大阪国際宗教同志会 平成十年度総会 記念講演

神道のこころ――その国際性

大手前女子大学学長

米山俊直

6月5日、今宮戎神社参集殿において、大阪国際宗教同志会(会長津江孝夫今宮戎神社宮司)の平成十年度総会が開催され、大手前女子大学学長で文化人類学者の米山俊直先生(京都大学名誉教授)が、『神道のこころ――その国際性』と題して記念講演を行った。なお、総会に先だち、同会の理事会および同神社への正式参拝も行われた。

(一)佐伯先生の書物

『神道のこころ』という題は、東大名誉教授で文芸評論家の佐伯彰一先生に同じ表題の書物がございます。佐伯先生は英文学のご専攻でことにアメリカ文学にご造詣がふかく、また伝記研究でも『日本人の自伝』『評伝三島由紀夫』をはじめ、何冊も書物を書いておられますが、その先生の神道論は、意外に思われる方があるかもしれません。

しかし先生は、実は富山県の立山信仰の担い手である佐伯一族の末裔のおひとりで、お生まれになった村(蘆峅寺あしくらじ)は、佐伯三十六坊といって三十六軒の宿坊があり、先生の家は吉祥坊という名前だったそうです。ご先祖は武蔵と江戸がその担当する布教の地域で、『立山縁起』の絵物語である「立山曼陀羅」を肩に、布教されていたのだといいます。詳しい「旅日記」も見たことがあり、「むかし、江戸で『土地を買い込んでおけば必ずもうかる』とおしえられたのに、わが家のご先祖は才覚がなく、ただの一坪も買っておかず、儲け損なったもんじゃという繰り言も何度も耳にした。」と書かれています。この「一族の伝説によれば、遠い先祖がこの土地に定着したのは、遠く奈良時代に遡り、その始祖は佐伯有若という名で、当時の越中の国司の息子であった、という。こうした名門の子弟が山深い村落に定着するに至ったのは、ある日、父の愛用の鷹を借用して狩に出かけた所、空に放った鷹は、手もとにもどらず、一目散に高山の方を目がけて飛び去った。これを懸命に追いかけて行くうち、ついにねらい打ちした鷹は、血をしたたらせながらなおも山頂めがけて飛びつづけた。さらに、行 く手には熊も現れたが、これにも弓を射かけて追って行くうちに、ついに山の神が示現をなさる。鷹も熊も、じつは神の使いであり、お前をここに導く役割を果たしたのだという神の仰せであった。以来、われら佐伯一族は、この山麓に居を定め、立山の神々にひたすら仕えて、今に至ったというのが『立山縁起』の大よそであり」と述べています。 

つまり先生は立山信仰の担い手の末裔で、日常的にご両親や祖父母から教えられて育った人なのであります。したがって、先生が『神道のこころ』という書物を書かれるのは、何の不思議でもありません。この先生のご本は、第二次世界大戦の後、占領軍の政策のなかに、国家神道の否定が謳うたわれ、それが強力に推進されたことに対する批判が強く主張されています。これは、神道という日本の古来の信仰が、日本の軍事的拡張のもとになっているとみなす、思いこみから――つまり一神教的な米英の考えに立って、日本人の行動の基準、そのルーツが神道にある。それを否定しないと日本の民主化は達成できないという判断によって、軍国主義的日本の体制を否定する時に、その根源であるとみなした国家神道を否定したのだと言えるでしょう。

たしかに日本は明治維新のときに、多くの制度を欧米から取り入れました。そして、「旧来ノ陋習(ろうしゅう)ヲヤブリ」という五箇条の御誓文にしたがって、それまでの仏教立国の体制を捨て、神仏分離令によって神道と仏教を截然と区分し、諸外国がキリスト教などを国教にしているのを見習って、神道立国を目指しました。その上で国家による官幣国幣の位を定め、国家がその祭祀に関わる制度を作りました。それが戦後に「国家神道」と呼ばれるものになったのです。もっとも明治政府は仏教の巻き返しによって、すぐに政策を弱めますが、それがやがて昭和に入ると、「かんながらの道」とか、「肇国の精神」とか、あるいは「八紘一宇」というようなスローガンをもって国策を進めました。神道はそのように国家によって利用されました。これは否定できない歴史的事実であります。

しかしじつは、神道はこのように近代日本、さらにその発展である帝国主義日本、あるいは軍国日本の体制に利用されてきたものの、その実態はすこし、あるいはかなり違うのではないか、と私は考えています。村上重良の『国家神道』、あるいは蘆津珍彦の『国家神道とは何だったのか』など、国家神道についての書物もありますが、ここではそれはしばらく置いて、以下私の考えている「神道のこころ――その国際性」についていくつかの点をお話して、ご批判をいただきたいと思います。

(二)「にぎわい」と生命力

 まず、これは全国の祭礼行事について言えることだと思いますが、祭りは非常ににぎわいます。もちろん、甲子園の高校野球や、Jリーグの試合、あるいはプロ野球の伝統の一戦とされている巨人阪神戦など、集客を目的としたイベントも少なくありません。先日、博多でタクシーの運転手さんに聞いたはなしですが、福岡ドームの巨人阪神戦には熊本や鹿児島からも観客がバスで集まるのだそうです。阪神は自前の球場をもっているので、同じように球場をもつ西武とともに、丸儲けだそうですね。それならもっと、選手強化に投資すればいいのにと思います(会場笑い)。

 それはともかく、このような計画的に集客を目的としたイベントもありますが、伝統の行事である神社の祭礼行事も、現在は大いに人を集めます。祭りは祀る人と祀られる存在である神さんがいればいいのですが、祭礼はそれに無関係の見物人が加わります。この区別をしたのは柳田國男翁であります。そして、見物が多いほど神様が喜ばれるということで、神にぎわいをいたします。風流(ふりゅう)であります。

風流も、神み輿こしの渡と御ぎょの行列を華やかにするだけではなく、さまざまな工夫をします。今宮さんの宝ほ恵え籠かごもそのひとつです。昨年私は十日戎の晩に大和屋で宝恵籠に載せてもらいましたが、なかなかのアイディアです。天神祭の船渡御も、太鼓中の担ぎ出す催太鼓も、地車(だんじり)もそのような風流であります。ふとん太鼓、太鼓台とか、各地にそれが見られます。

昨年の秋に、愛知県半田市が山だ車しまつりを開催しました。半田市内には九地区に三十一台の山車があり、それぞれ彫刻や装飾それに精巧なからくり人形もつけられていて、それぞれの地区の氏神様の祭礼に登場しますが、その祭りは三月から五月の春のまつりなのです。それを半田では市制六〇周年ということで、市の中心部に秋に集合させました。観客は四〇万人を越えたそうです。じつはこれは第四回目で、市制五十五周年というのが五年前にあったのです。その時には「全国山車まつりフォーラム」というシンポジウムが開催されて、私もパネリストの一人として参加致しました。昨年はそれが更に飛躍して、「第一回全国山鉾山車屋台サミット」という集会になり、シンポジウムのほかにサミットの宣言が出されました。集合する第一日目はあいにく雨になりましたが、三十一台の山車は予定通り集合し、翌日は晴れて、会場になっている市の大きい駐車場に集合しました。やっている方も、見物人も、おお張り切りでした。実は昨年は私は見物できなかったのですが、見事なビデオの記録と、実行委員会の報告書をいただき、その盛大さをうかがえました。

昨年は唐津のくんちを見物する機会がありました。これもまた、じつに盛んなものであります。つい先日、九州大学の竹沢尚一郎教授(比較宗教学)が『博多の祭り』という報告書を送ってくれました。彼も実際に祇園山笠に参加しているのだそうです。藩政時代からの歴史、戦後の松ばやしとどんたくの復興、さらに山笠の復興と、混乱期を経ての現在までが記述され、さらに学生諸君による参与、観察のよい記録がまとめられています。

私自身も、学生たちと一緒に文化人類学の実習ということで祇園祭、天神祭、そして神戸まつりの調査を繰り返し二〇年にわたって行ってきました。その学生たちのなかには、すでに教授になった人もいます。受験勉強しかしていない若者が祭りの実態に触れたことは、大きい意味があったようであります。そのおかげで、いまも祭りの専門家のふりをしているわけですが、まだまだ知らないこと、わからないことが多いので、生涯学習だと思っています。この春から西宮神社とえびす信仰の研究チームをつくりました。 さて、この祭りのにぎわいには、非常に大きいエネルギーが各地で使われていることになります。エネルギーというのは石油や電力もさることながら、なによりも参加者の労働力、知力、体力の猛烈な消費があるわけです。その力をささえる食物や酒の力も無視できないでしょう。それが「にぎわい」の源泉であります。

この力を「アニマ」と呼んで良いのではないかと思います。アニマはラテン語で、「霊気、魂、生命、〔心〕アニマ(男性の無意識内に存在する女性的なもの)。「アニムスを見よ」とあるので見ると、生命、生気の原動力、旺盛な精神、意思、意図、目的、傾向、主潮、悪意、憎悪、敵意、[心]アニムス(女性の無意識内に存在する男性的なもの)〔L=spirit, mind〕とあります。アニマル(動物)も、アニメーション(活気、生気、活発、元気づけ、励まし、動画)も、またアニミズム(精霊信仰)も、あるいは、人のおおらかな動物的健全さ、肉体充実、元気横溢、本能充足、あるいは動物的な欲望を意味するアニマリズムも、このアニマないしアニムスを語根としています。生命の賛歌というようなものが、祭りのにぎわいにはあります。

それは、フランスの哲学者ベルグソンがエランヴィタル(生命力)と呼んだものでありますし、またアフリカの諸民族に存在している観念にも通じています。デシャンの『黒いアフリカの宗教』によりますと、「黒人の宗教は自然に密接に結びついた社会の表現である。」とされ、人間は自然に反するものではなくその一部である。テンペルによれば(とデシャンは書いています)生命力がバンツー諸族では至高の価値をもっている。宗教的行為は生命を補強し、その永続性をはかることを目的としている。幸福といわれるものも生命力の最も強烈な状態にほかならず、不幸はその減退にほかならない。病、苦痛、疲労、失敗はすべて生命力の低減のなせるわざである。

存在は力であり、力は外観から区別される「物そのもの」である。(山口昌男訳)この観念はアフリカの大部分の住民に見いだされるのです。ガボンのファンのエヴェル、北コンゴの人々のエリマ、ピグミーのメグベ、ドゴンのニャマ、マンディンゴのニャマ、(スワヒリゴ語で動物を指します)などなど。私は1966年からアフリカの調査に参加して、13回、通算して36カ月=3年をアフリカで過ごしました。アフリカの知識人にむかって、私は日本人とアフリカ人には共通点がある、と話します。

それは、まず第一に、どちらも自然崇拝、山川草木、鳥獣虫魚、すべてが精霊を持っていると考えていること。そして、第二に、どちらもが祖先崇拝という信仰を持っていること、であります。この二つの信仰は、日本人とアフリカ人に共通しています。そればかりではなく、この観念はいわゆる未開野蛮と呼ばれている地域あるいは民族に共通しています。アニマのことをオセアニアの各地では、それを「マナ」と呼んでいます。マナイズムという言葉にもなっています。これもアニマのことであります。 皆さんは、このアニマを日本語では何というでしょうか。すぐ気づかれたと思いますが、「気」であります。気力の気です。元気、勇気、生気、活気、そのなくなった状態が病気であります。「頑張れ!」はスペイン語では「アニモー!」といいます。「元気を出せ」という意味です。「気」という言葉は、古代中国でも重要な概念でした。気はメの無い字(气)がもとで、雲の流れるかたちを指すもので、雲気、もとめるの意味だそうです。それにメや米をつけたものが、おくりもの、空気を指し、風気、気力、気質など人の性情を意味しているそうであります。これは白川静先生の『字統』の解釈で あります。それが日本に定着しました。気力、意気、元気、まさにアニマそのもの、エランヴィタルそのものであります。意気があがることが、集団の規律や士気をたかめます。にぎわい、それは祭りの基本であります。それは、神にぎわいとして舞になり踊りになり、音楽になります。また相撲や綱引きなどのスポーツ競技になります。神道のひとつのこころは、このアニマによる神にぎわいにあると言って良いと思います。

(三)エロスと神道  

記紀の神話には国生みの話をはじめとして、非常にポルノグラフィックな話が出てきます。恋愛談もすくなくありません。佐伯先生は、源氏物語にも、平家物語にも、あるいは志賀直哉やその弟子の尾崎一雄にも神道のなごり(それを日本の古層というようにいいますが)ではないかとされますが、先生は日本文学の伝統にあるエロティシズム(源氏から谷崎潤一郎の『鍵』にいたる)ポルノのような文学の伝統に日本の古層をとらえようとしています。

 じつは、古くから伝えられている神道の祭礼には、あきれるような猥褻(わいせつ)があります。飛鳥坐(あすかにいます)神社の春の御田祭は、神前で田植えの所作をするのですが、その登場人物はヒョットコのような男とオカメのような女で、農耕の仕事の前に非常にエロチックな所作をするそうです(私はまだ見ていませんが)。また、愛知県小牧市の田県(たがた)神社の豊年祭は、巨大な男根を神社からお旅所にパレードします。四月十五日ですが、同じ日に、近くの大県(おおがた)神社は女性器をかたどったご神体を神輿でパレードします。これは見物しましたが、相当なものでありました。しかし軽犯罪法違反にもかからず、警官がニコニコ、参加者も見物もニコニコとした春の景色でありました。

 これはわずかの事例に過ぎませんが、いわゆる豊饒儀礼とよばれている、この種の性的な祭礼行事は、いまでこそ自粛しているむきもあるようですが、かつてはもっとおおらかなものだったようであります。元気を出すために酒スピリットが神道行事には不可欠であります。それは、天の岩戸の前のアメノウズメのストリップとともに、各地のハダカまつりとともに、神ごとのなかで重要な要素であります。明治以来の神道は、この部分を恥かしいこと、隠すべきこととして、排除してきた嫌いがあります。清浄であること、みそぎをして清潔であること、簡素にして素朴であることが強調され、朱塗りの鳥居や社殿は回避され、白木の伊勢神宮から明治神宮に至るような側面が重視されました。 今宮戎さんの宝恵籠(ほえかご)のようなもの、ゴテゴテした露店のようなものは、清浄主義の明治神道では極力排除されるようになったのであります。しかし、人々の愛するまつりは、むしろそれを歓迎して来ました。この矛盾をかかえたままで、神道は展開してきたのであります。神道はいま、この矛盾を抱えています。 

エロスは人間の生命力、自然の生命力にとって重要な側面であります。そして生命力肯定であれば、この人間的な、あまりにも人間的な猥雑さ、猥褻さを肯定しなければなりません。京都や奈良のように、古くからの伝統をもち、社格の高い神社の多いところは別として、大阪では中には住吉さんや生国魂さんのように、記紀や延喜式の伝承にもとづいた官幣大社もありますが、天満宮のような有名な神社は府社でありました。むしろ国の権力を頼まない、民衆の支持を基盤にした信仰の集団が、そこには存在していたと言えるのではないでしょうか。そして、そのような神社にこそ、エロスが力をもっていたと見ることができます。 

前後しますが、ここで神仏習合ということについて触れておきます。神道は、仏教や道教の伝来をうけて、日本本来の信仰が結晶したものと言えるでしょう。それは高取正男さんの『神道の成立』などによって明らかです。道教の影響が強いと言う人もいますが、ちょうど神前結婚がキリスト教の教会での結婚式が刺激になって誕生したのに似ていると思います。そして、聖徳太子以来の仏教立国の原則のもとで、民衆の信仰は仏教と習合して本地垂迹ほんちすいじゃくという形になりました。神道は、さまざまな外来の要素を取り入れて発展してきました。仏教や道教の影響も強く認められます。また中山ミキ、出口ナオ、あるいは金光大神といったシャーマン的な人を中心とした創唱宗教が、幕末明治初年に誕生し、さまざまな経緯を経て教派神道をつくりだしてきました。 

(四)祖先崇拝と仏教との習合

 考えてみますと、仏教の作り出したイメージはすごいものであります。大日如来、阿弥陀如来、薬師如来、などのをはじめとする仏様は、お釈迦さまの造ったものではなく、後の発明であると言われています。すごいイメージが大文明として、日本列島に来ました。このようなイメージの大量流入が、大日如来とアマテラスを同じものとみることを初めとして、さまざまなイメージを造り出しました。平安時代にはすっかり仏教化した王朝の貴族たちは、源氏物語に代表されるようなイメージを造り出しましたが、それは仏教的なものであってもその背後には土着の信仰が根になっている。それを佐伯先生は見事に『神道のこころ』で示しています。平安に続く鎌倉時代は、浄土系の仏教を初めとして、時宗、浄土宗、浄土真宗、そして禅の曹洞宗、臨済宗、さらに日蓮宗などが登場しましたが、それは仏教の日本化であると言われます。すなわち、それまで仏教には無かった祖先祭祀を採用したことであります。いま仏教は「葬式仏教だ」などと悪口を言われていますが、それはこの時代からのものであります。 

ここで祖先について一言ふれておきます。たとえば天皇家とか、佐伯先生のように先祖が明確である人はよいのですが、五代まで遡ることができない庶民は、身近な人、父親とか祖父とかなら良いのですが、それ以上の先祖を考えることは難しい。私もその一人ですが、そういう手合いはどうかんがえれば言いのか。問題が残ります。例外の旧家は別として、現在のお墓はまったく近世最後のころから一般に普及したもので、それ以上はたどりようが無いのが普通といえるでしょう。そのアイデンティティは、同胞意識、どこかで共通の祖先がある、というところで納得しているように思います。実は私の父は最近亡くなりまして、近く納骨するのですが、そこは富士山の東登山口の須走というところで、明治の神仏分離で一村が神道に改宗したのです。したがって私もその宗旨を尋ねられれば神道という他ありませんが、佐伯先生のようにその出自を明確にすることはできません。父は祖父の代から東京にでて、あとは神奈川県の葉山に住んだりしていましたが、いまの墓は父やその兄弟たちが造ったもので、祖父からあとの人がナニナニの命としてそこに入っているのです。これはひとつの実例に過ぎません が、墓はそのように新しいものと言って良いでしょう。母方の墓地は真言宗で、奈良県にありますが、それも先代の建立です。

 民衆、庶民の先祖については、じつは大部分の人が同じようなことではないかとおもいます。系図をしっかり持っている家も、それは事実かどうかははっきりしていません。ある時代に「先祖になる」という決心をした人が存在して、その人が「系図買い」をしたという場合がすくなくないでしょう。


(五)神道とタナトス  

人間は生物であり、いずれは死ぬものである。それは、誰もが恐れまた悲しむものであります。死後の生命があるかどうか、これは宇宙の果てとか、時間の遠過去あるいは遠未来同様に、わかりません。立花隆の研究などもありますが、だれも知りません。そこには神秘主義の深淵が横たわっているように思います。 タナトスについての神道の考え方は死者は遠くに行ってしまうのではなく近くにいて、ときどき――たとえばお盆などに――家族やその村に帰ってくる、という考えがあります。西方浄土へ行くという仏教の考え方とか、天国あるいは地獄、そして最後の審判があるというキリスト教の考え方とは異なっています。

(六)現世利益のこと

神道は創成宗教といわれるキリストやマホメット、釈迦や孔子といった教祖も存在しませんし、教義も教典もない、まさに不思議な自然宗教であります。アニミズムだから自然との共存を旨とし、戦闘的ではありません。海外布教なども、一時期の植民地に神社を作ったほかは、教派神道はべつとして積極的ではありません。しかも仏教や道教を大幅に取り入れていて、明治初年の神仏分離令までは、まったく未分離でありました。それは今でもあります。私はある年に、京都の今宮神社に初詣に参りましたら、大徳寺の僧侶の一団が袈裟をつけて参拝に来ておられて驚いたことがあります。大徳寺の境内案内板にはちゃんと今宮神社が載っています。 

京都でいえば、稲荷大社は豊作と金儲けの神様として、八坂神社は厄除け、愛宕神社は火伏せの神様として、松尾大社は酒の神様として、それぞれ現世利益を追求しています。それぞれの村や町の氏神は、その地域の人々の平和と安全を祈願する神様です。恐ろしい御霊信仰、怨霊神であった天満宮が学問の神様、いまでは受験の神様になっています。戎神社が、恵比寿信仰の中心として、いわば福神信仰の代表になっていますが、それぞれの神社が現世利益をもとめる人々の祈願に応じて、ひとびとの願いをかなえようとされています。 

最初に述べた「にぎわい」と同様に、これは庶民の願いを聞き、それに報いようというご神徳のあらわれであります。生きている人々が元気で、ときにはご先祖とも交流して、摩擦のない平和な生活を送ること、その願望が神道には表現されています。 

積極的な現世肯定、生きていることの肯定を神道は示しているのだと思います。そして地球規模の環境問題が登場している現代では、そのつつましい自然との共存、そのなかで人間も生かされているという認識が、国際的に重要になっています。ある意味で神道は全人類のもっとも深い共通の信仰を、そのまま現代に伝えてきたという側面があります。キリスト教やイスラーム教、あるいはマルクス教などに抑圧されている、人類共通の元気志向が、そのまま不思議にも続いてきて、いまも生き生きと祭礼などに現れているのが神道であると思います。

 神道にも、ナショナリズムのもとになる要素があり、それが昭和の軍国主義時代には誇張され、また極端な儀礼主義が、清浄感、簡素感とともに伊勢神宮に代表されるような神聖さを強調してきました。しかしそれはある意味で行き過ぎであります。もちろん、あの伊勢神宮や明治神宮のもつ壮麗なたたずまい。森に囲まれた境内の厳粛さには、「かたじけなさになみだこぼるる」ということがあります。しかし、もっと人間的な、どろどろとした、なまなましい現実のなかに存在する弱い人間の願望の表現という側面を忘れてはならないと思います。 

それが朱塗りの鳥居になり、社殿になり、にぎやかに立ち並ぶ石灯籠の列になり、そして門前町のにぎわい、あるいは祭礼の日の露天商の店の列になっています。博多の山笠のデコレーションのすごさは見た人しかわからないでしょう。その装飾の一面は伝統的な飾りですが、他の側はあたらしい創意工夫がつけ加えられています。祇園祭の山鉾は伝統的な意匠と音楽によって特徴づけられていて、新しい鉾の登場などは現在では(復活という形式以外は)ありませんが、それでも昨年は女鉾をつくる動きなどもありました。時代と共に風流は変化しても当然だと私は考えています。不易流行で、変わる面と変わらない面があるのが祭礼ではないでしょうか。 


(七)おわりに

「神道のこころ」という佐伯先生の書物の題とおなじ表題でお話ししましたが、私の今日申しあげたかったことは、およそ次のような点に要約できます。 

1)全国の祭礼行事はさかんに営まれているが、祭礼は神にぎわいを求めている。
その発現形態がさまざまな風流である。それはアニマ、アニムスと呼べるもので、生命力と言ってよいだろう。日本語では元気、勇気、気力などの「気」がそれにあたる。 

2)神道には多様なエロスがある。
明治維新は、神仏分離令で神道を国の宗教として純粋化をはかり、そのために重要なアニマやエロスの部分を排除してしまった。しかし、民衆はその部分も温存し、国の政策にかかわらず維持してきた。それが戦後の祭礼の復活につながった。

3)もとからの日本人の信仰は、道教、仏教、儒教などの大文明の影響を受けて成立したもので、いわば対抗的宗教である。その自然崇拝(アニミズム)と祖先崇拝は、アフリカその他のいわゆる未開社会に広く見られる。日本はそれを組織化し、神道という宗教に作りあげ、道教の影響、仏教の影響、儒教の影響下に生きのびてきた。ことに祖先崇拝は、仏教を日本化することに貢献した。 

4)その信仰は、あの世あるいは死後の霊の存続を願うが、仏教の西方浄土のイメージとは異なって、死者の魂は近くの山にいて、春になると訪れて田の神となり、秋には山に帰るというイメージであった。

5)神道にとって現世利益は重要な側面である。それを切り離してきた「国家神道」には限界があった。神道はアニマ、エロス、祖先崇拝、そしてタナトスについて、再編が必要であろう。



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