国際宗教同志会平成25年度総会 記念講演
『東日本大震災と宗教の役割』

東京大学大学院 人文社会系研究科 教授 
島薗 進

2月14日、神徳館国際会議場において国際宗教同志会(村山廣甫会長)の平成25年度総会が、各宗派教団から約六十名が参加して開催された。記念講演では、東京大学大学院人文社会系研究科の島薗進教授を招き、『東日本大震災と宗教の役割』と題する講演と質疑応答を行った。本サイトでは、この内容を数回に分けて紹介する。


島薗 進 教授
島薗 進 教授


▼公共空間における宗教のプレゼンス

皆さん、こんにちは。国際宗教同志会の錚々(そうそう)たるメンバーの先生方の前でお話しさせていただくことを大変光栄に存じております。自己紹介として、お配りいただいた私の経歴に書かれていないことを申し上げますと、私の母方の祖父(註:日本医師会会長を務めた田宮猛雄東京大学医学部教授)は高知の出身で、家の宗教は神道でございます。そして父方の祖父(註:島薗順次郎東京帝国大学医学部教授)が和歌山の出身で浄土宗でございます。そして、私の父(註:国立精神・神経センター初代総長を務めた島薗安雄医師)と伯父は京都で生まれました。伯父が平雄、父が安雄と申しますが、二人合わせると「平安」となります。けれどもウチの父は「名前の字の中に女が入っている」と、冗談で親の名前の付け方に文句を付けておりました。私は東京で生まれました。そして、父の仕事の関係で石川県には8年ほど居りましたので、少し関西弁が解ります。

現在は仕事の関係で、だいたい東日本に居りますが、やはり日本の宗教は関西が中心ですので、いつも東の彼方から仰ぎ見ている「宗教から遠い人間」という感じを持ったりもしております。3年前に亡くなった母はミッションスクールへ行っていましたが、私には春日大社や橿原神宮などのお守りをたくさんくれました。元気な内はずっとカトリックのシスターの悪口を言っていましたが、最期は熱心にカトリックのお祈りをしておりました。そういう家で育って、父が医師だったものですから「医者になりたい」と思っていましたが、どうも現代の医学は立派な研究をすればするほど人間から遠ざかっていくという感じを東京大学に入って持ちました。もともと人間が好きだから医学をやろうと思った訳ですが、どうも医学というのは、「人間をモノから研究するのだ」という気がいたしたものですから、宗教学に変わった事情がございます。

今日は資料のデータが小さい文字で申し訳ございません。私も読めなくなるため、もうひとつ眼鏡を持参しています。こちらのスクリーンもご覧になりながら聞いていただきたいと思います。この題で申し上げたいことは、多分いくらか推測も入っている訳ですが、東日本大震災がひとつのきっかけとなって、日本社会における宗教の役割が大きくなってくるのではないか…。最近「公共空間」ということを言いますが、政治の場に限った話ではありません。皆がお互いの生活について共に考え意見を述べ働きかけ合うオープンな場所が「公共空間」ですが、そこで宗教が果たす役割が大きくなっていく。社会における宗教のプレゼンスが増してくるのではないか。そういう風に思っている訳です。

国宗で熱弁を揮われる島薗進東京大学大学院教授授 国宗で熱弁を揮われる島薗進東京大学大学院教授

日本のマスコミは、宗教をあまり取り上げません。これまで“宗教”が出てくる時はだいたいスキャンダル絡みですが、「今度は少し違うな…」ということであります。これは宮城県仙台市に本社がある河北新報社の2011年4月1日の記事ですが、こういう風に、若い僧侶が読経している場面がテレビや新聞に出てきます。テレビを見ている人は、亡くなった方のことを遠くに居ながらも考えている、あるいは身近な人が亡くなった方たちの気持ちを察している。その時に祈る、念じることなしに見ることはできないでしょうね。

そして「祈る」とか「念じる」といえば、やはり宗教でありますから、どうしても“宗教”が必要になってくる。こちらはお墓の写真でありますが、とにかく宮城、福島、岩手の海岸地域は、すっかり洗い流されてしまいました。三陸に行くと、入り組んだ湾や入り江の中には凄い津波が来た訳ですが、宮城から福島のほうは海岸線が平らですから、そこが全て流されてしまいました。そこには昔はあまり人が住まなかったようですが…。家が残っているところもあり、遠くから見ると「またここで暮らせるのかな」と一瞬思うのですが、近付いてみると、二階はそのまま残っているものの、一階部分が全部流されてしまっている。たいていのお家では、仏壇は一階にありますからね…。したがって、お墓もこのような具合になっており、お墓の中まで洗われて(遺骨が流出)いる状態です。

私は2011年の5月に行ったのですが、ほとんどお墓が片づいていない。お墓の蓋が開いており、骨壺がない。これは流されたのか、いち早く取って行かれたのか判りません。しかし、「ご仏壇はなくなってしまっていても、位牌は見つからなくても、せめてお骨だけは…」というようなことが多かったと思います。関東大震災の時に民俗学者の柳田國男が似たようなことを言っておりましたが、このようなことが起こっております。これは四十九日のニュースですが、この頃はまだ亡くなった方は14,000人と言っています。相馬市で真言宗豊山派の僧侶が合同慰霊祭をするという内容ですが、面白いのがこれが「日刊スポーツ」の記事だということです。スポーツ紙も、この時期は宗教のことに思いを致さざるを得ない。こういうことが起こった訳です。こういうことは新しいと思います。


▼不条理が人を宗教に向かわせる

私たちの世代は、学校では「宗教は古臭いものだ。これからは、どんどんとプライベートなものに矮小化されていくのだ」と教わりました。つまり、「宗教はプライベートなものとしてはこれからも残ってゆくだろうけれども、公的なこととしては、宗教なしに決められてゆくだろう。それが政教分離なんだ」と言われていた訳なのですが、しかし昨今は「果たして皆が参加する公共的な場面に宗教がなくていいのか?」こういうことが自覚されるようになりました。これは日本だけではないのです。政教分離といえば、フランスやアメリカといった「近代制度」を引っ張ってきた国がそういう方向へ進んでいったのですが、そういう国でも同じようなことが起こっている。つまり、「公共空間が精神的に空っぽになっている」それでいいのか? ということです。

しばしば話題になったのは、1775年にポルトガルで起こったリスボン大地震であります。リスボン大地震の時は津波も起こったんです。カントのような哲学者が、それについていろいろ考えました。当時はまだキリスト教の神を疑うことは難しかったのですが、「神が居るなら、どうしてこのような不条理なことが起きるのか?」という疑問が湧いてきた訳です。私の感じは少し違います。そういう風に人に理解できないことが起こった。そして、「神様が居るならどうしてだろう?」という時こそ、人の気持ちは神に向かうといいますか、人間を超えたものに向かうのだと思います。答えられない問題、普通の宗教の言葉で分かりやすく説明できないようなものの時にこそ、宗教心の元になるようなものが揺り動かされる。そういう感じがいたします。

金光教大崎教会長の田中元雄先生とは、かねてから親しくさせていただいておりますが、首都圏の金光教の方たちが気仙沼を中心に活動しておられ、その様子がよく金光新聞に載ったものです。今日は同じ金光教の泉尾教会で話をするからこの記事が出てきたという訳ではなく、私は普段からよく使っている話です。「何を学び、どう改まるべきか」というのは金光教らしい言い方でありますけれども、私はこの記事になかなか考えさせられたという気がします。「金光教には『天地と共に』ということが信心の根幹にあり、自然を征服するという考え方はないです。地震は地球のくしゃみやおならだと子供たちに説明しているのを聞きました」これが私には面白い言い方だと思いました。つまり、教会長なのに「(自然観について)金光教ではこんな風に説明するのだ」と自ら教えてあげるという風ではなく、「信徒のお母さんがこんなことを言っておられたよ」と言っておられる訳です。

今回の大震災に際して、天罰論というのも出たんですけれども、そんな風に「神様なり天なりは、人間を罰したいとか、悪意を持ってるようなものなんだろうか?」と…。そういう風に思う方もいるかと思います。「誰かが悪い、特に被災した人たちが何か悪いことをしたんだろうか? それはおかしいんじゃないか」といったようなことから、天罰論が大変な反響を呼んだ訳です。そこから見ると、自然が人間の思いも寄らない働きをするということは計り知れないことなんです。しかし、それは決して罰してやろうとかこらしめるというようなものではないんじゃないかという感覚を、少なくともこのお母さんは持っておられるということかと思っています。

私も被災地に参りまして、大変な光景を目にしました。ほとんど流されてしまった中に、鉄筋コンクリートの四階建てのビルが残っていて、その屋上に自動車が乗っかっているとか、海岸線からかなり内陸に入ったところに船が道路の横にあるといった光景を見て、大津波の凄まじさをあらためて実感しました。岩手県、宮城県の少し内陸のほうに入っていきますと、本当に美しい大自然が広がっています。首都圏はいたるところ建物だらけですけれども、東北新幹線で北へ行くに従って、だんたん建物が減ってきます。そして、豊かな自然、緑の山、田畑が見えてきます。やはり日本の自然は豊かです。実は、私は震災以後、日本酒を飲むようになったのですが、それは、日本酒を飲むと、やはり日本の自然が私の体の中に入ってくるような気がするということなんですね。

ここでも、「天地の恵みの中に住まわせてもらっているのに、自然を人間の使い勝手の良いように改造してきた。ところが、地球がひょこっと体を震わせたら大津波になったというような子供への物語です。自然災害というけれど、それは人間にとっては災害であっても、天地自然にとっては元来備わっているリズムの運行そのものなんですね」、「ですから災害という見方に立つ前に、まず天地に対する畏敬と謙虚さをもって恵みに感謝する姿勢を取り戻すことが大切だと思います」、「この大震災は我情我欲にふける私たちの生き方や…お金や物に振り回され、科学の力を利用してわが物顔に自然を破壊していく現代人のライフスタイルに対する揺さぶりだったのではないかと思えてなりませんでした。原発に象徴されるように、このままいけばもっとひどいことになるかもしれない、このままではいけない、という天地からの覚醒と受け止めることができるのではないでしょうか。文明のありようそのものが問われたように思いました」これは天罰論とは微妙に違うのですが、やっぱり何かを知らせてもらっている、何かわれわれが気付かなきゃならないことがあるんじゃないか。やっぱり(人間は)傲慢だったんじゃないか。こういう風に受け止めておられます。

これは私自身の感じ方にも近いです。と申しますのは、私たち戦後世代の者は、高度成長の恩恵に浴して参りました。そして、科学技術や経済発展といった、いいものをたくさん味わってきました。それを子供たち、孫たちにうまく受け渡せるかというと、どうもそうじゃない。今回、そのことが強く実感された訳ですが、田中先生のインタビューはそれをよく表していると思いました。


▼苦しんでいる人のもとに行って…

曹洞宗の青年会の方々と何度か支援活動をご一緒させていただきましたが、これはそこが作っておられるパンフレットです。福島辺りでは、大変放射線量の高い所を子供が平気で歩いている一方で、政府はなかなか動きません。去年のある時期から除染活動は大々的に行われるようになりましたが、それより以前は、政府主導の除染活動は、発災後一年以上行われなかった訳です。そういう中で、曹洞宗のお寺の方たちは、かなり熱心に支援活動を展開し、全日本仏教会の方々もこれに協力しました。もうすぐ三回忌ですが、昨年の一周忌の時には、全国曹洞宗青年会の現地支援対策本部がある伊達市の成林寺に私もご一緒させていただきました。伝統仏教の各宗派、そして海外からも仏教徒の方々が来られて共に法要されました。実は、全部の宗派が共通して唱えられるお経はありませんので、仏教界の方が共に法要するのはなかなか難しいんですが、いろんな工夫をされていました。

ご年配の先生方の中には「ボランティア活動や除染活動はわれわれがする必要はない。宗教家は宗教家らしく、宗教本来のことをやればいい」とおっしゃる方も居られますが、若い方たちはどうも違う。人が悩み苦しんでいるところで活動する中でこそ、何か求めているもの、悟りの道に近付いていけると…。つまり、「助けてあげる」というよりも「学ぶ機会を得る」という感じでしょうか…。若い僧侶の方たちが、在家の方たちと一緒に動いておられますが、彼らはこの活動を「縁(よ)り添い」と表現しています。これは要するに、昔から日本の仏教には、山に籠もって修行し(悟りを開くという面と)、下界(娑婆(しゃば))に降りて(人々を救済に)いくという両面がある訳ですが、こういう時にこそ「下界に降りていって、苦しんでいる方たちと共に働きたい」という気持ちがよく表れているパンフレットです。

これを表すものとして、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』がよく唱えられたということです。これは途中からなんですが、「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束を負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ…」宮沢賢治が岩手県の詩人だということもありますが、今回の大震災の後、この『雨ニモマケズ』がよく唱えられ、外国語にも翻訳されました。

この中でひとつ大事なことは、この「行ッテ」というところだと思います。よく「(私が被災地に)行っても何もできないから、行かない」という方には、とにかく一度「行って」みてはどうかと勧めています。今でも福島の方は「来てください」とおっしゃいます。自分たちが忘れられてしまうんじゃないかという危惧もあります。岩手や宮城でも復興が進んでいますが、最後までとり残されてしまう方が居るんですね。今行われているようなことは、阪神淡路大震災の後に行われたことがきっかけとなり、そこから中越大地震や台風被害がある中で、一般の人にとっても大いに関心がある災害支援に、宗教が加わるということは当然であるという風に変わってきています。


▼常不軽菩薩に学べ

もうひとつは「デクノボー(木偶の坊)」というくだりです。支援活動をされる方に能力があるにこしたことはないですが、避難所に行っても仮設に行っても、私など何も芸がないですから、「人の話を聞く」といってもどういう風に相槌を打っていいのかも判らない。曹洞宗の青年会の方たちがお茶とお菓子を持って仮設住宅へ行き話をするのに一緒に行かせてもらったことがあるのですが、曹洞宗ではこれを「行茶」と呼びます。だいたいおばさんたちが多いですから、私なんかが行くよりも若いお坊さんのほうが良いに決まっていますが。私どもが行くしばらく前に有名な歌舞伎役者が来たそうで、その写真が貼ってありました。避難所の方々は、とても期待していたらしいですが、ちょっとがっかりしたそうです。というのも、彼は避難所に来て挨拶をして帰ったそうですが、握手をしなかったらしいんです。

私は何もできないけれども、握手だけはして帰ってきました。握手をするだけでも気持ちは伝わりますよね。そういうようなことはでくの坊でもできるといいますか…。実は、宮沢賢治は大変な天才なんですが、自分自身はでくの坊だと思っていました。それは法華経に関係があります。法華経には常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)という菩薩が出てきますが、もともとのサンスクリット語では「常に軽んぜられる菩薩」で、訳は「いつも軽んじない菩薩」。つまりどんな人にも仏性があるので相手に向かって手を合わせる。いつも相手に向かって手を合わせるので、「嫌な奴だ」とか「変な奴だ」といって、石を投げられる。だから軽んじられる。そういうところから来ています。これは、法華経の中のひとつの菩薩の理想でもある訳です。

『雨ニモマケズ』は、宮沢賢治の死後、鞄の中から出てきた手帳の中に書かれていたのですが、その中には、この『雨ニモマケズ』の詩が出てくると共に、常不軽菩薩のことを書いた詩が出てきます。 もう少し仏教教義的に申しますと「増上慢(ぞうじょうまん)」という言葉がありますが、仏教における常不軽菩薩が最も問題にしていたのが「如何にして“慢”を無くすか」ということですが、自分自身が持っており、人が持っている“慢”を無くす。これは六波羅蜜という大乗仏教の修行の中に出てくる「忍辱(にんにく)」の実践なんですね。

いろんな方の支援活動の話を聞く中で非常に印象を受けた話がいろいろあるのですが、中でも「足湯のボランティア」というのがありました。温泉に行くと「足湯」という入湯料を払わなくても勝手に浸かっていられるものがありますが、災害支援の足湯は、お湯を入れたバケツで被災者の足を揉んであげるという行為のことです。これは阪神淡路大震災の時に始まったものです。何処かの業者が始めたのですが、今は学生がやるようになっています。学生は支援活動に行った場合、瓦礫の片付けなどには役立つんですが、こころのケアにはあまり役に立たないかもしれません。けれども、若い学生の方たちが来てくれたら、被災者は嬉しいかもしれませんね。もしかしたら、この中には阪神淡路大震災の被災者の方も居られるかもしれませんが、どうでしょうか…。

もし、若い学生が足湯をやってくれるとなると、少し年配の人も「よく来たね」と心を開いて話をしてくれるんじゃないでしょうか。この足湯を僧侶の方がされる「高野山足湯隊」というのがありますが、これは、金沢の宝泉寺の方が、2007年に起きた能登の地震の時に始められた活動です。今回の東日本大震災の被災地でもやっておられますが、これも常不軽菩薩の修行ととてもよく似ています。

被災者と支援者の関係というのは、支援者が何か良いことを施(ほどこ)す─仏教で言うところの「布施」に当たりますが─布施とは、施すだけでなく、同時に自分自身が恵みを頂くことでもあります。そういう関係がよく表れています。

普通の人の支援活動と宗教者の支援活動にそんなに違いはないかもしれません。どちらにも宗教的なものが基礎にあるのではないか…。支援活動とは、そういうことを感じさせるものになってきていると思います。「支援活動に行ったおかげで人間が変わった」とか「今まで気付かなかった有り難みに気付かせてもらうことができた」こういう方がたくさん居られます。また、身近な人が悲しい死に方をした人が、その悲しみを抱えて支援に行き、支援活動を通して慰められるというのもよく聞く話です。これは、災害を通して共に悲しみ、その中からお互いが変わっていく経験があったということです。以上が支援活動の話です。


▼科学と宗教

今度の東日本大震災は、天災であると同時に人災でもあります。特に、福島第1原発の事故は大いに人災の面があります。何か日本のシステムが巧くいっていなかった。これまで政府と東電がもっぱら非難をされていますが、東電に限らず、電力会社関係の方はずっと肩身の狭い思いをしている。私の家の近くにも東京電力の建物があるんですが、いつも暗い感じがします。こちら側がそう思って見るからかもしれませんが…。
東大に居りますと、大学の構成員の中には、長年、安全神話を振りまいていた人や、国や電力会社と組んで安全宣伝をしていた人がたくさん居られます。私自身は、科学者、研究者に大きな責任があると思っています。こういうことは、これまで大学の中では言わないものだったのですが、私は今はっきりと言っております。と申しますのは、こういう機会にこそ、科学者や専門家が襟を正し、大事なことを学んでいく機会だと思っているからです。

特に震災が起こった後に、テレビで原子力発電の専門家が解説していましたが、この「専門家」というものが、これほど頼りにならないものだったということを思い知った経験は、これまであまりなかったのです。このことと、「何故、宗教というものに人の気持ちが向くのか」ということは、私の中では結び付いております。近代科学によって私たちは幸せになれると考えられてきた。でも、その近代科学の土台とは、いったい何だったんでしょうか。私は最近そういうことを思うのです。

実は、東日本大震災が起こった時、私はイタリアのベネチアにおりました。日本への連絡の方法がなく、テレビもBBCのニュースを視たりしていましたが、ある時期からインターネットでNHKのニュースが視られるようになりました。また、ツイッターをやっているので、そこから情報を得たりしました。そこから入ってくる情報を見ているだけでも、専門家がずいぶんいいかげんなことを言っていたのだなということが判りました。「メルトダウンなんていうことはあり得ない」なんて言っていたのですから…。私は昔、少しでも医学に関わったことがありますし、その後も政府の生命倫理の委員会に加わったことがありました。「人のいのちを預かる」という意味で、宗教者と医学者に共通点があるかもしれません。「いのちを預かる」というのが言い過ぎならば、どちらもいのちの大切な場面に居なくてはならない存在です。ところが、このたびの福島第1原発事故で漏れた放射能の人体への影響についての論議がとてもおかしいと気が付いたのです。

私は10年来、死生学というものに取り組んできましたが、東大の医学部の先生方と癌などで死期が判った方たちのお世話をどうするかという重いテーマを、ホスピスやビハーラやターミナルケアといった緩和医療についてのプロジェクトを通じてやってきましたが、一緒にやってきた中川恵一先生(註:東大病院緩和ケア診療部長)は、どうしたことか─民主党の政府に頼まれたということもあったようですが─「この程度の被曝では、健康被害はほとんど出ない」ということを言い始めました。その根拠は判らないと私は思います。今度の福島の原発事故の規模は、1986年に起こったチェルノブイリ原発の爆発事故に次ぐもので、その規模はチェルノブイリと比較するとだいぶ小さいものですが、他の原発事故と比べれば圧倒的に大きい事故です。

ですので、ソビエト社会主義体制下のチェルノブイリでは、いったいどのぐらいの方が被害を受けたかは、実はよく判っていない。だから、今回の福島の事故でも、これからいったいどれぐらいの被害が出るか判らないというのが科学的な考え方のはずです。ところが、この方は「ほとんど被害はない」と言いきっておられた。山下俊一先生(註:長崎大学医学部の教授として、長年、放射能被曝研究に従事)は、福島県民健康管理調査の責任者をしておられたんですが、今日の毎日新聞でそれを辞めるという記事が出ておりました。事故後に福島支援活動に行って来られた方や多くの福島県の被災者の方々の心情を傷つけた。つまり、科学的根拠のないこと、つまり、「この程度の被曝量なら安全だ」と言ってこられた。

この時は3月19日でしたから私はまだイタリアにいましたが、20日頃に帰ってきたところ、こういう記事がインターネットに出ておりました。私は、人間的にはこの先生は気立ての良い方だと思うんですが、世界の原子力村は(核保有国である)安全保障理事国が中心となって、「(核兵器を製造しつつ平和利用のためだと弁護するために)原発を進める」という利益のために世界的に影響力を行使して、そのために非核保有国の科学者までが動員されている。ですから、科学は世界の原子力権力の言いなりなっている─少なくとも私から見ればそう見える訳ですが─と言えるのです。

山下先生はチェルノブイリ事故の時に、「広島・長崎の経験を持っている日本だからこそ助けに行くんだ」と行かれたのですが、その山下先生までもがこういうことを言っておられたのです。福島県民はいうまでもなく、関東地方に住んでおり幼児を抱えている人たちは「どうしようか?」ということで、うちの娘も子供が2人いて同じ杉並区の家に住んでいたのですけれども、3月20日頃に石川県の妻の実家に疎開させました。多くの方がそういうことをしましたが、その時に政府からは「被害がないので留まれ」ということがほのめかされました。今でも「福島で暮らしていると、健康の被害があるんじゃないか?」ということを言うと「けしからん!」と叱られる状況が続いています。その元締めはこういった─私から見ると御用学者─方々が「安全だ」と言ってきたからです。このへんは皆さんもいろんなご意見がおありでしょうから、後でご質問をいただきたいと思います。


▼人々は疫学調査を求めているのではない

ドイツは、最もこういうことについて敏感で、物理学者であったメルケル首相も「原発を止める」ということも言いました。あるドイツの放射線科学者ですが、この方は東ドイツ出身の方でキリスト教の信仰を持っておられる方です。「社会主義時代の教会のほうが良かった」と言っておられました。つまり、社会主義時代の教会は本当に信仰を持っている方が集まったけれども、東西ドイツが統合された後は、政府に近い意見を言う教会になってしまったそうです。この方は昨年、日本に来て、福島での会議に参加したのですが「こういう所で人は住めないんじゃないか」と盛んに言っておられました。広島・長崎の話は後で申し上げます。

今、福島県が福島県民健康管理調査というものをやっています。このモデルになっているのが広島・長崎の被爆者調査です。これを「いのちの見守り」と言っています。どういうことかと申しますと、要するに数量のデータを集める訳です。これを疫学(えきがく)と言いますが、一人ひとりの人がどれぐらい放射線を浴びたのかは本当のところは判らないのですが、「3月18日は何処に居ました」といった記録を皆に出させて数に変換し、「この人は何ミリ浴びた」といったことを統計で出して、何ミリ浴びるとどういった被害があるかを計算する。そして、その結果(発癌等)が出るのは何十年も先のことです。これが、広島・長崎で行った疫学調査ですが、それと同じことをやろうという訳です。しかし、今そこに居る人たちの健康についてこの人たちは本気で考えているのかというと、非常に危うい。このことを私はずっと言い続けてきております。

だんだんと私どもの言ってきたようなことを受け入れる人が多くなってきまして、この3月で県民健康管理調査は少なくとも体制が変わります。「被爆医療の権威」だった山下俊一氏は座長を辞め─昨日(2月13日)、本人が言ったことですが─長崎へ帰られます。福島県のお医者さんたちも「これでは駄目だ」ということが徐々に判ってきました。何故、山下氏があんなことを言ったのかと思いますが、「これからフクシマという名は世界中に知れ渡ります。フクシマ、フクシマ、何でもフクシマ…。これは凄いですよ。もう、ヒロシマ・ナガサキは負けた。フクシマのほうが世界に冠たる響きを持ちます」、「放射線の影響は、ニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます」などと言ったので、彼は福島県人からまったく信用されなくなりました。彼らは広島・長崎のデータを持っているからこそ、放射能の被害の権威になれたと感じてきた。広島・長崎に原爆を投下された日本こそ、世界の放射能被害についての基本的データを持っている。だから、長崎出身の山下先生がチェルノブイリに行くと「よく来てくれたと歓迎された」ということが書かれていますが、実は、この広島・長崎のデータはアメリカの方針に沿って作られたものです。それを、「今度は福島で作れる。福島は、科学のための素晴らしいデータを作る材料なんだ…」こういうことを無意識のうちに言っていたということです。それがこの調査の中にも入っている訳です。


▼核の恐怖を小さく見せたかった米国

今、盛んに「広島・長崎のデータ」と申しましたが、実は私の父親(島薗安雄医師)は、1945年の8月には東京大学の医学部で勉強しておりました。8月6日に広島に原爆が落ちて、日本の医学者は総動員で原爆の被害の調査に当たろうとしました。東大にいる若手の研究者も動員されて、現地へ行った訳ですが、私の父も何週間か広島に滞在して、死んだ人の脳の標本を作った。実は昨年になって、今回の福島の事故のおかげで、うちの父親が広島の原爆被害についてどういう報告を書いていたかを実際に見る機会を得たのですが、やはり「子供には相当大きな被害がある」と書いてありました。「脳の組織が放射線を浴びると、ひどく変化する」という話です。うちの父はその話は滅多にしませんでしたが…。そもそも医者が被災地へ行ったのに、その目的が、病人を助けに行ったのではなく、標本を採りに行ったということ自体に何か釈然としない思いを持っていたようです。

そのデータ作成は日本軍が計画したものなのですが、その後、アメリカ軍に持って行かれました。ですから、父が広島で作った標本と論文はまだ見つかっていませんが、アメリカにあるはずなのです。アメリカはとにかく、広島・長崎の被害が如何に小さかったかということを世に示したかった。一般市民を無差別に殺傷する原爆という非人道的な兵器を使ったということは、世界中の多くの人が気付いていた訳ですから…。それからもうひとつの理由が、これからもしかするとソ連との間で核戦争が起こるかもしれない。その時に「放射能の被害は怖い」と思っていたら、アメリカの市民はソ連軍と戦争する勇気を持てないかもしれない。だから、「そもそも放射能が来ても大した被害はない。机の下に隠れればいい」といったことを、アメリカは朝鮮戦争が起こっていた1950年代に言っていました(註:高橋博子『封印されたヒロシマ・ナガサキ』凱風社)

講師の熱弁に真剣に耳を傾ける国宗会員諸師 講師の熱弁に真剣に耳を傾ける国宗会員諸師

そういう流れの中で、広島・長崎の原爆被害調査が進められました。そのために「ABCC(Atomic Bomb Casualty Commission)」いわゆる「原爆傷害調査委員会」というものを作った。「ABCC」と言うと広島・長崎の方は皆よく知っているのですが、どういう風に知っているかというと「ああいうのは、たまらん」という訳です。どういうことかと申しますと「調べるけれども治さない」そういう医学なんです。ABCCに呼ばれて行くと、いろいろと検査されて、原爆症のデータを取られる訳ですが、その人のために治療は何もしてくれない。この調査は1975年に日本と合同になります。現在は「放射線影響研究所」というのですが、未だに半分アメリカが出資しています。そして、その世界に認められるためのデータとして非常に重視されているのですが、アメリカの原子力委員会の管轄の下で作られたものです。

笹本征男氏の『米軍占領下の原爆調査』という本のサブタイトルでは、「原爆加害国になった日本」とあります。その後、核実験がたくさん行われました。あるいは、劣化ウラン弾など、放射能に関わる兵器が使われたりしています。南太平洋ビキニ環礁の大気中核実験(註:終戦直後の1946年から58年まで、米国が行った16回の核実験。1954年以後は原爆の1,000倍近い破壊力のある水爆実験)は、私ぐらいの年齢の方はよく覚えておられると思いますが、当時、「(放射能で汚染された)雨に濡れると頭が禿げちゃうよ」などと言われました。ビキニ実験の時に(遠洋マグロ漁船の第5福竜丸が被爆したこともあって)日本では平和運動が起こり、日本の世界連邦運動(WFM)などは、ビキニの反対運動で大いに活性化したと言ってもいいかもしれません。その時に、世界中で放射能の測定が行われるようになりました。日本では遠洋マグロが食べられなくなり大変な騒ぎになりましたが、ある時から突然、マグロを食べるようになりました。これはもちろん、アメリカの差し金でそうなったのですが…。その時にアイゼンハワー大統領は「これは困った」ということで、「原子力の平和利用」ということを言い出して、原発に力を入れるようになったという訳です。原爆を作って、その被害を世界の人が反対する。それをどうやってごまかすか? それが原発というものの発端にそもそもあるということです。


▼科学が道を踏み外すとき

ビキニ実験の時、日本の科学者は全国で放射能の量を調べて、どうすれば被害が及ばないようになるのか、住民のためによく頑張りました。もちろん、今回もそういった学者も居られますが、私が気になるのは電力会社からお金を貰っているんじゃないかと疑われるような話がずいぶん多かった点です。どうしてそういうことになってしまったんでしょうか?これについて、私は『つくられた放射線「安全」論』(河出書房新社)という本を書いたところです。2月20日に発行されます。ここで調べたことは、日本の科学者は、ある時期からますますスポンサーからお金を貰わないと研究できなくなってくるんですが、その流れの中で、次第に「原発は被害が少ない」、「放射能の被害は少ないから、原発の安全装置はもっと軽くできる」つまり、「原発のコストを安くするためには、私たちの研究が貢献できます。低線量の被曝は、むしろ健康に良い」といったような研究を進めるようになったということです。

日本でも公害事件がたくさん起こりましたが、この『水俣病』という本は原田正純というお医者さんが書かれたんですが、医学者はチッソという化学工業会社が有機水銀を垂れ流していることが原因だということをかなり早くから判っていたのですが、「証拠がない」ということを多くの医学者が言っていました。実は、私の母方の祖父(註:日本医師会会長を務めた田宮猛雄東京大学医学部教授)も「水俣病研究懇談会(通称、田宮委員会)」に関わっていました。そういうことに対しても、原田正純先生は「どこかおかしい」と指摘しておられました。「大学の研究室に居ては判らない。被害者がどういう生活をしているか、どういう人がどういう被害を浴びているかがよく判らなくては、どういう対策を取ったら良いかも判らないでしょう」と、被害者と共に生活をしながら調べるということをされた方です。この方は去年亡くなられたのですが、彼が原発事故以後に言ってきたことも多くの人を元気づけてきました。素晴らしいお医者様です。

この著書の中で原田先生は言っておられます。「市立病院で患者を診察するときに、一様にその母親たちが無口であったのも、心の中をみせなかったのも、その理由がこうしてわかったのであった」。また、「『自分は水俣病の被害者だ』というと差別されるので、被害者は(自らを被害者だと)言わないし、周りの人も言わずに黙っていてほしい」、「残念ながら水俣病は脳全体に変化を起こすのであるから、その結果として、感情や意志の面の症状も無視できない。そのために、ひととおりの社会生活がうまくできなくなるような、さまざまな障害も見られる。ある患者は人を嫌い、閉じこもり、人を見ると逃げ出す。ある患者は感情の動きが激しく、ちょっとしたことで興奮する。あるいは無気力となり、あるいはなかには邪気深く、嫉妬妄想や被害妄想が出てきたりもする」。また、「このようなさまざまな精神の面での障害も、きわめて深刻である。その実態はいまだ十分に明らかにされてはいない。それらの障害は生活の場においてでなければ、なかなかとらえにくいものであることも事実である」とも言っておられます。

先程の宮沢賢治の「行ッテ」ではないですけれども、今の医療の中には患者さんと共にいてこそ初めて解ることを大事にするという動きがあります。一方で、大学の医学部ではそういうことを教えません。最近では、病院の外来に行っても、下手すると医師は患者を最初ちらりと見た後は、ずっと(電子カルテを書くために)コンピューターの画面を眺めているような気がします。人間と向き合っているという感覚がどんどん薄れていっているような感じですが、原田先生は「それでは駄目だ」と言っておられます。私の文章と原田さんの文章を続けて引用しますと、「ところが、チッソ側は患者を分断した上で、補償額をできるだけ低い額に抑えようとし、その意向を受けて厚生省の補償処理委員会が斡旋(あっせん)案を提示した。それに沿って患者は医師との短い面接でその症状の度合いを重症、中等症、軽症などと定められることになる。原田氏はこれについて、次のように述べている」「私は、結論的にはっきりいうと、法律や理屈をかざし、医学的症度で合理性を装ったこの斡旋の内容に、強い不満をもっている。失われたものが金に換算できないことはもちろんであるが、1日やそこらの診察や問診だけで、その障害の深刻さはとてもつかみきれるものではない。私は何も、公害病、水俣病だからという理由から、そういっているのではない。どんな場合においても、人間を、喜び、悲しみ、怒る、生きた人間としてとらえてもらいたいのである」。こういう医学、こういう科学こそが、本当の医学、本当の科学ではないでしょうか。そしてある意味、これは宗教が目指すものとも近いのではないでしょうか。「人が人であることを大事にする」ということは、当たり前過ぎて何を言っているんだと思われるかもしれませんが、そういう当たり前のことがなされない社会になっているかもしれない。そういう中で、宗教は声を上げようとしています。


▼原発問題に声を上げる宗教界

原発問題について、宗教界はいろいろ発言しております。宗教界といっても様々ですから、いろんな発言があり、いろんな立場があります。これは『寺門興隆』─昔は『月刊住職』と言っていましたが─という雑誌ですが、この雑誌も原発問題を盛んに取り上げています。福島県のお寺はとんでもない被害に遭っていますね。要するに、元住んでいた所に帰っていけないのですから、そこにあるお寺はどうしようもないです。福島市や郡山市のお寺でも、どんどん檀家が減ってしまい、幼稚園は子供がいなくなります。現在、東電と盛んに交渉していますが、お金で解決できる問題ではないですよね。そういうこともありまして、原発問題を通して早い時期から浄土真宗本願寺派、そして臨済宗妙心寺派の方などが早くから発言しておられます。

妙心寺派の河野太通管長は、当時、全日本仏教会の会長でもおられたんですが、「誰かがそのために犠牲になっているかを、今一人びとりが責任をもって考え」、「利便性と経済的効果のみを追求せず、自らの足、実地を踏む良き道を選び、歩んでまいりたいと思います」と、全日本仏教会の会長として発言されています。原発の何がおかしいのかということを、河野師が中心になってまとめたものが、次の宣言文です。この宣言文は、良いタイミングで出ましたし、内容的にも立派なものではないかと私は思います。そして政治的なものではないです。もちろん政治的な意味を持っているかもしれませんが、人の心に訴えるようなものになっていると思います。その中には、やはり原発とは人のいのちを脅かすということ、そして、誰かの犠牲を前提にしないと成り立たないという事実があります。

福島県は東北地方ですが、福島原発は東北電力ではなく東京電力の施設ですから、実は福島県の方は受益者じゃないんです。東京のために、福島県や新潟県に原発を置いている訳です。そして、普段から何か漏れている。私の知り合いの学者の方に東海村の出身の方がおられますが、二十代で産んだ子供がダウン症です。ダウン症の子供は可愛いですから、決して言いませんが、もしかしたら放射能の影響なんじゃないかと思うんです。東海村はしょっちゅう何か起きています。あそこは水戸からすぐですが、日本の原子力開発の大事な場所です。もうひとつは若狭湾です。あの辺の住民の方には電力会社の方が大変なお金をばらまいている訳ですが、何か事故が起こったとしても、それによって償われたと感じるでしょうか? 

そういえば、中国に100基ぐらい原発を建設する計画が進んでいるそうです。今、PM2.5も中国から襲ってくるんですが、中国で原発事故が起こった場合、日本はどうなるでしょうか。若狭湾で事故が起こったら、京都府も福井県も石川県辺りもとんでもないことになります。日本上空は偏西風が吹いていますから、今度の事故の放射性物質はかなり太平洋上空へ流れましたが、どういう訳か放射性の灰が降った地域の枠が楕円になっています。ですから飯舘村、伊達市、福島市、郡山市辺りは多いけれども会津の辺りは大したことなく、むしろ千葉県の柏市が多かったりします。その時々の風向き次第でどこが被害に遭うか判らない。とにかく事故があれば、誰かが被害に遭うことは間違いありません。それから、作業員の方たちは普通の人より何倍も放射能を浴びている訳です。

昔、東京タワーを造る時に何人か人が死んだとか、ビルを造ると人が死ぬという話を聞きましたが、とび職の方は常にいのちを危険に晒している訳ですが、そういう仕事をどんどんなくしていくことが人類の向かうべき方向ではないかと思うのですが、原発はむしろそういう仕事を増やすように思います。原発建設により、生活費を得るためにいのちを犠牲にしなければならない人がいる。そして何より、未来の人たちです。今、福島第1原子力発電所の4号機がいつ壊れるかと世界中の人が心配していますが、この危険性は全国にある訳です。つまり、放射性廃棄物ですが、それを受け入れる地域が日本国内にあるかということです。

こんなふうに、たくさんの人の犠牲を前提にしなければ成り立たない。そのことがだんだん判ってきた。専門家は初めから判っていたかもしれませんが、少なくとも国民は初めから判っていた訳ではないと思います。判った人が出てくるに従って、今度は隠す人が出てくる。こういうことがずっと起こってきた訳です。そして、それは何か間違っている…。こういうことが、この宣言文の背後にあると思います。この全日本仏教会の宣言文は2011年12月1日に出たものですが、非常に大きな反響がありました。世界的にもカトリック教会をはじめ、キリスト教会はほぼ原発反対です。仏教界もそういう方向になっています。ダライ・ラマ法王はそうでもないそうですが…。


▼誰のための原発なのか?

インド辺りは、これから原発でなんとかしようというところですが、インドでもロシアの技術援助で原発を造るにしても、今までは事故が起こった時の保険は、原発を造った国がかけていましたが、インドはロシアに対して「ロシアでかけてくれ」と言っているそうです。つまり、原発技術を安く売ることができなくなってくる訳です。例えば、これから先どういう交渉になるか判りませんが、現在、日本の日立や三菱がベトナムに原発を造ると言っています。日本の福島原発はアメリカの技術を使っていますが、事故が起こっても別にアメリカは何も保証してくれません。しかし、将来、ベトナムで事故が起こった場合は、日本が保証しなければならなくなるのではないでしょうか。今、こういう方向へ向かっています。アメリカはスリーマイル島の事故以降、ほとんど原発は造られていません。というのは、アメリカは国が保証してくれる訳ではなく、電力会社が保証しなければならないので、とてもコスト的に成り立たないということです。

チェルノブイリ事故以後、欧米諸国がどんどん撤退していった時に、原発がなくなると核兵器の保有国が困る訳です。そこで、アメリカは日本に圧力をかけて、日本は大喜びで原発を造ってきたという経緯がある訳です。「私たち全日本仏教会は『いのち』を脅かす原子力発電への依存を減らし、原子力発電に依らない持続可能なエネルギーによる社会の実現を目指します。誰かの犠牲の上に成り立つ豊かさを願うのではなく、個人の幸福が人類の福祉と調和する道を選ばなければなりません」

私はここが肝心じゃないかと思います。特定の立場の人が弱い立場に置かれて犠牲を被り、一方、利益になる人もいる。「計算すると利益のほうが多い」と言う人もいますが、その計算は非常に勝手にできている。こういうことが大いに問題だと思います。全日本仏教会の宣言文は、こういった言葉で結ばれています。「そして、私たちはこの問題に一人ひとりが自分の問題として向き合い、自身の生活のあり方を見直す中で、過剰な物質的欲望から脱し、足ることを知り、自然の前で謙虚である生活の実現に向けて最善を尽くし、一人ひとりの『いのち』が守られる社会を築くことを宣言いたします」
私がいろんな人を批判しましたので、今日、お話の後、皆さん心がざわついて嫌な気持ちを持たれるかもしれません。

しかし、今引いた言葉の後半のほうは自分の心に言い聞かせていることなので、あまり心がざわざわしないかもしれません。ここでは一致できるかもしれませんね。しかし、この全日本仏教会の宣言文にはその両方の要素が入っております。こういう問題を、できるだけ説得力がある論理に基づいて、そして事実に基づいて言葉にしなくてはなりません。そして、それは学者の役割であり、私は広い意味で哲学者─宗教学者も広い意味で哲学者に含まれると思います─の役割ではないかと思います。


▼リスクを先に考えるべき

『原子力時代の驕り』を書いたドイツのシュペーマンという哲学者は、1970年代から「原子力発電は人の犠牲を前提にしているシステムだ」と言ってきた人ですが、この本はドイツ語で2011年に出版され、去年(2012年)日本語版が出版されました。どこがどう間違っているのか、つまり、科学技術は何か良いことをもたらすということで、科学者は一生懸命新しい技術を開発しています。その善き目的があることを私たちは疑う訳ではないのですが、しかし、それが発展した場合、何が起こるかということまで十分に考えない場合があります。「これが起これば良いことになる」というほうだけを見るということです。その結果、もしかしたら何か悪いことが起こるという場合は、できるだけ隠したほうが良いということになる。

一番判りやすい例は製薬会社でしょうか。あらゆる開発をしていますから、副作用とかいろんな悪いことが起こってきます。最近、ある精神医学者と話していますと、自殺を止める薬があるそうです。つまり、「自殺とは脳の何処かがおかしいから自殺するのだ」と…。この解釈事体、何かおかしいと思うのですが…。けれども、そういう研究に国からお金がドーンと出る訳です。池内了先生は物理学者ですが、去年出版された『科学の限界』は、とても良い本です。科学技術が、本当の意味で人類の役に立つようにするには何が必要なのかということを言っているのですが、そうすると、やはり宗教に出会うということを教えてくれる本です。私は、そういう言葉が学者のほうから出なくちゃならないと思うのですが、なかなか学問のほうもそこまで力がない。こちらは哲学者。向こうは物理学者。自然科学者と人文系の学者が、共通してそういう問題に取り組まなければならない訳ですが、ドイツは、その意味において、先へ進んでいるんじゃないかと思います。

2011年4月に、ドイツ政府は脱原発宣言をした訳ですが、この「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」のリストで一番上に出てくるウルリヒ・ベック氏は社会学者ですが、早くからリスク社会について言及しており、チェルノブイリ事故の年(1986年)に、『リスク社会』という本を出しています。つまり、その本は事故が起こる前に準備ができていたということです。その後、2001年に「9.11」(米国同時多発テロ)が起こり、2011年に福島の事件が起こりますが、ベックはまるで明日の予言者のようですが、彼がこの委員会の中心人物の1人です。

日本の政府委員会では考えられないことですが、この15人の委員会の中には宗教界(キリスト教)の方が3人入っています。私は、政府の生命倫理委員会に入ったんですが、何故私が入ったかと申しますと、とにかく宗教学者を1人メンバーに入れておけば、仏教も神道も新宗教も、いろんなものが間に合うという意味で使われたんじゃないかという疑いを持っています。通常、学者を入れる場合、どうしてもキリスト教の学者の方を入れることが多いです。そういうことから考えると、日本では宗教界の意見がそういう場で反映しにくいという面があると思います。もちろん、キリスト教国で一致しやすい面もあるとは思いますが、ドイツでは、こういった公共的な意思決定の場に宗教の声が反映するようになっています。

こちらは、永平寺で開かれた特別講座に関する掲載記事ですが、何故、高速増殖炉に「もんじゅ」とか「ふげん」といった菩薩の名前が付いているのか、仏教界の方も大いに疑問に思われたと思います。こちらは、先日、玄侑宗久さんなども交えて、増上寺を会場にして行ったシンポジウムですが、こちらにはスリランカのアリヤラトネさんという、サルボダヤ運動をやっている方も来てくださいました。私はアリヤラトネさんのお名前を以前に聞いたことがありますが、この時伺った話は「ああ、そうだな」と心にしみました。この方は学校の先生だったんですが、地域社会でいかに精神的なものが大事かを説いて、それを平和の基礎にしようとしている方です。「日本の社会もそうだったな」と、つくづく思いました。日本の社会が必要だと感じている。ここからは急いでまとめに入りたいと思います。


▼日本の公共社会に宗教を取り入れる

日本の公共社会では、宗教が人間にとって大事な所に見えません。一番判りやすい例は病院です。刑務所には教誨師が居るのに、ほとんどの病院には宗教者が居ません。たしかに、天理教の「よろず相談所病院(憩いの家)」には、天理教の教師の方が常時居られますし、長岡西病院にも地元仏教者のボランティア組織「ビハーラの会」の協力により、宗教者の方が居られます。また、いくつかの病院にはキリスト教のチャプレンが居るんですが、まだまだ少ないです。

臨床医療現場では、今、一生懸命「緩和ケア」について言っていますが、死に逝く人は何処か魂の乾きを持っているでしょう。死んだら自分はどうなるのか? 死を迎えるにはどうすればいいのか? そういう死に臨んで患者と一緒に祈ってあげる人が居なくてもいいんでしょうか? 世界的には宗教者が患者に寄り添うことは当然のことなんですが、日本には居ないということです。マリア・フリーデン・ホスピスはドイツのHIV・エイズの患者さんがおられる所ですが、シスターの顔が見えることからカトリック教会がサポートしていることが伺えます。こちらの写真では「命の木」を作ってます。エイズの人たちは同性愛者であったりするため孤立しやすい面がありますが、そういう人たちが人生の最期を過ごす場所です。キリスト教を思わせるような絵が飾られていますが、こういう所は基本的には無宗教、超宗教、つまりどの宗教、宗教のない人でも受け入れる形ですね。

そういうものを見習って、今、仙台で「心の相談室」という取り組みが始まっています。宮城県宗教法人連絡協議会をはじめとする多くの宗派が入っています。2011年は天理教の方がトップでしたが、最初は皆で大震災犠牲者の追悼(慰霊)をどの宗派の方が来られてもできるようにしていました。そこから「こころのケア」をやるようになりました。現在は、そこから発展しまして、国立大学である東北大学に「実践宗教学講座」というものができて、そこで臨床宗教師研修というものをやっています。災害の時に避難所や仮設住宅に行っても「私は○○宗です」、「私は○○教です」と言うと行政側に断られてしまうけれども、「臨床宗教師です」といえば受けれられると考えたという話です。受講者は訓練を受ける訳ですが、特定の宗派や宗教のことを教える訳ではありません。被災者のニーズに沿って寄り添うことになります。

私が宗教者や宗教研究者の方々と東京でやっている宗援連(宗教者災害支援連絡会)では、こういった活動も支援しています。最初にも申しましたが、日本の公共社会の中に宗教のプレゼンスを持つということ。社会の中に宗教があることが当然であり、人々が必要な時に心の安らぎを得られるようにすること。と同時に、それは社会の大きな方向付け─例えば、原発を増やすのか減らすのかといったような問題─に、宗教の側からだからこそ言えることがあるのではないか。そういうことができるような方向を、今後も目指してまいりたいと思います。ご清聴、有り難うございました。



(連載おわり 文責編集部)