三宅善信代表『地蔵フォーラム』に出演

08年2月24日 

 2008年2月24日、神戸市の甲南大学において、神道国際学会第12回神道セミナー『映像で見るお地蔵さんと地域社会 〜民間信仰共同研究会七年の歩みから〜 』が開催され、三宅善信代表がコメンテーターの一人として参加した。開会に当たって、甲南大学CDC代表の平松闊文学部教授と、神道国際学会会長の薗田稔秩父神社宮司の両名が挨拶を行った。


甲南大学コミュニティー・デザイン・センターで開催された神道セミナー

  まず、第一部として「地蔵と地域社会を考える」という共通テーマで、森田三郎甲南大学文学部教授が『地蔵を通して地域社会の変化を探求する民間信仰共同研究会の歩みとテーマ設定の趣旨について』と題して、また、写真家の神谷潔氏が『スライドショー京都の地蔵盆を撮り続けて』と題して、さらに、DNPメディアクリエイト関西の長尾智子氏が『化粧じぞうを考える〜京都と小浜』と題して、それぞれ日頃の研究成果を発表した。

  昼食休憩を挟んで、第二部として「地蔵盆行事を考える――ビデオ作品とスライドを中心に」という共通テーマで、鈴木岳海立命館大学映像学部専任講師が『京阪神の地蔵盆』と題して、また、福持昌之滋賀県愛荘町愛知川観光協会事務局長が『湖東のお地蔵さんと地蔵盆:イエ地蔵・クミ地蔵・ムラ地蔵』と題して、さらに、大森泰宏立命館大学映像学部長が『戸隠神社の地蔵盆〜神も仏も……』と題して、研究発表と行った。

  この後、第三部として、村瀬智大手前大学メディア・芸術学部長の司会進行で、パネルディスカッション『地蔵盆と共同体の宗教文化を考える』が行われ、コメンテーターとして、三宅善信レルネット代表(神道国際学会常任理事)と、マイケル・パイ大谷大学客員教授(マールブルク大学名誉教授)と、薗田稔秩父神社宮司(京都大学名誉教授)の三名が意見を戦わせた。なお、三宅代表のコメントの概要は、以下のとおりである。


パネリストを務める三宅善信代表


『「顔見知り」共同体の宗教的空間』

 どの民族にも独自の宗教文化があるが、その多くは、モスクや教会や寺院といったある程度大きな規模を有する専用の施設で行われる「公的宗教」である。もちろん、日本にも神社や寺院や新宗教の大きな宗教専用施設が多数存在するが、一方で、日本人の日々の宗教的営みにとって、前者以上に重要な存在と言えるのが、約90cm四方の畳半畳分の空間に集約された仏壇やお墓である。これらは、「家」という血縁共同体に密接に結びついた私的な宗教的空間である。

 言い換えれば、前者は、長い期間、日本人にとって「公的領域」であった「村」(政党の内の派閥や業界の寄り合い談合体質も「村」と称される)を代表する公的空間である。稲作農耕民族であった日本人にとって最も大切な公的価値は、「正義」ではなく「秩序」であることは言うまでもない。

ところが、この著しく性格の異なる両者を繋ぐ中間的領域として存在するのが、「お地蔵さん」である。ここで言う「お地蔵さん」とは、大乗仏教の教義で説かれるクシティガルヴァとしての地蔵菩薩とは、似て非なるものであることは言うまでもない。仏教寺院の本尊や脇士として祀られた地蔵菩薩や、墓地の入口に祀られた六地蔵などとは明らかに性格を異にする。

 ほとんどの「お地蔵さん」は、個人の所有地内に祀られているが、家屋の内側ではなく、公的な空間である道路(路地)に向かって祀られており、90cm四方の空間を占有しているという点から見ても、たいてい法的には個人の所有物であるが、その「お地蔵さん」をお世話する人は、ご近所のおばあさんであったりすることのほうが多い。

 ここに、公と私との中間領域としての「顔見知り」共同体の宗教的空間が形成される。京阪神地域の都市部においては、かつては、この「顔見知り」共同体の連帯を維持するための装置として、毎年夏の終わりに地蔵盆が行われた。同様の機能を果たすものに京都の祇園祭の際の「鉾町」などが挙げられる。現在でも、なんとか残っている「顔見知り」共同体の連帯を維持するための非日常的装置としては、葬儀の際の手伝いがある。


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