春日若宮おん祭にふらり出かけて 
04年01月15日
 石原三玻子

 ある朝、JRの駅で不思議な写真のパンフレットを手にしました。雪の夜、白い装束(註:昨年世間を騒がせた「白装束」の集団ではなく、「細男」という古い芸能の衣装)を着けた踊りの写真でした。『奈良春日おん祭』のパンフレットで、何やら2003年は「若宮ご出現一千年祭」と書いてあり、「むむ、1000年!?」「でも、その若宮さまって誰!?」と疑問が沸々、しかも、奈良県(奈良市ではなく、生駒市ですが)に住んでいて、今まで一度も祭りを見に行っていなかったので、「よし、今年は行かなくちゃ!」と心にしました。

 少しはお勉強していったほうが面白そうと思い、パンフレットやHPをチェックしました。やはり有名なお祭りだけあって、たくさんの人が詳しく書いてらっしゃいます。中でも、私のお気に入りの解説は、レルネットでお馴染みの「萬遜樹」さんのシリーズで、細かい日程とかはいろんな人が書いてられますが、私の素朴な疑問「若宮さまってどなた?」の答えみたいなものから、祭の起源・意義・構造などまで詳しく書かれていて、かなりお勉強になりました。

 それにしても、奈良に生まれて一応、祖父には「しい良の=美奈子」と名付けてもらっているのに、奈良について今まで関心を持たなかったのがお恥ずかしい。幼少の頃から、「奈良公園には鹿がいるのは、当たり前」と思っていて、「なんで? いつからいるんだろう?」なんていう疑問すら浮かびませんでした。祭りに行くので、ふと、“知性の怪人”善信先生に聞いてみると、「奈良時代に藤原氏の祖神として、タカミカヅチノミコトが白鹿に乗って常陸国の鹿島から飛んできた(!?)から、鹿が神聖視された」ということでした。なんと、春日様って、もともと奈良の土着の神様じゃなかったの!?


「春日若宮御旅所」
の位置を示す高札

 それに、この「若宮祭」の若宮という神様も、萬遜樹さんの考察によると、神道を中心に専制政治をする藤原氏(春日社)とその氏寺興福寺との権力闘争から生み出された神様であり、お祭りだったというから驚きです。そういえば、お旅所の置かれる位置も春日社と興福寺の間の参道で(しかも、興福寺に近い)、購入したパンフレットの絵巻の絵には神官の数より圧倒的に僧侶の数のほうがたくさん描かれていました。そういえば、若草山の山焼きも東大寺と興福寺との領地争いで起こったそうですが、今、私たちが「まあ、きれい!」と単純に見ている祭事なども、そういった人間界の動きを反映(言ってしまえば人間が造ったもの)だったんですね。

 とにかく、祭りは12月17日の0時からその日の24時まで、まる一日かけて行なわれるとのことでした(註:昔は、神は日暮れに降臨し、夜明けとも天に昇ったとされていたそう)。18日の0時までには必ず「若宮様」をお送りしないといけないということなので、まるでシンデレラみたいなお話ですが、全部を通して見るのは初心者の私には根気がないので、まずはどんなものか、昼間のお旅所を覗いてみました。私が17日の午後に見学に行った時は、ちょうど参道の流鏑馬(やぶさめ)が終って、お旅所での神遊(かみあそび)が始まる時でした。もう、その頃には、人・人・人で、満員電車の中のような人だかりにまずびっくりしました。お旅所は、思ったよりも小さな空間で一番高い所に若宮神の行宮(あんぐう=臨時に留まられるお宮)があり、その前に素朴な造りの芝舞台(「芝居」の語源だそうです!)が造られていました。


行宮と素朴な造りの芝舞

 そこで、お神楽や田楽・猿楽などの芸能が奉納されるわけですが、その日はあまりに寒く途中からは雨も降ってきて、背伸びをして群衆の間からのぞき見するのももう限界、と田楽の途中で帰ってしまいました。それにしても、祭りの語源は待つ(神様の出現を待つ)ということですので、待つことは当たり前かもしれませんが、ひとつひとつの芸能が始まるまでの時間が、背伸びしている身には辛く、あまりにも長い時間に感じられました。せっかち現代人にとっては、神様の時間に合わせるのも一苦労ですね。


人垣の後から背伸びして撮影したので、
「大太鼓」も上半分しか見えません

 家に帰って、新聞に目をやると、その日の零時から行なわれた「遷幸の儀(神を春日摂社の若宮御殿からお旅所へお遷しする儀式)」についての記事が載っていました。神は明るい昼間はもちろん、夜でも直接光のあたる所へはお出ましにならないのということで、灯籠、防犯灯、自動販売機の光まで消した参道を、神官たちが榊で神霊を囲み、松明で参道をお清めしながら歩いていくというものだそうです。目には見えない神霊をただひたすら信じる、静寂の中の儀式。そこへ、今年は「若宮出現一千年」ということで、私のような「ミーハー娘やおばちゃん」も多数詰めかけ、おしゃべりしたり、携帯電話を取り出した時に漏れる光を蛍のように発光させていたようです。「はだかの王様」に「裸だよ」と言った子供のようです。祭は皆が同じ“共同幻想”を持たないと成りたたないもの。祭を楽しむには忍耐(=待つこと)と想像力が必要なんだなあ。来年は心して、出かけよう。もちろん、携帯の電源を切って・・・・・・。


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