人類の故郷を訪ねて   
   02年06月25日


レルネット主幹 三宅善信
         

▼地殻変動が人類を生み出した


大地溝帯に沿って点在する湖や
クレーター(衛星写真)

 私は、アフリカ宗教指導者によるエイズ会議に出席するためにケニアまで来たのを利用して、6月14・15日の1泊で人類誕生の故地を訪れてみることにした。ナイロビからチャーター機で西へ向かうこと数百kmのマサイ・マラ自然保護区を目指したのである。ナイロビから20分も飛ぶと、そこには「グレート・リフト・バレー(Great Rift Valley)」と呼ばれるアフリカ大陸の東側を南北に貫く大地溝帯が、幾重にも大地を引き裂くように走っている。この大地溝帯は、南はモザンビークのザンベジ川から始まり、とても水深の深い断層湖であるマラウィ湖とタンガニーカ湖、そして、ウガンダのエドワード湖・アルバート湖とケニア北西部のトゥルカナ湖(註:ウガンダとケニアの間にあるナイル川の水源で、アフリカ最大のビクトリア湖は大地溝帯には含まれない)からエチオピアを南西から北東へと貫き(途中には、いくつか小さな湖が点在する)、アラビア半島とアフリカ大陸とを分ける紅海へと落ち込み、そして、アカバ湾からイスラエルとヨルダンを分かつヨルダン川渓谷のガリラヤ湖や死海(この辺の海抜は、海面よりも500mも低い)を北上し、シリアとトルコの国境地帯の高原に至るまでの長さ5,000kmに及ぶ「地球の裂け目」である。この地域には、数多くの火山が点在しており、そのアフリカ大陸を東西に引き裂く大地のエネルギー(プレートの移動)は凄まじく、恐らく数百万年後には、地殻変動によって、現在のマラウィ湖やタンガニーカ湖といった断層湖は、インド洋と繋がってしまうと考えられている。実はこの大地溝帯を造り出した地殻変動が、人類の誕生にも大きな要因となった。

 今から数百万年前に始まったこの地殻変動は、鬱蒼としたジャングルに覆われていた東アフリカの大地を大きく東西に引き裂いた。飛行機の上から見ればよく判るのであるが、深い谷の側面は切り立った断崖絶壁になっており、容易に反対側に行くことができない。しかも、この地殻変動によって生じた山(絶壁)が衝立のような役割を果たし、衝立の西側(コンゴ側)には豊富な熱帯雨林を残したが、その東側(ケニアやタンザニア側)は乾燥化が進み、潅木しか生えないサバンナになってしまった。それまで、深い森で暮らしていた類人猿の仲間(註:ヒトとチンパンジーは遺伝子レベルでは99%共通している)であるヒトの先祖は、余儀なく草原へとその生活領域を移さざるを得なかった。そこでヒトの先祖の直立二足歩行が始まったと言われるが、350万年前のものと推定される猿人アウストラロピテクスを始め、石器を使うことから「器用なヒト」という意味のホモ・ハビリス(200万年前)や150万年前の「直立原人」ホモ・エレクトゥス、そして、現生人類の直接の先祖である「知性のある人」ホモ・サピエンスの骨もこの地域で見つかった。この地域が「人類の故郷」であると言われる由縁である。つまり、この地殻変動が、ヒトという動物の誕生を地上にもたらしたのである。


大地溝帯では複数の谷が大地を引き裂いている

▼動物の密度が驚くほど低いサバンナ

 私は、野生動物の豊かさで世界的にも有名なタンザニアの国立公園セレンゲティに隣接している(註:動物には人為的に引かれた「国境」は関係ないので、両国の間を自由に行き来している)ケニア側のマサイ・マラという自然保護区に、一夜のキャンプ地を設定した。野生のカバが多数生息する「ヒッポ・プール(hippo pool)」と呼ばれる川辺リに面したテントの家であり、次の日の朝、早起きして見てみると、目の前のヒッポ・プールに、約40頭のカバが集っているのには正直驚いた。マサイ・マラという保護区は、大阪府の面積とほぼ同じ広さを誇る野生動物の「楽園」であるはずであるが、現地人のガイドを雇い、実際に4輪駆動(4WD)車で走り廻ってみて、いろんなことに気づかされた。


テントの目の前の川では多数のカバが戯れていた

 まず驚いたのは、思いのほか「動物の数が少ない」ということである。見渡す限りの広大なサバンナに、草食獣の群れといっても、せいぜい数十頭単位のシマウマやトムソンガゼルあるいはインパラといった羚羊類が、そこかしこに群れをつくっているが、それとてこの広大なサバンナの面積の占有率からすると1%にも満たない量である。私が事前に想像していた数千頭単位の数え切れない草食動物の群れを見ることは、アフリカ滞在中ついぞなかった。新宿や梅田の街角の風景を思い浮かべてみれば、数万人のヒトが、せいぜい数ヘクタールといった狭い空間の中に蠢(うごめ)いていることと比較すれば、「サバンナにはほとんど動物はいない」と言っても過言ではない。


思ったより少ない草食獣の群れ

 そして、当然のことながら、その草食獣を餌としている肉食獣を見る機会は、さらに少なく、車を1時間くらい走らせてやっとひとつのライオンのプライド(註:私が見たのはオス1頭に、成熟したメス4頭、生後3カ月の赤ちゃん3匹、そして2歳くらいの若い子供2匹から成るプライド=群れ)を見ることができるといった具合である。早朝から何時間かサバンナを走り回ったが、結局、見ることができた肉食獣といったら、ライオンのプライドを3つ、チータが2頭、ブチハイエナが数匹、そしてレパード(豹)が1頭といった具合である。恐らく、1頭の肉食獣が3日に1匹の割合で草食獣をハントすることができたとしても、1年に必要な草食獣の数は100匹は下らないので、大型肉食獣が生まれてから子孫を残せる年齢まで成長するのに5年平均だとすると、1頭の大型肉食獣を生かしておくためには、500匹の餌となる草食獣が必要になる計算になる。そして、その500匹の草食獣が草を食べ続けるためには、相当な広さの草原が必要なのであろう。そんな訳で、この大阪府と同じ面積を誇るマサイ・マラ国立保護区においても、私が事前に予想していたより遥かに動物の数は少ないということを実感したのである。


ハントしたシマウマの肉に貪り付くライオン

 アフリカは人類誕生の故地であるから、恐らく数十万年前にも、このマサイ・マラの地には人類が足跡を残してき(註:結構、サバンナと林の接する辺に、ヒトともそれ程遠くないバブーンと呼ばれるマントヒヒの姿を見た)たことであろう。しかも、恐らく人類はかなり初期の段階から、つまり道具を使うようになってからは、食物連鎖のほぼ頂点に近い位置にいたに違いない。すると、この草原に棲むライオンの親子のように、この広大なサバンナですら、農耕を始める前(狩猟採取生活時代)のヒトは、ほんの一握りの人口しか養えなかったことになる。世界中の現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)が故郷アフリカを出て全世界に拡散し始めたのは、わずか20万年前のことである。したがって、メソポタミアで灌漑農業が始まるほんの数千年前まで、その食糧事情から言って、人類の総人口は極めて小さかったと類推される。ただし、その足跡は、世界中の隅々まで驚くべき早さで拡散(註:アフリカ→欧州→シベリア→北米→南米と地球を1周した人類拡散の旅は「グレート・ジャーニー」と呼ばれている)していったのである。


▼ハーレムを望むのはメスのほう

 動物が拡散する上で必要な二大条件というのは、ひとつは食糧の確保であり、もうひとつはその生殖行動である。巨大な体を持っているが故に、草食獣であっても、ライオン等の肉食獣に襲われる可能性がほとんどないカバやキリンといった大型草食獣を見ても、オスのしていることといったら、ほとんど自らの群れ(自分が交尾することのできる一群の雌)を守るために他の成長したオスとオス同士戦うことである。インパラ等の羚羊類では、私がこの目で見た群れでは、1頭の立派なオスが二十数頭のメスと子鹿を従えて移動していた。明らかにその体躯はメスとは異なり、角の立派さを見ても歴然と違いが判る。オスは常に周りに気を配り、隙あらばインパラを捕食しようとする他の肉食獣の侵入より、同類(別のインパラのオス)の侵入を阻止しようとするのである。


♂ライオンの関心はいつも♀ライオンに

 ライオンのオスも、一見、ハンティングはメスが行い、オスはメスが獲ってきた肉の一番いいところを食べさしてもらっている(まるで「髪結いの亭主」)ようなだらしない存在のように思えるが、実は、オスには大切な役目があるのである。つまり、そのプライド(群れ)を守るために、他の成長したオスが群れに近づいた時には全力で闘うのであり、時には殺し合いにまで至る。だから、オスのライオンの顔は、たいてい傷だらけである。つまり、肉食獣・草食獣を問わず、オスの役目は同類の他のオスと闘い、これを殺してでも自らの子孫(遺伝子)を残すチャンスを増やそうとすることである。このことは、全ての動物に当てはまる原理であり、ヒトもその例外ではない。しかも、ここに面白い一種の統計的な傾向がある。

 動物の♂♀のコンビネーション(生殖的組合せ)には4通りある。まず一夫一婦、次に一夫多妻、さらには一妻多夫、そして多重婚(フリーセックス)型の4通リの交尾パターンが考えられる。これらを決める要素は、一般的に♂♀の体格(=体重)の比率によって決まる。つまり、体内受精をする哺乳類や鳥類の場合、動物の種類毎によって、メスは一度に産むことのできる子供(あるいは卵)の数が決められている。一方、オスは、交尾の機会さえ増やせば、1年の間に何十匹の父親にすらなることができるのである(註:人間の男性でも、機会さえ赦せば、ビン・ラディン氏のように五十数人兄弟という人もいる)。生物が生きている目的は、ひとえに、自らの遺伝子をより確実により多く残すことであるからして、動物は本能的に、より多くの子孫を残すための戦略を採ることになる。もちろん、必ずしも交尾の回数を増やせばいいとは限らない。何故なら、仮に交尾に成功しても、メスの産んだ子供が次の子孫を残すまで無事、成長できなければ、その交尾のエネルギーが無駄になるからである。


シマウマの群も案外小さい

 そこで登場してくるのは、一夫一婦制に見られるような、子供がかなり大きくなるまで母親と共に父親も子育ての面倒を見るという繁殖パターンを採る動物である。ある動物が一夫一婦か一夫多妻かどちらのパターンを採っているのかの違いを見分けるのは簡単である。その生物における♂と♀の体の大きさを比べればいいのである。前述したように、メスはその種毎に一度に産める子供の数がだいたい決まっているので、体を大きくするメリットはほとんどない(註:体重40kgの女性も80kgの女性も、一度に産める赤ちゃんの数は変わらない)。一方、オスは、自らの体格をより大きくすることによって同種の他のオスとの争いに有利となり、その結果、より多くのメスを独占することができるから、その方向に進化の圧力が加わって当然である。草食獣のインパラを見ても、肉食獣のライオンを見てもこのことは明らかである。

 1頭のオスが非常に多くのメスを占有する(ハーレムを作る)ゾウアザラシは、オスは悠にメスの3倍の体重を持ち、一度に100頭以上のメスをそのハーレムの中に置く。メスの場合、例え誰が父親になったとしても、自分が産んだ子供は間違いなく自分の子供であるから、メスは必ず自分の子孫(DNA)を残すことができるという遺伝上有利な立場にいる。できれば、より多くのテリトリーを確保したり餌を獲得したりすることのできる能力の高い雄と受精することが、結果的に自らが産み落とした子供が無事、成長して、その次の世代の子孫を残す確率が高まるということであり、意味のない交尾を繰り返すよりも、1シーズンに1度でいいから確実に受精して、確実に子孫を残すという戦略を採るほう有利なのである。したがって、ハーレムのように他のメスがたくさんいるので、一度しか「愛され」なかったとしても、強いオスを求めて多数のメスが集まるということになる。「英雄色を好む」という諺は間違いで、「色(女)が英雄を好む」のである。


▼♂♀の大きさの相関関係 

 一方、♂♀の体の大きさがほぼ同じくらいである場合が多い鳥類は、形式上の一夫一婦制(もしくは多重婚)の形を採っている場合が多い。この場合、梟や鷲といった猛禽類を始め、タンチョウやコウノトリのような大型の鳥類でも、また哺乳類で言えばチンパンジーやシマウマのように♂♀の大きさがほぼ同じである場合は、1羽(頭)のオスが多数のメスを独占することは物理的に不可能である。その場合、選択権のあるメスがどのようにして優秀なオスを識別しているのかというと、オスの姿形の派手さをもってその能力の優秀さとしているのである。鳥類の場合、一般的にオスが綺麗な羽を持ち、メスは地味な体色をしている場合が多い。と言うのは、卵を産み抱くメスは、目立つだけ損(天敵に襲われる可能性が高い)である。一方、オスも目立つということは、実は他の動物に見つかって捕食される可能性が高まるのであるから、本来は損になるはずである。


ナイロビの中心街にあるホテルの窓からもコウノトリの営巣が

 しかるに、鳥類の場合、オスが極端に目立つ派手な羽色をしていたり、飛行するには邪魔になるくらい極端に長い尾羽根をしていたりするケースが多いのは、その逆を言うと、それだけ目立っているのにも関わらず、そのオスが他の動物に捕食されていないということは、そのオスが、いかに生き残る術を知っている優秀なオスであるかということの証明なのである。目立つ体色をしているということは、それだけでそのオスが巧みにそんな困難の中を生き抜いてきたという証明であるのである。このことは、そのオスと交尾することによって、優秀な遺伝子を受継ぐことのできるという可能性の高さを表しているのである。こうすれば、同種のオス同士による殺し合いの喧嘩の必要性が低くなるのである。一般に鳥類の♂♀の大きさがほとんど変わらないのは、そういう理由によるのである。

 一方、哺乳類で、♂♀の外見上の大きさがほぼ同じであり、また、体色の派手さもほぼ同じである場合は、ほとんど雑婚(フリーセックス=多重婚)システムを採っていると考えて間違いない。チンパンジーがこの典型である。このパターンの動物の場合、メスの膣内に自分の精子をより多く残した者が、結果的に子孫を残す確率が高まるので、他のオスの交尾の機会を奪うというよりは、自らの精子の量を増やすという戦略を採る。雑婚型のチンパンジーなどは睾丸がよく発達している。


ヒヒは、林と草原の境目にいることが多い

 哺乳類では稀なケースであるが、メスの方がオスより体が大きい動物がある。これは主に、両生類や魚類に多く見られるパターンである。これらの動物のほとんどは、卵を産みっぱなしにして子供の面倒を見ない。その代わり、数万から数千万といった数多くの卵を産むといった戦略を採っており、しかも水中で体外受精を行うので、交尾をする哺乳類や鳥類のように、必ずしも1尾のオスの精子が1尾のメスの卵を独占するということはできないのである。体外受精であるからして、メスが卵を産んだ辺りにやって来て、精子を放出すればそれで仕舞いである。この場合、メスの体が大きくなることのほうにメリットがある。つまり、体が大きくなればなるほど、単純にそれに比例して、より多く卵を産むことができるからである。そして、1匹のメスが産んだ卵に、オスが寄ってたかって体外受精をするのである。カエル等の場合に、典型的に見られるパターンである。


▼イスラム教式の一夫多妻が合理的

 それではヒトはどのパターンに属するかというと、うっかり「ヒトは一夫一婦制」だという結論になり兼ねないが、実は、生物学的にはそれは間違った常識である。それはあくまで、ずっと後世になって社会制度として一夫一婦制が人為的に創られたのである。数え方にもよるが、言語別に言うと、数千の民族(文化)が地球上に存在しているらしいが、どの民族においても共通する生物学的なヒトとしての体形上の特長がある。それはすなわち、オス(男性)がメス(女性)より平均的に約20%体が大きいということである。女性の平均体重が50kgとしたら、男性の平均体重は60kgということである。オスがメスよりも体重で20%大きい他の動物との比較によると、1頭の成熟したオスが独占するメスの数は、平均的に数頭である。

 もちろん、ほとんどの動物において、♂♀の比率は50:50であるので、この場合、1頭のオスが数頭のメスを独占することによって他の約80%のオスは、子孫を残すための生殖の機会を奪われるということになるのである。そして、その生殖の機会を巡って、オス同士が激しく戦うということである。時にその戦いは殺し合いにエスカレートすることもある。生物は子孫を残すために生きているのであるから、子孫を残すことができないなら死んでも同じことであり、そこに、生殖のために「死を賭けて戦う」ことの意味がある。一方、メスとしては、自分の産んだ子が生き残るチャンスがより高くなるためには、そのオスがいかに多くの餌を獲る領域=テリトリー(人間で言えば、お金をどれだけ稼いで来るか)を確保できる能力があるかどうかが、実は交尾させるオスを選ぶ基準となっているはずである。これはヒトでも同じことである。


サイとマサイ

 犯罪の統計から言っても、どの国のどの時代においても人殺しをする確率は、青年期の男性が最も高いのは、生物学的に言って当然の帰結なのである。アダムとイヴの最初の子供であるカインとアベルの兄弟は、兄弟同士で殺し合いを演じたのである。この意味で、旧約聖書の『創世記』は、ヒトという動物の正しい生態学的観察に基づいていると言える。もちろん昨今、女性による殺人も以前と比べるとはるかに増えた。つまり、別に、環境ホルモンの悪影響がなかったとしても、メスのオス化が進んでいるとも言えるのである。と同時に、一人の女性が一生の間に産む子供の数が急激に減ってきている。旧約聖書の「産めよ。殖えよ。地に満ちよ。地を従わせよ」という言葉の意味をもう一度、噛みしめて欲しい。


▼体臭から見た文化人類学

 マサイ・マラに行って、いろいろとヒトの動物行動学的なことに関心を持ったが、それでは、この広い地域において、いかにして動物たちは自らの存在をアピールするのであろうか? 自らの糞を撒き散らすカバに典型的に見られるように、多くの動物にとって、その排泄という行為は、単なる消化物の放出行為という意味だけでなく、いわゆるマーキング(匂い付け)という行動に利用していることが見うけられる。すなわち、自らの出す特色のある匂いをそこに残すことによって、自らのテリトリーの主張をしているのである。生命現象には無駄はない。排泄物さえ、有効に利用しているのである。

 そういえば、アフリカに滞在中、最も気になったことと言えば、男性諸氏の体臭のきつさである。ほとんどスポイルされた種族となってしまった日本人であるわれわれにとっては、絶えがたい程の臭いであるが、広大な大地にはるかに小さい人口密度で暮らしている彼らにとってみれば、男性が強烈な臭い(フェロモン)を発生することは、生態学的にいっても当然の帰結である。一方、狭い地域に多数の人間が集中して暮らしている日本のような国においては、これらのフェロモンは邪魔な存在でしかない。余分な争いを招くだけだ。というのは、大阪府と同じ面積のマサイ・マラ自然保護区に、ほんの数十家族のマサイ族しか住んでいないように、これが人類の生物学的な――1人のヒトが自然のままで食を得ることのできる――限界の広さであるのであるからにして、それを極端に超えて棲息している大都市に住む人々にとってみれば、お互いのテリトリーを意図的に消し合わなければ、お互いが死を賭け、抗争し合わなければならないことになってしまう。


広大な土地に、円形の小屋があるか?

 そのような進化のプロセスを経て、恐らくアフリカ人と比べて、日本人は極端に体臭が弱くなったのであろう。私はこの2日間、チャーターした小型機を乗り回って、ピョンピョン飛び跳ねるバッタのように数カ所の飛行場(と言ってもサバンナの中に、ただ単に草が刈り取られて、長さ約1kmほどの茶色い地面が剥き出しになっただけの発着スペースがあるだけ)に離発着を繰り返し、現地で雇ったレンジャーと共にいろんな地域を観察して回った。マサイ・マラでは、行程の99%は、4WD車(天井部が開放されており、360度見渡せるようになっている)からであるが、たまに危険でない地域では、車から降りることが許されて、外を少し歩いてみたが、驚くほど息切れがした。もちろん、日頃から不健康な生活を送っている私の運動不足と、運動十分のマサイ族の体力とを云々するまでもなく、まるでインパラのような細身で手足の長い彼らと、カバのような胴長短足の上に85kgの体重がある私が歩けば、あっという間に差ができてしまう。彼らは息を切らしながら着いてゆくだけで精一杯の私のことを気遣ってくれ、なおかつ「ここは海抜が高いから(そう言えばマサイ・マラは赤道直下にも関わらず、大阪よりはるかに涼しいから、調べてみると、海抜高度が千数百メートルもあった)あなた方日本人には大変だろう」と優しい言葉を掛けてくれた。情けないことに、私は息を切らしながらも、これを自分の運動不足のせいではなく、空気が薄いことのせいにして、彼らの後を着いて回った。

 そこで、彼らから「あなたの住んでいる地域には、どのような動物が棲んでいるのか?」と聞かれたので、「私の住んでいるこのマサイ・マラと同じ面積の大阪という地域には、たった2種類しか動物はいない。しかも、その2種類の動物は、驚くほど繁殖能力が優れている」と言った。彼らは目を見張って、「どのような動物がいるのか?」と聞くので、「ひとつめはヒトという2本足で歩く動物であり、ふたつめは鼠である。これらの2種の動物は驚く程繁殖力が強く、また仲良く共生している」と言うと、彼らは非常に機嫌良く笑って、私のジョークに応えてくれた。そう、マサイ族がわずか数十家族しか住んでいないこの大地と同じ面積の空間に870万人ものヒトが住んでいるのである。今回、東アフリカという人類誕生の故地を訪れて、ヒトという動物の持っている本能について、いろいろとあらためて考え直すことができたことは、大変いい機会であり、またHIV/AIDSという人類に対して現われた新たな脅威についても、ヒトの起源にまで遡ってその意味を考えることができて、大変興味深い旅行であった。


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