陸奥でフィールドワーク

2014年5月20日

2014年5月20日、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県東部で、三宅善信代表がフィールドワークを行った。最初に塩竃(しおがま)神社を訪れた。塩釜湾を見下ろす高台の上に鎮座するこの神社は、古来、航海や製塩法を伝えたというシホツチノヲヂ(塩土老翁)の祀られていたところへ、朝廷から蝦夷討伐のための最前線基地である多賀城へ派遣された人々を加護するために、朝廷側最強の武闘神である鹿島神宮の祭神タケミカヅチ(武甕槌神)と香取神宮の祭神フツヌシ(経津主神)の両神が合祀されたものと思われる。また、古来別の場所で祀られていた式内社で「明神大社」という高い社格のあった志波彦神社が、明治期に塩竃神社の境内に移転してきたので、現在では、この二社で構成される宗教法人となっている。

タケミカヅチとフツヌシを左右の両本殿に祀る塩竃神社を訪れた三宅善信代表
タケミカヅチとフツヌシを左右の両本殿に祀る塩竃神社を訪れた三宅善信代表

松島湾の船上から東日本大震災の大津波による被害跡を視察したのに続いて、三宅代表はこの地域随一の名刹である瑞巌寺を視察した。この寺は元々、遣唐使の一員として唐に渡り、天台宗に密教を伝え、第三世天台座主となった慈覚大師円仁が9世紀に開山し、奥州藤原氏からの尊崇を受けた古刹である。当初は「延福寺」と呼ばれた。鎌倉時代、禅宗に傾倒していた時の執権北条時頼の命によって、臨済宗(建長寺派)に改宗させられ、寺名を「円福寺」と改めた。さらに、江戸時代に入って、伊達氏の保護下になると、同じ臨済宗でも妙心寺派の傘下に入り、寺名を「瑞巌寺」と改めた。境内の半ばまで津波の押し寄せた瑞巌寺には、日本では珍しい石窟が多くみられる。

禅宗寺院には珍しい観音霊場の石窟が多くある瑞巌寺
禅宗寺院には珍しい観音霊場の石窟が多くある瑞巌寺



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