チャイナスクールはメダカの学校?  
   02年05月20日


レルネット主幹 三宅善信


▼schoolの大安売り

 『メダカの学校』という誰でも知っている唱歌がある。「♪メダカの学校は川の中。そっと覗いてみてごらん……♪」という歌である。私は、子供の頃からこの歌詞が不思議でならなかった。「♪みんなでお遊戯しているよ♪」というのなら、「学校やなくて幼稚園やろ!」というツッコミも聞えてきそうである。わが家のビオトープにも数百匹のメダカが泳いでいるが、その状態を学校に譬(たと)えるというのは、子供たちが学校で騒いでいる状態の形容かと思っていた。中学生になって英語を習うようになって、ある時、「school」という単語を辞書で引いて驚いた。もちろん、1番目の意味は「学校」であるが、2番目の意味は「小さな魚等の群れ」と書いてあるのである。その時、なるほど「メダカの群れは川の中」という意味かと思って、妙に納得したのである。ひょっとして、歌詞は翻訳間違いかとも思ったが、ちゃんと日本人の作詞者の名前が載っていた。

 高等教育を受けるようになって、今、いろいろと話題になっている同志社大学の神学部および同大学院で学ぶようになった時に、神学部(大学院)の英語表記がdivinity school(あるいはtheological school)であった。そうなのである。元もと「school」とは、ラテン語の「スコラ(schola)哲学」等に代表される極めて高尚な――ある意味ではペダンチック(衒学的)な意味すらある――専門性の高い研鑚の場をschoolと言う。こういうところから発したものであるが、近代国民国家の形成と共に、各国で初等教育が義務教育化し、elementary school(小学校)として用いられるように、schoolの値打ちが下がって、学校教育全般を指すようになった言葉であるが、元もとは「訓練場」あるいは「道場」といったような意味を持っていた言葉であった。アメリカでは、日本で「大学」として呼ばれているような4年生の学部(教養課程に近い)に当たる部分を「college」もしくは「undergraduate」と呼び、専門性の高い大学院を「school」と言う。例えば、神学大学院はdivinity school、法学大学院はlaw school、医学大学院はmedical schoolという具合にである。この3つの学部がそもそも何百年も前から存在した。いわば「本物」の学問である。

 第2次世界大戦後、特にアメリカと日本においては、学問の大衆化と共に、いろいろな学部が自らの「格」を上げるため、大学院を持つようになった。建築大学院(school of architecture)だの教育大学院(school of education)だの、果ては経営学大学院(business school)だのである。私がHarvard Divinity Schoolで学んだバブルの頃には、business schoolで修士号(MBA=Master of Business Administration)を取得した若造が、大層な高給でもてはやされたものであるが、この様な金儲けの手練手管の技術を教えるようなものは、schoolの名に値しないと私は思っている。


▼「チャイナスクール」って何?

 本来、schoolとは、私が先ほど言ったような、非常に抽象的な概念の世界に挑戦する学問的なひとつの鍛練の場であり、例えば、ギリシャのエピキュロス学派(The School of Epicurus)であるとか、近代哲学のヘーゲル学派(The Hegelian School)であるとか、心理学のフロイト学派(Freudian School)と言ったあるひとつの「学問上の立場」を指す言葉である。このschoolが持つ「学派」あるいは「校風」という表現は、宗教の世界でも用いられている。日本の伝統仏教教団は、たいてい「○○宗××派」という表現をされることが多い。例えば、西本願寺を本山とする浄土真宗本願寺派の英語表記は、「Pureland Buddism Hongwanji School」ということになる。臨済宗妙心寺派なら「Rinzai Zen Myoshinji School」である。

 ちなみに、現在、数々の不祥事で世間を騒がしている外務省に関する話題で、耳慣れない「ロシアンスクール」や「チャイナスクール」といった言葉が出てくる。これは、外務省であるが故の特質であるそれぞれの専門外国語(世界中ほとんどの国で通じる英語は話せて当たり前だとして、スペイン語、ロシア語、中国語、アラビア語といった言語のことである)を操る人たちが、それぞれ専門言語毎にグループを作り、それらは「ロシアンスクール」とか「チャイナスクール」と呼ばれ、一種の閥を形成している。

 「ロシアンスクール」とは、この度、鈴木宗男議員に関する疑惑がらみで逮捕された佐藤優元主任分析官を始め、佐藤氏の上司東郷和彦元欧亜局長といった人たちのグループである。これらのグループは、今回の「ムネオ疑惑」に連坐して相当「粛正」を受けたであろう。対ロシア外交の空白が気になるところだ。続いて、先の瀋陽日本総領事館における「中国武装警官侵入事件」発生時の対応の拙さ及び、その後の日本政府への数々の虚偽報告。あるいは失敗隠しの調査の過程において、阿南惟茂駐中国大使を始め、槙田邦彦元アジア太洋州局長や田中均アジア太洋州局長ら、所謂「チャイナスクール」と呼ばれる面々が、外務省内で一大勢力として形勢されていることが白日の下に曝されたのである。政治家でも、例えば福田康夫官房長官の天敵であった田中真紀子前外務大臣等は、政治家の中のチャイナスクールと呼ばれていた。

 もちろん、外交を行う時、相手の国の言語は言うまでもなく、歴史・文化・宗教・民族、その他あらゆることについて詳しく知っている必要があるが、それらはあくまで、日本の国益を図るための手段として相手国のことをよく知らねばならないのであって、「相手国のファン」になってしまっては外交は成り立たない。しかし、実際には、日本の国益よりも日中友好のほうを尊重する外交官や政治家の多いのには呆れる。「日中友好」と称しながら、その実は、中華人民共和国の利益の擁護なのである。(註:よく報道等で日本に詳しい外国人政治家・外交官のことを「親日派」と表現されるが、これは間違った用法で、正しくは、「知日派」と表現すべきである)


▼中国との関係を問い直す時 

 今年は日中国交回復30周年(註:本当は、「国交樹立30周年」と呼ぶべきである。中華人民共和国の成立したのは、太平洋戦争終結4年後の1949年のことだから)の記念すべき年であるが、この30年間の日中関係を回顧してみれば、ニクソン大統領に先を越されて焦った田中角栄首相が、周恩来総理の高等戦術にひっかかって、中国に戦時賠償をしなかったばかりに、賠償金を払っていれば1回で済んだものを、未来永劫(註:この未来永劫とは、再び日本と中国が戦争をするまでという意味である)ODAだの、円借款だのといった形で、中国が日本から金を毟(むし)り取る構造が定着してしまったのである。しかも、日本の一部の政治家や外交官は、日本国民の血税から生じたこれらの円借款や中国へのODAの一部をキックバックとして受け取っているというから、売国奴もいいところである。日中国交回復30年の間に、日本は巨額の資金援助を中華人民共和国に与えていたが、彼らは、その金で核兵器を開発し、またその金を第三国への援助にも使った。その間、中国から日本に来たものと言ったらろくなものはない。黄砂は自然現象であるからしょうがないにしても、中国の経済発展に伴う大気汚染物質の垂れ流しから、拳銃・麻薬・犯罪グループ・不法移民まで、日本が得をしたものは何ひとつないと言ってもいいかもしれない。この辺で外交方針を大きく転換すべきだと思う。

 そもそも先の大戦時における日本の中国大陸及びその周辺の地域における行為に対する是非(『玄関扉論:瀋陽総領事館事件考』)は別として、1949年10月1日に成立した――つまり、日本がポツダム宣言を受諾し、戦争に負けてから4年以上もたってから成立した――国家に、何故、戦争責任を問われる必然があるのか未だに理解できない。法律の大原則は、不遡及主義である。つまり、法律ができる前に起こったことを、後からできた法律で罰することはできないのである。したがって、1949年に成立した中華人民共和国には、1945年に戦争に負けた日本に対して、諸々の要求をすること自体、法律的根拠を欠くのである。

 日本が、ポツダム宣言を受諾した相手国は中華民国(米・英・ソ・華)であり、中華民国がこの世から消滅してしまったのならいざ知らず、立派に台湾に中華民国が存在するにも関わらず、これらの暴論を許しているのが、常に北京政府側に立って、日本の政策および世論の方向を誘導しようとしている連中が、阿南大使をはじめとするチャイナスクールの面々である。太平洋戦争敗戦の責任を取って、東京で割腹自殺した阿南大使の父、阿南惟幾陸軍大臣が生きていたらどう嘆くであろう。

  そう言えばschoolという言葉のもうひとつの意味で、先ほどの「修行鍛錬の場」という意味と全く逆の「飲み仲間」や「博打仲間」といった意味も辞書に載っている。恐らくチャイナスクールは、そちらのスクールなんであろう。それなら、中国という大河の中で群れているのもうなずける。


戻る