あげいん熊野詣に参加 
04年01月11日
 石原三玻子

  2003年10月26日、和歌山県那智勝浦町が実施している『あげいん熊野詣』というイベントに参加しました。以前に、本宮の近くの熊野古道を歩いたことはあったけれど、熊野詣でについてほとんど知識なく、HPに載っている平安時代の衣装の写真を見るなりつい「きゃー♪きれい」と乗せられて参加を決めてしまいました。参加料2000円で衣装も着せて貰って、行列と護摩祈祷が終れば、熊野那智大社の境内で、甘酒やら、茶がゆやら、ぜんざいやら出してくれたりと、至れり尽くせりのイベントでした。

  私のように、「着物きた〜い♪」と思って参加していた女の子(男子も少数)、それから数人の外国人。イギリスかどこかの男性も着物の裾からすねの毛を出しながら、満足そうに参加していました。ほとんどが女房役で、150名もの女性を数人のスタッフで、着せていましたが、当時より格段と略式化しているとはいえ、着物を着る順序やら複雑で一人では着るのは難しく、地元の人たちが気付教室などで、習い着せ方のノウハウを継承していることはいいことかもしれません。ようやく着せてもらうと、順番にポラロイドで後ろにこれから歩く大門坂の山の絵が描かれた前に立って、記念撮影(これもタダで貰える)をしてもらえます。なかなかよい具合に映ったのでここで帰ってもよかったのかも・・・・・・。


大門坂を平安装束に市女笠歩む
ミーハー娘

  それから、行列になって1時間ほどの道を歩いて那智大社まで登っていきました。優雅な着物を着て歩くのは、なかなか気分が良かったのですが、途中からカメラマンの多さに辟易してしまいました。イメージ写真に使われていた「大門坂」の鬱蒼とした山の道に差し掛かると、道端の木ごとにアマチュアカメラマンが座っているのです。不気味な光景で集中して歩けるはずはありません。これは、まず平安時代の詣にはなかったでしょう。

  やはり、これは観光客誘致のイベントだったんですね。私もミーハーにも「衣装が着れる!」みたいな所から入ったからまんまとそれにつられた訳ですけれど。それに、昔の熊野詣もある意味、観光客を誘致する仕掛けを作って、それが成功して「蟻の熊野詣」まで栄えたみたいなので当然なこととなのかもしれません。それにしても、古代から人々が創りだしてきた神々の世界は日本古来の自然崇拝に、仏教や密教の浄土の思想が混じりあって、あまりにもスケールが大きく複雑な思想体系を創っていたのに、そのことを知らなすぎる想像力の乏しい私たち現代っ子? が悪いのか、そのイベントの仕掛けが悪いのか、その聖地性を、全く感じられなかったのが、寂しいかぎりでした。


晴天の下、しずしずと
「蟻の熊野詣」を再現

  護摩祈祷は一応、“本物”の修験道の山伏(隣にいた女の子は「来年あの格好がしたい」と言っていましたが・・・・・)によって行なわれたのですが、参加者の女の子たちはあまり関心がないようでしたし、全体として明るい楽しい雰囲気であっけなく終った感じがしました。ディズニーランドやテーマパークで外国の建物やイベントを見ているように、熊野というテーマパーク(実際の熊野であるにもかかわらず)で日本体験をした外国人の気分でしょうか。格好や形式は限りなく平安時代の人々に近づけているはずだけれど、その当時の人の生きながらに、浄土を体験して甦って再生するというような命がけのスタンスは私たち参加者にあるはずもなく、精神的な満足度も当時の人とは比べものにならないと思います。

  もう、秘境や聖地は現代にはなくなってしまったのでしょうか。当時では1カ月かけて京や大阪から山の中を精進潔斎しながら、歩いていく場所と、車で3時間で行けてしまうこととは、大きく隔たりがあります。世界遺産に登録されて、奥崖道の道なども整備されるみたいですが、誰でも入れてしまうようになると、聖地がなくなってしまうのかとちょっぴり心配です。


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