平成神道研究会で御嶽教本部と犬鳴山を訪問

04/21〜22

 4月21・22両日、三宅善信代表は、平成神道研究会の一員として、奈良市の御嶽教本部と大阪府泉佐野市の真言宗犬鳴山派本山を訪問した。


「御嶽教」は、江戸時代に盛んであった修験道と結びついた山岳信仰の木曽御嶽山信仰の講社を元に結成された教団であり、明治時代、いわゆる「教派神道十三派」のひとつとして、1882年(明治15年)に政府から「独立した教団」として公認された由緒ある教団である。因みに、ほぼ同じ幕末期に立教された黒住教は1872年、金光教は1900年、天理教は1912年にそれぞれ、「独立した教団」として明治政府から公認されたことからも、当時、相当の教勢を誇る教団であったことが判る。


大和本宮の正面で村鳥邦夫管長と三宅代表

御嶽教は、一教独立した折には、東京にその教団本部を置いたが、太平洋戦争の戦禍を避けるために、御嶽信仰の霊場である長野県木曽福島町の御嶽山登山口に本部(現、木曽大教殿)を置くも、近年施設が手狭となり、1965年に神武天皇即位の由緒地奈良橿原の地に近い現教団本部所在地に「御嶽山大和本宮」を建設し、教団本部となした。

三宅善信代表は、4月21日、この御嶽山大和本宮を訪問し、第12世管長村鳥邦夫師祭主の下に行われた正式参拝に参列。その後、同教団本本部の諸施設を見学すると共に、村鳥管長と教派神道の教団が抱える諸問題等について、平成神道研究会の会員と共に親しく意見交換を行った。


  翌22日は、「修験道発祥の地」として知られる葛城山系(大阪府・奈良県・和歌山県の県境)の犬鳴山に鎮座する真言宗犬鳴派大本山七宝瀧寺に、東條仁哲管長を表敬した。「葛城修験」は、現在「修験道」の聖地として知られる吉野(奈良県)、熊野(和歌山県)、聖護院(京都府)の各地よりもさらに発祥が古く、役行者が最も初期に山中を巡った場所として知られている。


東條仁哲管長親修による葛城修験の護摩供

  三宅代表は、早稲田大学の体育会出身でスポーツマンとしても知られる豪放磊落な東條管長と近年親しく親交しているが、この日は、初めて「修験の護摩」を体験し、管長の須弥壇の真横で、その秘儀をつまびらかに拝見するという幸運に恵まれた。力強い護摩法要を体験した後、七宝瀧寺の奥にあるお滝場を見学、あいにくの雨天にもかかわらず、多くの人々の真剣な滝行を見学。その後、管長執務室で、倶利伽羅不動尊をご本尊とする葛城修験の護摩の修法についての解説を受けた。 


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