博多と下関でフィールドワーク

2014年1月21〜22日

 2014年1月21日、三宅善信代表は、小雪の舞う博多地方でフィールドワークを行った。最初に「漢委奴國王」の金印や元寇襲来で有名な志賀島を訪れた。志賀島は、冬の荒波が高い玄界灘と穏やかな博多湾を分かつ全長約8kmの砂州「海の中道」の先端にある。潮流の関係からか、古来この地が大陸や半島から日本に着く船の港になった。1世紀に後漢の光武帝が倭奴國から来朝した冊封使に下賜した印綬とされる有名な「漢委奴國王」の金印が発見された場所や、13世紀に博多への総攻撃を控えて蒙古・高麗連合軍が陣を張ったとされる場所を訪れ、地政学的観点から国際貿易港博多との位置関係等を実感した。その後、太宰府天満宮を訪れた。

左が博多湾会、右が玄界灘。志賀島の蒙古軍供養塔。太宰府天満宮
左が博多湾会、右が玄界灘。志賀島の蒙古軍供養塔。太宰府天満宮

 22日は、JR在来線で博多から小倉・門司を経て関門トンネルを通って下関入りした。下関では、日本側からは伊藤博文首相・陸奥宗光外相、清国側からは李鴻章北洋大臣・李經方欽差大臣が出席して日清戦争の講和条約(「下関条約」)を1895年に締結した「春帆楼」の遺構を伝える記念館を訪れた。また、同記念館に隣接する壇ノ浦の合戦で滅亡した平家一門の墓所や安徳帝の陵墓ならびに帝を祀る赤間神宮を視察した。

下関条約記念館前、背後の藪が安徳陵。平家の七盛塚。赤間神宮
下関条約記念館前、背後の藪が安徳陵。平家の七盛塚。赤間神宮




戻る