= 日本における宗教の概要 =

僧侶1人当たりの門徒数の分析


このページは、「わが国における主な宗教団体名」に挙げた教団の中から、教師1人あたりの信者数(信者数を教師数で割ったもの)および布教施設1カ所あたりの教師数(団体数を教師数で割ったもの)の分析を試みるものである。 もちろん、この分析は、各教団が文化庁に届け出た統計的数字を基に、レルネットが推察した数字であり、各宗派に取材したものではないので、研究者ならびに各宗派当局からの積極的な反論を待って修正すべき解釈は修正してゆきたい。


仏教諸宗派総論


わが国の諸宗教の内、長年にわたって最も安定的で、日本文化や国民生活に影響を与えてきたのは、仏教(伝統仏教諸宗派)であることは、いうまでもない。本稿では、仏教諸宗派についてレルネット独自の方法で分析を加えてみたい。

「わが国における主な宗教団体名」に掲載されている仏教諸宗派の信者数の総合計は、6,380万人と全人口の2分の1を占める。このことが多いか少ないかは別として、社会学的にみても、江戸時代の「寺請け制度」の下で独自の発展を遂げ、明治以後は、近代国民国家形成の過程で、政府が「国家神道」というの欧州の「国教会制度」の借り物ともいえるシステムの導入を計ったにもかかわらず、国民生活には、ほとんどこれが定着せずに、当然のことながら、日本の敗戦によって跡形もなく崩壊した。むしろ、もう一方の明治国家の柱である「家制度」と合体した「檀家制度」という日本独自独自の寺院形態の方が定着した。

そもそも、「出家宗教」であるはずの仏教(東南アジアの上座部仏教を見るまでもなく、中国や韓国でも僧侶といえば「出家」を意味している)が、わが国においては、「檀家制度」や「僧侶の世襲」という「在家型仏教」という世界でも類をみない形で発展を遂げてきたことの是非を問うのは、本稿の目的ではないので、別の機会に譲るとしても、僧侶の数の総合計22万人は、わが国の全宗教家の総合計68万人の3分の1に当たり、全寺院の総合計84,000ヶ寺は、わが国の全宗教施設の総合計23万カ所の3分の1に当たり、最大の宗教勢力である。  

このことから判ることは、まず、全宗教家の3分の1を占める僧侶が、全国民の2分の1に当たるの信者(檀家)を有しているということである。すなわち、単純に計算しても、僧侶の収入は、全宗教家平均の1.5倍あるということである。このことは、以後の考察において基本的な前提となるので、よく心に止めておいてほしい。日本国民185人で1人の宗教家を養っているのだから、仏教だけに限って言えば、278人で1人の僧侶を養っていることになる。この数字は、定まった教義を持たず、不特定多数の氏子を持つ神社神道を別にすれば、教派神道各教団の平均106人やキリスト教系各教団の平均85人と比べても、僧侶はかなり裕福な生活をしていることの証であり、巷間でいわれる「坊主丸儲け」は、一般人の経験的智恵として、合理性を持っていると言える。 
 



「檀家型」と「新宗教型」仏教各宗派
まず、最も典型な仏教の形態である「檀家型」から見てゆくと、「真言系」・「浄土系」・「日蓮系」諸宗派がこれに該当する。高野山真言宗の883人(信者数割る僧侶数。以下同じ)は、少し多すぎる(この数字はたぶん、観光スポットでもある「高野山」や「四国遍路」の「参詣客」も数に含んでいると思われる)にしても、真言宗御室派の350人・真言宗智山派の372人・真言宗豊山派の400人は、極めて近い数字である。一方、典型的な「檀家型」宗教である浄土系をみても、浄土宗の604人・浄土真宗本願寺派(西本願寺)の238人・真宗大谷派(東本願寺)の323人も合理的な数字である。「在家型新宗教」の多い日蓮系でも、伝統教団である日蓮宗の453人・本門佛立宗の764人は、他の仏教諸宗派とあまり変わりなく、新宗教教団である霊友会の658人・妙智會教団の279人・佛所護念會教団の446人・立正佼成会の293人も、この面(教師1人当たりの信者数)で見る限り、ほとんど変わりがない。ただ、日蓮正宗の8,263人だけが突出した数字であるが、これは、別に述べたように、今では別の教団になっている創価学会の信者数をダブルカウントしたせいと思われる。   

 それ以外にも、伝統仏教諸宗派では、大抵、本山や宗門への「賦課金」という制度があり、各末寺に所属する檀家の数に一定の率を掛けた金額を毎年、本山や宗門に「上納」せねばならず、そのため、「少しでも賦課金を少なくするために、檀家の数を過小報告している」場合が多く、実際には、1ヶ寺あたりの信者数は、「公式の数字」である上記の諸数値よりも多い(すなわち、豊かである)場合が多いと考えられる。一宗を維持する上で必要な措置とはいえ、この「賦課金制度」があるために、「肉山(豊かな寺)」ほど宗門から独立する(単立の宗教法人になる)傾向が強く、また、さして教義上の違いがないにもかかわらず、おもに経済的要因によって、多数の宗派が乱立する要因になっている。  

ところが、1ヶ寺当たりの僧侶(宗教家)の数をみると、「伝統仏教型」と「新宗教型」諸教団とでは、著しい差異が生じる。高野山真言宗の1.71人をはじめ、御室派の1.38人・智山派の1.45人・豊山派の1.13人、浄土宗の1.41人・本願寺派の2.78人・大谷派の1.92人、日蓮宗の1.52人・日蓮正宗の0.98人・本門佛立宗の2.47人など、いづれも、伝統教団に属する寺院は、世襲(おもに父子相続)体制に裏打ちされた「家族経営」的基盤で支えられていると言えよう。一般に知られていない言葉で、なおかつ、仏教諸宗派でよく使われる言葉に「寺族(じぞく)」という専門用語がある。「庫裏(くり=寺院境内にある職員宿舎)に居住する住職の家族」という意味だが、本来、税法上は厳密に区別されるべき(宗教法人として、免税措置を受けている)礼拝施設である「本堂」と(住職個人の所得税の対象である)居住施設である「庫裏」の維持費(光熱費等)が混同(どちらも税金を払っていない)されている場合も多い。いわんや、住職の子弟が(法人の経費で購入した)高級外車を乗り回しているなどは、言語道断である。 

 一方、「新宗教型」諸教団では、1ヶ寺(布教施設)当たりの僧侶(教師)数が、霊友会の0.98人を除けば、妙智會教団の366人・佛所護念會教団の379人・立正佼成会の32.5人と、ずば抜けて多く、これらは、伝統仏教各宗派の「家族経営型」とは全く異なる、中央集権的本部の下に所属する「布教センター型」を形成している。これらの有力教団の多くは、霊友会の一支部が、カリスマ性の高い支部長によって独立して形成された場合が多く、霊友会は組織防衛上、一布教施設の単位を意図的に小さくしているものと思われる。いずれにしても、これらの諸教団では、教師1人当たりの信者数が伝統仏教諸宗派(檀家型)と同じくらい多いのもかかわらず、「在家宗教」と称して、教師の多くは「別の収入源(サラリーマンや自営業)」を持っている場合が大半で、なおかつ、世襲されている伝統仏教諸宗派の僧侶よりも、「自ら信仰を選んだ初代世代が大半」という、教祖(教団本部)へのロイヤリティの高さから、ほとんどの収入を教団本部へ「上納」するため、本部は巨大な宗教施設を有し、なおかつ、潤沢な資金によって、多彩な社会活動や世界平和運動を行っているのが共通する特徴である。



その他の伝統仏教各宗派
前節で、典型的な「檀家型」宗教である真言系・浄土系・日蓮系諸宗派について分析したが、ここでは、禅系・天台系・奈良仏教系の分析を試みる。

まず、禅系については、わが国の禅宗を二分する臨済宗系諸派と曹洞宗に分けられる(厳密には、それ以外に「黄檗宗」があるが、ほとんど全国展開していないので考察から省く)。禅宗は、宋代の中国から伝わり、特に臨済宗は、朝廷や鎌倉幕府・室町幕府の手厚い保護の下で発展していった。五山をはじめ、各派の本山は、時の権力者の勅願寺という性格を有する伝統から、天龍寺派・相国寺派・建仁寺派・南禅寺派・妙心寺派・建長寺派・東福寺派・大徳寺派・永源寺派・方廣寺派・仏通寺派・向嶽寺派・國泰派などに分かれた臨済宗と、末寺数14,700ヶ寺と単独の宗派としては、わが国最大の規模を誇る曹洞宗がある。曹洞宗の開祖道元は、もとも臨済禅を学んでいたが、越前の権力者に請われて、越前に本拠(永平寺)を置いた関係で、中央政権との距離ができ、却って発展することができた。 

しかしながら、武家を中心に教線を伸ばした禅宗各派は、「檀家」の数が少なく、臨済宗系最大の妙心寺派でも1ヶ寺当たりの檀家数は89人、曹洞宗では95人と、伝統仏教諸宗派の平均287人よりはるかに少ない。すなわち、収入も少ないと考えられ、したがって、1ヶ寺当たりの僧侶の数も臨済宗系妙心寺派が1.02人、曹洞宗が1.14人と、ほぼ住職一人だけという結果になっている。 

逆に考えると、檀家システムに安住して、宗教本来の「伝道・教化」活動をほとんど行わずに、法事や葬儀の時にだけ儀式を執行する(それだけで十分食ってゆける)真言系・浄土系・日蓮系各宗派と異なり、禅宗には、外国人を対象とした海外伝道も含めて、社会活動(たとえば、曹洞宗ボランティア会など)を積極的に推進してゆく気風があり、それだけ伝道・教化形態は新宗教に近いものがある。  

天台系諸宗派については、日本(鎌倉)仏教諸宗派の母山ともいえる比叡山延暦寺を擁する天台宗は、数字的には、檀家型と禅宗型の中間形態であるが、近年では、その特殊性を活かして「比叡山宗教サミット」を行ったり、法華経系諸新宗教諸教団(立正佼成会・妙智妙智會教団・佛所護念會教団)や念法真教・孝道教団他の正式団体参拝を受けたりするユニークな展開をしている。他にも、天台系の特徴として、山岳信仰と密着した金峰山修験本宗や念法真教・孝道教団などの新宗教教団がある。また、戦後、和宗として一派独立した四天王寺も、もともと天台宗に属していた。   

奈良仏教諸宗派については、わが国仏教の最古の形態(律令国家の国営仏教)として、いわゆる「南都六宗」があるが、実際の「宗教」としては、平安時代に既に衰えており、そのうち華厳宗(東大寺)・律宗(唐招提寺)・法相宗(興福寺・薬師寺)などが有名であるが、これらのほとんどが、檀家も持たず、また、積極的な布教活動も行っていないにもかかわらず、多くの国宝や重文を有して、いずれも「観光寺」として隆盛を極めている。


宗派仏教と宗議会制度

 以上が、わが国の仏教諸宗派についての概観である。これまで、日本の常識(世界的に非常識なのであるが)として、「出家しない仏教」(そもそも、日本に仏教文化を紹介し、なおかつ仏教教理について非常に深い理解を示していた聖徳太子そのものが出家しなかったことが、日本仏教の方向性を決めたと言える)があげられる。現在でも、社会と数々の軋轢を生じさせる「カルト宗教」に対する一般市民およびマスコミの批判の論調で最も著しいものは、「オウム真理教」が世間を騒がせた頃、上九一色村のサティアン(宗教施設)の門前で、「(自らの意志で出家した)わが子(成人)を返してくれ!」と哀願する父親の姿を正義と見なし、親の元に帰らない子供(成人)や返そうとしない教団を「反社会的」と決めつけた報道がなされたことからも典型的に見られる「出家即反社会説」である。もちろん、オウム真理教の犯罪行為を肯定する気は微塵もないが、「出家」を悪とみなす風習が日本独自なものであることを理解しておくことは必要である。「僧侶の世襲」など、外国の仏教徒が聞けば腰を抜かすに違いない。仏教は日本で独自の発展(神道化した)を遂げた「日本(仏)教」ともいうべき代物である。

さらに、日本仏教の特色として挙げられるのことに、「宗派仏教」がある。諸外国の仏教があまり「宗派」に分かれていないのに、日本では、やたら宗祖・開祖がいて、○○宗XX派というのが一般的で、現在157もの仏教宗派があるが、このことに関しての考察は、別の機会に譲りたい。

他宗教とくらべて、伝統仏教各宗派の良い点といえば、ほとんどの宗派の運営が、国政と同じように「三権分立」した「民主的」運営が行われているということである。選挙で選ばれた執行部(宗務総長が主宰する内局)と、チェック機構としての与野党のある「宗議会」があり、議事録も概ね公表されており、『中外日報』や『佛教タイムス』といった業界紙で、宗議会の論戦が掲載されている。この点、巨大な教団予算を有するにもかかわらず、「宗議会」そのものが存在しない、あるいは、「理事会」や「評議員会」など形の上では存在するが、実質はほとんど「共産主義国家の人民代表大会」のごとき、執行部に賛成するだけの機関にすぎないことを考えると、伝統仏教各宗派の最も評価できる点である。   

このように、各宗教団体を比較するとき、これまで長年にわたって行われてきた「教義的なエレメント」による分類(本ホームページにおいても、読者の馴染み易さや文化庁のデータとの整合性からも、一応、その分類方法を踏襲しているが)よりも、社会的存在としての各教団の実態に注目した方が、ある時には、その教団の実態を適切に捉えているといえるのではないだろうか。伝統仏教各宗派ごとについての詳しい資料は、寺院コムを参照して下さい。



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