ワシントンでG8宗教指導者サミットに出席察

2012年5月17日

    2012年5月17日、アメリカ合衆国の首都ワシントンDCのジョージタウン大学を会場に、「G8宗教指導者サミット2012」が開催され、開催国アメリカを中心に二十数名が出席し、限られた時間内であったが、密度の濃い熱心な討議が行われた。私は6年連続の出席者として、本サミットの継続に責任を負う立場となった。


▼ワシントンへの遙かなる道

  2007年にドイツのケルンで開催されたG8宗教指導者サミットに初めて参加して以来、毎年、G8主要国首脳会議の直前に開催されるG8宗教指導者サミットのために予定を空けているが、開催(ホスト)国によっては、日本やカナダのように半年前に開催案内を送って来る国もあれば、2009年のイタリアのように開催わずか2週間前になってから送ってくる国もあって、毎年気が気でないが、果たして、今回のアメリカは「イタリアよりはましだろう」とは思っていた。しかし、3カ月以上前から「開催案内はまだか?」と何回もリクエストしたが、何の音沙汰もなく、2010年度のホスト事務局長を務めたカナダのカレン・ハミルトン博士たちとも「いったいアメリカはどうなっているのか?」と嘆いていた。

  ただ、このG8宗教指導者サミットの枠組みは、他の諸宗教対話団体とは異なり、常設の事務局やスタッフを置かずに、毎年、開催国が持ち回りで世話をすることになっており、いろんな意味で「お国柄」も出るし、何よりも、より多くの人々(教団組織)が国際規模の宗教対話会議の準備に関わることにおいて、その重要性を自覚することができるので、単なる会議の参加者として、2、3日の間だけそのようなことを考えるよりもはるかに宗教対話や現代世界が抱える問題に対して宗教者としてどうあるべきかを考える良い機会になる。

  しかし、それにしても今年のG8宗教指導者サミットの開催案内は遅すぎた。その日程が、5月16日の歓迎夕食会から始まるというのに、開催通知が私の元にもたらされたのは、なんとわずか4日前の5月12日の深夜のことであった。しかも、その時、私は、13日の午前中に仕えられる常盤台教会の大祭に親先生の名代として列席するため、すでに上京中であったが、たまたま留守を預かるスタッフの一人が私宛に着信している英文のメイルに気づいて情報を転送してくれたので、なんとかすることができた。とは言っても、日曜の早朝に営業しているツーリストなどないから大変であったが、親先生のご尽力とインターネットをフル活用して、開催地であるワシントンDC行きの航空券の予約が取れた。

  最近は、航空券もビザ申請等も電子化しており、かつてのように「印刷された切符」の類はなくなり、空港に自分のパスポートさえ持って行けば、航空券やビザ等の情報はすべて先方(航空会社や出入国管理官)に事前に伝わっているが、その項目の中に「現地滞在先(通常はホテル)」も含まれており、その意味でもホテルは事前予約しておかなければならない。ところが、「航空券さえ予約できれば(ワシントンDCは大都市なので)ホテルはなんとでもなる」と思っていたが、実際にネットを通して検索してみたところ、ワシントンDCどころかその周辺(註:合衆国の首都ワシントンDCは、もともと何もなかった森に、わずか10マイル四方を切り拓いて計画的に造られた公園都市で、その周り三方はメリーランド州に囲まれており、国防総省(ペンタゴン)や国立アーリントン墓地は、桜で有名なポトマック川の対岸のバージニア州にある)の町のホテルは皆「満室」で、中には通常料金の数倍のぼったくりレートを提示しているホテルもあった。

  ワシントンDC郊外のキャンプデービッドでG8主要国首脳会議が開催されるので、世界中から集まる各国政府随行団やマスコミ関係者で一杯であろうことは予想していたが、それにしても、そのような人が泊まりそうにない場末のモーテルのようなところまで「満室」なのは合点がゆかない…。その理由が、こちらへ来て判った。現地にある2つの有名な大学(ジョージタウン大学とジョージワシントン大学)の卒業式がちょうどこの時期と重なっているようである。アメリカの大学の卒業式は一大イベントで、卒業生と両親だけでなく、卒業年度毎の吉祥(10周年とか25周年とか)の同窓会(リユニオン)も併せて開催されるから、数万人の関係者が集うのである。

  私の場合、今年度のG8宗教指導者サミット事務局からの連絡は悪かったが、会場を提供したジョージタウン大学の有力教授の知人がいたので、彼女に協力して宿を探してもらうことにした。彼女はキャサリン・マーシャル博士といい、数年前までワシントンDCに本部を置く世界銀行の総裁顧問を務めた傑物で、2008年に大阪・京都で開催されたG8宗教指導者サミットでは、アイルランドのメアリー・ロビンソン大統領のメッセージを代読してくれたし、昨年、私が常任理事を務める神道国際学会が南紀熊野で開催した国際シンポジウムにも、基調講演者の1人として参加してくれたほど親しい関係である。土曜日の深夜に突然届いた招待状の文中に、16日の歓迎夕食会が彼女の招待宴であることを発見したので、何か有力な情報を持っていると思って、早速、フェイスブックを通じて尋ねたら、週末であるにもかかわらずいろいろと手配に骨を折ってくれた。おかげで、通常料金の3.5倍ではあったが、大学に近いホリデイ・インに、出発前日に部屋を確保することができた。これで、eチケットと宿泊予約表があるので、実際に飛行機に乗れる。こうして、伊丹発、羽田から陸路で成田へ移動、成田発ワシントンDC行きの機上の人となることができた。

▼自己犠牲が人を動かす

  こうして、私を乗せたユナイテッド航空機は、5月16日の夕方、ワシントン郊外のJ・F・ダレス国際空港に到着した。合衆国の首都ワシントンDCには、他の世界の主要都市同様、国際線を主体とした空港と国内線を主体とした空港が2つあるが、ニューヨークのJ・F・ケネディ国際空港のように、名前を冠せられてもよさそうな歴代大統領が何人もいるにもかかわらず、その国際空港の名前は「ジョン・フォスター・ダレス国務長官」の名前が冠せられている。ダレス国務長官はそれほど傑出した人物であるが、ダレス長官と大恩師親先生との関係は、因縁浅からぬものがある。昭和二十二年(1947年)1月という終戦からまだ1年半しか経過していない時期に、時の同志社総長牧野虎次先生や一燈園の西田天香先生らと共に、大恩師親先生は国際宗教同志会を創設されたが、牧野先生の前任者で戦時中に同志社総長をされていた湯浅八郎先生の紹介で、大恩師親先生はダレス国務省顧問と知己を得られたのである。

  昭和二十八年(1953年)の第1回御神願外遊で、欧米各国を訪れられた大恩師親先生は、既に国務長官となられていたダレス氏と再会されたのである。ダレス長官への取次ぎを依頼した駐ワシントン日本大使館員は、大恩師親先生に「あなた頭おかしいんじゃない? ダレス長官といったら、(敗戦国日本の)天皇陛下より偉い(占領軍総司令官の)マッカーサー元帥よりも、もっと偉い人なんですよ!」と、変人扱いされたそうである。ところが、大恩師親先生の来訪を知ると、米国とオーストラリアとニュージーランド3カ国間の安保条約(アンザス同盟)の締結交渉中であるにもかかわらず、大恩師親先生のために特別車を出されて歓迎されたそうである。取るに足らないような敗戦国日本の一宗教家が、戦勝国アメリカの国務長官と互して世界平和の問題について真剣に語り合うなどという場が、これまでの歴史であり得たであろうか…。そのことを考えれば、経済的には圧倒的に恵まれた場にある現在のわれわれにできないことなどあろうはずがない。もし、できないことがあるとすれば、それは明らかにわれわれの怠慢である。私は国際会議に参加する際、常にそのような心がけで向かうことにしている。

マーシャル博士宅で行われた歓迎レセプションのひとこま
マーシャル博士宅で行われた歓迎レセプションのひとこま

  私はホテルへ荷物を置くなり、K・マーシャル博士主催の歓迎夕食会の会場へと向かった。タクシーに所在地を告げて行ってみると、なんとそこは、大学やレストランなどではなく、マーシャル博士の自宅であった。翌日の会議に参加する人の半分ぐらいの人(地元の参加者は当日、直接会場入りする)が来ていたが、食堂のテーブルの上に大皿で盛られた家庭料理を各自が紙製のプレートに取り分け、応接間やテラスなど思い思いの場所で適当に話し相手を見つけて食事をするという典型的なアメリカ式のホームパーティーであったが、アメリカ人からすると、高価なホテルやレストランでする晩餐会よりも、このような自宅へ招くホームパーティーのほうが「より相手をもてなしている」という表れである。ちょうど、G8主要国首脳会議が公式のホワイトハウスや国際会議場ではなく、キャンプデービッドのような、より「私的な」施設で行うのが、相手への親密さを表現しているように…。この日の夕食会に参加していた人々の顔ぶれを見て、何人かは知っている人がいたが、ほとんどは新顔で、しかも、私と国際神道財団ニューヨーク駐在員の中西正史氏を除くと、ほとんど“外国人”の姿が見えないことが気になった。

  そこで、今回のG8宗教指導者サミットのホストを務めたバド・ヘックマン師と初めて対面した。もの凄く早口で喋るヘックマン師は私より10歳くらい若く見えるが、これまでまったく聞いたことのない名前だった。先方から挨拶してきたので、早速、こんなギリギリの案内になった準備の不手際を問題にした。すると、彼は「実は3カ月前には、G8宗教指導者サミット2012をシカゴで開催することがすっかり決まっており、地元宗教界の協力も取り付けて準備万端整っていたのだが、ホワイトハウスが急にG8首脳会議の会場をシカゴからキャンプデービッドに変更したのだ」と説明したので、「これまでのどのG8宗教指導者サミットも、政府主催の首脳会議の開催都市と宗教指導者サミットの開催都市とは異なってきた。日本のときも、宗教指導者は大阪・京都で首脳会議は北海道洞爺湖で昨年のフランスでも、宗教指導者はボルドーで首脳会議はドーヴィルだった。開催地が異なるほうが常道だ」と私が指摘したら、「アメリカにおける諸宗教対話はニューヨークなど東海岸に偏っている。連邦政府に近いワシントンDCで開催しろ」と皆が言うというのである。「だから、いったん整っていたシカゴ計画がご破算になったので、このような不手際になり、また予算もないから大学の施設を借りることになった」と言い訳した。だからといって、4日前の案内は遅すぎる。

  私は「何故、金も出さないくせに注文(ワシントンDC開催)だけつける奴の言うことなんか聞く?」と突っ込んだが、ヘックマン師からは納得のいく回答が聞けなかった。私は、眼前の人の決意のほどを、たとえその人が何国人であろうと、何を仕事にしていようと、簡単に識別する方法を知っている。それは、その人がその問題に対して自腹を切る用意があるかないかですぐに判る。いくら立派そうなこと(提案)を言っていても、「ところで、あなたはいったいいくら拠出するおつもりですか?」と尋ねて、お茶を濁すようであれば、その人の発言はポーズに過ぎない。「自己犠牲のないところに本気はない」これは、30年以上諸宗教対話の現場に身を置いてきて確信した最も確かな事実である。本気がなければ、人を動かすことはできない。人を動かすことができるのは、「立場」や「立派な意見」などではない。

▼信仰に基づく……

  5月17日朝、ジョージタウン大学バークレイ宗教・平和・世界センターの会議室で、G8宗教指導者サミット2012が開幕した。まず、今回のホスト役を務めたWCRPアメリカ委員会のバド・ヘックマン理事長が開会を宣言し、今年度の大会会場を提供した同センターのトム・バンチョフ所長が歓迎の辞を述べ、私が開会の祈りを行った。今回のG8宗教指導者サミットは、直前に合衆国政府が主要国首脳会議の開催地を変更することに伴う混乱による開催通知の遅れで、従来の欧州からの常連メンバーがほとんど参加せず、参加者は主にアメリカとカナダの宗教者および政府・国際機関関係者中心になった。その意味でも、日本からの唯一の参加者であり、かつ、6年連続参加という過去の経緯を知り尽くしている私の参加には大きな意義があり、無理をしてでも今回参加した意味は大きかった。

バークレイ宗教・平和・世界センターで開催されたG8宗教指導者サミットで6年連続最多参加者として発言をする三宅善信総長
バークレイ宗教・平和・世界センターで開催されたG8宗教指導者サミットで
6年連続最多参加者として発言をする三宅善信総長

  とは言っても、「悪いところ」ばかり探っていても致し方ない。今回のサミットの現状を踏まえた上で、そこでできる最も有効な手だてを考えてゆくのが“プロ”である。今回のサミットで良い点と言えば、首都で開催されたということで、連邦政府の役人と連絡を密にできる(=サミットの決議事項をより具体的政策に反映させやすくなる)と言うことと、大学という会場を用いたことで、アカデミズムとの連携も良くなるということである。果たして、このような点でどれだけの成果が得られるかが、今回のサミットの正否に関わると思われた。

  その成果のひとつは、冒頭から現れた。合衆国国際開発庁「信仰に基づく共同体形成局」のマーク・ブリンクメラー局長とジョージタウン大学ウッドストック神学センターのトーマス・リーズ上級研究員が、現代世界におけるそれぞれの問題意識について基調講演を行った。アメリカでは、「住宅バブルの崩壊(いわゆるサブプライムローン問題)」以来、そして、世界では、2008年秋のリーマンショック以来、国際金融市場がすっかりその信用を失い、さらにこれに加えて、ギリシャの放漫財政に端を発する欧州の共通通貨ユーロの信用不安が顕在化する中、G8各国政府の関心は完全に、国際金融秩序の維持や各国経済の立て直しに向いてしまい、2000年に世界百数十カ国の首脳が国連本部に一堂に会して高らかに宣言した『MDGs(ミレニアム開発目標)』の達成期限が2015年に迫る中、ほとんど何もできていないという危機感が、宗教界と官界・学界で共有された。

  これに続いて、この宗教サミットに唯一6年連続で参加し、また、2008年に大阪・京都で開催されたG8宗教指導者サミット2008の事務局長も務めた経験のある私が、過去のG8宗教指導者サミットの経緯ならびに、宣言文作成および当該国政府への提出の手順等について基調講演を行った。私はまた、「MDGsの達成と共に、地球温暖化ガスの排出規制も全く進んでいない」ことを取り上げ、「より快適で、より豊かな生活を至上の価値とする政治や市場経済の論理だけでは、MDGsの達成も気候変動の防止も絶対にできない。そこには、禁欲や自己犠牲を説く宗教の関わりなしには、解決策はあり得ない」と述べた。

  この後、事務局が作成し、直前にメイルで配信した「宣言文」草案を読み込み、それぞれ異なった宗教的・文化的背景を有する人々の手によって問題点を明確化するために、数人毎の分科会に分かれて一行一行査読を行い、修正案を検討した。このディスカッションを通して興味深かったのは、どうしても、欧米の一神教の人々は、人間以外のあらゆる生きとし生けるものへの悪影響が計り知れない地球温暖化問題なんかにはほとんど関心がなく、「飢え」や「貧困」といった極めて人為的な倫理に関わる問題こそが宗教者や政治家の真剣に取り組むべき問題であるという視点でしか発言しないという点であった。

  昼食休憩後、各分科会からのフィードバックに基づき、全体で「宣言文」案を検討、また、スカイプやツイッター等の最新の情報通信技術をフル活用し、実際にこの場に来ることが叶わなかった世界中のG8宗教指導者サミット経験者からも、あたかもこの場に参加しているようなオンタイムでディスカッションに参加してもらった。一神教は、偶像を否定し、現世利益的儀礼を拒否する「言葉の宗教」なので、宣言文の作成となると皆、燃える。とにかく、「on」「at」「for」といった、日本語で言えば「てにをは」に当たるようなことの推敲には皆、血道を上げて食いついてくる。この元気を何故、それぞれが分担する貢献金といった自己犠牲に関する部分で発露しないのか不思議なぐらいだ。私なんか「100の立派な言葉より、たとえ100ドルでもよいからポケットマネーを出せ」と思うのだが…。

合衆国農務省の「信仰に基づく隣人愛パートナーシップ」局のマックス・フィンバーグ局長と挨拶する三宅善信総長
合衆国農務省の「信仰に基づく隣人愛パートナーシップ」局の
マックス・フィンバーグ局長と挨拶する三宅善信総長

  さらに、合衆国農務省の「信仰に基づく隣人愛パートナーシップ」局のマックス・フィンバーグ局長が、合衆国の食糧支援システムについて基調講演した。今回初めて知ったことであるが、アメリカの連邦政府には、各省庁にこのような「Faith-based(信仰に基づく)○○」という部局があるということである。アメリカは、合衆国憲法修正第一条に、日本よりも厳格な「政教分離」が規定されている国家であるのに、「良いこと」をするのに、宗教団体と手を組むことを躊躇しない国である。一方、日本の官僚は宗教界の意見を聞くどころか、宗教家と同席することすら唾棄している。政治家の一部には、宗教界と良い関係を保っている人々が居るが、その理由は、宗教家の意見を聞くというよりは、選挙の際の「票」目当ての感が否めない。

  さらに、西暦2000年に生まれた「ミレニアム・キッズ」を15年間定点観測することによって、世界各国首脳の「公約」である『MDGs(ミレニアム開発目標)』の達成具合を評価するサラ・ハリブランド「ミレニアム・キッズ」プロジェクト代表による経過報告や、元世界銀行総裁顧問でバークレイ研究所の上級研究員のキャサリン・マーシャル博士が総括講演を行い、「宣言文」の採択とG8宗教指導者サミット継続委員を務める私の閉会挨拶によって今年度のG8宗教指導者サミット2012は閉幕した。

  なお、今回の「宣言文」は、明18日から、ワシントン郊外のキャンプデービッドで開催されるG8主要国首脳会議に対して、ホワイトハウスを通じて提出されることになっている。



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