阪神淡路大震災20周年追悼行事

2015年1月17日


2015年1月17日、兵庫県伊丹市の日本レスキュー協会本部訓練施設において、阪神淡路大震災20周年追悼行事が開催された。

震災の犠牲者を悼み、次々と献花する人々
震災の犠牲者を悼み、次々と献花する人々

1995年1月17日午前05:46、明石海峡を震源地としたM7.3の兵庫県南部地震によって、初めて震度7の激震が観測され、神戸市を中心に死者6,434名、全半壊家屋25万棟を記録した戦後最大の大震災となったが、この地震をきっかけに発足したのが、認定NPO法人「日本レスキュー協会」である。その後、同協会は、内外の地震・土石流・津波等の災害時における救助犬を派遣する活動で大会社会的評価を受けてきた。

各界からの五名の代表が壇上で追悼の辞を述べた
各界からの五名の代表が壇上で追悼の辞を述べた

一般に、阪神淡路大震災というと、神戸市の被害が大きく取り上げられるが、活断層の関係で伊丹市から大阪府の北摂地域でも大きな被害が出た。大阪国際空港の北側に隣接する猪名川の河川敷に面した広大な救助犬の訓練施設では、20周年目のこの日、早朝から大勢の人々が集い、20周年追悼式典が催された。

壇上で追悼の辞を述べる三宅善信代表
壇上で追悼の辞を述べる三宅善信代表

日本レスキュー協会の伊藤裕成理事長の挨拶に続いて、地震発生時刻の05:46、震源地の方向(南西)を向いて1分間の黙祷を捧げた後、三宅善信代表、尾立源幸参議院議員、程一彦同協会理事らが、追悼スピーチを行い、参加者全員で献花した。

旧知の程一彦氏と三宅善信代表
旧知の程一彦氏と三宅善信代表

引き続き、震災当時も40回のべ2万食の炊き出し支援活動を被災地にある母校の灘高校を中心に展開した台湾料理の著名なシェフ程一彦氏の特製水餃子の炊き出しが行われ、参加者一同、凍てつく寒さの中で行われた追悼行事で冷えた身体を温めると同時に、当時の不自由な避難所生活を偲んだ。




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