自由の代償としての文化破壊は許されるか
 
03年04月20日


レルネット主幹 三宅善信


▼これも自由の代償だ!

 今回のイラク戦争は、歴史上初めて、メディア関係者が大挙して戦争の現場で映像取材活動を行い、世界中の人々がリアルタイムでイラクで行なわれている戦争の実況生中継をそれぞれの家庭や職場で視たという意味で、「21世紀の新しい戦争」であった。開戦からちょうど1カ月を経た今日、実質的な戦闘行為は、アメリカ軍の圧倒的な軍事力の前にイラクの「独裁者」フセイン政権が崩壊するいう形で終息したが、同時に、この戦争は、世界中の人々が「目撃者」となった(註:というよりも、戦争当事者たちも、視聴者を常に意識しながら戦争を演出した)という意味でも、考えさせられる戦争であった。

 「この戦争を映し出した映像の中で、どのシーンが最も印象的であったか?」という質問に対して、多くの人が、バグダッドが陥落した4月10日に、パレスタインホテル近くの「フセイン大統領の銅像がアメリカ軍の装甲車によって引き倒され、それに歓喜するバグダッド市民の場面」をあげた。事実、テレビもまたこの場面を何度も何度も繰返して放送した(註:この場面がなければ、今回のアメリカの戦争は正当化されないのであるから、世界中のジャーナリストが滞在していたパレスタインホテルの目の前で、アメリカがハリウッド映画ばりのシーンを演出し、ひょっとしたら、歓喜するバグダッドの市民も金で雇われたエキストラかもしれないとすら思わせられた)。


家財道具を堂々と略奪する
「解放された」バグダッド市民

 一般的には、これを最も印象に残ったシーンとして挙げた人が多いが、アメリカによる今回の対イラク侵略戦争において、TVカメラが映し出した映像で私が最も衝撃を受けた場面は、「解放された」バグダッドの民衆が略奪行為を欲しいままにし(註:米国はこの様子を積極的にオンエアすることによって、イラク内外に向けて、フセイン政権が実効支配能力を失ったということを明らさまにしたかったものと思われる)、中でも、人類最古の都市文明であるメソポタミア文明の遺品を数多く蒐集(しゅうしゅう)した国立博物館の貴重な歴史的文化財を略奪あるいは破壊したシーンであった。おそらく博物館関係者であろうと思われる男が泣きながら「七千年の歴史が失われてしまった!」と叫んでいたが、バグダッドを占領したアメリカ軍が、この全人類にとっても貴重な「最古の文明(の遺物)」に対する配慮をあまりにもしていなかったことに私は驚いた。たかだか、どこかの金持ちの家に押し入って、見栄えのする調度品の壷を盗むのと、数千年前のバビロニアの壷を盗むのとでは意味が違う。


メソポタミア文明の歴史的遺産を
略奪されたバグダッド博物館

 勝利の実感に酔って記者会見に臨んだはずだのに、世界中から集まった記者連中にこのことばかりを質問(批判)されたラムズフェルド米国防長官は、記者会見で「これも自由の代償だ!」と逆ギレして、記者たちから失笑を買った。ラムズフェルド長官は、「自由な人々は、自由に過ちを犯し、自由に犯罪に走る。今回のバグダット市民のたかが略奪行為によって、これまで長年抑圧されていたイラクの人々が解放されたこと(へのアメリカの貢献)が相殺されてしまうのか!」などと気色ばんでいるのを聞いて――私は、はじめからラムズフェルドという人物を評価していなかったが――たかだか227年の歴史しか持たない「底の浅い」アメリカ人の考えそうなことだ、と確信を深めた。どんなに酷い独裁政権でも、数十年も経てば、放っておいても崩壊するが、壊された古代文明の遺品は永久に戻らない。

▼ 歴史への敬意と未来への責任

 私は、そもそも民主主義という制度を、人類にとって普遍妥当性を有している制度だとは信じていない。もちろん、そこらへんにある安物の独裁政治よりは、はるかにレベルが高い(註:ここでいう「レベルが高い」とは、一部の指導者だけでなく、民主主義を担う「国民のレベルが高い」ということを意味するが、ついぞ「大多数の国民のレベルが高い」という国なんぞにお目にかかったことがない)政治システムだとは思うが、さりとて、仮に「国民のレベルが高かった」としても、民主主義的方法によって決せられたことがすべてに優先する価値を有しているとは思えないのである。なぜなら、民主主義の手段である代議員(政治家)の選出や、国論を二分するような重要な案件に対する住民による直接投票は、一般的にはその投票者(もしくは有権者)の中で過半数を取ればいいことになっているが、これらは皆、現在生きている人たちだけに投票行為をする選択権があるのであって、過去の歴史的経緯や、これから将来生れてくるであろう世代に対する責任というものが、しばしば軽んじられているからである。

 例えば、「減税」政策ひとつを取ってもみても、誰だって納める税金は少ないほうが良いに決まっている。しかし、将来の世代へのしわ寄せというものを考えずに、現在の自分たちだけが楽をすることのみを考えて「減税」に走るのは、為政者が目の前の選挙を有利に進めるのには有効な方法かもしれないが、そのような安易な政策は必ず将来に禍根を残すと思われる。ちょうど、わが国における採算性を度外視した整備新幹線や高速道路網の建設という公共事業。さらには、いったん造ってしまえば、たとえ将来不要になったとしても、それを撤去して元の自然の状態に戻すまでに何十年かかるか判らない原子力発電所建設などの案件を決めるのに、このような現在生きている有権者の損得勘定に基づく賛否だけでもって決めてしまう(正統性を与える)のはどうかと思う。たとえ、現在生きている国民の99%が賛成したからといっても、これから何千年の間にこの世に生れ出てくるであろう全ての人々の数の総計から言えば、現在生きている人は少数派に違いない。このような点も考慮して慎重に考えるべきである(註:もっと「時間のアセスメント」という考え方も導入されるべきである)。さらに、これまで何千年も続いてきたそれぞれの国や地域の歴史や文化といったものに対する尊敬の念も必要であろう。過去の歴史への敬意と将来の世代への責任というものを考慮しないような民主主義があるとしたら、私はそのようなものを信じていない。

▼ フセイン体制によって保護されていた古代キリスト教

 この度、イラクが独裁者から「解放」されたことによって歓喜する人々の顔が繰返しテレビで流されたが、そのことは、宗教的に見れば、思いもかけない新たな迫害を産み出すことになる可能性があるのである。イラクという国は、イスラム教の二大宗派であるスンニ派とシーア派の人々から主に構成(註:キリスト教をはじめ人口比で2〜3%の宗教的少数派が存在する)されている。世界的に見ると、シーア派はイランを中心にして、全イスラム教徒の約20%しかいず、スンニ派が圧倒的多数を占めるのであるが、イラクという国の中だけで見れば、逆にスンニ派が約4割に対して、シーア派アラブ人が南部や東部を中心に約6割という比率になっている。しかも、その4割のスンニ派の約半数が、アラブ人ではない北部の少数民族であるクルド人であるので、実際にフセイン政権を支えてきたバース党の支配階級(スンニ派のアラブ人)に属するのは、全国民の2割程度にすぎないのである。

 そもそも、現在のイラク共和国の前身(バース党革命以前の国体)は、英国がオスマントルコ帝国の勢力を削ぐために建てた(現シリア共和国の)ダマスカスに都した「大アラブ王国」が1920年に滅亡したので、その国王であったハシミテ家(現在のヨルダン王室)のファイサルを連れてきて建国した傀儡(かいらい)の「イラク王国」という国である。この国は、北方のクルディスタン(クルド人の国)の一部と、中央部にある古都バグダッドを中心としたメソポタミア、そして南部のペルシャ湾岸のバスラに拠点を置いていたシーア派の人々の国を三つ引っ付けて、強引に「イラク王国」として英国が建てた国である。同様に、聖地メッカを抱えるアラビア半島の中央部には、イスラム教復古主義のワッハーブ派思想に基づき、やはり、英国が後押ししたサウド家という豪族の頭目を国王に戴いて建てたサウジアラビア王国がある。


キリスト教徒でありながら
フセイン大統領の右腕であった
アジズ副首相

 しかし、アメリカが言うほど、あるいはわれわれが思っているほど、フセイン政権下のイラクは、宗教的には抑圧された体制ではむしろなかった(註:もちろん、反体制的な活動をする宗教勢力については、それなりの弾圧を加えていたが、それはあくまで政治上の活動についてであって、彼らの教義や信仰上の問題についての弾圧ではない)。バース党は世俗主義政党(註:アラブ民族至上主義を奉じる国家社会主義政党)であり、他のイスラム諸国に見られるような、神懸かりの政教一致的政権ではない。その証拠に、彼らはイスラム教徒独自の被りものをせずに、欧米風のネクタイとスーツもしくは軍服を進んで着用しており、これまで何度も取り上げたように、フセイン大統領の右腕にとも言えるアジズ副首相に至ってはキリスト教徒ですらある。このようなことは、サウジアラビアやイランでは考えられないであろう。このように、フセイン政権はイラク国内の少数派である(人口の2〜3%に過ぎず、それ故に政治的には対抗勢力になり得なかった)キリスト教徒に対しても、彼らの信教の自由に対しては配慮してきたのである。

▼ イラクは生きた歴史博物館でもあった

 実は、イラクにおけるキリスト教の歴史は、イスラム教のそれよりも長い。例えば、古代アッシリア帝国の遺民が連綿として引き継いできたネストリウス派のキリスト教がある。彼らは3世紀頃キリスト教徒となった。7世紀にこの地域全帯がイスラム化して以来1,300年の歴史が経過したが、後に、キリスト教世界の中心となったヨーロッパからは「忘れ去られた存在」として、古代のキリスト教(註:ローマ帝国の国教となる以前のキリスト教の一派)の信仰をしっかりと受け継いできたのである。

 今回、イラクが「解放」されたことによって、アメリカの占領後(註:米国政府の一部で、今回の「イラク占領」を太平洋戦争終結後の「日本占領」をモデルにしようと考えている勢力もあるように聞くが、とんでもない話である。たとえ、ボロボロに敗れても、天皇陛下は逃げも隠れもされなかったし、民衆による略奪行為など起こらなかったガバナビリティの高い日本とイラクとでは、政治・社会構造がまるで違う)のイラク自治政府の運営は、おそらく親米亡命帰参組の手から、早晩、多数派を占める民族主義的なイスラム教徒の手に委ねられることになるだろう。そうなれば、この地域における宗教的マイノリティとしてのネストリウス派のキリスト教徒が迫害を受けることは、火を見るよりも明らかである。しかも、このキリスト教徒たちは、一般に欧米人が想起しているキリスト教(カトリックもしくはプロテスタント)ではないキリスト教なのである。場合によっては、バグダッドの博物館で数千年の歴史を生き延びた人類共通の有形財産である古代メソポタミア文明の遺物が、「自由」という名の略奪行為によって失われたのと同様に、2,000年間の活きた歴史を持つネストリウス派のキリスト教という無形の文化も失われてしてしまうかもしれない。

 これらの出来事もみな「これも自由の代償だ!」と一蹴してしまうのであれば、今回のイラク戦争によって失われたものはあまりにも大きいとは言えないであろうか? そういえば、今日4月20日は「イースター(復活祭)」である。キリスト教徒にとっては、十字架刑で殺されたイエスが3日後に復活したと信じられている(註:死んだイエスが復活することを信じることが、「イエスが神の子であると信じる」という信仰告白と同意であるから)キリスト教最大の祭日である。イラクにおける世界最古のメソポタミア文明の遺産が、いつの日か復活することを私は願って止まない。


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