国際宗教同志会70周年記念総会  記念講演
『トランプ政権下のアメリカと世界』

同志社大学法学部 教授
村田晃嗣

2017年6月22日、リーガロイヤルホテルにおいて、国際宗教同志会70周年記念総会が、国際宗教同志会の会員諸師と各宗派・団体から多数の来賓参集の下開催され、同志社大学法学部教授の村田晃嗣先生をお招きして、『トランプ政権下のアメリカと世界』という講題でお話しいただいた。本サイトでは、その内容を数回に分けて掲載する


村田晃嗣
村田晃嗣先生

▼人口減少という要因

皆様、こんにちは。ただ今ご紹介いただきました村田晃嗣でございます。本日は70周年を記念する集まりということで、大変おめでとうございます。今、三宅善信先生からご説明がありましたが、国際宗教同志会は、牧野虎次、湯浅八郎といった私共同志社大学の大先輩が中心となって設立された団体ということですが、そのような集まりにお呼びいただき、大変光栄に存じます。今からまず1時間お話をさせていただき、その後に質疑応答に移らせていただきたいと存じます。

1月20日にドナルド・ジョン・トランプがアメリカ合衆国の第45代大統領に就任してから、すでに5カ月以上が経ちました。トランプ氏については当初からいろいろと言われてきた訳ですが、5カ月経ってみますと、トランプ政権の問題や課題というものが、かなり具体的に見えてきたのではないかと感じます。限られた時間でいろいろなことを申し上げますので、基本的に3つのパートに分けてお話ししようと思います。1つ目は、そもそもトランプのような人物が大統領選挙に当選するに至ったアメリカの社会の変化。仮にトランプが当選していなかったとしても、今から申し上げるような社会の変化はずっと続いてきましたし、これからもずっと続いていきます。そういった、アメリカの社会的変化。そして、2番目はアメリカ国内政治のお話です。3番目は日本を取り巻く東アジアの国際環境のお話です。

リーガロイヤルホテルで開催された国宗70周年記念総会の記念講演

まず、1つ目の「アメリカの社会の変化」ですが、例えば日本の将来を議論する時に「少子高齢化」というファクターを抜きにしては議論ができません。今、日本の人口は1億2,700万人ですが、ご存知のように今世紀の半ばには1億人になると言われています。つまり、あと33年間でこの国は2,700万人の人口が失われるということです。日本のことですから、向こう33年の間におそらく戦争はないだろうと思います。大規模な伝染病・疫病が流行ることもない。飢餓になることもない。つまり、平和のうちに、たった33年間に人口二千数百万人を失う訳です。こんな経験をした国は、人類の歴史において、未だかつてありません。われわれは、人類史上、いかなる国も経験したことのない人口減少に直面しています。このような人口減少問題に直面しているのは、日本とロシアだけです。

2,700万人というと数が大きくて抽象的ですからイメージしにくいかもしれませんが、四国四県の人口の合計が450万人ですから、例えばこれから33年の間に四国が6回無くなることを意味します。途方もないことです。また、今日は京都からお見えの方もいらっしゃるようですが、幕末明治維新の時、京の都から天皇が江戸に下られた。京都の人々は一時的な下向だと思っていたら、天皇はそのまま江戸に定住されて、江戸がそのまま東京になるということで、京都は千年の都であることをやめた訳です。幕末明治維新の時、京都の人口は36万人でしたが、御一新の結果、京都の人口が24万人に減ります。つまり、街の人口が3分の1減った訳です。これは大変なできごとだったんです。

もし、奈良の関係者の方が居られたらお叱りを受けるかもしれませんが、明治維新について、当時の京都の経済人や行政が言ったことは「第2の奈良になるな」でした。首都でなくなったからといって、急速に没落して一地方都市になってしまってはいけない…。「京都を第2の奈良にしてはいけない」ということで、京都は全国に先駆けて小学校を作り、新しい産業を興して、なんとか生き延びた。ですので、幕末維新時に京都が3分の1の人口を失ったということ…。それを、こんどは日本国全体で追体験する訳です。日本についてもそうですが、今日お話しするアメリカについても、あるいは世界についても、この人口の変化が、非常に客観的で重要なファクターになると思います。

今日はヨーロッパの話を申し上げる時間的余裕はないのですが、例えば去年のブリグジット(註:英国のEUからの離脱を決めた国民投票)や、今年の10月にはドイツで総選挙が行われますけれども、これからヨーロッパは何処へ向かっていくのか…。ヨーロッパの将来を考える時、今世紀の半ば、2050年までに、アフリカの人口が2倍に増えます。このことを抜きにして、ヨーロッパの将来を議論することはできません。アフリカは自ら自分たちを養っていけるか? おそらくその答えは「ノー」です。そうすると、食べられないアフリカの人たちは、移民か難民になってヨーロッパへ流れていきます。ですから、アフリカの人口増大を無視してヨーロッパの将来を語ることはできません。

また、現在のアメリカの人口は3億1,000万人超です。いつも大統領選挙の時に、大変ホットな焦点になる州としてフロリダ州が挙げられます。フロリダは、人口ではカリフォルニア州、テキサス州に続いて、アメリカで3番目に人口の多い州なんですが、フロリダの有権者の実に2割が「ラティーノ」と呼ばれるラテン系の人たちです。昔は「ヒスパニック」と申しましたから、ヒスパニックのほうが分かりやすいのであればそう呼べば良いのかもしれませんが、最近は学者はあまり「ヒスパニック」とは申さず、「ラティーノ」と申します。何故かというと「ヒスパニック」ですと言葉からもお判りいただけるように、スペイン語を話す人を指します。しかし、彼らを「スペイン系」という言葉で括ると、ポルトガル語を話すブラジルが漏れてしまいます。

フロリダの有権者の2割がラティーノですから、彼らが共和党に票を入れるのか、民主党に票を入れるのかが大統領選挙のかなり大きい焦点になっています。今回、フロリダ州はトランプが取りました。フロリダでは2割ですが、アメリカ全体の人口の17%がラティーノです。黒人の人口が14%ですから、黒人よりも大きなマイノリティー集団をラティーノが形成しているということになります。今日は宗教者の集まりですから特にこれは大事な点だと思いますが、ラティーノの人口が増えるということは、かなりの程度これに呼応して、カトリック人口が増えるということになります。ラテン系はカトリック教徒が多いですからね。そうすると、アメリカのキリスト教徒の中で、カトリックとプロテスタントの人口比率が変わってくるということです。


▼キリスト教を凌駕するイスラム教徒

今日はムスリム(イスラム教徒)の方はお見えじゃないと思いますが、皆さんはこの国にどれぐらいイスラム教徒の方が居られると思いますか? 日本人の方はあまり意識されないと思いますが、現在11万人です。この「11万人」という数が多いと感じるか、少ないと感じるかはそれぞれだと思います。ただし、この数字には補足説明(フットノート)が必要で、この11万のうち、日本人でなおかつムスリムの方は1万人だけです。残りの10万人は、この国に住んでおられる外国人のムスリムの方々ということになります。おそらく、この日本人のムスリム1万人の中でには、ムスリムの外国人男性と結婚して仏教やキリスト教からイスラム教に改宗された女性の方々がかなりの割合を占めると思いますが、いずれにしても、合計で11万人のイスラム教徒の方が居られる。日本の人口が約1億2,700万人ですから、11万人ということは、全人口の0.1%以下…。千人に一人も居りません。しかし、例えば日本の場合ですと「家の宗旨は仏教だけれど、個人はキリスト教」といったようなダブルカウントの方が居られますから、宗教の人口統計はかなり難しい面があります。

アメリカにおけるムスリムの人口は、約330万人です。先ほど申し上げたようにアメリカの人口が3億1,000万人ですから、ムスリムの割合は全体の1%強です。「人口の1%強」を、この国(日本)の状況に移し替えて考えると、だいたいキリスト教徒の人口に匹敵します。ですので、アメリカにおけるムスリムは、この国におけるクリスチャンのプレゼンスに相応する存在感を持っていると言えます。ただ大きな違いは、私自身、京都の同志社大学というキリスト教系の大学で教鞭を執っていますが、新島襄先生が約140前に京都の地にキリスト教主義の学校を創建されてから今日に至るまで、日本でキリス教徒の割合が人口の1%を超えたことは一度もありません。

国宗70周年記念総会で熱弁を揮う村田晃嗣同志社大学法学部教授

ずいぶん昔の話になりますが、同志社の京田辺キャンパスができて10周年の時に、もう亡くなられましたが、小説家の司馬遼太郎先生がご講演をしてくださっています。私はその時は聞く機会がなかったのですが、残っている議事録を拝見したところ、司馬先生は「日本人とはなんと薄情な国民だろう。キリスト教にこれだけ学校や病院を作ってもらったにもかかわらず、キリスト教徒は百人に一人も居ない」と仰ってました。日本ではずっと1%…。ところが、アメリカにおけるムスリムの人口は、今現在は1%強ですけれども、今世紀の半ばまでには2倍に増えます。これはアメリカに限ったことではなく、全世界では、今世紀の半ばまでにカトリックとプロテスタントを足したキリスト教全体の人口をイスラム教の人口が上回る。つまり、今世紀半ばには、ムスリムは世界最大の人口を有する宗教になっていくということです。


▼宗教について無知なのと寛容とは違う

最近、日本では誰もが「グローバル化」という言葉を盛んに口にします。「企業はグローバル化しないと生き残れない」、「地方自治体もグローバル化が必要」、あるいは「大学はグローバル人材を育てるところである」といったように…。しかし、日本人が言う「グローバル化」がどれほど薄っぺらいものかというと、ひとつは「グローバル化」とよく口にする人々が「国際化とグローバル化がどう違うのか?」その区別がついていない。というか、国際化とグローバル化は、実は違うものであるはずだということにさえ気がついていない…。仮に「国際化」と「グローバル化」が同じものならば、何もわざわざ「グローバル化」という新しい言葉を使う必要はなく、今までと同じように「国際化」と言っていれば良いのです。しかし、ここ数年、誰もが「国際化」ではなく「グローバル化」という言葉を使うということは、これまでとは異なる社会現象が起こっているから、敢えて「グローバル化」という別の言葉を使っているはずなんです。

しかし、実際には「国際化」と「グローバル化」の区別がついていない…。留学生が増えたとか、英語を話す機会が増えたとか、Eメールで英語の受発信が増えたとか、外国企業との取引が増えたとか、そういったことがグローバル化かと問われると、もちろん「それはグローバル化ではない」とは申しませんが、かなり表層的なレベルの話だと思います。本日は宗教者の方々の集まりですから、それこそ釈迦に説法だとは思いますが、一般にイスラムの話をする際、誰もが「グローバル化」と言いつつ、イスラム教のシーア派とスンニ派の区別がつく人がどれほど居るでしょうか? 「シーア派とスンニ派は、いったい何が違うのか?」と尋ねた時に、ある程度体系立てて説明できる人がどれだけ居るでしょうか? しかし今世紀半ばまでに、世界最大の人口を有する宗教であるイスラム教のシーア派とスンニ派の区別もつかないまま、どうやってこの国がグローバル化していくのか…。

つまり、グローバル化を語る時に、日本人にとりわけ欠落しているのは「宗教」に対する感覚です。日本人にとって、個々の人間が宗教的であるかどうか、あるいは特定の宗教を信じるかどうかは、憲法が保障する信教の自由の問題であり、心の問題です。けれども、いったん国境を越えれば、いのちがけで宗教を信じている人たちが居る。あるいは、われわれが国境を越えずとも、いのちがけで宗教を信じている人たちがどんどんやって来る。その人たちが信じているところの宗教について、われわれは基本的なことを誤解をしている。それが、これから先、どれほどの摩擦の元になることか…。

ややもすると「日本人は宗教に寛容だ」という人々がいますが、失礼ながら私はまったく違うと思います。むしろ、私は「日本人は宗教に対して無知、あるいは無関心なのだ」と思います。無知や無関心を寛容とごまかしてはいけないと思います。そういう意味で、アメリカにおける宗教構成の変化というものがアメリカの政治や経済にどういう影響を与えるのか、われわれはかなり真剣に受け止めて考えなければいけないと思います。


▼米国における日系社会の衰退

先ほど、「(中南米出身の)ラティーノの人口が増えている」と申しましたが、逆に、いわゆる「白人」と呼ばれる人たちの人口は減っています。現在、米国における白人の割合は全人口の62%を占めていますが、今世紀の半ばには46%となり、過半数(マジョリティ)でなくなってしまいます。したがって、「今はまだかろうじて半数以上居るけれども、やがて自分たちがマイノリティーに転落していく」という、そういう白人の焦りや不安や怒りといったものが、ドナルド・トランプの大統領当選に繋がっていることは言を待たないことです。

日本もそうですけれど、先進国はどこでも若干と言えども年々、平均寿命が伸びています。ところが、先進国の中で唯一アメリカの平均寿命だけが、年々下がっています。しかも、以下の3つの特徴を兼ね備えたカテゴリーの人々の平均寿命が顕著に下がっています。3つの特徴とは何か? それは「白人」、「男性」、「高卒」です。言い方を変えれば、大学を出ていないブルーカラーの白人男性たちですが、それらの人々の平均寿命が着実に下がっています。そして、このカテゴリーは同様に自殺率が増えています。このカテゴリーに属する人たちが、アメリカ社会が抱えている不安を如実に示しています。また、アメリカの人口3億1千万人が世界人口に占める割合はわずか5%に過ぎませんけれども、世界中で生産されている鎮静剤の実に80%を米国が消費しています。いかにアメリカ人が不安の中に生きてるかを示すものです。

少し、切り口を変えてお話ししようと思います。われわれ日本人にとって最近関心の高い問題として、お隣の韓国との間にある、いわゆる「従軍慰安婦問題」があります。わりと最近の出来事ですと、釜山の日本総領事館の前の公道に設置された、いわゆる「従軍慰安婦の少女像」に抗議する形で、日本の駐韓大使と釜山の総領事が一時帰任しておられました。皆様もご承知のことと思いますが、いわゆる「従軍慰安婦少女像」は、韓国だけでなく世界各地で造られつつあります。アメリカにもいくつもできています。アメリカにおける韓国系市民団体の次のターゲットとして、サンフランシスコとアトランタに従軍慰安婦像を建てようとしていますが、それを止めるいかなる根拠もないため、止めようがありません。

米国における多様な問題について解りやすく話す村田晃嗣教授
米国における多様な問題について解りやすく話す村田晃嗣教授

この問題についても皆様いろんなお考えがあると思いますし、この問題を語るだけで1、2時間あっという間に過ぎてしまいますが、アメリカ各地で従軍慰安婦の少女像が造られていくという現象は、ひとつの見方として、今、私がお話ししている人口動態の変化からも説明できます。すなわち、アメリカにジャパニーズ・アメリカン(日系米人)は100万人しか居ませんが、コリアン・アメリカン(韓国系米人)は200万人居り、この差は開く一方です。しかも、ジャパニーズ・アメリカンとは、皆様もご承知の通り、例えば、戦前に和歌山や広島からたくさん移民されています。ハワイも同様です。そうすると、今では4世、5世が中心です。したがって、見かけはわれわれ日本人と変わりありませんが、日本語は話せず、日本に行ったこともなく、日本に格段興味もない人たちもたくさん居ます。ところが、コリアン・アメリカンの方々は、1980年代以降にアメリカに渡られた、新しい移民ですので、まだまだ1世、2世の方々が中心です。そうすると、学校や職場でどんなに英語を流暢に話しても、家に帰れば「アンニョンハセヨ」と韓国語を話し、キムチを食べている。そういう層のコリアン・アメリカンが、ジャパニーズ・アメリカンの2倍居るのです。

しかも、最近は北朝鮮がほぼ毎週のようにミサイルを撃(う)ってくれるので、暢気な日系米人も自分たちが置かれた国際環境がいかに厳しいものか気付きつつあります。例えば東アジアですと、中国、北朝鮮、ロシア、日本、韓国、台湾といった、さまざまな国と国との熾烈なパワーゲームが展開されていることに、さすがに日系人も気付き始めていますが、未だ多くの日系人がまったく鈍感なまま、ジャパニーズ・アメリカン、コリアン・アメリカン、フィリピーノ、ベトナミーズ、チャイニーズ、タイワニーズといった、さまざまなエスニック集団の熾烈なパワーゲームがアメリカ市民社会を舞台に繰り広げられています。このエスニック集団毎のパワーゲームにおいて、日系人は完全に劣勢な立場だと思います。

しかも、この従軍慰安婦のような問題(イシュー)において、韓国系の人々は「われわれは何も日本を批判するためにこの問題を論じているのではない。広く女性の人権を守るために議論しているのだ」といったアジェンダセッティング(議題設定)を行います。そうすると、日系対韓国系の戦いではなく、韓国系にフィリピン系、ベトナム系、カンボジア系、中国系、台湾系、さらには一部の日系人さえも乗ってきて広範な「アジア連合」が形成され、日系の発言権は封じられてしまいます。そういうパワーゲームがアメリカ市民社会の中で展開されています。ですから、抽象的、一般的にアメリカを論じても意味がない訳です。アメリカ社会において、人種、そして宗教の構成が変わりつつあります。


▼性的マイノリティーの問題

さらに、今日のアメリカ、さらにはグローバルな社会を考える上で非常に重要なこととして、性的なマイノリティーの方々の台頭が著しいです。「LGBT」という4文字の略語は、ほとんどの方がお聞きになったことがあると思います。今日のアメリカにおいて性的なマイノリティーを表す用語であるLGBTとは、「レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー」の略称です。日本は5年に一度国勢調査を行いますが、アメリカは国土が広いこともあり、国勢調査は10年に一度行われます。直近の国勢調査は2010年に行われましたが、この時の調査によると、「自分はLGBTのいずれかである」と答えた成人のアメリカ人が、全体の3.7%いました。実数で申しますと約900万人です。しかし、これは自分で答えた人たちであり、成人に限定されています。性に目覚めたティーンエイジャーなどは含まれていません。ですので、実態は5パーセントをはるかに超えていて、その数が二千数百万人にのぼることは間違いありません。いわゆる先進国で、大規模な世論調査を行いますと、だいたい人口の5%が性的マイノリティーであるという数字が、ごく普通に出てきます。

では、わが日本はどうかと申しますと、この問題について国勢調査に類するような大規模な世論調査は行われたことがありませんが、実は3年前に行われた電通総研の調査があります。何故、電通がこのような重要な調査を行ったのかについては後ほどご説明しますが、この調査で日本における性的マイノリティーは、7.6%という結果が出ました。13人に1人です。これは電通の巧みな表現を借りるならば、「日本人の中で血液型がAB型の人、あるいは左利きの人と同程度の割合の性的マイノリティーを日本社会は抱え」ています。しかし、われわれの社会はまだまだ保守的で、そういったマイノリティーに対する差別や偏見があるため、性的マイノリティーの方々が欧米のように表面的に出てこれていないということです。

では、何故、電通が調査を行ったのか? 理由は簡単、お金になるからです。と申しますのは、アメリカのあるシンクタンクの調査によりますと、LGBTと呼ばれる人たちが持っているアメリカ経済への波及効果は83兆円相当で、一大マーケットなんです。LGBTが好むファッション、音楽、映画、さらには保険、旅行、住宅に至るまで、巨大なマーケットを構成しています。それが、電通が関心を持っている理由です。また政治的に見ましても、2011年と2016年に国際連合人権理事会において、「LGBTの人権を守り向上させる」という国連決議が通っています。LGBTの人権を守ることは、国連マターと捉えられた訳です。アメリカでは2015年の最高裁判所の判決以来、全米50の州すべてにおいて、同性愛者が結婚できるようになりました。このこともLGBTに弾みを付けたといえます。もちろん、それはアメリカだけの話ではなく、イギリスやフランスといったヨーロッパのほとんどの先進国において同性同士が結婚できるようになっています。

今度、アジアでは初めて台湾が同性同士の結婚を認める方向で動いています。これは世界的趨勢です。イギリスでは、この間選挙に負けましたが、保守党政権であるメイ政権が今検討していることは、パスポートの性別欄に「男性(male)、女性(female)、その他(other)」を作ると言っています。「イギリスは凄いな」と思われるかもしれませんが、ドイツもインドもブラジルも既にそうなっています。

そもそも性別というものが男女の2つに分かれるというのは20世紀の医学の常識であって、21世紀の医学の常識ではありません。性別は無数のバリエーションを持っており、単純に男女に分かれません。われわれは既にそういう時代に生きているということなんですね。先ほど申し上げた、LGBTの中でも「T(トランスジェンダー)」と言われる方々が、一般にイメージしにくいのではないでしょうか。レズビアンといえば女性の同性愛者のことですし、ゲイといえば男性の同性愛者のことですが、トランスジェンダーとは、ごく単純に言うならば、身体の性と心の性が一致していない人々です。英語で「セックス」という時は身体の性を指し、「ジェンダー」という時は心の性を指します。ここの「セックス」と「ジェンダー」が一致していない人たちがトランスジェンダーです。身体は男だけれども心は女である。あるいはその逆という人たち。アメリカではトランスジェンダーの方々だけで100万人いると言われています。

皆さん宗教家ですから問題ないと思いますが、このお話をしますと「ああ、性同一性障害のことですね…」と、話に飛びつく人がいますが、気を付けていただきたいのは「トランスジェンダー」イコール「性同一性障害」ではありません。「性同一性障害(GID)」は病気の名前です。ですから、トランスジェンダーの人たちを性同一性障害と呼んだとしたら、「あなた方は皆、病人です」と言っているようなものです。これは人権侵害であり、訴えられたら確実に負けます。トランスジェンダーの方々の中で、身体の性と心の性が一致していない結果、そのことで病気になった人が性同一性障害であり、トランスジェンダー全体が病気ではありません。

このトランスジェンダーの問題のみならず、性的マイノリティーの問題に関する日本の人権感覚は相当遅れていますから、われわれは注意しなければなりません。宗教もそうだと思いますが、教育の現場でも、実際いくつもの問題が起こってきています。わりと最近ネットのニュースで流れていたのは、小学校の教室で先生が「誰かオカマが居るのか?」と言ったのですが、実際にLGBTの子どもが教室内に居たため父兄から抗議を受け、後で校長が謝罪したというのがありました。「オカマ」なんて、もう公的な場では言えない訳です。もっと深刻な例が、一昨年に一橋大学の法科大学院(ロースクール)にゲイの学生さんが居られて、その学生さんが同性の友人を好きになり、自分がゲイであることを告白しました。ところが、その彼はゲイではないので、友人の恋愛感情を受け入れられない。それは構わないのですが、後にその友人がゲイであることを仲間内に言いふらしたんです。

これは「アウティング」という人権侵害です。本人が明らかにしたくない事項、例えばある人が在日の韓国籍であることを、本人が自分で言うのは構わないけれども、本人が明らかにしたくない事柄を第三者に対して言いふらすのは人権侵害にあたります。仲間内にゲイであることを言いふらされた一橋大学の院生は、最初に大学のカウンセリングセンターに行ったのですが、カウンセリングセンターもそういった性的マイノリティーのカウンセリングなどほとんどしたことがなかったため、通り一遍のカウンセリングで終わりました。その結果、この学生は大学のビルの屋上から飛び降り自殺をしました。ご父兄が大学の対応が不適当であったことと、アウティングをすることで息子が学校に来れないような環境を作り出したということで、その友人に対して民事訴訟を起こしていらっしゃいます。

これからこのような事件はドンドン起こるだろうと思います。深刻な人権の問題です。では、アメリカでトランスジェンダーの問題がどこまで来ているか? 実は私はそのことがトランプ大統領の誕生と関係していると思っているのですが…。ノースカロライナという州がございます。保守的な州ですが、州都(県庁所在地)がシャーロットという場所で、人口200万人ぐらいですから、日本に置き換えたら名古屋ぐらいの都市でしょうか。日本でもそうですが、田舎は保守的で大都市はリベラルです。


▼トイレ法から判るアメリカの政治地図

このシャーロット市は比較的リベラルな都市ですが、当時としては風変わりな条例を作りました。今お話ししたようなトランスジェンダーの人々が学校や病院や空港や駅といった公共施設のトイレを使用する際、男性用のトイレに行くか、女性用のトイレに行くかを本人の選択で決めて良い条例を作りました。つまり、見た目(身体)は男だけれど心が女性の人は「男性用トイレに行け」と言われると気持ち悪いと感じます。逆に、見た目は女だけれど心は男性の人は「女性用のトイレに行け」と言われると恥ずかしいと感じるかもしれません。ですので、「本人が不快感を感じないほうのトイレに行けば良い」とシャーロット市が条例で定めた訳です。実は、こういう条例を作っているところはシャーロットだけではなく、全米のいろんな市で作られています。

ところが、シャーロット市がこのような条例を作りますと、今度はノースカロライナ州―ここはかなり保守的ですが―が「トイレ法」という法律を作りました。これはシャーロット市の条例と真逆で、「公共施設のトイレを使用する際は、戸籍上の性別に応じて使わなければならない」というものです。つまり、「見た目が男の人は男性用トイレに行け。見た目が女の人は、女性用トイレに行け」ということです。ただ、ノースカロライナ州にも言い分があります。普通に想像すれば分かりますが、「男性用と女性用、どちらでも好きな方に行って良いですよ」となると、性犯罪の温床となる危険性があります。例えば、トランスジェンダーではない普通の男性が「私は心は女です」と偽って女性トイレに行き、そこで痴漢や盗撮行為、場合によってはレイプなどが起きてしまう。そのため、ノースカロライナ州は「トイレ法」という法律を作って、戸籍上の性別に応じたトイレにしか行けないようにした訳です。すると、これは州の法律ですから、ノースカロライナ州に属するシャーロット市の条例は無効になってしまいます。

しかし、今お話ししているのは米国の話です。米国がこれで落ち着く訳がありません。ノースカロライナ州で「トイレ法」が成立したのはオバマ政権の頃でしたが、「ノースカロライナ州のトイレ法は、アメリカ合衆国の憲法が保証する基本的人権を侵害しており、憲法違反に当たる」として、合衆国政府がノースカロライナ州を訴えたんです。ここで、合衆国連邦政府とノースカロライナ州とシャーロット市のトイレを巡る判断がバラバラというきわめて奇っ怪な事態になりました。

何故、私がこのような話をしているかと申しますと、ひとつは、これがトランプ当選のマジックだからです。オバマ前大統領も、落選したヒラリー・クリントン氏も民主党ですが、民主党のインテリ層はどんどんリベラルになっていっています。彼らからすると「身体が男なのだから男性用トイレに行け。身体が女なのだから女性用トイレに行け」という議論は、今から40年前に「お前は肌の色が黒いのだから、黒人用のトイレに行け」と言ったのと同じ差別なのです。身体上の特徴によって人を差別することは絶対に許せないのが民主党のリベラル派です。ところが、これまで民主党を支持してきた「白人、男性、高卒」層の、デトロイトやミシガンやペンシルベニアといった州の自動車工場や鉄工所で一生懸命働いて物を作り、労働組合を通じて長年民主党を応援してきた人たちからしてみれば、「今の民主党のリーダーたちは、トランスジェンダーのトイレの心配はしても、自分たちの賃上げのことは心配してくれない。あんな人たちに頼っていても、自分たちの生活はいつまで経っても良くならない」そして、「民主党のエリートの関心は、マイノリティーのことばかり。やがて弱体化していくマジョリティーは、いったい誰を頼れば良いのか…」という不安。それが、トランプ当選に繋がっていったと思います。

ところで、このノースカロライナ州のトイレ論争が、その後どうなったのか…? 私も調べてみて驚いたのですが、結果はノースカロライナ州がトイレ法を撤廃したのです。その理由は、何も連邦政府に「憲法違反だ」と訴えられビビって撤廃したのではなく、まさに経済の理屈です。カリフォルニア、ニューヨークといった、アメリカで非常に経済力のある州は皆、リベラルです。こういうリベラルで大きな州が「トランスジェンダーで差別をするようなノースカロライナ州には投資をしない。ノースカロライナ州では雇用を創出しない。ノースカロライナ州の企業とは取引をしない」という事実上の経済制裁を科しました。この経済的締め付けに音を上げて、ノースカロライナ州は、ついにトイレ法を撤廃しました。アメリカは、ここまで来ているということです。人種にしても、宗教にしても、今、申し上げたような性にしても、アメリカ社会はどんどん多様化しつつあります。多様化すること自体は悪いことではなく、多様な人権が認められ、さまざまなニーズに応えることになります。しかし、多様化すればするほど、全体の意思形成が困難になります。そして、こういった行きすぎた少数派配慮を息苦しく感じ、耐えられない人々が出てきました。加えて、今は多数派だけれども、いずれ少数派に転落する人々の不安は募ります。これがトランプ現象の背景にある訳ですが、トランプが居ようが居まいが、今申し上げたような多様化の波は、これからも着実に進んで行くだろうと思います。アメリカは、その多様化とそれに対する揺り戻しの中で苦しみながら、これからも進んでいくことになると思います。


▼アメリカの強固な三権分立システム

さて、アメリカの政治の性質について一言だけ申し上げます。ドナルド・トランプが大統領になって5カ月経ちましたが、トランプは大統領選挙の時に「イスラム教徒の入国を認めない」と言い、現に大統領になると直ちに「イスラム7カ国からの入国一時拒否」の大統領令を出しました。日本のメディア的に言うならば「大統領令を乱発」ということになる訳ですが、別に乱発というほどのことではありません。かつて南北戦争の最中に、リンカーン大統領は「奴隷解放宣言」を出しましたけれども、あれは議会に諮(はか)っていませんから大統領令です。また、第2次世界大戦中に、フランクリン・ルーズベルト大統領が、アメリカの市民権を持っているにもかかわらず、12万人の無辜(むこ)の日系アメリカ人を強制収容所に入れましたが、あれも大統領令です。ですから、これまでも、大統領はかなり際どいことを大統領令でやってきている訳です。

ただし、今回のトランプの例で言いますと、トランプが「イスラム教徒の入国禁止」の大統領令を出すと、直ちに連邦裁判所が「違憲の疑いがある」と差止命令を出しました。それでこの大統領令は執行できなくなったのです。さらには、トランプ大統領は選挙期間中に「メキシコとの国境線沿いに壁を造る」ということを言っていましたが、これがどうなったかというと、メキシコとの国境に壁を造った場合にかかる費用を試算してみると、だいたい220億ドル、つまり2兆円をゆうに超えます。そんな金がどこにあるのか…。予算を審議するのは議会ですけれども、議会は2円もの金をそんな壁のために支出する気は全くありませんから、大統領が言うのは勝手ですが、「お金がないので壁はできない」ということで、今日に至るまで壁はまったくできていません。

ここから明らかになることは、アメリカにおける司法・立法・行政の三権分立のメカニズムがいかに強固かということです。しかも、日本人は時として誤解していますが、アメリカ合衆国大統領が持っている制度的な権限はそれほど大きなものではありません。私は日頃法学部で教えていますので、毎年法学部の学生に「アメリカ合衆国憲法を読んでみなさい」と言っています。合衆国憲法なんて短いものですから、深く理解できるかどうかは別として、読むだけの営みで言うならば、ものの30分もあれば読めます。アメリカ憲法も読んだこともないくせに、「アメリカとはこういう国だ、ああいう国だ」とか「どうせアメリカは…」と、通り一遍の議論をする大人が多過ぎます。合衆国憲法すら読もうともせずにアメリカを語ろうとする知的怠慢は恐ろしいことだと思います。もっと言うならば、日本国憲法が占領下でアメリカ憲法の影響の下で書かれたことは周知の事実なのですから、「アメリ合衆国憲法を読まずに本当に日本国憲法が解るのか」ということです。そのため、私はいつも学生たちに合衆国憲法を読むように言っています。

合衆国憲法をお読みいただければ判ることですが、第1条は大統領ではなく議会です。大統領は第2条です。つまり、あの国を作り、あの憲法を起草した「建国の父たち」と呼ばれるトーマス・ジェファーソンやジェームズ・マディソン、フランクリン・ルーズベルトといった人たちは、合衆国議会がアメリカの政治を決めるのであって、大統領は議会が決めた政治を執行すれば良いと考えてきた訳です。つまり建国の父たちからすれば、議会が代表取締役社長であって、大統領は執行役員に過ぎないと考えられてきたのです。そういう意味では、実はアメリカ大統領の権限は、日本の総理大臣の権限より弱いのです。日本の総理大臣は衆議院を解散できますし、予算案を作れます。アメリカの大統領は議会を解散できませんし、予算案だって作れません。予算教書を議会に送りますが、あれは単なるお願いのリストですから、議会はそんなものを全く無視できる訳です。言い換えれば、世界で最も強固な議会、立法府を持っていることがアメリカの特徴と言えます。

三権分立の仕組みが非常に強固ですが、そこへ今話題の「ロシアゲート事件」が出てきました。これも日本のマスメディア的に言うと「すわ、トランプ大統領弾劾か?」という話になる訳ですが、もちろん、今後の進展にもよりますが、アメリカ合衆国大統領の首を取るのはそんな容易なことではありません。簡単に弾劾には至りません。仮に弾劾しようと思ったら下院の過半数で発議して、上院の三分の二以上で決めなければなりません。ところが今の上院も下院も多数は共和党が握っている訳ですから、共和党多数の議会でトランプ大統領を弾劾まで持って行くのは至難の技です。ロバート・ミュラーさんという前FBI長官が特別検察官に選ばれたことで、確かにトランプ大統領は追い詰められていくでしょう。けれども皆さん、昔「ウォーターゲート事件」という、ニクソン大統領が追い詰められたことがあったのを覚えておられると思いますが、ウォーターゲート事件で独立検察官が決まってから最終報告書が出るまで2年2カ月かかりました。それから、レーガン政権の時に「イラン・コントラ事件」というスキャンダルがありましたが、あれなど最終報告書がまとまるまでに6年6カ月かかりました。そうすると、ミュラー特別検察官がこれから調査を始めても、多分最終報告書がまとまるのは2年ぐらい後になります。そうなると、トランプ政権は1期は全うできます。ですので、直ちにトランプが弾劾に追い込まれるというのはかなりアニメチックなものの考え方です。

ですので、私はトランプがすぐに首を取られるような事態にはならないと思いますが、中間選挙は1年半後なんです。2018年11月に中間選挙がやってきます。この中間選挙で、上院の3分の1と、下院の435人は全部改選になります。この中間選挙の結果、もし上院なり下院なり、どちらか一院でも民主党に取られた場合、あっという間にトランプ政権はレイムダック(死に体)に陥ります。上院を野党民主党に取られたら、外国との条約が結べない。閣僚1人が辞めたとしても、閣僚の人事承認権は上院にあるので、後任の人事が決められない。下院を取られたら、予算がまとまらない。ですので私は、にわかに弾劾になってトランプが解任されるという、いわば即死状況ではなく、中間選挙後にどんどんレイムダックになって、老衰死していくというシナリオのほうが、よほど可能性が高いのではないかと思います。

考えられるもうひとつのシナリオ―これはあまり可能性が高いとは思いませんが―、やはり中間選挙で、上下両院のうち、一院だけではなく上下両院とも民主党が勝ち、民主党が多数を取った場合、民主党多数の議会が中間選挙後にトランプ大統領弾劾に動く。この可能性はなきにしもあらずですが、にわかにトランプの首が取られることは、なかなかないだろうと思います。しかしこの「ロシアゲート事件」のスキャンダルは根が深いですから、どんどんトランプ政権が体力を消耗していくことは、おそらく間違いないだろうと思います。


▼語るべき理想がないトランプ大統領

さて、残りの時間で、日本を取り巻く東アジアの状況についても少しお話し申し上げたいと思います。4月末だったと思いますが、中国の習近平国家主席との首脳会談に臨むためにフロリダに向かう機内で、トランプ大統領はシリアに対する空爆を決め、習近平国家主席の度肝を抜きました。しかし、実際にはなかなかしたたかで、事前にロシアにはシリア空爆を通告して、シリア駐留のロシア人軍事顧問が逃げられるようにしてから攻撃し、ロシアをいたずらに刺激しないようにはしています。さらに4月末に北朝鮮が核実験かミサイル実験をやりそうだとなると、直ちにカール・ビンソンという空母を日本海に派遣し、習近平国家主席に「何とかしろ」と圧力をかけました。そして、北朝鮮がミサイル実験をやると「習近平国家主席の顔に泥を塗った」と、中国と北朝鮮を離反させるようなこともやりました。トランプ政権は内政ではほとんど成果が上がっていないけれども、外交に関しては前のウダウダ言うばかりで何もしないオバマ大統領と違って、トランプは迅速に果敢にものを決めて決断するじゃないかという印象を持たせるところがないではない。

ところが、これが言うならば「トランプマジック」なのです。つまり、トランプの場合、初めの期待値があまりに低いですから、ちょっとまともなことをすると凄く立派なことをやったように見える。いわば、マジックが効いている訳です。トランプがやっていることは、外交においても、基本的に何か事態が起こったらそれに対応する「リアクション(状況対応型)」なのです。しかも、全ての行動が単発で、その後が続かないのです。単発の行動は打つけれど、次の手が続かない…。つまり、全体像、戦略がないのです。この政権には戦術はあっても戦略がありません。何故そうなるのか、理由は2つあると思います。ひとつは、トランプ政権には追求すべき利益はあるけれども、語るべき理想がないからです。利益の積み重ねから戦術は生まれるかもしれませんが、戦略は生まれません。理想や理念のない組織に戦略はありません。トランプ政権には理念理想がないのです。

国際情勢について解りやすく講演される村田先生
国際情勢について解りやすく講演される村田先生

今からちょうど30年前の1987年6月に、当時のドナルド・レーガン大統領は西ベルリンのブランデンブルグの門に前に立ち「Mr. Gorbachev, open this gate. Mr. Gorbachev, tear down this wall.(ゴルバチョフさん、この門を開けてください。ゴルバチョフさん、この壁を壊してください)」と呼びかけたんです。30年前に「ベルリンの壁を壊せ」とアメリカの大統領は言いました。そして今、アメリカの大統領は「メキシコとの国境に壁を造れ」と言っています。レーガン元大統領を好きな人も嫌いな人もいますが、レーガンが神を信じていたことは間違いありません。しかし、トランプのボキャブラリーに「神」はありません。神のみならず、トランプのボキャブラリーに「人権」も「民主主義」も「平和」もないのです。理想を語らない政見に、大きな戦略を描けないことは言うまでもありません。これが、ひとつ目の理由です。

2つ目の理由は、これもやや挑発的に言うならば、「トランプ政権」などというものは存在しません。この地球上に「トランプ政権」なるものはなく、居るのは大統領と副大統領と閣僚だけで、後は全く決まっていません。アメリカでは、新しい大統領が決まると、通常4,000人の高級官僚の政治任命をやらないといけません。大統領は4,000人のポストを埋めていくのですが、そのうち特に重要な1.300のポストが、先ほど申し上げた上院の承認が必要です。4,000人のポストを埋めていき、そのうち3分の1を上院で承認してもらうということは、大変手間暇のかかることであり、普通にやっても半年はかかります。ところがトランプ大統領の場合、そもそもワシントンに自前の人脈を全く持っていません。それのみならず、これまでトランプは非常に心が狭く、選挙期間中に自分を批判した人物は、どんなに優秀な人物であってもトランプ政権に入れないという頑なな態度を取ってきました。

そのため、全然高級官僚のポストが埋まらず、閣僚の下が決まっていません。「しかし、現にトランプ政権があるじゃないか。いったいどうやって政権を動かしているのか?」と思われるかもしれませんが、答えは簡単です。次の人が決まるまで、オバマ政権の役人が残留しているだけです。つまり、トランプ政権はがらんどうなのです。シリアにミサイルを打つとか、朝鮮半島に空母を派遣することは軍事行動です。政権が代わっても軍は生きていますから、軍を使った単発の軍事行動はできるのです。しかし、その後シリア問題をどう解決するか、朝鮮半島問題をどう解決するかといった大きな戦略を考えようにも、ペンタゴンにも国務省にも専門家が誰も居ないのですから、そんなものをこの政権で決められる訳がないのです。

今まではトランプが頑なに「選挙期間中に俺の悪口を言った奴は絶対に政権に入れてやらない」と言ってきましたが、「ロシアゲート事件」を境に、今度はトランプの側が「政権に入ってくれ」と言っても、皆は「こんな泥舟の政権に入ったら、自分のキャリアを汚すことになる。どうせこの政権はあと2年で終わるのだから…」と思い始める訳です。「何故、失脚してゆくトランプ大統領と俺たちが一緒に心中しなければならないのか。次の共和党政権で、もっとまともな共和党の大統領が出てきた時に、8年間役所に勤めれば良いじゃないか。俺の履歴書の最後をトランプ政権のスキャンダルで終わりにするのは真っ平御免だ!」そうなると、この政権の後半からはトランプがオープンマインドになって「どうぞ皆さん来てください」と言ったところで、まともな人は来ないでカスばっかり集まる政権になる可能性が高いです。ですので、トランプ政権は、そもそも人事ができていないということになります。


▼米軍による北朝鮮攻撃の可能性

さて、北朝鮮問題ですが、先ほど申し上げたように、4月末に北朝鮮が核実験か弾道ミサイル実験をするのではないか。トランプ大統領は、空母カール・ビンソンを派遣しているから、何しろトランプのことだから、もしかしたらアメリカが北朝鮮を先制攻撃して朝鮮半島有事になるのではないかということで、日本ではJアラートが鳴って、なんと地下鉄まで止まったそうですね。私は別に6月後半になったからこんなことを言う訳ではありませんが、少なくともアメリカの側から北朝鮮を攻撃して軍事紛争が起こるなんて考える人は、言ったらなんですが、テレビの見過ぎです(会場笑い)。いい加減にしてほしいと思います。私は4月末にソウルに居たのですが、そもそも4月末にアメリカが北朝鮮を攻撃するはずなどないのです。当たり前ですよ。4月末に韓国に大統領は居なかったんですから…。韓国の大統領が決まったのは5月です。同盟国である韓国の大統領が居ない時に、どうやってアメリカが北朝鮮を攻撃するのでしょうか。さらに言うならば、あの段階でも今でも、まだ決まっていないため、ソウルにも東京にもアメリカの大使が居ないのです。韓国に大統領が居らず、ソウルにも東京にもアメリカの大使が居ない時に、どうやってアメリカが北朝鮮を攻撃するんでしょうか?

これはよく言われるようになりましたから皆様もご承知かもしれませんが、韓国には4万人の日本人が働いています。そして毎日、2万人の日本人が観光旅行に行っています。つまり韓国には毎日6万人の日本人が居ることになります。アメリカに至っては在韓米軍およびその家族が居ますから、アメリカ人は20万人。そしてその他、数万人のヨーロッパ人が住んでいます。つまり、北朝鮮を攻撃するということは、6万人の日本人と20万人のアメリカ人と数万人のヨーロッパ人の待避計画なしに、そんなことができるはずがないのです。しかも、日本の場合は首都東京の人口が1,350万人ぐらいで日本全体の人口の1割強ですが、韓国の場合はソウルの人口がだいたい1,000万人強ですから、だいたい韓国全体の人口の4分の1の人口が首都ソウルに住んでいます。しかも、その首都ソウルが、38度線から50キロほどしか離れていません。38度線から50キロというのは、ざっくり言うと滋賀県の大津市と神戸市の三宮ぐらいの距離だと思います。ですから三宮の生田新道で呑んでいる人からすれば、大津の向こうに200万人の朝鮮軍が居ることになります。そんな状況でなかなかお酒は呑めませんよね。しかし、そこに1,000万人のソウル市民が住んでいる訳です。

朝鮮半島で有事になった場合、アメリカがまず最初に何をやるかといいますと、徹底した空爆です。徹底した空爆によって、北朝鮮の攻撃能力を除去しようとします。しかし100パーセント北朝鮮の攻撃能力を除去することはできませんから、残存した兵力で北朝鮮は反撃してきます。そうすると、専門家によっても試算がいろいろですが、ソウルの人口の約5〜7パーセントが失われると言われています。ソウルの人口は1,000万人ですから、少なく見積もっても50万人が死にます。そのうちの何万人かは日本人で、何万人かはアメリカ人です。「50万人の民間人が死ぬ」ことを前提として北朝鮮を攻撃できるような人は1人も居ません。「じゃあ、金正恩を1人だけ馘首(かくしゅ)すれば良いじゃないか。CIAはそんなことを計画しているに違いない」と言う人は、映画の見過ぎです(会場笑い)。いい加減にしたほうが良い。北朝鮮には1万を超える地下施設があると言われています。いったんそこへ逃げ込まれたら最後、絶対に見つかりません。「いや、ビン・ラディンの時にも、アメリカの米海軍特殊部隊(ネイビーシールズ)が最後にビン・ラディンを殺したじゃないか」と思われるかもしれませんが、いかに強力とはいえ、一テロ組織のリーダーを殺すのと、2,500万人の国民と200万人の地上軍と核兵器を持った国の国家元首を殺すのでは訳が違います。やり損じたら確実に報復されます。そうすると、韓国で数十万単位の犠牲者が出ます。そんなことはできる訳がありません。絶対に無理です。その意味で、トランプだからいきなり北朝鮮を攻撃するとか、金正恩の首を狙うといって朝鮮半島に緊張が高まる、あるいは軍事紛争が起こるという懸念に関しては、私は全く心配していません。

むしろ、私が心配しているのは、トランプも結局はオバマと一緒で、口では偉そうなことを言いながら、中国の圧力に頼って何もしないのではないか…。何もしないどころか、これからロシアゲート事件がどんどん深刻になったら、ますますスキャンダル対策にエネルギーを取られて北朝鮮どころではなくなってくる。最悪の場合は、このロシアゲート事件のスキャンダルから国民の関心を逸らすために、外交でポイントを稼ごうとして、全く何の中身もないのに北朝鮮の最高指導者である金正恩と会うことだけを目的として米朝首脳会談に臨むかもしれません。「歴史的に初めての米朝首脳会談をやった」というそれだけを成果としてこの政権が終わっていく…。つまり、北朝鮮に軍事攻撃をしかけるというトランプ政権の作為によって日本の安全保障が危うくなるのではなく、結局「トランプも何もしない」という、トランプ政権の不作為によって日本の安全保障がどんどん悪化してしまう可能性のほうがよほど高いのではないかという気がします。


▼レッテル貼りは禁物

今、北朝鮮は30発前後の核弾頭を持っていると言われています。これは秘密でもなんでもありません。少し言葉が解りにくいかもしれませんが、アメリカにとっても日本にとっても韓国にとっても北朝鮮政策の最大のポイントは「北朝鮮が核を保有していることは皆知っているけれども、その事実を誰も認めていない」点です。如何なる国も公式には認めていません。この状況を続けていくのか、それとも北朝鮮が核を持っていることは皆知っているのだから、「北朝鮮は核保有国である」と認めた上で北朝鮮に向き合うという方向転換をするのか。そう言うのは簡単ですが、北朝鮮を核保有国と認めるというのは大変なことです。北朝鮮をいったん核保有国と認めた上で、北が持っている核弾頭を減らすように交渉する。まずは、これ以上増やさないように凍結する。そして凍結した後には、今持っている核弾頭を減らすよう交渉する。

そういう今までの政策の大転換ができるのかということです。現在のトランプ政権にそのような政策転換は、なかなか困難なのではないかと思います。そうすると、この4年間のトランプ政権でも無作為が続いたら、現在の30発程度の核弾頭が、やがて40、50になっていく。さらには90、100発になる。これが何を意味するかというと、保有する核弾頭が40、50発になるということを有り体に言うと、北朝鮮がイスラエルになるということです。そして90、100になるということは、北朝鮮がパキスタンになるということです。われわれの隣国がパキスタンになるかもしれないというギリギリの所に、今われわれは居る…。非常に厳しい状況であると言わねばなりません。

ところが、そういう中で、韓国では朴槿恵(パク・クネ)政権が失脚して、文在寅(ムン・ジェイン)政権になりました。私は、文在寅だからといって「反日で親北だ」というレッテルを貼るのは止めたほうが良いと思います。これは、日本人に限らず素人が外交を論じる時の悪い癖ですけれど、まずレッテルを貼ってものを見ようとします。レッテル貼りを先にやると、自分が貼ったレッテルに合わない情報は受け入れなくなり、自分が貼ったレッテルを補強する情報ばかり集めて「そうだ、そうだ!」と、集団的思い込みが深まっていくのです。これは微妙なニュアンスや微妙なバランスを何よりも重要とする外交という営みにおいて最低のことです。「文在寅政権は反日で親北だ」というレッテルを貼るのは「安倍政権が右翼だ」という風に、中国や韓国がレッテルを貼っているのと同じことをわれわれがやっているのです。それはすなわち、想像力や柔軟性の欠如です。

実際、韓国の中に親北も反北もありません。金正恩政権が素晴らしいと思っている人が居る訳などないのです。「万歳(マンセー)!」と言いながら暮らして一歩間違えれば強制収容所に入れられるような生活が望ましいと思っているような人は、いくら韓国の左翼と言えども居ません。韓国における親北と反北の違いは何に由来しているのかと言いますと、「北朝鮮のような社会でも経済交流や文化交流を進めれば、もしかしたら変わるかもしれない」という一縷(いちる)の望みを持っている人たちと、「いや、あの社会は決して変わらない」と思っている人たちの対立、つまり北朝鮮社会の可変性に対する評価の差なのです。ですから、われわれも外国にレッテルを貼って考えるのはやめたほうが良い。ただ、当面の間は日韓の協力、さらには日米韓の協力が難しくなることは言うまでもありません。

国際情勢について解りやすく講演される村田先生
国際情勢について解りやすく講演される村田先生

アメリカにドナルド・トランプという、非常に予測が困難な大統領が登場しました。韓国は政権交代で文在寅政権が発足し、少し前ですが、昨年(2016年)の10月にタイのプミポン国王が崩御されました。つまり、東南アジアですら、これからはどちらに向かうか判らない。タイやフィリピンといった、本来はアメリカの同盟国であり、日米の側に与(くみ)すべき国が、経済的にも外交的にも、さらには安全保障の面でも、場合によっては中国に向いていってしまう。全体的に見れば非常に厳しい状況下にあります。さらに中国は、2つの大きな戦略目標の年―2021年と2049年―を持っています。それぞれ何があるかというと、2021年は、中国共産党の結党百周年で、2049年は言うまでもなく、中華人民共和国の建国100周年です。中国は、この2021年から2049年にかけて、アジア太平洋地域からアメリカの影響力を排除し、中国がこの地域で排他的な影響力を確立する。それが今世紀半ばまでの中国の中長期の戦略目標であるはずです。

それに対してわが日本は、2020年に国家目標を失います。この国には東京オリンピックまでしか国家目標がありません。東京オリンピックを超えて、この国をどうするのかといった、いかなるビジョンも描かれていません。わが国が東京オリンピックを終えて抜け殻のようになった時、おそらく中国が本格的に今世紀半ばまでにアジア太平洋での覇権の道を邁進する。しかも、おそらく2030年前後に中国のGDPがアメリカを抜きます。これは経済学の問題ではなく、単純な算数の問題です。2010年に中国のGDPが日本を抜き、中国が世界第2位の経済大国になりました。そして2017年の今日までのわずか6年ほどで、中国のGDPは日本の2.5倍にまで膨れ上がりました。やがて中国のGDPがアメリカを抜くことは時間の問題ですが、それが2029年なのか、2030年なのか、2031年なのか、2032年なのか…。

そうすると、もし中国のGDPがアメリカを抜くと、人類の歴史で初めて発展途上国が世界一の経済大国になるのです。これは人類史に対する挑戦であります。そういった非常に厳しい戦略状況の中に、われわれは居るということです。そういうことをあらためて振り返り、われわれに何ができて、何ができないのか…。しっかり検証しながら前に進む、ギリギリのところにわれわれは居ると思います。具体的にどうするかは言い出したらキリがないので時間の関係で申し上げませんが、本日は宗教家のお集まりにお話しさせていただく機会を得たので、最後に特に申し上げたいことがあります。


▼寛容は不寛容に対しても寛容であるべき

今、ドナルド・トランプの言動に対して、多くの人が驚きや怒り、あるいは失望の念を持っています。イスラムの人たちを排除し、メキシコの人たちとの間に壁を築こうと言ったり、あるいは人種差別的・性差別的な発言を繰り返すドナルド・トランプの狭量な言動に対して、多くの人は顰蹙(ひんしゅく)の念を持っています。しかし、わが日本は本当に大丈夫なのでしょうか? われわれの中にトランプは居ないでしょうか? 一昨年の日本の国論を大きく割った平和安保法制の時もそうでしたし、近年で言うならばテロ等防止法(組織的犯罪処罰法改正案)を巡ってもそうですし、あるいは、さまざまな学校法人を巡る騒動にしてもそうですけれども、日本国内の政治状況も、自分と異なる意見、異なる立場の人たちに対して著しく不寛容になっている。異なる立場同士の対話や意見の交換が非常に困難な状況がある。

それは何も政治家だけの話ではなく、マスメディアや学者のレベルでもそのようなことが起こっているのではないか…。平和安保法制に賛成の方も反対の方も居られますし、憲法についてもいろんなお考えの方が居られます。そんな中、一昨年の夏に安倍内閣の安保法制を批判する東京大学法学部を出た有名私立大学のある著名な政治学者が、国会前のデモでマイクを持って「安倍、お前は人間じゃない。叩っ切ってやる!」と言ったのには私も驚きました。驚くべき知的狭量です。しかし、こういった不寛容の精神が、実はこの国の中にもじわじわと広がっているのではないか…。

ここで私が思い出すのは、カトリック信者であり、東京大学フランス文学の教授である渡辺一夫という著名な学者です。彼は大江健三郎の先生でもありました。この渡辺一夫は非常に滋味溢れるエッセイを残したことでも知られていますが、渡辺のエッセイの中で私が最も好きなものは「寛容は不寛容に対して自らを守るために、不寛容に対して不寛容になるべきか」です。渡辺の答えはもちろん「ノー」です。寛容は寛容でなければならない。渡辺自身はカトリック信者でしたから、キリスト教を例にとり「古代ローマ帝国は、必ずしも宗教に対して不寛容ではなかった。ところが、古代ローマ帝国がキリスト教迫害に走った。古代キリスト教は『自分たちの教えだけが正しい信仰であって、自分たちの生き方だけが神に選ばれた生き方であって、その他の宗教は非常に遅れた宗教であって、汚れた生き方である』という、高踏的あるいは排他的な態度をとった。つまり、古代キリスト教の側が極めて不寛容な態度を取ったことが、権力の側であるローマ帝国の不寛容を生み、キリスト教徒への迫害を生んだ。不寛容が不寛容を生む。だからこそ、寛容は不寛容に対しても寛容であり続けなければならない」。さらに渡辺はこう言っています。「人類の歴史は、多くの場合が寛容と不寛容の戦いである。そして寛容と不寛容の戦いでは、多くの場合、不寛容の側が勝つ。何故ならば、不寛容は攻撃的であり、寛容には説得と自らを反省する力という、たった2つの武器しかないからである。したがって、寛容と不寛容の戦いでは、しばしば寛容が敗れる。それでも、われわれは寛容でなければならない。そして最も恐ろしいことは、寛容が不寛容と戦う内に、ふと気が付くと自分自身が不寛容になってしまっている。そのことが一番危険なことである」と…。

実は日本を取り巻く、あるいは日本国内の政治・思想・言論状況も、小さなトランプをたくさん抱えた不寛容な状況に近付きつつあるのではないか。そういう自戒の念を持ちながら、アメリカで今、起こっていることをできるだけ正確に理解し学ぼうという姿勢が必要なのではないかということを申し上げまして、お約束の時間になりましたので、ここでいったん話を終えさせていただきます。どうもご清聴有り難うございました。


(連載おわり 文責編集部)