国際宗教同志会 平成22年度総会 記念講演
『鳩山政権と日米関係:混迷の8カ月半を振り返って』

大阪大学 法学部 教授
坂元一哉

2010年6月7日、清風学園高校において国際宗教同志会(三宅光雄理事長)の平成22年度総会が、各宗派教団から約80名が参加して開催された。記念講演では、日米密約研究の第一人者である大阪大学法学部の坂元一哉教授を招き、『鳩山政権と日米関係:混迷の8カ月半を振り返って』と題する講演と質疑応答を行った。本サイトでは、この内容を数回に分けて紹介する。


田邊隆一大使

▼総理大臣の正しい辞め方

大阪大学の坂元でございます。本日は、お招きいただきまして有り難うございます。鳩山総理が3日前に辞意表明なさった訳ですけれども、安倍総理から数えまして4年間で4人目の首相交代劇ということになりました。次々と日本の総理大臣が代わるということは、決して良いことではありませんが、鳩山首相の外交運営には、「日本の安全」という観点から見ますと、少し危ういところがありましたので、やむを得ないところもあるかと思います。

安倍首相が在任1年間で辞任された時に、ある評論家が「この世代―つまり、私の世代ですが―は、頑張りが足らなくて困る。本当にちょっとしたことで挫(くじ)けてヘナヘナとなってしまう。安倍首相はこの世代の象徴だ!」と、おっしゃった。それを聞いた時は、私も「このっ!」と思わずテレビへ何か投げつけたい気分がしましたが、実はこの評論家は、鳩山首相と同年代で、鳩山さんのブレーンでもあります。よくテレビにも出ておられますから、ご存知の方も居られると思います。ちょっと太めで眉毛の濃い、元商社マンの方で、名前は言えませんが…、寺島実郎さんという方ですね(会場笑い)。ひと言で申し上げると「呆れるほど責任感の欠如した」感じをこの首相から受けます。もちろん、寺島さんにとって鳩山首相は自分の世代の方ですから「鳩山首相はわれわれの世代の代表だ」とはおっしゃらないと思いますけれども…。今回は何とおっしゃるのか、聞いてみたいと思っております。

「首相が辞める」というのは、どういう場合か? ということですね。日本の憲法によると、衆議院で内閣不信任案が可決される以外に、在任中の首相を辞めさせるということは普通はできないことであります。内閣総理大臣とは、国の最高責任者でありますから「誰かに言われて辞める」ということをやってはいけないんですね。あくまでも首相は、自ら辞める時を選ばなければならない訳です。「自分の存在が国益に合わない」と思ったら、いくら周囲が「もっと頑張れ!」と言おうが言うまいが、その時に辞めれば良い訳です。安倍さんの時、「病気ぐらい何だ。もっとボロボロになるまで頑張りなさい!」といったことをおっしゃった方が居られますが、それは個人の問題です。そうではなく「その存在が国益にとってよろしくない」と自身が判断された時に辞めていただきたい訳です。

鳩山さんは、民主党の両院議員総会で「民主党をクリーンなイメージに戻すために」ということでお辞めになり、国益については何もおっしゃらなかった訳ですが、やはり、どうも「民主党のため」という印象が拭(ぬぐ)えないので、酷い言葉かもしれませんが「これでは、党利党略という感じが否めないな」という気がいたします。菅さんの人気で、民主党の支持率は急回復ということですが、これは民主党にとっては良いことかもしれませんけれども、この辞め方にも鳩山さんの資質が現れてるなという気がいたします。安倍さんは病気でお辞めになった訳ですが、最後は(衆議院では自民党が300議席を有しながら、参議院では少数与党というねじれ国会の結果)「インド洋の給油問題がどうしようもなくなった」ことを理由に辞任されました。私はむしろ安倍さんの辞め方のほうが正しい辞め方―「正しい辞め方」というのがあるかどうかは別として―として評価しております。

資質の問題ということで言えば、鳩山さんは政治家としての「見識」、「判断力」、「構想力」、「実行力」、「責任感」のすべてにおいて、疑問符が付くということだったと思います。唯一「資金力」だけは合格だった(会場笑い)ため、民主党が結成できたと言えますので、その意味において、世の政治に大きく貢献したということは言えると思いますが…。


▼総理大臣の資質の問題
  
  鳩山さんに関して、国民の皆さんが最も恐ろしいと感じたことは、首相の言葉に信頼を置けなくなったということでしょう。鳩山さんが「Trust me !(私を信じてくれ)」と言われても、誰も彼を信じることができないことは、非常に恐ろしいことだと思います。鳩山さんは最後に「国民が聞く耳を持たなくなった」とおっしゃいましたが、本人の言っていることがくるくる変わりますから、何だか真面目に聞いているこちらが損をするような感じになった訳でございます。

おっしゃることにも、やや軽さが目立ちました。最初の頃に鳩山さんが出されたアイディアのひとつに「世界の被災地で自衛隊を活用する」というのがありました。その際、医師、看護師、ボランティアといった民間の方々が自衛官と共に被災地の救済を行うという非常によいアイディアを出されました。問題は、そのアイディアに『友愛ボート』という名前をお付けになったことです。「友愛」という言葉自体が悪いと言っている訳ではなく、そういった用語を国の政策の中に組み入れる時には、少し気を付けて使う必要があるのではないかと思います。


清風学園ではじめて開催された国際宗教同志会の講演会

この「友愛」という言葉の中には、私の後輩でもある京都大学の中西寛先生(京都大学大学院法学研究科教授)は、この「友愛ボート」という名前を聞いた時に「鳩山さんは国策の重みに対する感受性が欠如しているんじゃないか?」とおっしゃいました。私もちょっと「そういうところがおありかもしれない」と思います。私は、鳩山さんの人間としての感受性はまったく問題視しておりません。しかし、この国策に当たる時の、生死の緊張を伴うような非常に厳しいところがなかったのかな? という気がいたします。責任を取られることも苦手だったようで、日米共同声明の後に、「またいのちがけで頑張る」と親指立てておっしゃった訳ですが、あれは追いつめられなかったら今も続けておられるんじゃないかという気がいたします。

こういう表現をすると怒られるかもしれませんが、鳩山さんは「10分間以上問題を深刻に考えられない性格」という気がいたします。もし、それが普通の一般市民の方だったならば「すごく良い性格だ」と思うんですが、一国の首相としてはどうか…? と思います。何故「10分間」と申し上げたかというと、鳩山さんがせっかくワシントンまで出かけていったにも拘わらず、オバマ大統領は「10分間しか会わない」と冷たい態度を取ったのも「この首相に10分以上時間を割いて話しても、果たして深刻に聞いてもらえるのだろうか?」と疑問に思われたのではないかという思いがするからです。

鳩山さんは「いのちがけ」とおっしゃいましたけれども、どうも言葉に「いのちがけ」という感じがしなかった。もう少し、自分の言葉の持つ影響を真剣に考えていただくには、彼のいのちではなく財産をかけていただいたら、もう少し具体的に変わったのかな…という気がいたします。財産といえば、私は「鳩山さんがお母様から毎月お金をもらっていた」というそのこと自体に対して国民が怒っている訳ではないと思いますね。もちろん、それが脱税になるとかならないといった法律上の問題はあると思いますが…。確かに「1カ月に1,500万円」という額面は、ずいぶんな額ではありますけれども、それぞれの家庭における財産協定のようなものがありますから、それ自身を問題にしているのではないと思います。

問題は「それを貰っていたことを知らなかった」という説明には、国民は納得できなかったんじゃないかと思います。国民は、このことについて、もう少し違う説明をして欲しかったんじゃないかと思います。鳩山さんは「知らなかった」と言っておられるけれども「じゃあ、その巨額の政治献金が、いったい何処から来たのか? どう考えていたのか?」という、国民の疑問に対する説明は全くないんですね。ひと月に1,500万円ですと、1年で1億8,000万円になります。それを「知らなかった」と言うのは、ちょっと違うんじゃないか? という気がいたします。例えば「薄々はそう思っていたが、まさか…」と言われたほうが、私は解ります。私は、鳩山さんは腰が低くて、ものの言い方が穏やかで、非常に良い性格の方と思うのですが、こういったところにちょっと狡(ずる)さを感じました。

資質の問題を言うと延々と続きますが、悪口というのは本当に良くないことですので、今日はこのぐらいにしておこうと思います。言い訳する訳ではありませんが、鳩山政権の中でいくつか良いことがあったとメディアで取り上げられることのひとつは、流行語にもなった例の「事業仕分け」であります。それから外務省ですと、いわゆる「密約」の解明については、私は少し貢献したと自負しております。私は悪口が多いかもしれませんが、鳩山さんへの悪口ではなく、鳩山さん的な外交政策の運営では非常に危ないところがあるという話をしたいと思っています。


▼平成の無血維新か?

結局、鳩山さんは本来的には首相になるべき人ではなかったんだろうと思います。ただ、そういう人を首相にした以上は、周りはもっと彼を支えなければならなかったと思います。しかも、首相は有権者であるわれわれが選ぶ訳ですから、われわれ自身もいろいろ考えるべきところがあってしかるべきだと思います。仮に責任のスケールが1から10まであるとすれば、鳩山さん自身の責任はもちろん「10」ですけれども、鳩山さんを支える周りの人々の責任は、「+プラスα」あると思います。外交アドバイザーを含めて、もう少し首相をしっかり支えておく必要があったんじゃないかと思います。われわれ選んだ者の責任は、民主党へ投票した方は「2」、民主党へ入れなかった人は「1」といったところでしょうか…。いずれにせよ、鳩山政権は終わりました。今後も民主党政権が続く訳ですが、民主党政権に「外交政策はこうあって欲しい」という希望についてわれわれが考えるために、8カ月半で終わった鳩山政権の失敗について振り返っておきたいと思います。

「一度われわれに政権を任せてみませんか?」という民主党の政権交代を訴える声に、自民党政権に呆れていた国民は「駄目ならまた替えれば良い」と民主党に任せてみた訳なんですが、いざ任せてみると、当の民主党の人たちは「これは平成の無血維新なんだ!」とおっしゃいました。私はビックリして「そこまでの話だっただろうか、あの政権選択は…」と思いました。もちろん、国民が変化を望んだことは間違いないと思います。ですから、「多少の混乱は許容範囲」と言わざるを得ません。準備不足ということは判っていたんですから、(政権交代直後の百日間は、少々の失敗があっても大目に見るという)ハネムーン・ピリオド―これも突然、アメリカのほうから出てきた用語ですが。欧米ではよくある話かもしれませんが、日本ではハネムーン・ピリオドという名の下に政権批判を抑えるなんてことは、これまでなかったものですから驚きましたが―も、「多少は許そう」あるいは「大目に見よう」という気持ちであったと思います。

しかし、その国内政治の揺れも、私は「やや必要以上に揺らしてしまったな」という気がいたします。いくつか理由がありますが、ひとつはやや強引傲慢な政権運営―「無血維新」という高揚感から来るのでしょうが―があったのではないかと思います。ひとつは、マニフェストに書かれたことすら完全にできないにも拘わらず、マニフェストに書かれていなかったことをやろうとする。例えば、国民の世論が非常に分かれる「外国人の地方参政権」の問題があります。皆さまの中にも賛成の方も居られるでしょうし、反対の方も居られると思います。しかし、世論が二分されることは確かですし、マニフェスト作成時に民主党の中で議論があって「これを出すと選挙に響く」ということで、あえてマニフェストにも書かなかったものなんです。民主党の多くの議員が「こういうことをやりたい!」と思っていたとしても、今回いきなり「実は、われわれはすでにある団体と約束しているから法案として出す」と言われて、皆ビックリした訳です。

そういった法案を出す議会の運営でも、議会の審議過程を無視したかのような10回以上の強行採決をやった訳です。仮に自民党が同じことをやったとしたら、それこそ内閣が10回ぐらい潰れ、野党は烈火の如く起こるようなことを平気でやった訳であります。郵政改革に関しても、国民にはいろんな意見がある訳ですが、小泉政権時代に120時間以上も国会での議論を経て形になっていたものの方向性を変える法案を、たった6時間の審議で通してしまう。民主党執行部は「時間がないから通してしまう」とおっしゃいますが、私は「やや強引過ぎるな」という気がいたします。議会制民主主義ということが良く解っておられない政権運営だという気がいたします。

民主主義というものは、いろんな定義がございますが、ひとことで言えば「国民の同意に基づく政治」、少し難しく言いますと「被治者の同意に基づく政治」が、政治学上の定義です。問題は「どのように同意を図るか?」ということです。一番の図り方は、もちろん選挙であります。選挙によって、政権を誰かに任せるということになる訳ですけれども、任せた政権が政治を行う時に「選挙によって信任を得たのだから、あとは全部俺の思うようにするよ」ということでは、民主主義ではありません。ひとつひとつの案件について国民の同意を得られるかどうかを、ひとつひとつ確かめて行うのが議会政治の根本であります。では、どのように確かめるのかというと、委員会における個々の審議です。審議の過程の中で反対の人を納得させ、修正すべきところは修正して、国民の同意を取り付けるという形で進めていくのが、議会制民主主義だと思います。

ところが、どうもこの国の政治家には、選挙に勝てば「これですべて自分たちの思うようになる」という発想を持っておられる方が居られるのかなという気がいたします。与党は、すぐに「審議打ち切り」の強行採決をやりたがります。それは、民主党が野党だった時には絶対反対してたやり方なんですね。ですから、今度は民主党が何年か後に野党になったら、また別の話をしなきゃいけない。それは、日本全体にとって、非常に不幸なことになると思います。たしかに、改革をしようとすると、ゆっくり話し合っていたのでは改革のスピードが落ちる。それはその通りなんです。ある時は急がなければならない。しかし、早急に、軽率に「改革をやる」ということになってしまうと、今度は同意を得られていない訳ですから、全体の納得が得られていない。そうすると、また次にコロコロと変わってしまう。難しいところであります。急がなければいけない一方で、なるべく多くの同意を得なければならない。議会制民主主義は非常に手間暇のかかるものなんですね。まるで園芸のように、毎日、水や肥料を少しずつやって育てていくようなやり方をしなければならないのに、今回は早急だったなという気がいたします。


▼目的が混乱している民主党政権

2番目は、1番目と共に、あるいはそれ以上に大切なことかもしれませんが、「目的が混乱している」という気がいたします。改革の方向性は何処にあるのか? ということです。最初の予算ではっきりとその矛盾が出てしまいました。「日本再生」、「政治改革」というのは良いんですが、この政治の有り様として、政府はどれくらいお金を使うのかということです。つまり「大きな政府」か「小さな政府」という方向性が判りにくい。一方で、税収以上の国債を発行して、これまでで最大の巨額な赤字予算を作って運営をする。赤字予算になっている原因は、民主党が選挙中に掲げた社会政策―特に子ども手当―です。それを出すか出さないかはひとつの考え方でしょうが、では「大きな政府」を目指すのかと思いきや、一方で「事業仕分け」があります。「今までの無駄は全部切らなければいけない。確かにスーパーコンピュータが必要かもしれないが、お金がないから予算を打ち切るんだ!」と言われると、いったいこの政府の求めているのはどちらなのか? と思います。もちろん「大きな政府」か「小さな政府」というと「それはちょうど良い政府が良いに決まっている」と言われる訳ですが、基軸としてはやや曖昧なところがあり、方向性が見えない気がいたします。

また、政党全体ではありませんが、小沢一郎前幹事長も、やや目的を失っているように見えました。「(日本に選挙による)政権交代(を可能にする政治状況を創り出すこと)こそ自分の生涯をかけた目標なんだ」と、政権交代を実現した訳ですが、今度は「衆議院総選挙で実現した民主党政権をもっと確実なものにするために参議院も過半数を取るんだ。それによって初めて政権交代可能な議会制民主主義が確立される」とおっしゃいましたが、民主党が衆参両院全部単独過半数取ってしまうということは、要するに「野党が弱くなる」ということですから、今度は逆に、安定した民主党政権が確立され、長期間政権交代ができなくなるということになります。これって、明らかに矛盾してますよね?

その上、この人「議会制民主主義」と言いながら、議会の運用の仕方は「えーっ?」というところが多々あります。参議院で単独過半数を持っていない段階ですら、このような国会運営をするのなら、もし、民主党が参議院でも単独過半数を得た日には、いったいどんな強引な運営をするのかと有権者に不安を感じさせるところがあります。三人区に複数候補者を立てたりして、小沢さんの「参議院でも絶対多数を取りにいく」ということの目的がはっきりしない。政治評論家と言われる人々の中には「いや、小沢さんの目的ははっきりしている。いったん民主党が絶対過半数を取り、自民党を潰してしまい、その後、民主党をふたつに割く。そして、初めてその政権の中で議会制民主主義を発展させる。そういったことを考えておられるんだ」とおっしゃる方がいます。そうかもしれないけれど、そうじゃないかもしれない。本人からきちんと説明してもらえるのかというと、全く説明がない。それは民主主義とは言えないと私は思います。そういったお考えをちゃんと説明しておられるならば、私はそれもひとつの考え方かと思うんですが…。今は目標が曖昧になっているような気がいたします。

「政治と金」の問題にしても、説明不足が目立ちました。説明の形式すら取ろうとしないところがあったと思います。自民党政権時代ならば、疑惑を持たれた与党の政治家は、国会で一応説明をするという難行(証人喚問や参考人招致)には耐えることをやっていたんですが「それさえも嫌だ」という方だったと思います。これも野党時代の民主党ならば、烈火の如く怒ったと思います。鳩山総理と小沢幹事長という「二重権力の問題」にも混乱があった訳ですが、私は、現在の国内政治の混乱について考えてみたんですが、家の中(内政)が混乱しても、家の外壁(外交政策)がしっかりしていれば、国の存立が危うくなることにはならないと思います。

しかし、残念ながら鳩山政権においては、この外交安全保障政策も危うくしました。辞任の原因は、その混乱における社民党の政権離脱が命取りになった訳です。ですから「外交政策の失敗によって政権が終わった」と言えると思いますが、ある意味、珍しい例だといって良いと思います。実は、鳩山由紀夫首相の祖父である鳩山一郎さんにも、そういうところがあったと言われています。今後、歴史家はそこをやや面白おかしく批評してくるかもしれません。次に、アメリカとの付き合いについて、すなわち「外の壁(外交政策)」の揺れについて考えてみたいと思ます。


▼国家の安全保障まで危うくした鳩山政権

そもそも、「一貫性のある安全保障政策が民主党には欠如している」というのは、よく言われたことであります。なにせ寄り合い所帯ですから、安全保障論議を避けてきたところがございます。例えば「インド洋での海上補給は、違憲か合憲か?」という論議で、民主党の中で意見が割れたんですね。小沢代表は「これは違憲に決まっているじゃないか」といった言い回しでした。以前の民主党で力を持っていた人たち―小沢代表の下では、やや逼塞(ひっそく)していましたけれども―は、「自民党政権が決めた燃料補給には反対したけれども、憲法違反とは言っていない」と、揉める訳です。私は「ひとつの政党ならば、解釈がまったく同じでなければいけない」と言うつもりはありません。
           
しかし、安全保障の根幹に関わるような、「テロ対策のためにインド洋で活動する友軍の艦船に自衛艦が燃料を補給するといった行為が、合憲か違憲か」といったような基本的なことで党内で意見が割れていることは、本当に問題だったのではないかと思います。
鳩山さんはどう言ったかといいますと、彼はその論議には触れず「給油回数が減ってきているため、給油活動を継続する必要がなくなったので止(や)める」と言いました。これは、非常に巧い言い方だったと思います。「必要が無くなったから止める」ということは、「必要が出てきたらまたやる」ということもできるということですから…。しかし、私は、むしろ給油回数が減ったのなら、続けるべきだったんじゃないかと思います。給油回数が減っているということは、それだけお金もかからない訳ですからね。最初に鳩山政権は「単純再延長はしない」と言っていたんですが、私は「巧いこと言うな」と思っていました。こう発言した次に、アフガンの民政支援に50億ドル(約4千億円)を出しました。アフガニスタンのGDPは120億ドルぐらいですから、一国のGDPの4割ものお金が一気に転がり込むという、とんでもないといえばとんでもないお金を出した訳ですが…、これも良いことだと思います。そうして、インド洋での給油も細々と続けておいて「さあ、沖縄(普天間)の問題はこうしてください」といった交渉をするのかと思っていました。しかし、民主党は野党時代に自民党の給油政策に反対していたものですから、結果的には、単純に中止になってしまいました。「これまでの経緯を利用して…」といったところが全然なかった。

民主党というのは、もともと自民党の右寄りにいた人から日本社会党の左寄りにいた人まで含めた寄り合い所帯で、一国の政権を担う上で最も大事な安全保障についての憲法解釈すら一致していなかったことは、ひとつの問題です。しかし、そもそも一党の中でも考え方に違いがあるところに、さらに連立政権を作った訳です。その中に、極左の社民党が入っていましたが、社民党は全然考え方が違う。社民党の「連立離脱の脅し」を含む強い反対がなければ、普天間基地移設の問題は、昨年中に決着できたと思います。新聞報道でも「鳩山さんはいったん決断した」と言われていますけれども、おそらくそうなんじゃないかと思います。もし、昨年の内に決めておけば、政権の命取りというところまでは至らなかったのではないかと思います。

鳩山さんは、皆が担ぐには良い人だったかもしれませんが「自らリーダーシップを発揮して皆をまとめていく」というタイプではなく「皆に議論を重ねさせた後に、最後に自分が決める」という態度でした。また、議論を誘導するような方ではありませんから、外務大臣、防衛大臣、官房長官、それぞれ言っていることが全然違う。アメリカの大使は誰に話せば良いのやら判らない。この内閣にリーダーシップが欠如した状態が、個別具体的な普天間基地移設問題について鳩山政権として一致した見解を見ることなくバラバラになって終わった訳です。


▼国境線のない世界を求めて

鳩山さんの国際政治観というのは、最後の演説で「私は国境線のない、そういう世界が来ることを望んでいる。それが理想だ」とおっしゃいました。これは、国際政治、あるいは政治思想の流れで昔からある議論であります。代表的なものが、18世紀の哲学者イマヌエル・カント著作の『永久平和のために』の中にあるような論説なんですが、要するに「われわれの世界に住む人々は、何故、同じ人類なのに別々の国に分かれて存在しなければならないのか? 別々の国に分かれているから、そこに争いが起こり、苦しみが起こる。それよりも人類の普遍的な共同体を作る努力をしなければならない」という、極端といえば極端ですが、非常に強いリベラリズムの考え方であります。

それに対して、普通の国際政治における現実主義とは「国際政治とは、国家の併存状態が続くことである。国同士の関係は、戦争もあれば友好もある。なるべく戦争をしないように努力しなければいけないが、究極的には戦争を避けることはできない」。これがリアリズムの考え方であります。私はリベラリズムの考え方が駄目だと言っている訳ではないんです。こういう考え方は、思想家であったり、あるいは皆さまのような宗教家が持たれることは大切なことであります。そういう気持ちが、結局のところ併存状態に終わったとしても、世界平和に役立つところは大いにあるだろうと思います。ですが、自国の安全をまず考えなければならない立場である一国の首相が「国境線は、将来的には無くなれば良い」といった言い方をするのはどうかと思います。心の奥底にリベラリズムがあることに反対はしませんが…。

しかし、鳩山氏は、一方で矛盾したことも言っておられます。「国境線のない世界を求める」と言う一方で「私がやり残したことは、北方領土問題だ」(会場笑い)と…。国境線は要らないことになるなら、現実世界における北方領土という問題なんて別に考える必要はないんじゃないか? ということになってしまいますからね。

私が最初に、鳩山さんに期待したのは、日本が現下の国際政治において抱えている最大の外交課題をキチッと把握しておられた点です。それは、政権に就かれる前に『VOICE』という雑誌に公表された『私の政治哲学』という論文に出てくるんですが、その中で非常に重要な問いを発しておられる。それは何かというと「アメリカは、覇権国家であり続けようとしているが、この先、20年、30年の話ではないとはいえ、少しずつ力が衰えていくだろう。一方、日本の隣には、覇権国家として力を付けつつある中国の存在がある。この衰退するアメリカと興隆する中国の狭間で、日本は如何にして政治的独立を維持し、国益を守っていくのか? これからの国際環境は容易でない」とはっきりおっしゃったので、私はすごく期待したんです。

では、どうすれば良いのか? 彼の答えは「新たな国際協力の枠組みの構築を目指す。東アジア地域での恒久的な安全保障の枠組みを創出する。友愛が導くもうひとつの国家目標である東アジア共同体…」繰り返しになりますが、理論家ということであれば判るんですが、目下の日本の置かれている状況下で「東アジアの国際的枠組み、恒久的な安全保障の枠組みの創出努力を遅らせてはいけない」とおっしゃいますが、果たしてそれは簡単にできることでしょうか? 鳩山さんの隣近所を大切にする発想はとても大事だと思います。しかし、よく周りを見ていただくと、われわれの周りには、中国、北朝鮮、ロシアといった、なかなか海千山千の国々があります。これらの国々を、ひとつひとつ日本が相手にするには、非常に大変です。

そもそも国の大きさも、人口も、政治体制も、風俗慣習も、価値観も異なる。そこに「共同体」とか「安全保障の枠組み」と言われても、どうやって創っていくのだろうと思います。おそらく何十年もかかるでしょう。もし、そういったものを創るとしたら、私はひとつしか方法はないと思います。われわれの外交基軸である日米同盟基盤を強化しながら、そういった東アジアの国際枠組みを同時に求めていくという方法でなければ、「絵に描いた餅」と言いますか―それぐらいならば良いんですが―やや曖昧なことを言っていたのでは、国際的影響力は落ちるばかりだと思う訳であります。

「アメリカと中国の間で…」ということですが、単純に「アメリカが弱くなって中国が強くなる」のであれば、どちらにわれわれの力を傾けるかというのは単純なパワーバランスとして考えても判りますし、あるいは、アメリカと中国、アメリカと日本、日本と中国の距離関係を考えても判りますし、政治制度、価値観といった、あらゆることを考えて対応するには、われわれはアメリカとの同盟関係を強化していくしかないと思います。そのことを考える時、最初、私は鳩山さんのモットーである「友愛」は国際政治においても良い言葉だと思いました。「友愛とハサミは使いよう」(会場笑い)というと、ある人には「それは言い過ぎじゃないか」と言われましたが…。「友愛」とは、友達への愛情と私は思いました。友人に対する愛情とは、隣近所の皆に良い顔をするという話ではなく、友人をまず大事にする「フラタニティ(同胞愛)」だと思います。ですから、せっかく日米安保体制を基軸とするとご自分でおっしゃってる以上、日本の一番の友人はアメリカだと解っておられるんですから、アメリカに対する愛情は一番大切じゃないかと思うのですが…。どうも鳩山さんの「友愛」は八方美人的に愛情を分散してゆくものだったようでございます。鳩山さんの日米同盟に対する覚悟のない態度は、当代にも「日米中の三角関係だけいかん」という議論があるんです。これを少し簡単に問題点を指摘したいと思います。


▼ふたつの誤解とひとつのコンプレックス

まず、「日米中三角関係論」の一番の問題は、アメリカも中国も、(日本が思っているように)「日米中は三角関係だ」と思っていないということです。アメリカと中国と日本で、魏呉蜀のような三国志的な世界(三国鼎立)の状況が起こることはない。アメリカも中国も、それぞれ「自分こそがワールド・パワー(覇権国家)」と思っており、「日本は大事な国だけれど、地域的な存在に過ぎない」と見ている。これは世界もそう見ていると思います。自分がいくら「アメリカ・中国に互して」と言っても、なかなか難しいところがある。
一方、日本の中で「日米中三角関係」と言う時、これはどういうことを指すかと言いますと「これまでアメリカとの関係が非常に良かったので、それと同じように、今後は中国とも深い関係になってゆきましょう」というよりは、「アメリカとの良い関係が非常に強すぎたので、少し弱めましょう。そうすれば、中国との関係も良くなるはずですよ」という、いわゆる「二等辺三角形論」になっている。現にそういうことを、日米間の最初の首脳会談で鳩山さんは「今までアメリカに頼りすぎてきた。これからはアジアをもっと大切にしていきたい」とおっしゃったんです。これは、あんまり良いことがないと私は思います。せっかく、ある国と今まで良い関係を持っており、それと同じものを新たに創ろうというのであれば解るんですが、それができないことは解っているので、アメリカとの関係を中国との関係と同じぐらい疎にしましょうというのでは、ちょっと違うのではないかと思います。日米同盟に対する覚悟というか確信というか、これを「正しいものだ」と思って、しっかりとした姿勢で向き合う部分が少し足らなかったと思います。それは何故か? 原因を3つ挙げておきたいと思います。


坂元教授の講演に耳を傾ける国宗会員諸師

これは、ふたつの誤解とひとつのコンプレックスだと言って良いと思います。まずこのコンプレックスからお話します。鳩山さんは「日米対等」とか「アメリカの言いなりにはならない」といったことを発言されましたが、とりわけ「対等」という言葉はずっとおっしゃってます。これは日米同盟を運営する時に非常に気を付けなければならないことだと思います。「同盟」とは、そもそも「対等」であることを前提にしています。米国との同盟協力を、何かアメリカへの追随と感じる心情は、私はコンプレックス以外の何ものでもないと思います。

今のアメリカに向き合う時、大切なことがいくつかあります。まず「アメリカの力は非常に強い」それは認めなければなりません。しかし、もはやアメリカは世界中の問題を「一国で処理できるほど強くはない」ということが、まず第一であります。これはアメリカ自身が最近出しました『国家安全保障戦略』の中にもハッキリと「われわれは自分たちだけではやれない」と書かれています。「昔から、われわれは友好関係や同盟関係と共に頑張ってきた。これからもそうやっていきたい」というのが、彼らの心情です。これは、アメリカ自体の力の問題です。それに加えて世界金融危機の影響もまだ残っているようですし、これからまだしばらく残るんじゃないでしょうか。「米国の力は強い。しかし、世界を1人で動かせるほど強くはない」ということです。

2番目が「米国の仕事は多い」です。中東、中東、中東…。すなわち、アフガン、イラク、イスラエル・パレスチナ。この3つだけでも、例えば、日本がそのひとつだけをやることを考えてみれば、とてもじゃないけれどもできないようなことです。それだけではありません。南米にはチャベスさん(註:アメリカに真っ向から反抗するベネズエラの大統領)が居られる。ヨーロッパはギリシャに端を発した金融危機で大変。アフリカの開発援助はやらねばならない。アジアは強力なライバル(=中国)が出てきた。とにかく仕事が一杯あって、猫の手も借りたいくらいです。もちろん、日本の手も借りたいところだと思います。

3番目は「アメリカは声が大きい」ことです。これは理想を大声で語りすぎて、自分自身の身勝手な態度に見せてしまうところがあるんですね。なにせ声が大きいもんですから、必要以上に力が強く見えてしまい、しかも、やや「自分勝手」と映ってしまう。ですから、それに対して協力することは「追随しているのか?」ということになってしまう。そういう意味からも、アメリカとの付き合いは必ずしも簡単ではありません。世界に対しては、「人権」とか「平和」について、声を大にして言うんですけれども、アメリカの中を見てみると、いろいろな問題を抱えている。最近オバマさんは「自分たちは問題がないことが誇りなのではない。問題を解決する力があることが誇りなんだ」とおっしゃってます。それは良いことだと思いますし、アメリカにはその力があると思いますけれども、「よく言うよね」という声も聞こえてきます。


▼鳩山一郎と鳩山由紀夫の相似性

しかし、大声でいろいろ言われて悩んでいるのは日本だけではありません。世界中どの国もそうだと言ってもいいでしょう。どの国も、アメリカとの付き合いで悩んでいる。他国と比べたら、私は日本はまだ楽なほうだと思います。鳩山総理のお祖父さんの時代はそうではありませんでした。鳩山さんのお祖父さんである鳩山一郎氏は、1955年の2月、総選挙で自ら党首を務める日本民主党が第一党となって政権を作る―実は、その3カ月前に一度、吉田茂政権が退陣した際に、既に第1次鳩山内閣を作っていましたから、この時は、鳩山第2次内閣なのですが―んですが、いきなりアメリカとの関係で揉めたんです。それは何かといいますと「防衛分担金」問題です。最初の安保条約は、日本の敗戦によって、日本は武装解除されていましたので、アメリカが日本を一方的に守るという条約でした。一方的に守ると言っても「守る時の防衛費については分担しなさい。基地や施設を無償で貸すのは別として、輸送費や施設の維持費といったもののためにも、分担費を出しなさい。ひいてはその費用は1億5千万ドルですよ」といった請求書が回ってきた訳です。当時のアメリカはめちゃくちゃお金持ちでしたから「われわれはお金が欲しくて言っているんじゃない。あなたたち(日本自身)が自衛隊を強化するに連れてこの防衛分担金の額を下げてゆきましょう。だから毎年話し合いをしながら、自衛隊の増強を計ってください」という話になっていました。

しかし、鳩山政権は「それは吉田前政権とアメリカとの取り決めだ。何故、われわれの国の防衛力の強化について、アメリカに言われなければならないのか?」と自衛隊(防衛費)の増額なしに、日本の防衛分担金だけを「減額してくれ」と言った訳です。アメリカは「話が違うじゃないか、これは日米間の約束だったはずだ。自衛隊の防衛力を増加しながら日本の分担金を減らしていくという話ではなかったのか?」と、大揉めに揉めました。防衛分担金の額が決まらないと防衛予算全体が決まりません。防衛予算が決まらないと国家予算全体が決まりません。そのため、第2次鳩山内閣はいったん総辞職しました。鳩山内閣の閣僚の中には、対米強硬派の方が居られまして、なかなかまとまらない。総辞職せざるを得ない。そこまで追いつめられた訳であります。どこかで聞いたような話(註:普天間基地移転問題で、連立を組んでいた強行派の福島社民党党首が譲らなかったので、政権崩壊)じゃないですか? 鳩山内閣の外相だった重光葵が、調整のためアメリカへ飛んで行こうとしたんですが、アメリカ側は「来なくてよろしい。ダレス国務長官は多忙ですから、あなたに会う時間などありません」といった態度を示しました。これによって、鳩山政権はますます苦しい立場に追いつめられるんですが、最終的には「あまり虐めすぎても…」ということで、アメリカが178億円で譲歩したんですが…。

その時と現在を比較しても、今はそんなことがありますか? 例えば、岡田克也外相(当時)が会いに行っても会ってもらえないですか? 自分たちのほうから「日米合意の中身を変える」と言って問題になり、「会いに行きたい」とアメリカへ打診した時には、クリントン国務長官からは「どうぞお越しください」と言われたにも拘わらず「今は国会会期中ですから、会いに行けません」と答えているんですね。ですから、鳩山一郎政権の頃と現在とは、日米間の力関係も全然違うんですね。一言で言って、「日本がいつまでもこんなことを続けていたら、アメリカはそのうち同盟を打ち切って、さっさと引き上げてしまいますよ」という方がおられますが、それは日本の世論を動かすための言葉(方便)であって、実際はそんなことは起こりません。日本の態度に失望して「(日米安保を)もう止めたい」と思うことは、これまでもあっただろうし、これからもあると思いますが、しかし、それを切ったんでは、アメリカの世界戦略が成り立たないんですね。

ですから、日米安保は、アメリカ側からは絶対に止めないけれども、だからといって、あまりに日本側からじらされると、アメリカも腹が立ってくる。何故、腹が立つのかと言いますと、もし、仮に日米間の既存の協定を止めれるものならば、こんなに腹も立たないと思います。しかし、本心は言いたいけれども言えないから、ますます意地悪になって「鳩山さんが来てもオバマ大統領は10分間しか会わない」といった冷たい態度をとる。しかし、冷たい態度をとったからといって、別にそれでアメリカが何処かへ行ってしまうということではありません。われわれの側としては「そこまでする必要はあるのか?」いう気がします。確かに、アメリカ側の心理の根底には「日本ならばなんでも言うことを聞いてくれる」という甘えが少しはあったかもしれません。だから、たまにはそういう気持ちを示すことは悪くないんですが、それもやり過ぎてしまったらどうだろうかという気がします。


▼問題は相互性の中身

そのことと関係しますが、このコンプレックスには誤解がふたつあります。ひとつは、鳩山さんが最後(辞任直前)に言いましたが「学べば学ぶほど、沖縄における海兵隊の存在という抑止力の重要性が解った」とおっしゃっています。それは良かったと思うのですが、ところが、この「同盟基軸」の意味が本当に解ったのか? と思います。と申しますのは、最後の演説で、鳩山さんは「50年、100年、米国に安全保障を頼ってはいけない」とおっしゃったんです。私もその通りじゃないか、当たり前じゃないかと思います。一方的にアメリカに頼るなどといった方法では、一国の安全保障とは言えません。しかし、その鳩山さんの発言の裏には、そもそも日米同盟とは「アメリカに一方的に頼る同盟だ」という前提に拠って立っている訳なんですね。それを「これから続けて良いとは思わない」と捉えるのは、根底から間違ってます。

この同盟は、日本がアメリカに頼っていることは真実ですけれども、と同時に、アメリカも日本を頼っている同盟なんです。それを明らかにしたのが、50年前の安保改定なんですね。それまでの安保条約というのは「(日本の敗戦による武装解除によって)日本に軍事力はないから、(日本が攻撃された時には)アメリカに助けてもらう」という一方的な片務条約でした。それを、1960年の安保条約改定時には、少なくとも形式的には「東アジアにおける平和と安全」に関して、日米両国は、これに共通の関心を持っている。ですから「相互に協力します」というのが、安保改定の意義だったんです。その後、50年間の歴史の中で、日米両国の防衛協力は進み、日米の力関係は変化し、日米の戦略関係も変わった。そのような中から、相互性が高まってきている訳なんです。ところが、鳩山さんの頭の中では「日米安保条約は相互的でない(片務的である)。本来、独立国家がそういった条約を結んではいけない。だからこれは長期的には変えるんだ」という話なんだと思います。

私は、この点で鳩山さんと少し考えが違うのですが、これまで、東アジアの平和と安全に50年間貢献してきた日米安保条約は、おそらく、今後50年間は続くだろうと思います。ただし、その同盟関係の相互性の中身は変わるのではないかという気がいたします。ですから、鳩山さんは相互性ということをよく解っておられないことなのかと思います。沖縄の負担軽減…。そこからスタートするという議論の方向としては正しかったんじゃないかという方も居られますが、これにも誤解があります。何が誤解かと申しますと、この「沖縄の負担軽減」は、何も鳩山さんの専売特許でもなんでもないんですね。これは自民党時代からずっと言われてきたことですし、日米同盟のひとつの大きな課題としてきた訳です。

そもそも、吉田茂が最初の安保条約を創る時に、日本本土に米軍を―有事駐留ではなく常設の基地―を置くことを絶対しなければならないと思った背景のひとつが「もし日本本土に米軍基地がない場合、アメリカ領になってしまった沖縄に米軍基地が集中することになる。そうすると、沖縄に基地が集中するだけでなく、そのような沖縄をアメリカは永久に返してくれないだろう」そう思ったんですね。だから、本土もある程度、沖縄と同じようにしておいて、所々に潜在主権だけを残しておいて「沖縄を絶対に取り返すんだ」という気持ちから始まったんですね。確かに、戦争中に沖縄が置かれた悲惨な状況を考えると、日本全体に責任はあるんですが、その後、少しでもその状況を改善するため、一生懸命頑張っています。今回の普天間基地移設問題には、橋本政権以来、14年間かかっているんですが、その話し合いの中でアメリカ側にも冷戦後の米軍再編(トランスフォーメーション)の話が出てきて、近いうちに沖縄の海兵隊8,000人と、およびその家族7,000名をグアムに移すことになっているんですね。実は、全体を見れば国外移転なんですね。もちろん、海兵隊のヘリ部隊が駐留する普天間基地自体は国外に行けない戦略的事情がある。県外でも難しい事情がある。だから、沖縄県内でも騒音被害、事故の危険性のない辺野古移設案が決まった。辺野古の住民たちは、いろいろ問題はあっても最終的には一旦、合意してくれた。そこまで決まっているんですね。

そうしたら「外交とは継続」で、たとえ自民党政権から民主党政権へと変わったとしても、ちょっとずつ歩を進めていかなければならなかったんですね。今回やらなければならなかったことは、この負担軽減策は一応こちらで受け取っておいて「では、鳩山政権の次の負担軽減策は何ですか?」と言わなければいけなかったんですね。ところが前の(自民党政権時代にいったん決まった)負担軽減策自体を問題にしてしまえば、こっちが良くなったからといって次に行けないように思います。ですから、鳩山さんは確かに心情は「沖縄のため」とおっしゃっていますが、申し訳ないのですが「果たして沖縄のために良いことをなさっているだろうか?」という気がいたします。

「美しい辺野古の海に杭を打つなんて、自然に対する冒讀だ」という論調がありましたが、誰だって美しい海に基地を造りたくない気持ちは解ります。しかし「海を埋め立ててはいけない」というのであれば、神戸のポートアイランドに人が住んでいることや、関西空港はどうなるんですか? ということになります。自然の美しさを保存することは非常に大切ですが、文明を創るということは、いずれにしろ自然を機械の力を使って変えていくことになるんです。「辺野古の海は美しいじゃないか。泉佐野沖の海は大して美しくないから埋め立ててもいいんだ」といったことは問題じゃないんです。そこにどうしても人間の必要があれば、なるべく環境に配慮しつつも、そこは観念的な考えでやってもらっては困るなという気がいたします。

沖縄の基地負担の問題は非常に難しくて、大阪府知事は「(沖縄県以外の)全国の都道府県で米軍基地を受け入れる」とおっしゃってましたが、私はこの考えはよく解りますし、素晴らしいことだと思います。しかし問題は、軍事戦略的に海兵隊を関東には持って来られないんですね。これは戦略上の問題です。沖縄に基地があるというところに、今の東アジアの状況の必要性があるんですね。将来的にはアメリカが(大陸の仮想敵国と海兵隊の前線との間隔を)もう少し引いて、状況が変わるかもしれません。しかし、その時はその時に考えれば良いんです。北朝鮮の問題を見ても、今は引けないですから、今は取りあえず辺野古沖に普天間基地の代替施設を造るということであります。実は、負担の軽減とは、こういってはなんですが「基地を沖縄県外へ出す」というやり方では必ずしも巧くいかないんですね。これは、戦略上の問題、負担軽減の問題、それから沖縄振興策も含めた問題だと思います。


▼中国が強くなればなるほど日米同盟が重要になる

もうひとつ大事なことは、日米安保自体の総合性です。米軍と自衛隊の作戦協力の部分を増やしていき、基地の貸し借りの協力を少し減らしていく。「沖縄だけなんとかしたい」といったように、「〜だけ」といった考えでは駄目で、全体の総合的な枠組みの中で、少しずつ進めていくといった考えで進める必要があると思います。ともかく、鳩山さんは「日米同盟を後退させた」と思います。そして、最後に日米同盟の大切さが解った。普通、社会では、簡単に「アメリカを怒らせたらどうなるか、ちょっとやってみようか?」といったような実験はできませんが、今回それをやってみていろいろ学ぶところはあったと思います。私はこれが怪我の功名となって、菅直人政権はこの失敗をよく考え、日米同盟に対する姿勢を変えると思います。しかし、この怪我は痛いです。

何故、痛いかと申しますと、アメリカは去年の11月14日にオバマさんが来日した際に「日本重視」の姿勢を強く打ち出したんですね。アジア政策について語った後に「日本との親密な友好関係を通して行う」とはっきり言ったんです。それまでのオバマ政権の日本に対する気の使い方とか、オバマ政権のいろんな対策専門家たちが考えていることは「中国の力がどんどん強くなればなるほど、日本との関係をどんどん強くしていかないと、自分たちはやっていけない」ということなんです。ですから、オバマさんは自分が子供の時に日本に来て鎌倉の大仏を見た話や、富士山の見える湖で抹茶アイスを食べた思い出などを語り、「私はハワイで生まれ、インドネシアで育ったアジア太平洋大統領に初めてなるんだ」と日本に対する親近感を語って「日本と対等になろう」と言うオバマさんに対して鳩山さんは「トラスト・ミー(私を信じてくれ)」と言った訳です。その「トラスト・ミー」で、普天間問題もその場で決めるぐらいのつもりだったならば、日米間の信頼関係を崩す必要はなかったのではないかと思います。

個人同士でも国家間でも、いったん崩れた信頼関係を取り返すのはなかなか難しいと思います。オバマさんも去年は「アメリカから立て直していく」と、いろいろと良かったんですが、今はすごく忙しくなっており、本人の支持率も下がってきています。メキシコ湾の原油流出事故や、健康保険改革―これは、なんとか議会を通過させましたが―の後が響いております。アメリカの金融制度改革もどうなるか判りません。アメリカはどんどん国債借金が貯まってきていますし、失業率も高いです。ですので、ちょっと今は「日本どころじゃない」といった感じになっています。

日米同盟は揺れている訳ですが、飛行機でしたら「多少揺れても飛行の安全には影響はありませんからご心配なく」ということになりますが、今回は機長(首相)交代となりました。菅機長(首相)でもきちんと飛べると思いますが、ちょっと遅れてしまった感がします。単に、普天間基地問題を難しくしただけではなく、普通にやっていればかなり進めたものがこの状態になってしまっている。単に「一歩後退」ではなく、二歩ぐらい後退したような気がしますが、取り返すためにやらなければならないことはいくつもあると思います。ただ、ひょっとしたらきつい追試験があるかもしれません。

安保改定50年も大事ですが「朝鮮戦争勃発60年」これも案外大きな問題になるだろうという気がいたします。朝鮮半島の情勢はかなり焦(きな)臭くて心配な所です。半島で何か起こった時の日本の対応が巧くいかなければ、今度こそ日米同盟の後退はかなり危ない気がいたします。逆に、巧くいけば、これまでの後退を取り戻すことができるのではないか―「後退を取り戻すことができるから何か起こってくれ」と言っている訳ではありません。追試はないほうが良いと思いますが、その可能性が出てきたということです―と思います。われわれはまた、安全保障、日米間同盟について考える「モーメント・オブ・トゥルース(真実の時)」と言いますか、すべてを決する時が来る可能性があるかもしれないということをお話しして、今日の講演を終わらせていただきます。ご清聴有り難うございました。   
(連載おわり 文責編集部)