた経典だけではなくて、大自然そのものであるということになります。それもまた修験道ですけれども、これは、道元禅師の考え方と非常に近いという感じがします。「山は宇宙菩薩のご神体である。教えそのものである」という考え方です。

▼「仏の里」国東半島

 九州の国東(くにさき)半島も「仏の里」と言われていますけれども、それも法華経との関係が深い。なぜかと言いますと、平安時代の初めから鎌倉時代にかけて、28カ所のお寺が建てられて、その1軒ずつが法華経の一品(ぽん)(註=経典における「章」のこと)ずつに擬(なぞら)えられたからです。それから、中国の天台大師智覬(ちぎ)の法華経の考え方を利用して、その28カ所のお寺を3部に分けたわけです。8カ所のお寺、10カ所のお寺、10カ所のお寺というふうに。それが、智覬大師の考え方で建てられたわけです。それから、8カ所のお寺を結ぶ道を開いて峰入りのコースを作ったのです。江戸時代の『六郷大山本紀』という書物によると、28カ所のお寺の道のほとりに、いろんな彫刻(石仏や石塔)が置かれたそうです。その彫刻の合計数は、法華経の文字の数、すなわち69、384個だそうです。

 今日、国東半島に行きますと――私もその峰入りをしたことがありますけれども――やはり法華経の教えがまだ生きている感じがいたしましたが、その28カ所のお寺のうちの数カ所は、明治初年の「神仏分離」のために毀(こわ)されてしまったのですが、それから、道端の石仏や石塔(註=国東塔と呼ばれる独特の形状をした仏石塔)も人間に盗まれて、今ではいろんな博物館にあります。例えば、アメリカにも有名な国東塔が2つあって、それを嘆いております。

 国東という、ほとんど人に知られていない半島ですけれども、その文化の深さ、歴史は考えられないほど素晴らしいものだと思います。しかし、21世紀の国東半島は危機に瀕しています。お寺とお寺の間には、パチンコ屋があるんですよ(会場笑い)。それから、峰入りの道の途中には、ゴルフ場があります。こんなことはいけないことだと思います。ゴルフは18ホール回る競技ですけれど、僕は国東に限って28カ所の穴にすればどうかと勧めた(会場笑い)のですが、現地の人は解らないようです。


▼「四土結界」とは何か

 国東半島の隣に英彦(ひこ)山があります。英彦山も天台宗ですが、ただ天台宗の霊場であるという以上に複雑な構造を持つ山だと思います。その英彦山は大雑把にいえば、こんな感じです。平安時代の終わりに「結界(けっかい)」(註=修行や修法のために一定区域を限ること。また、その区域に仏道修行の障害となるものの入ることを許さないこと)が決められましたが、そこで非常に面白い出来事がありました。それが、天台の「四土(しど)結界」という思想です。それは、どんなものかというと、一番下の結界線に「銅」の鳥居を造ったのです。そして、その上のゾーンに「石」の鳥居、それから、もうひとつ上のゾーンに「木」の鳥居を造った。それが、四つの全く異なる世界を分ける境界の目印でありました。

 一番下のゾーンは「凡聖同居土」といいます。つまり、平凡な人と聖(ひじり)が一緒に住んでいてもいいとされていたのです。そのひとつ上のゾーンは「実報厳土」といいます。ここには、山伏しか住むことができない。だから、今でもここに行きますと、山伏の村の蹟がちゃんと残っています。石の鳥居を越えたら山伏しか入れない「女人結界」となって、女性が入ることはできなかったと言われています。それから、木の鳥居では、英彦山と福智山までの金剛界曼陀羅、法満山までの胎蔵曼陀羅、つまり大きな山脈の峰入りを十五回もした山伏しか入れない場所を「常寂光土」と言い、最も清い場所だとされていました。

 面白いことは、鳥居の素材が、銅→石→木と上に行けばいくほどシンプルになっているという点です。これは、下界は汚い所で、いろんな悪い人間も住んで、いろんな仕事もしている。銅の鳥居を造るためには工場がないとダメ。仕事をたっぷりしないといけない。だから、一番手間のかかる銅の鳥居が一番下の層にある。ところが、だんだんと山の上のほうに行くと、修行する人間の住む所で、設備のいる銅の鳥居は難しいですけれど、石の鳥居なら簡単に造ることができる。さらに、木の鳥居は最もシンプルで自然に一番近い。つまり、人間の日常的な仕事からは最も遠い。下は汚い俗世間ですけれど、てっぺんは清い場所、天国みたいなところという考え方です。この常寂光土には、十五回の峰入りをした山伏しか入れない所ですが、その山伏といえども、常寂光土には身体のいろんな液体を残してはいけない。たとえば、泣くことはできない。便所に行くことはできない。汗をかくこともできない。だから、非常に清らかな場所でありました。ところが、今日、英彦山へ行きましたらコカコーラの自動販売機があります(会場爆笑)。なぜか判らないけれど……。


聴衆の関心を常に惹き付けながら
絶妙の語り口で講演するグラパール教授

そういう、「四土結界」という考え方がどこから来ているかは、非常に面白い問題です。もともと、中国の天台大師智覬(ちぎ)が書かれた『唯摩経』の解説書の中で紹介されているわけですが、どうして唯摩経の世界から天台宗の法華経の「四土結界」になっていくのかは謎ですけれども……。13世紀に4回も天台座主になられた慈圓という非常に有名なお坊さんがいます。彼は、同時に、山伏の大先達でありましたけれども、その慈圓が『法華法』という法会(ほうえ)についての文章を書かれて、その『法華法』の中で、「和歌を詠まなければならない」と言いました。その意味を彼がいろいろ考えて、書物を読んで、それで、唯摩経文書の「四土結界という全く同じ名前の四土を利用して解釈できた」と書いているんです。慈圓と九州との関係は間接的ですが、確かにありました。ちょうど、彼が天台座主をしている時に、すべての国東半島の荘園を室生寺に寄せたわけです。そのために、国東半島と英彦山あたりの荘園に(山王)日枝神社が建てられまして、比叡山の「山王信仰」が侵入していったわけです。


▼江戸時代の森林復活運動

 後は、戦国時代になりますが、その頃には、人々は、大自然、それから、宇宙の諸菩薩と神様との関係のような山と川を全部忘れてしまいました。その代わりに、江戸時代になりますと、「水争いの時代」になって、そのために山に住んでいる人と平地で仕事としていた農民との間に、非常に残酷な闘いがありました。なぜかと言いますと、山にある木を全部切ったりしたら、雨が降るとすぐに泥の川になってしまう、川の泥が田んぼに侵入してお米ができなくなったのです。

 そういう訳で、下の者が上に行って、木を切った者を殺していったのです。いろんな所で大きな問題となってから、やっと事情が理解されて、各地で森林復活運動が起こりました。そのおかげで、江戸時代の終わりには、日本は緑に覆われた国になりました。他のアジアの国々に比べると月とスッポンです。その森林復活運動がなければ、水争いばっかりで、日本も中国みたいな砂漠ばっかりの国になったはずです。だから、もちろん今でも、日本人全部が守らないと大きな問題になっていくのは当たり前のことです。21世紀は個人的な欲望の時代ですので、非常に問題があります。水も汚い。ダムだらけです。ですから、魚もいなくなります。そのために、魚を喰う鳥もいなくなって、次(に滅びるの)は人間の番ですね。決まっているんです。だから、もうそろそろ、日本もダム造りを止めたらいいなと思うんです。田中角栄が書きました『日本列島改造論』のために、ダム造りがいっそう元気になって、本当は、日本列島改造論ではなくて、「日本環境破壊論」みたいなものだと思っております。また、同時に、個人消費の「費」という漢字は、実は「弗(ドル=$)」という字に、金を表す「貝」と書きますね(会場笑い)。消費の時代ですから……。子供にどんな世界を残していくのか、心配しなければなりません。


▼宗教団体は何をなすべきか

 そういうことに対して、宗教団体が何らかのアクションを起こして一生懸命闘わないといけないと思います。それで、曹洞宗では「グリーンプラン」があると聞きましたし、神社界では「社叢(しゃそう)の杜(もり)」の動きがありまして、それは喜ばしい話ですけれど、もうちょっと努力して、その歴史を知りながら、どうして全力を尽くさなければいけないかを強く子供のうちから教えていかないとダメだと思います。今の文部科学省では足りません。

 そこで、宗教団体には大きな可能性があると思います。それは、どんな形を取っていくべきか私には判りませんけれども、危機感が鋭い。日本だけでなく全世界のことですが、日本も全世界の一部で、同じ空気を呼吸していますから、同じ土を耕して、同じ世界にいるのですから、何も隔たりがない。「世界はひとつ」という言い方はちょっとおかしいという気がしますが、実はそうです。同じ水を飲まないといけないのですし、同じ様に、子供も育てていかなければならないからです。

 私が歴史を勉強する本当の理由は、現代の世界をいっそうきれいにして子孫に残したいから、勉強してまいりました。もちろん、問題が大きすぎる。工業化、軍国主義化、第二次大戦以前と大戦の期間中は、帝国主義と軍国主義に参加したいろんな宗教のグループも発言して、いろんな書物も書かれました。天皇制や密教とか、その歴史もちゃんと勉強して、みんなに紹介しなければならないと思っています。今とはまったく別の世界だったのですから……。

 その知識の上で、明日をいっしょに考えていければ良いんじゃないんですか? 環境破壊は一番深刻な問題です。SARSよりも大きい。戦争よりも大きい。環境がなければもうお仕舞ですからね。終わりはごめんですよ。だから、一滴一滴ずつすべての霊水をきれいにしていけば良いんじゃないんですか。一本ずつ一本ずつご神木を、ただこの神社の一本とかだけじゃなく、すべての木を「神聖なものである」とすればいいんじゃないんですか。(環境問題になっている)長良川や四万十川だけじゃなくて、すべての川をきれいな川にすれば良いんじゃないですか? ダムをすべて壊していけば良いんじゃないですか? 政府と闘うんじゃなくて、政府と協力して、明日の環境を考えていくグリーンプランでいいんじゃないんですか。

 そこでまた、宗教は、神様は宇宙菩薩でもなんでも理想的な存在、また、その木、その川、その泉一滴の中でも宿っていけばいいんじゃないですか、というような努力をしないと……。私は喜んでその動きに参加させていただきたいと思います。本日はこれで失礼します。ご清聴有難うございます。

                         (講演おわり 文責編集部)

<質疑応答>

三宅善信:
 有難うございました。本当に有意義なお話を聴かせていただきました。グラパール先生は、学者の先生ですけれども、私共宗教者に「こういうふうにあらねばならない」ということまで教えていただきました。本当言うと、先生のような方が小泉首相の代わりにエビアン・サミットに出られて、水のことをおっしゃっていただいたら、もっと良くなったのでは(会場笑い)と思いますけれども……。具体的な質問はまたさせていただきたいと思います。私も恥ずかしながら、日本のことをよく知らない日本人のひとりでございます。人名の漢字だけ教えていただきたいのですけれども、「あきゅうぼうそくでん」とは、どういう字を書くか教えてください。


グラパール: 阿吸坊即伝は有名な山伏で、秘密で伝えられた口伝を全部記録に書かれた人です。そのために、今日でも修験道の内容を振り返れるわけです。この方は、16世紀、ちょうど戦国時代に活躍されました。


三宅善信: ただ今より質疑応答に移らさせていただきます。いつも申し上げますように、ご遠慮なされて、もしどなたも手を挙げてくださらなければ、私からお当てすることになりますから、そういうことになりませんようにご協力くださいませ。今日は仏教関係の難しい漢字が出てきて、「どうしようかしら」と思いましたが、その時には、前のほうに座っておられます仏教関係の先生方に助けていただこうと思っております。記録の関係がございますので、当てさせていただきましたら、ご自身のお名前とご所属をおっしゃってくださいませ。よろしくお願いいたします。


寺内成人: 布忍(ぬのせ)神社の寺内でございます。グラパール先生は修験道のことをご研究されているということで、日本に修験の山というのはたくさんあるわけなんですけれども、「女人禁制」ということは、関西のほうでは大峯山だけが今でもそれを守っています。あとはほとんど全滅と言っていいかと思います。しかし「女人禁制」というあり方を止めた途端に、宗教っていうのが無くなったような気がします。先ほど先生が言われましたように、山頂の一番清浄な場所にコカコーラの自動販売機があるということですが、先生はどういうお考えでいらっしゃいますか。


グラパール: 問題は女人禁制ではありません。観光が問題なのです。今、欧米では、ネイチャーツーリズムやエコツーリズムという動きがありまして、大きなバスを使ったり、大きなホテルに泊まることを止めて、自然を尊敬しながら、ゴミを出さないようにして、ものを壊さないようにして、ものを見に行く。つまり、勉強するという動きがありますけれども、僕は、いわゆる観光が大嫌い。ただ、チラッと行って弁当箱を残していくというのではなくて、むしろ歴史を勉強してから行けばいいなと……。

 「女人結界」については、二冊ほどの研究がございましたけれども、それらは、社会的な構造の問題であって、社会における男女の力関係、それから、仏教と神道における「浄・不浄」の問題で、現代では大きな問題にならないと思います。弘法大師の著作を読んでまいりますと、実は「男性と女性の間には差はない」と書いています。例えば、京都の神泉苑で、雨乞い求法を行われた時の文章が残っていて、その文章の終わりの所には、「男女の差なしに密教に入れば良い」というような文章がちゃんとあります。それから、道元禅師も同じようなことを書かれました。男と女の差を話すのは時間の損です。だから、実は宗教的には関係のないことで、社会的な力関係の問題だと思います。


三宅善信: 有難うございました。男女の力関係の問題というのは、逆の意味で身につまされました(会場笑い)。他にどなたかございませんでしょうか? 皆様まだ、心のご準備が整わないようですが、私が間を繋げて質問させていただきます。

 今のお話に関連いたしますけれども、日本においては、実は「善悪の問題」よりも、「浄・不浄の問題」のほうが人々の関心として優先されていると思います。卑近な例で申し上げますと、一カ月ほど前に、見るからに異様な「白装束の集団」というのが、日本中をウロウロと迷走しましたですね。その「白装束の集団」に対する各自治体の反応が、これまた日本的でした。村の代表が白装束の集団の所へ行きまして、「ともかく、今日の何時までにうちの村を出ていってくれ」と……。全然、問題解決には関心がなくて、要するに、自分の村から出てくれさえすれば良いわけです。自分の家の前だけ掃除して、ごみを隣の家の前の道へ掃き寄せる(会場笑い)のと同じで、物事を根本から解決しようと考えるのではなく、ともかく、不浄なものを自分の見える範囲から取り除けば、それでよいのであって、価値判断の基準は、浄いか、浄くないかで分ける傾向が日本人には強いかと思います。

 そのことは、ある意味で、結果的には、他のアジアの国々に比べて森林が多く残ることとなったのですけれども……。なぜなら、「ここは神域ですよ」とかいう所は徹底的に浄められて(自然が保護されて)よくなったのですが、そうでない場所は、逆に、穢され放題になったのではないでしょうか。『中臣の大祓』のように、罪穢れというものが山の上からゴロゴロッと落ちて、「早川の瀬にいます瀬織津比賣(せおりつひめ)」の働きで川をサーッと流れ下って、いろんな神様の手を経て、最後は深海の底の「根の国底の国にいます速佐須良比賣(はやさすらひめ)という神様の働きで、どこかへ雲散霧消してしまって、はいおしまい。

 本当は、汚染物質は決して無くならないんですけれども――グラパール先生は「消費」という表現を使われましたが――決して、物質は「消えて費(つい)える」ということはないのですが、日本的な考え方では、薄まるとか、観測できないくらいの値になったら、無くなったものとみなすという話です。あるいは、経済的な例で話をしますと、「消費する」とは、付加価値がなくなるということです。ビールを飲んで、それがおしっこになったら、茶色い泡だった液体としての量は同じですが、ビールには値打ちがあって、もう一方には値打ちがない(会場笑い)。そういうことで、日本人の「浄・不浄」という視点からもう少し教えていただければ有難いです。


グラパール: 先生方に私から何も教えることはないですよ。私も「浄・不浄」ということは一番大きな問題だと思っています。二荒山(日光)の勝道上人の話ですけれども、最初の文章の内容は次のようなものです。「環境が清いと人間の心が静かになる。人間の心が乱れたら、環境が乱れてしまう。だから、その間の関係をよくよく勉強しなければならない」これほど人間(の精神)と自然環境との関係を明快に述べているものはありませんが、もし日本人が、浄・不浄の浄が本当に重要なものであるとしていたのなら、今日におけるような環境問題なんか起こるはずがないです。だから、三宅先生は「浄・不浄は非常に日本人には大切なものの感じ方、考え方である」とおっしゃいましたが、私としても、そうあってほしいのですが、実際には、ちょっとどこかで「疑わしいな」という感じがします。

 また、「自分を清める」ための方法はいろいろあります。伝統的なやり方だけでなく、現代的なやり方も考え出さないといけないと思っておりますけど……。自分が清い存在であること……。人間はもともと清いものですけれども、そのもともとの清さを、どういうふうに守りながら他人に示していけばいいのか? それは毎日の行動にかかっています。だから、ただ銭湯に入って身を清めるのではなくて、自分の心、行いを通じて、世界に示す行動でなければならない。この世界には、不浄なことが多すぎるんですね。いろんな不浄がありますけれども、それは、諸宗教団体が協力しながら決めていけばいいのではないでしょうか。

葛葉睦山: 臨済宗桂香寺の葛葉です。今、グラパール先生は、たまたま「浄・不浄」の問題で、人間存在は「もともと浄い」とおっしゃられましたが、お話の最初のほうで、中禅寺湖の自然が極めてきれいで安定しているといったお話の中から、普通、大乗仏教は「すべての者は仏性を有する」と考えているんですが、そこから一歩踏み込んで、「山川草木悉皆成仏」なんていう考え方まで行きついてしまうのです。私、これこそが宗教の基本ではないかと常々感じておりました。

 今日の演題は「自然環境保護への積極的貢献」ということですが、自然に支えられて人間は生きている。そして、また人間も自然を支えなくちゃならない。それは、仏性を抱くことで共鳴していくことだとずっと思っていました。そういう意味で、特に、積極的に宗教者は役前を果たさなければならないと思います。

 同時に、法華経の教えは、いろんな考え方を含んでいるのだと、私もそう思います。自然の中に教えがある。自然の中に仏心を見る。そうしますと、先ほど女人禁制のお話がございましたが、どうして、そこに結界まで作って「女性はダメだ」と、いうことになったんでしょうかね? まして、「変性男子(へんしょうなんし)」と申しまして、男性しか悟りの境地に入れないということで、女の人も男の人と見立てて、悟りを求めるという考え方まである。どうして、そのように「女人禁制」という考えが出てくるのか? まして「山は神であり、菩薩である」と理解するのならば、なぜ女人は拒否しなければならないのか? その辺りは、トンネル工事をしているときに「女の人はトンネルに入っちゃいけませんよ」ということで、貫通式の時に女性の記者が入ろうとしたら、追い返されたという話がございますよね。あるいは、大相撲の春場所の表彰式の時に、大阪府の知事(太田房江知事)は女性だから土俵に上がっちゃいかんということで、表彰式に参加できなかったのです。そんなことは、「浄・不浄」の問題にも引っ掛かってくるかと思うんですね。女性と男性を踏まえて「浄・不浄」の問題について、お教えいただきたいと思います。


グラパール: トンネル工事についてはいろんな見方があると思いますが、伝統的な考え方の答えは「山の神は女性の神である。だから、人間の女性がトンネルに入って男性である作業員の気を引くことに嫉妬している」というような考え方があります。しかし、それだけではないと思います。やはり、社会的な力関係、男性・女性の間の社会的な戦争みたいな動きであると私は思っています。別の問題ですけれども、同じような行動を示す例に、「血の穢れ」の問題があります。人が傷ついたりする時に血が出ますが、これが非常に汚い。だから、放生会(ほうじょうえ)を創りました。八幡大菩薩がその血液の責任を取るわけです。放生会を通してですね。だから、悪いことは悪いことと知りながら、人を殺していくのです。そうして、問題を解決するために放生会を創っていきます。だから、問題を起こしたり問題を解決したりするのは、男性・女性の浄・不浄の問題ではないです。上と下の問題だと思います。

 例えば、謡曲では非常に有名な『卒塔婆小町(そとばこまち)』の話があります。高野山の高僧が、都へ上る旅の途中に、偶然、卒塔婆(死者を供養する木製の杭)の上に腰かけて休む、みすぼらしい老婆(実は、かつて「絶世の美女」と呼ばれた小野小町のなれの果て)に出会います。その小野小町は、卒塔婆の上に座っていたから「卒塔婆小町」と呼ばれてます。そこで、高僧はみすぼらしい老女を諭すのですね。「いくら朽ち果てていても卒塔婆というありがたい仏の象徴の上に腰かけたらいけない」と諭すのですが、老女は見かけ上の浄・不浄に囚われている高僧を逆にやり込めてしまい、自分は、かつて小野小町と呼ばれた女性であったと正体を明かし、「お前たちは仏教の教えが解っていない。仏教の教えでは、浄・不浄は反対の関係ではない。煩悩即菩提。だから、浄・不浄で差別するのは間違った考えだよ」と、やり込めるというストーリーの謡曲のお話ですけれど……。

 ですから、実は、浄・不浄の問題ではない。例えば、江戸時代の富士信仰である「富士講」では、富士山を彌勒の浄土に見立てた信仰ですが、「女性の月の水はおつゆ」と言っているのです。何にも汚いことはない。それは、私の見方にぴったりです。だから、「女人結界」は、もともと血に対する解釈の間違いと判断しなければいけないと思っております。


三宅善信: 興味深いお話を教えていただき有難うございます。他に質問される方はございませんか? キリスト教の先生は数少ないので、どうしても当たる確率が高いですが、カトリックのレルガ先生お願いします。


レルガ: 自然と宗教の関係の問題に対して、同じ人間として関心を持っています。先ほど話していただいたようなことが実際にありました。私が少年時代に暮らしたフランスとスペインの国境の町に三十年ぶりに帰ってみたら、そこら辺にあった町並みがすっかりと変わっていて、「これ全く別の世界じゃないか」というくらいな感じで、大変だなとつくづく感じました。ですから、何とかしなければならない。このままの状態を続けていれば、この世界はますます悪くなるんじゃないか、と感じました。

 ですから、私はカトリック教会の司祭をしていますけれども、キリスト教として自然環境に対していろいろ学ぶ責任があると思います。そういう面から見て、長い間、自然環境に配慮してきた神道であれ、仏教であれ、日本の伝統宗教からいろいろ学ぶべきだと思います。そういうことで、私は本日のこの会に参加させていただきました。
質問というより私の心境を聞いていただきました。


三宅善信: レルガ神父様有難うございました。突然の指名で申し訳ございませんでした。

グラパール: ヨーロッパにおいてカトリック教徒の間では、昔からの伝統的思想の中に「大自然はみな神様が創ったものだから聖なるものである」という考え方がありました。その点では、日本と全然違わないのです。この日本も神様が創った国ですからね。
 幼い時にフランス東部へ巡礼に行った経験があります。そこでは、マリア像を神輿(みこし)にして担ぎ、小さな川の源流まで行ったんです。そこで、司祭が蛇の像を拝礼したのです。普通、ヨーロッパでは「蛇は悪魔の象徴」でしたが、その時は真反対でした。「マリアの御使(みつかい)の蛇」というように……。ですから、フランスのキリスト教もいろんな要素があります。今のレルガ神父のお話を承って、スペインも単純なキリスト教ではない(註=純粋なキリスト教の教義だけでなく、重層的な民俗信仰の要素が習合しているという意味)という気がしますから、みんながみんなからお互いに学べばいいと思います。

三宅善信: 有難うございます。先ほどは、同じ仏教でも禅宗(臨済宗)の先生からご意見を伺いましたので、今回は密教系の先生、どなたかいらっしゃいませんか? グラパール先生から、最初に「自然は大日如来のご身体である」というお話がございましたけれども、辨天宗の大森管長先生よろしいでしょうか?

大森慈祥: グラパール先生は、大変深く日本の宗教を研究なさっておられますが、先生はフランスのお生まれと伺いましたが、日本の宗教を研究されるようになったきっかけは何でしたでしょうか?

グラパール: まったくの偶然でございます。13歳の時に、ユネスコが出した『日本の美術』という小さな本に出遭いました。そこで、平安時代の吉祥天の有名な絵から琳派の自然の景色など、江戸時代までの代表的な日本美術を採り上げた50ページの本でした。この出遭いが私の人生を大きく変えてしまいました。
 そのことでまた、もの凄く辛い目も経験しました。私は、日本の美術に対するいろんな本を手に入れて、それを模写しました。私はもともと左利きでしたが、当時は「左利きは悪い」とされていましたから、いつも背中に手をまわして、右手で描かせられたのです。今では、字は右手で書きますけれども、当時は「左手で描きたい」と思っていました。
 もちろん、一番好んで描いたのは、日本美術の絵でした。それを通じて日本の文化を味わうようになりました。日本語を習ってから文部省の奨学金を頂いて、京大で日本文学における仏教の影響を勉強しました。そこで、偶然に弘法大師の『三教指帰』を読みました。ですから、何でも良かったんです。日本のことなら……。

三宅善信: 有難うございました。偶然読まれた本が弘法大師の『三教指帰』ですから、初めから違いますね。日本人のくせに漫画ばかり読んでいるうちの子供に聞かせたい(会場笑い)と思います。本日は比較的時間がございますので、いろんな先生方に質問していただきたいと思います。

三宅龍雄: 金光教の三宅と申します。30年ほど前のことですが、ニューヨークでシンポジウムがございまして、私もパネリストの一人として、壇上に登って席に着きましたら、私の隣に座ったのが『アポロ計画』で月に行ったばかりのNASAのミッチェルという宇宙飛行士でございました。この男が月まで行ったのかと思ってチラッと見たら、彼はセイコーの腕時計をしていました。「日本の時計もなかなかになったなあ」と思っておりましたら、彼は「月という場所の環境ということを考えて、ひとつも月へゴミを捨てて来ずに、あらゆるものを全部持って帰った」という話をされました。
 この宇宙飛行士一人が月へ行くためには莫大な費用が掛かっているんですね。にもかかわらず、彼(NASA)は環境を汚さないように最大限の配慮をして、廃棄物を地球へ全部持って帰って、これが環境を守る見本である」ということを滔々(とうとう)と言われていましたが、私は「どうもあなたの話はおかしい。われわれが食べるものをはじめ、完全に人間によって創られたものはひとつもない。自然にあるものを活かしたり、加工したりして、とにかく自然を頂く。同時に、廃棄処理をするのも、最終段階まですべて人工的に処理をするということは考えられない。やっぱり最後は自然にお返しをする。自然の浄化作用に委ねるのではないだろうか?」と発言しましたら、その宇宙飛行士が「誠にお恥ずかしい。われわれは思い上がっているところがあった」と言いました。
 おっしゃるとおり、「自然からも頂いて自然へ返す」のだし、人間が生きているということは、「自然の中で生かされているし、人間生活を営んでいるということは、自然を破壊しない訳にはいかないんだ」ということを認められました。アメリカ人というのは、率直に間違いを認める人種ですね。所詮は、人間は自然の中で生かされている。人間が生きている限り、散らかしても、最終的には自然が収めてくれる。そういうことを今日グラパール先生のお話を聞きながら、思い出しました。質問というよりは感想になってしまいましたが、私、やっぱり「自然の本質」というものを、こういう時にあらためて考え直すんだなということを感じました。

グラパール: 有難うございました。月は、仏教では「悟りの象徴」とされました。道元禅師は、「悟りはどのようなものでしょうか?」と聞かれた時に、「月は悟りだ。人間は露の一滴である。その大きな月が、露の一滴の中に宿っている。しかも、月は露の一滴の水で変わらない。同時に、その露の一滴の中で、全月が宿っていて、その一滴を破れない。だから、人間と悟りとの間の関係も同じようなもので、月に学べ。露に学べ」というようなことで、21世紀の月の見方とは全然違うなと感じますね。

三宅善信: グラパール先生、有難うございました。道元禅師のお話が出ましたので、曹洞宗の村山先生からも何かご発言をお願いします。

村山廣甫: グラパール先生のお話の中で「道元」という言葉がたびたび出てきましたが、ご承知の通り、道元禅師は「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり」と詠まれました。山に雪が降るのではなく、山が雪を降らせる。これが禅の「現成公案(げんじょうこうあん)」です。「現成公案」というのは、現在そのまま、あるがままの姿が仏の姿だ。生命活動そのものは刹那(せつな)消滅を繰り返している。それを仏という。その仏こそが、われわれを生かしている。例えば、今晩、眠りに就く時に、「明日、目が開かんやろう」と思って寝る人は誰もいないでしょう。われわれは、常日頃は、自我同士が衝突しておりまして、喜怒哀楽、悩んだり怒ったり悲しんだり、いろいろやっておりますけれども、寝ている時は、そんなことは全部忘れてしまって、その活動はありません。
 ということは、「われわれ人間の真実は、いったい何だろうか?」というと、「この肉体に生かされている」ということであって、その「生かされている」ということを、われわれは感謝すること抜きでは生きてはゆけない。そこから、仏教が出発しているわけです。環境というものも、当然、そこには平和がなければならない。それと同時に、人間を大切にする人権も大切です。どれが欠けても不十分です。私たちは環境というものを大切にしたいけれども、これは「最低限の条件」というふうに、今、曹洞宗では考えております。
 グラパール先生のいろいろおっしゃった中に、非常に近いものもございました。「女人結界」の話もありましたが、こちらは「葷酒(くんしゅ)山門より入ってしまう」人間(会場笑い)でございます。これは、もう『現成公案』の中の『発顕利生』の章に「男女(なんにょ)を論ずること勿(なか)れ。これ仏道極妙(ごくみょう)の法則なり」と言って、全く本物の教えであるとおっしゃってます。それも、現実にはそうではなく、グラパール先生は「上下の関係」だとおっしゃいました。よく解りました。
 ただ、「穢(けが)れの思想」というのは、非常に難しい問題になっています。これは、人権に関わることでございますが、これを先生は「環境における問題」と言われました。確かにそうですね。環境を清める、清めない。私たちの時分は、小学校の修学旅行は、お伊勢さんに行きました。その時に、五十鈴川で禊(みぞぎ)をしている方がおられた。これは、古事記・日本書紀に載っている「神ながらの道」というか、日本の古来の「身を清める」という行為ですが、やはりこれを「環境」と考えるなら、「聖域を守る」ということで理解できるのではないかと思っております。質問になったかどうか判りませんが……。

グラパール: 有難うございました。穢れの問題は、やはり社会的に考えますと、大きな問題になります。日本では部落差別の問題をはじめ、いろいろな問題があります。しかし、もともとの穢れは自分の心にもあるのですから、責任を他人に移すわけには行かないという運動も宗教団体はしなければなりません。「身を清める」というのは、古事記や日本書紀をよくよく読みますと、一番重要な例が、伊弉諾尊(イザナギノミコト)が黄泉(よみ)の国から帰ってきて身を清めた(禊ぎをした)時に、左目から天照大神(アマテラスオオミカミ)、右目から月読命(ツキヨミノミコト)、そして口から素戔嗚尊(スサノヲノミコト)の三貴神が生まれました。アマテラスですから、天皇陛下のご先祖。ツキヨミははっきりしないですけれど、たぶん農業関係。スサノヲは軍事関係。怒りやすい人ですから。腕と足からは、底筒之男(ソコヅツノヲ)・中筒之男(ナカヅツノヲ)・上筒之男(ウワヅツノヲ)などの神々が生まれましたが、みんな日本を守る古代の船の力、住吉大社の神々で、身を清めて行くことによって、古代日本国家の構造ができたと言えますね。だから、「身を清める」というのは、「文化を造る」という意味ですね。清めるだけでなくて、どうやって行くかという動きです。非常にこう積極的な行動、考えた上での行動、ただの身の清さ、ただの魂の清さだけではなくて、清さを行いながら、世界を考えていく。もともと汚いことは自然界にはなかったのです。人間が作り出したものです。そこは、人間の世界です。

三宅善信: 有難うございます。最後にご質問いただきたい方は、本日はじめて参加されました才脇直樹先生お願いします。奈良女子大学の先生でございまして、宗教とは分野が違いますので、ひとつ私共とは違った観点から質問お願いいたします。

才脇直樹: 大変貴重なお話を伺いました。有難うございます。私は宗教そのものの研究について専門性を持っている訳ではございませんので、もう少し幅を拡げて、違う視点からお話ししたいと思います。
 実際に「環境保護の担い手になっている人はどうあるべきか?」ということが、念頭にどうしても思い浮かんでくる訳でございまして……。それは決して宗教と無縁のものではないと思います。例えば、氏子さんですとか檀家さんですとかそういう人たちが、実際に地域社会の構成体として環境を守っている。また、その行政なり宗教者なりが、オピニオンリーダーや調整役として歴史的なこういった機能を守ってきたことが非常に大きかったと思うんですね。
 しかし、最近では、こういう伝統的な地域社会といったものがどんどん崩れるという傾向がありまして、今までの歴史的なイメージを持って日本人が思っていた「自然の保護」といったものを続けていくのが非常に困難になってきたという感じがあると思うんです。私自身、北摂の山麓に住んでいますので、昔ですと、月に何度か地元の人が集まって、「山を守る。神社を守る」ということを何の疑いもなくやってきたことが、その繰り返しとして自然を守った。こういうのが、続いてきたわけです。
 ところが、若い人たちが都会へ出て行ってしまって、便利な都会に住む。田舎にはおじいちゃんおばあちゃんばっかりが残って、その環境維持活動をしている母体、原動力がなくなり、自然に対する崇敬なり、宗教家の先生方に対する尊敬の念もだんだん薄れていく。例えば、大阪府なんかが、ボランティアの組織を作って人々を山に送り出してくる。もちろん、ボランティアの方は山のことが好きでやってくるのですけれども、しかし、実際に自分たちが住んでいる環境を守るというのとちょっと違うと思ったりもするんです。
 そうすると、環境問題の先進地域であるヨーロッパなんかでは、日本と違うふうになっているかとは思いますけれども、どんなふうに自然を守っていこうとされているのか? グラパール先生のお話をお聞きして思いましたのは、「やっぱり日本人であるから」ということを抜きにして、日本の宗教的な思想の観点については、世界的にも普遍的な価値を持っているなということを深く思いましたが、そういった思想的な部分はすべてに応用ができるとして、実際にわれわれが住んでいる日本の社会がこれからどういうふうに向かっていくべきかということをお話しいただければと思います。

グラパール: 有難うございました。(一言でお答えするのが)苦しいですね。どういうふうに向かっていくか……。まあ、Uターンしなければならないでしょう。もう、行き過ぎですから……。だから、ちょっとやそっとの教育だけでは、あるいは、一部の小さなグループが実践するだけでは足りない。自分の呼吸する空気の問題だけでなくて、自分の孫が吸うことになる空気のことをもよくよく考えないとダメです。だから、今の若い者は、どの国の人であっても、自分の子孫を残そうと思うのなら、子供のために空気をきれいにするよう努力していけばいいなと……。
 日本では、一週間前か二週間前に、政府から「環境問題は、大企業の責任の問題だけでなくて、みんなの責任だ」という発言がありましたが、当たり前のことですよ。一人ひとりみんなの責任です。私が使っているものは、みな私の責任です。食事の度に、新しい割り箸を使って、なんでも使い捨て。それは私の責任です。だから、個人個人の具体的な毎日の生き方を選ばないとダメですね。どんなものを着るか、きれいな靴を棄てて、藁足(わらじ)にしないといけないかもしれない。下駄(げた)が懐かしいね。学生時代、京大に通っていた頃は、「下駄履きの変な外人だ」といつも言われたんですが、今、下駄を履いている日本人を見つけるのが難しいですね(会場笑い)。ひとことでお答えできるような判りやすい答えはないです。

三宅善信: グラパール先生、有難うございました。時間になりましたのでこの辺りで終わりにしたいと思います。

                         (連載終わり 文責事務局)