神道国際学会 京都フィールドワーク

2016年6月11日

2016年6月11日、三宅善信代表が理事長を務める神道国際学会のフィールドワークが、エジプト人のサミール・ヌーハ同志社大学客員教授をはじめ、海外からの参加者4名を含む12名で洛北の地で開催された。

崇道神社の鳥居前で記念撮影する神道国際学会FWの一行
崇道神社の鳥居前で記念撮影する神道国際学会FWの一行

最初に、8世紀末の平安京への遷都にまつわる政争に敗れて憤死し、その直後から日本最強の祟り神として怖れられた早良親王(薨去後に「崇道天皇」を追諡)を祀った崇道神社を訪れた。正式参拝の後、井口忠男宮司から崇道神社の歴史について説明を受けた。

井口忠男崇道神社宮司から説明を受ける神道国際学会FWの一行
井口忠男崇道神社宮司から説明を受ける神道国際学会FWの一行

巷間で言われるように、「平安京の内裏の鬼門」の方角というだけならば、比叡山でも、近江の長浜でも飛騨の白山でも越後の立山でも何処でも良いはずであるが、何故、比叡山の西麓の八瀬の里を鎮座地に選んだかであるが、その地は、桓武天皇と早良親王の母(光仁天皇夫人)である高野新笠の出身地であったからである。この一族は、百済の武寧王の末裔である。元々、この地を支配していたのは出雲族であり、その後、飛鳥時代に遣隋使を務めた小野妹子が近江国西部に領地を得、その勢力が比叡山を越えて西漸し、この地を支配していたという「ドミノ理論」的は話であった。境内からは、小野妹子の息子である小野毛人(えみし)の墓誌も、江戸時代初期に出土している。

「皇城表鬼門」の意味について英語で説明する三宅善信代表
「皇城表鬼門」の意味について英語で説明する三宅善信代表

崇道神社に続いて、「千日回峰行の聖地」として知られる赤山禅院を訪問した。この寺は、「最後の遣唐使」となった円仁(後の第三世天台座主慈覚大師)が、唐土に滞在中に出会った数々の困難を克服するために、加護を受けた道教の神「泰山府君(=赤山明神)」を祀るために、平安京の鬼門の方角であるこの地に開いた(実際に創建したのは彼の後継者)寺院である。同寺院の植野圓俊執事から、この寺院の持つ仏教・道教・神道・ヒンズー教などが、各時代に重層的に作用してきた歴史について説明を受けた。




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