神に弾かれた男:西宮神社開門神事異考
04年01月13日


レルネット主幹 三宅善信


▼今年の福男はこうして決まる

  商売繁盛の神様「えべっさん」(註:本来なら、「ヱビス」ビールと同様に「ゑびす」と表記すべきであるが、「ゑ」の字が一般に馴染みが薄いので、本論では「えびす」と表記する。神名の漢字の当て字としては、「戎(えびす)」や「蛭子(ヒルコ=えびす)」の表記が正しいが、後に雅字として「恵比寿」や「恵比須」が宛てられるようになった)の総本社である西宮神社(吉井良隆宮司・兵庫県西宮市)では、毎年「十日戎(とおかえびす)」の当日である1月10日の午前6時に『開門神事福男選び』と呼ばれるイベントが行なわれている。これを「神事」と言うにはあまりにも単純明快で、西宮神社の正門である表大門(通称「戎さんの赤門」)が開き、詰めかけていた大勢の男たちが一勢に走り出し、最も早く本殿に到達にした人がその年の一番福となる。同様に2位、3位までが、二番福三番福と呼ばれ、神社から顕彰される。ただそれだけの神事である。途中参道が3回ほど急カーブする箇所があるが、そこで勢い余ってコースアウトしたり、あるいは本殿前の階段で転倒したりするので、毎年それなりの「ドラマ」が展開されるのである。

  数年前からは全国放送でも紹介されるようになり、参加者の数が急激に増え、今年などは、徹夜組も含めて開門時には、既に2,000名もの人々が赤門前で押し合いへし合いの興奮状態を迎えていたのである。そこで「事件」が起きた。今年、見事一番福になった男は、昨年もこの神事に参加し、鍛え上げたその身体能力でトップを爆走し一番福を目前にしていたが、なんと本殿の手前で転倒して一番福を掴み損ねた大阪市消防局に勤めるAさんであった。この模様を伝えたマスコミ報道(註:地元の関西ローカル放送局では、通常、開門の瞬間のスタートダッシュの様子と、本殿へゴールする様子が中継されることが多い)では、一番福を掴んだ幸運の男に「喜びの声」をインタビューしており、今年の一番福を掴んだAさんも「昨年はゴール直前で転んだので、今年はしっかりと足下を確認しながら走りました。『一番になったら辞める』と決めていたので、これで引退できます」と息を弾ませながらインタビューに笑顔で答え、その間もAさんの周りには一番福にあやかろうという人々が群がり、もみくちゃにされていた様子が印象的であった。


▼思わぬ展開で一番福を返上

  ここまでなら、例年の『開運神事福男選び』の報道と同じなのであるが、今年はオンエア直後から異変が起きた。というのは、画面を通して視る限り、門が開いた瞬間に、ひとり優勝したAさんだけが数メートル飛び出し、赤門では、他の人々が飛び出すのを左右の人が腕を組んで妨害している同じユニフォームの一弾が映っていたからである。この映像を視た人たちが、テレビ局やAさんの勤務先の消防局に抗議の電話をかけたのである。どう見ても、Aさんの仲間と思しき一団が、Aさんが独走できるように他のライバルとなりそうな人の進路を妨害しているように見えるのである。幅数メートルの門であるから、門前に例え千人の人が待っていても、おそらく実質的に、一番福になれるのは最前列部に並んでいる十数人に限られる(註:それ故、何日か前から泊まり込んでの「場所取り」が重要なのである)。その最前列で数人の男が両手を広げて他の人たちの走るのを妨害したら、ある意味、誰だって一番福を取れるというのである。


どう見ても、腕を組んで他の ランナーの
スタートを 妨害しているように見える一団。
その前で、 一人飛び出しているのがAさん

  視聴者から寄せられた「不正疑惑」に対して、当初Aさんはそのことを否定し、また、開運神事に参加していたAさんの同僚の消防士たちも否定していたが、問題が大きくなり、Aさんたちの勤務先である大阪市消防局も事態を放置することができなくなって、消防士たちに事情聴取した結果、開門神事に参加した同僚の11人が、他の参加者のスタートダッシュを妨害するために事前に打ち合わせしていたということが判明したのである。事態が本人たちが想像もしなかった思わぬ方向に進み、終収にやっきとなった消防局内部でもいろいろあったのであろう。Aさんは、ただ「精神的に疲れた」とだけ言い残し、12日夜、西宮神社を訪れ、一番福の認定証を返上したのである。

  文字どおりの「三日天下」であった。いったん認定された一番福が返上されたのはもちろん初めてである。例えば、オリンピックでは、金メダルを取った選手が後にドーピング等が判明して、メダルを剥奪され、2位3位の人が繰り上がるというようになっているが、「神事」の主催者である西宮神社では、そんなことは行なわれず、あくまで二番福の人は二番福三番福の人は三番福のままで、今年は一番福空席ということになった。しかも、神社側は本人の意志を尊重し、理由を聞かずに認定書の返上を受けたというのである。けだし「正しい判断」である。


▼日本では、人を出し抜くことは卑怯ではない

  しかし、いうまでもなく、西宮神社の開門神事はオリンピックや世界選手権といった陸上競技ではない。年々、競走がエスカレートし、実際、ここ十数間年は上位入賞者は現役の陸上選手もしくは陸上経験者が占め、持ち時間も100メートル10秒台の国体クラスのランナーばかりであるが、これは陸上競技でないことは明らかである。だから、終了後にドーピングもなければ「他の走者を妨害してはいけない」というルールもない。事実、毎年程度の違いはあれ、肘打ちなどの走行妨害や途中にある急カーブの箇所で自らの前を行く走者の背中を押す人が後を断たない。人は走ってみれば判ることであるが、自分が走っている時に急に後ろから押されると、しかもそこがカーブでだったりすると、バランスを失って転倒することがよくある。

  そもそも日本文化の伝統というコンテキストでは、「人を出し抜く」ということは、決して卑怯なことではなく、むしろ将としての才能の一部だと評価される。『平家物語』の中の有名な「宇治川の先陣争い」でも、鎌倉方の武将佐々木四郎高綱は、同僚のライバル梶原源太景季を言葉巧みに欺き出し抜いて、対岸の敵方に先制攻撃を加えるシーンがいきいきと描かれているように、「人を出し抜く」ことこそ将才であり、そのことを「卑怯者」と否定しているどころか、出し抜かれたほうを「間抜け」とすら評価している。したがって、西宮神社の開門神事においても、今回の消防士の一団が「策を弄した」こと自体が「不正」であるように言われるのは、むしろ心外であろう。したがって、神社側も明らかに徒党を組んで進路妨害をしたと思われる最初に神前に来た男に一番福を授けたのであり、当の消防士自身も満足気に「ヒーローインタビュー」を受けていたではないか。

  ただし、問題がないこともない。しかし、このことは世間で言われるような「卑怯」云々の問題ではない。今回、一番福に選ばれたA氏(とその仲間)は、昨年の開門神事での転倒の雪辱を期し、少しでも良いポジションを取るために4日も前から泊まりこんでいたということである。熱心と言えば熱心なことであるが、よく考えてほしい。通常、消防士はの勤務パターンは「一勤一休」、つまり、24時間スタンバイしてその次の日がまるまる一日休みの繰り返しである。したがって、4日前からそこで場所取りをしているということは、何人かの消防士が仕事をサボっていたことになる。たとえ有給休暇届けを提出していたとしても、この時期は正月休みシフトから通常の勤務体制へのシフトバック調整期間の上、出初め式等消防署としても行事が多く、人手が薄くなりがちで、いったん大規模な火災でも起こればたいへんなことになるのである。そのことに対する公務員としての自覚を問われれば、そういう点では問題があると私も思う。


▼新暦の十日戎の目玉として明治末期に創られた神事

  私は、1999年から2001年までの3年間、西宮神社で開催された「えびす信仰研究会」および2002年から2003年までの2年間にわたって開催された「民間信仰共同研究会」なる学際研究グループ(註:大手前大学の米山俊直学長を座長に、国立民族学博物館の中牧弘允教授他ユニークな顔ぶれが集まった研究会である)のメンバーを務め、過去5年の間に毎年数回、西宮神社を訪れ、えびす信仰の周辺についてもそれなりの見聞を広めたつもりである。その研究会で知ったことだが、実はこの「福男選び開門神事」というのは、今から約80年ほど前に始まった比較的「新しい」神事である。江戸時代以前にはもちろん、わが国では「陰暦(太陽太陰暦)」が普及しており、人々の日常生活は陰暦のカレンダー(註:因みに「kalendae」というラテン語は「1年の最初の日(=1月1日)」という意味である)に基づいて営まれていた。

  ところが、明治維新政府は、欧米列強に合わせる(文明開化)ため、明治6年末、突然「太陽暦(グレゴリオ歴)」を採用するのである。いわゆる新暦である。太陽暦採用当初は多くの混乱を社会にもたらした(例えば、借金の支払い期日の決算方法など揉めることが容易に想像がつく)が、急速に日本が「近代化(註:社会制度が表面上、欧米化すること)」をするに至って、伝統的な神社仏閣での行事も序々に新暦で行なわれるようになっていった(註:もともと盂蘭盆(お盆)の行事は、旧暦の7月15日を挟んで行なわれていたが、新暦を採用した維新政府に気兼ねした東京の人々は、その行事をそのまま新暦の7月15日に移行させて実施したが、中央政府の目が届きにくい上方では、従前(旧暦)の季節感を尊重して、自動的に1カ月後へずらして新暦の8月15日にお盆を行なうようになった)。日本の伝統文化揺籃(ようらん=ゆりかご)の地である近畿地方には、全国的にも有名な神社が数多くある。戎神を祀る神礼もその例外ではなく、このえびす総本社である西宮神社の他にも、「ミス福娘」で有名な大阪の今宮戎神社や、堀川戎など、いくつかの有名な「えべっさん」があるが、西宮神社以外のこれらの神社は皆、早々と新暦で「十日戎」を執行するようになったが、西宮神社では、「総本社」ということもあって、かなり後まで厳格に旧暦で十日戎を行なっていた。

  ところが、やはり、文明開化という時代の趨勢には逆らえず、しばらくすると、新暦と旧暦の二度十日戎を行なうようになってきた。しかも、「えべっさんの縁日」といえば、上方では1月10日を挟さんだ9日の宵宮、10日の本戎、11日の残り福のことと決まっているが、近畿地方以外では、江戸時代(註:現在でも地方によっては)には「えびす講」の日は11月20日と決まっていたので、総本社の西宮神社では、新暦の1月10日とえびす講の20日と旧暦の1月10日(新暦の2月上旬頃)というように、一時期は3回「十日戎」の縁日が行なっていた過渡期もあるが、次第に時代の趨勢に合わせて、明治40年頃まで(註:1905年(明治38年)に阪神電車が梅田(大阪)・三宮(神戸)間で開通し、地元西宮の氏子だけでなく、阪神間から大勢の人々が参拝するようになった)には、一般の人々のお参りは新暦の1月10日に十日戎が行なわれるようになってきた。ただし、一般の人のお参りの有無には関係なく、神社独自の神事としての十日戎は、昭和20年(1945年)まで旧暦の1月10日に行なわれていたのである。そして、阪神間のえびす社では「後発」の神事となった西宮神社の新暦の十日戎の目玉行事として、この「開門神事福男選び」というイベントが行なわれるようになったのである。この行事は、当初から新聞等に掲載され、マスコミとの密接な関連をもって発展していくようになった。


▼開門神事の神学的考察

  西宮神社においてはご祭神である西宮大神(註:そもそも「えびす」というポピュラーな神様の正体がよく判っていない。「えびす神」の名前は、記紀神話にも延喜式にも記載がない。また、西宮(にしのみや)という社名にも謎が多いが、これらの疑問については、いずれ、稿をあらためて論述したい)をお招きする1月10日の午前4時からの「居籠(いごもり)神事」が古来より執り行なわれてきた。一般に神道では、神は祭りの時だけそこへ招き、祭りが済むとどこかへ行ってしまうことになっているが、この居籠神事によって、西宮神社の本殿にえびす神(=西宮大神)が招来し、そのことをもって「本戎」状態となるのである。そして、そのまさに「えびす神が来臨されている本殿」に最も早く到達した人が、その年の「福男(神によって祝福された人)」であるというふうに神学的には解釈されているのである。

  甲南大学の荒川裕紀氏は、数年連続で開門神事に参加し、研究者としてだけでなく、自ら走者としてこの神事を体験するという方法でフィールドワークをされたが、同氏の『十日戎開門神事考察』(2001年)によると、戦前にはすごい人物がいたそうだ。1年365日欠かさず、西宮神社に参拝し、門前や参道の掃除までした材木商の田中太一なる人物は、記録が残っているかぎり大正10年(1921年)から昭和13年(1938年)まで、開門神事が行なわれなかった昭和10年を除いて、なんと16回も一番福になっているのである。それ以外にも、この開門神事では多くのドラマが繰りひろげられてきたが、過去80年間に及ぶ歴代福男の記録を見ると、たいていは、一度、福男になると3〜4年間は、連続して一番福になるようで、たいてい新たに一番福が交代する場合は、前年の2番福であったり、3番福であった人物が1年間、大変なモチベーションを維持して準備を整えて挑戦し、一番福になっていくようである。

  戦前は、この田中太一氏のように、材木店に勤めていたり、建設業や水産加工業に従事する人々、つまり地元で実業に就いている人が多かったが、ただ単にスピードを競うイベント化したここ20年くらいは、先述したように、ほとんど陸上選手が上位を占めて、宗教性の薄れた単なるかけっこになってしまっているのである。さらに、最近では、陸上選手あがりの消防士たちが多く参加するようになっていた。学生のように4年間という枠もなく、日頃の訓練で身体を鍛えており、なおかつ、同じ職場の同僚たちのチームワークも整っているので、消防士にとっては、この神事の方式は有利であることには違いない。ただし、先ほど述べたような理由で、どんどんエスカレートし、何日も前から泊まりがけでの場所取りが日常化するようになっては、市民の生命財産を守る消防士が参加すること自体いかがかと思う。

  そういえば、今回念願の一番福になったにもかかわらず、2日後にはその一番福を返上しなければならないことになった消防士のAさんの「今年何がなんでも一番福を取りたかった」理由が、昨年本殿前のゴール直前で転倒して優勝を逃したからであり、このことがトラウマとなって、Aさんは一年かけてリベンジを誓い、今年は同僚を巻き込んで徒党まで組んで一番福獲得を果たしたのであるが、よく考えてみれば、昨年ゴール直前の本殿前でA氏が転倒したということがすべてを物語っているのである。すなわち、A氏は初めからえびす神によって祝福されていなかったのである。本人にとっては理不尽なことかもしれないが、神によって祝福されない人間が、いくら自ら人為的な細工を労してみても、所詮はより大きな神意に抗することはできないということをあらためて見せつけられたのが、いみじくも今年の西宮神社の開門神事騒動の本質であったのではないかと思う。

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