キャッチ・アンド・リリース
            02年12月10日


レルネット主幹 三宅善信

▼水上バイクは禁止すべきである

 10月16日、滋賀県議会がユニークな条令を可決した。『琵琶湖のレジャー利用適正化条令』という代物である。日本最大にして最古の湖である琵琶湖を抱え、観光が大きな産業になっている滋賀県が、下手をすれば自らの首を絞めることになりかねない「バス・フィッシング」と「水上バイク」の規制に繋がる条令を可決したのである。

 今作の本題である「バス・フィッシング」問題に入る前に、水上バイク(註:いわゆる「ジェット・スキー」は商標名)の問題について、私見を簡単に述べたい。私はそもそも、環境のバランス維持が難しい内水面(註:陸地の中にある海以外の水面=池・湖・沼・河川等)での動力を用いたレジャーには、基本的に反対である。特に、激しく動き回る水上バイクについては、一般遊泳者との接触事故や騒音問題などもあり、厳禁にすべきであると思っている。また、水上バイクは、釣りをしている人にとっても、その騒音や波飛沐で魚が逃げてしまうので迷惑である。安芸の宮島の厳島神社と共に「水上の鳥居」として有名な湖西の白髭神社の鳥居に、水上バイクで激突した罰当たり者もいたくらいだ(註:その人は、その事故が原因で死亡した)

 遊泳者との接触事故や沿岸部への騒音被害を避けるためにも、岸から2km以上沖合いでなければ、水上バイクに乗ってはいけないことにすべきである。沖合いまでは、地元業者のボートに曳航されて行くようにすれば、迷惑行為の取り締まりも容易である。だいいち、琵琶湖は大きな湖だから2km沖でのプレイも可能であるが、国内のほとんどの内水面では、「2km沖」規定(註:直径が4km以上もある内水面はあまりない)を適用すれば、水上バイクによるレジャーは不可能になる。それでも、水上バイクによるスリルを味わいたい人は、日本海で走らせればよい。荒波も期待できるし、運が良ければ(?)北朝鮮の工作船に遭遇して、思わぬ「ボート・チェイス」を楽しめること請け合いだ。私はかつて、インド洋の東の端、タイ・マレーシア国境沖のアンダマン海の島々に、水上バイクで「潜入」したことがある。外海の早い潮流と、「うっかり境界線を越えてしまわないか」というスパイ映画のようなスリルが味わえた。

 水上バイクには、遊泳者との接触や騒音問題といった誰にでも容易に想像できる「公害」の他に、案外知られていないことであるが、環境に対して悪い影響を与える決定的な構造上の欠陥がある。それは、現行のほとんどの水上バイクの動力が「2サイクル・エンジン」であるということである。乗用車で一般的な4サイクル・エンジンとは異なり、シリンダ(内燃機関)内の「圧縮・混合・爆発・排気」というプロセスが2段階で行われる軽便な2サイクル・エンジンでは、排気ガス中に相当量の燃料(ガソリン)が、不完全燃焼のまま混入されてしまうのである。そして、このガソリンに含まれるベンゼン等の有害物質が水中に溶け出してしまうのである。この問題を解決するためには、現行の大多数の2サイクル・エンジンの水上バイクの使用を禁止するしか方途はない(もしくは、新たに4サイクル・エンジンの水上バイクを作る)。いずれにしても、日本国内におけるレジャー用具としての水上バイクには、あまり良い印象を抱いていないのである。

▼事態は皇族も巻き込んで……。

 次に、いよいよ本題の「バス・フィッシング」の問題に入ってゆきたい。ここで問題にされているブラックバスという外来魚(正式の学名は「オオクチバス」)についてご存じない方はおられまい。アメリカから移入されたこの淡水性のスズキ科の魚食魚は、その旺盛な食欲故に、それまで、中型の魚食魚のいなかった日本各地の湖沼において、圧倒的な速度でその在来種を駆逐していった。問題の琵琶湖では、この15年間に、固有種であるニゴロブナやボテジャコ(タナゴの一種)といったフナ・コイ類の漁獲量が6分の1に、ホンモロコなどは9分の1に激減している。伝統の珍味「鮒鮨」をはじめ、ゴリ(ヨシノボリの俗称)やモロコやコイの甘露煮大好き人間の私には、それだけで噴飯者だ。

 実は、私は幼少の砌(1歳10カ月の頃)、弟の出産の関係で、湖西の高島町にある母方の祖母の家に暫く一人で預けられていた経験がある。「幼年期に形成された味覚は一生ものだ(註:子供をファーストフード店に連れてゆくと、一生ジャンクミールを平気で食べられる人間になってしまう。当然、マクドなどは、これを戦略的に利用している)」と言われるが、私の(琵琶湖・淀川水系の)淡水魚好き(飼育するのも、食べるのも)は、この時期に形成されたものとみて間違いあるまい。浅香宮家に連なるこの旧家では、2歳にも満たない幼児が親元離れて暮らさなければならなかったことを不憫(ふびん)に思い、祖母が亡くなった際に、十数人いた孫の中で特に、私を指名した「遺産」を残してくれもした。


琵琶湖淀川水系の稀少魚を保護している三宅邸のビオトープ

 これらの琵琶湖固有の魚たちが、生態系の混乱のことなんかも考えずに、琵琶湖に持ち込まれた「外来魚」のブラックバスやブルーギルなどといった北米大陸原産の魚食魚によって駆逐されていったのである。因みに、ブラックバスは 、大正時代末期の1925年にオレゴン州から芦ノ湖に移植されたのが初めであり、ブルーギルに至っては、1960年に、魚類(特にハゼ類)の研究家でもあられる当時の皇太子殿下(現在の天皇陛下) (註:例えば、最近の天皇陛下のご研究では、『ミトコンドリア・チトクロームb遺伝子の分子系統計学解析に基づくハゼ類の進化的考察』という論文が、オランダで発行された遺伝子学の雑誌『GENE』に寄稿されている)がシカゴ市長から贈られたものが、日本各地に「移殖」されたものである。

 もちろん、琵琶湖での漁労を生業としていた水産業者たちは、当初、この「迷惑な」外来魚を駆逐しようとやっきになった。しかし、これといった、「天敵」のいなかったこの日本一豊かな湖では、北米の「ギャング」たちは、アッと言う間に跋扈(ばっこ)してしまった(註:現在のアメリカに対する経済的敗戦および占領を象徴している)。しかし、そのうち、発想の転換というか、漁業者たちの中には、キリのない駆除作業を行うよりも、釣り人相手の商売(遊魚船屋)へ転向するものも出てきた。何故なら、「湖のギャング」ブラックバスの荒々しい性格が、スポーツとしてのフィッシングを楽しむ人にとっては、得難い魅力となり、バス釣りが大いに人気を博してきたからである。

 かくして、バスフィッシングを楽しむ釣り愛好家たちの手によって、生態系への悪影響のことも考えずに、ブラックバスはアッと言う間に、全国津々浦々の内水面に放流されていったのである。世界中の海は「繋がっている」ので、ある意味、海水魚は移動しようと思えば、自らの意志で行きたいところへ行ける。しかし、淡水魚の場合は、それぞれの「水系」が隔絶された状態にあるので、自然界においては、よほどのことがないかぎり、そう簡単にその分布を拡げることは不可能である。しかし、それ故、淡水魚は、それぞれの環境に適応して、多種多様な品種を生み出してきた。逆を言うと、ある「閉じられた水系」における特定の魚種の占める位置は、数百万年かけて形成された特異なものである。その水系の中では、ある種の「安定状態」が確立されており、容易に他の種と「置き替え」られるものではない。

 ところが、そこへ「人の手」によって、その生態系がまったく予期していなかったものが持ち込まれることによって、数百万年という長い歳月をかけて形成された生態学的「安定状態」が一気に崩壊することがありうる。しかも、一度崩壊した「安定状態」が、再び「元の安定状態」に復することは、論理的にあり得ない。この辺りは、熱力学の第三法則、いわゆる『エントロピーの法則』と類似性がある。これらの例は、哺乳類は「旧型」の有袋類しかいなかったオーストラリア大陸に、18世紀になって人間の手によって、ヒツジやウサギといった「新型」の哺乳類が持ち込まれ、大きく生態系を破壊してしまったことと共通している。

▼北朝鮮と同じ論理の釣り愛好人

 このような経緯を経て、わが国(註:そもそも「島嶼国家」である日本は、それだけでも、他の大陸には見られない貴重な固有種が数多く存在する)の内水面の生態環境は大いに破壊されてしまった。これだけでも生態系破壊の「許し難い話」ではあるが、ある意味、世界各地で実際に「ありそうな話」である。しかし、ことブラックバスについては、これを野放図に放流してきた釣り人たちが「反省」するどころか、自分たちの無思慮な迷惑行為を正当化すらしようとしているのである。曰く、「われわれは『漁』をしているのではない。ブラックバスたちとの知恵比べを行うことによって『釣る』という行為そのものを楽しんでいるだけである。その証拠に『キャッチ・アンド・リリース』といって、釣り上げたバスは必ず再放流している。モロコやフナが減少したのは、ブラックバスのせいではなくて、生活排水などによる琵琶湖の水質汚染が原因かもしれないではないか…」身勝手な論理にもほどがある。さすがに、魚としか知恵比べのできない連中の考えそうなことである。

 よくよく考えて欲しい。いくら「キャッチ・アンド・リリース(捕まえ、そして、逃がす)」と言っても、釣り人たちの楽しみのために、魚の都合も聞かずに、擬似餌でこれを釣り上げ(キャッチ)、自らの征服欲(達成感)だけを楽しんでから、再び水中に放り込む(リリース)のである。しかも、有無を言わさず、口に太くて鋭利な鉤針をねじ込まれ、自分の身に何事が起こったかも判らずに、ともかく、その緊縛から逃れようとして全体重をかけて抵抗し(註:釣り愛好家は、これを「ファイト」と呼ぶ)、その結果、生命の危険にかかわるような重傷を負う可能性が大である。少なくとも、口中のケガは相当のものであろう。魚だって痛みは感じるはずである。

 そして、釣り人の征服欲だけを達成したら、「もっと大きくなって戻っておいで」とか言われて、「御用済み」で放り出されるのである。「生娘を手込めにした後に解放して、何くわぬ顔をしている悪代官」と同じである。リリースする瞬間は、まだ傷ついて、そんなに時間が経過していないので、魚はピンピン跳ねているが、水中へリリースされたブラックバスの何割が、無事、次の日まで生き延びられるかは、大いに疑問である。釣り愛好家の中で、この追跡調査をした人でもいるのだろうか…。釣り人は、自分の目の前を通過する瞬間だけ、殺生をせずに生かしてやっておれば、それで「慈悲深く助けてやった」と思っているのだ。

 この論理って、どこかで聞いた話とよく構造が似ていると思わないか? そう、北朝鮮による「拉致事件」と同じパターンである。相手の意志や都合も考えずに、自分が勝手に「拉致」した人々を「帰国させてやった」とは、盗人猛々しいにもほどがある。拉致された当人たちの二十数年間の肉体的・心理的苦痛はいかばかりかと思ってしまう。これを、「目的(対韓工作)が済んだので返す」と言って解放し、そのことを受けて、「共和国(北朝鮮)が譲歩してやっているのにもかかわらず、日本政府が国交正常化交渉を進めようとしないのは不誠実である」と、訳の分からない理屈を垂れているのと、ある意味、同じ論理である。

▼ 他のいのちの犠牲の上に生きる意味

 滋賀県の『琵琶湖のレジャー利用適正化条例』が定める外来魚のリリース禁止に対し、釣り愛好家のタレント清水国明氏が、10月18日、滋賀県を相手に、『バスの再放流禁止義務の不存在確認』などを求める訴訟を大津地裁に起こした。訴えでは、「条令は、琵琶湖の在来魚減少の主原因は外来魚のバスであると合理的根拠なしに決めつけて、釣り人の権利を侵害しており、憲法違反である」などと主張している。マスコミからのインタビューを受けた清水氏は、「リリースは、生き物を相手にする時のマナーである。条令は(リリース禁止を)再考してほしい」と話しているが、ご当人は、自分たちの論理がいかに身勝手な論理であるのか解っているのであろうか? しかも、条例制定後わずか2日で訴訟が起こされたものも、いかにも不自然である。訴訟を起こすのにはそれなりの書類等の準備が必要なはずである。この場合は、はじめから、ある政治的意図をもって準備されていたか、単なる売名行為のいずれかであるといっても過言でない。

 私は、食べるため(註:自分が直接食べるためと、漁業として他者に食べさせるための両方を含む)に狩猟をすることには、疑問を抱いていない。むしろ、このことは、他の生物のいのちの犠牲の上に立ってでしか、自らのいのちを生きながらえられないのが、人間(すべての動物を含む=一切衆生)の定めであることを自覚する上で重要なことであると思う。であるからして、人間であるかぎり、殺生の可否を問うことよりも、むしろ、「他のいのちの犠牲の上に成り立っている自己のいのち」に相応しい価値ある人生が送れているかどうかを常に自己吟味すべきだと思う。もし、ブラックバスは人が食するのに適さない魚だというのなら、釣り上げたブラックバスをすり身にして、他の養殖魚の餌にすれば良い。それでこそ、ブラックバスも「浮かばれる」というものだ。すべてのいのちは連鎖しているのだから…。しかも、釣り人が「魚との知恵比べ」を所望するのなら、魚の数は少なければ少ないほど、釣り人の腕前が見せられるというものだ。「釣れて当たり前」じゃ面白くないだろう。

 ところで、先日、興味深いTVニュースを衛星放送で視た。最近、北米の五大湖流域において、アジア産のコイが無断で放流され、大変な勢いで増殖して環境問題になっているそうである。中国人の風習では、中華料理に使うコイ(活魚)を魚屋で2尾購入して、1尾はそのまま料理に使い、もう1尾を放流してやると、その功徳によって裕福になれるそうで、アメリカ各地の中国系のコミュニティがある町(ほとんどの大都市が相当)の水系では、今、猛烈な勢いでコイが増加している。ABCニュースのレポーター氏によると、「このままでは、太古より独自の生態系を保ってきた五大湖が、アジア産の外来魚の侵入によって、その生態系が破壊されてしまう」そうである。どこかで聞いた話ではいか! 日本ではブラックバスにコイが喰われ、米国ではコイにブラックバスが喰われるそうである。先住民を駆逐してこの大陸に住み着いた欧州人の子孫であるレポーター氏の弁である。五大湖のコイの問題が、アメリカにおける人種や文化問題にまで波及しないことを望む。


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