今こそ「和魂」を取り戻せ
 
 05年09月02日



レルネット主幹 三宅善信

▼本当の敗戦記念日は9月2日

  戦後60年を経たこの夏、日本の国は大きく変質してしまった。日本人は今一度、1945年(昭和20年)の9月2日という日を噛みしめる必要がある。皆、「終戦記念日」と言えば、昭和天皇の『終戦の詔勅』いわゆる「玉音放送」が流された8月15日のことと思っている(註:事実、毎年8月15日に、天皇皇后両陛下もご臨席されて政府主催の『全国戦没者追悼式』が日本武道館で挙行され、また、この日が伝統的に死者の霊魂を慰める「お盆」の日と重なっているため、なんとなく、この日が「戦記念日」となっているが、国際的には、日本が降伏文書に調印した9月2日が「V-J Day(対日戦争戦勝記念日)」として連合国(=国連常任理事国)各国で祝賀行事行われている)が、国際法的には9月2日である。ここにも、「敗戦」という直裁的な表現を「終戦」という婉曲な表現に置き換えている日本的曖昧さが現れている。

それでは、「戦後60年」を経て、日本の何が大きく変化してしまったのか? それは、ある意味、明治維新によって近代国民国家へと生まれ変わったこの国が、80年間かけて営々と築いてきた「和魂洋才」モデルの国のあり方――すなわち、天皇を中心に戴く擬似的な家族国家体制と、富国強兵政策によって欧米列強の仲間入りすること――が、太平洋戦争における完膚無き敗戦によって、「和魂(わこん)」の部分が瓦解してしまった虚無状態と似ている。

1953年7月8日(嘉永6年6月3日)、開国を迫る米国フィルモア大統領の親書を奉じてペリー提督率いる黒船艦隊が浦賀に来航したのを見て、二百数十年続いた幕藩体制を自ら放棄し、近代国民国家へと大きく国体の変更をもたらしたのと同様、1945年8月30日、コーンパイプ片手に愛機コレヒドール号(註:戦前、フィリピンに大きな私財と利権を有していたダグラス・マッカーサーは、太平洋戦争開戦直後の日本軍のマニラ攻勢によって、命からがらコレヒドール島から豪州へ脱出したことへの私的復讐心によって命名した。フィリピンを脱出する際「I shall return!」と強がりを言ったことはあまりにも有名)で厚木に降り立ったマッカーサー元帥の颯爽とした姿を見て、自ら率先して明治国家の国是であった「和魂」と「強兵」を捨てて、「富国」だけを目標とすることに切り替えた。

三つあった国家目標をひとつに集中して、文字通り「傾斜生産」するものだから、経済が繁栄しない手はない。米ソ冷戦体制という好条件も手伝って、0から再出発した日本の経済力は、あっという間に、アメリカに次ぐ世界第二の規模に達し、遂には、アメリカの座をも窺えるポジションになった。

ところが、共産主義との冷戦に勝利し、本当の「覇王」となったアメリカからすれば、長年「美味しい所獲り」して繁栄を享受していた日本が目障りになったのである。言い方を変えれば、「豚は太らせてから喰え」である。しかして、1990年から2005年まで15年間掛けて、日本人の富をすっかり奪い取りにかかったのである。この間の「失われた十五年」は、まさに、1931年の満州事変に始まって1945年の太平洋戦争の敗戦に終わる日本国民に塗炭の苦しみを味わわせた「十五年戦争」に匹敵する。社会の規範も完全に崩壊した。


真珠湾攻撃60周年の記念日に
戦艦ミズーリ号を訪れた筆者

その最後の段階が、「郵政民営化」美名の下に、日本国民の長年にわたる血と汗の結晶である350兆円の郵貯・簡保の資金を血に飢えたハゲタカである米国資本に献上しようとしている現在の小泉政権である。まさに、1945年9月2日の東京湾に停泊した戦艦ミズーリ号上での『降伏文書』への調印シーンの再現を見る思いである。


▼日本をアメリカの餌食にさせないために

  何故、このような情けない事態になってしまったのか? いろいろな理由が考えられるが、決してそれは、軍事力や経済力の低下が原因ではない。私は、明治維新の際に、間違った「和魂」を選択してしまったからだと思う。「王政復古」の美名の下に、天皇を中心とした神聖国家を目ざしたが、その実、明治政府が日本近代化のモデルとしたのは、欧州の立憲君主制国家であり、その国教会システムを真似て、後に「国家神道」と呼ばれる体制を構築し、それを「和魂」にしようと考えたからである。

しかし、欧州文化のバックボーンであるキリスト教と神道とは、同じ「宗教」という用語で括ることを躊躇(ためら)ってしまうほど異質なものであり、また、長年にわたって諸民族が攻防を繰り返した欧州の皇帝と、専ら御所の中で和歌を詠んでいた文化的祭祀王の天皇とはまた異質な存在である。明治国家の「和魂」とは、その天皇や神道に一神教的な権能を付与しようとした原理であり、文字通り、「新しい葡萄酒を古い革袋に入れ」ようとする行為であった。

  それでは、本当の「和魂」とはいったい何だろうか? それは、極端な言い方をすれば、縄文時代以来、近世に至るまで連綿と伝わるアニミズムを基層とした生命観。あるいは、仏教伝来直後から始まった「神仏習合」に見られるような世界観の総体であると言っても良い。その点、明治の「和魂」は、アニミズムを基層とした生命観を「迷信」と退け、神仏を判然と分離することをもって、「陋習(ろうしゅう)」を打破する原理とした。

本『主幹の主観』のサイトにおいて、終始私が指摘してきたのは、近代国民国家によって新たに創り出された「和魂(わこん)」ではなく、この国の伝統に息づく「和魂(にぎみたま)」とも言える霊性(スピリテュアリティ)が現在でも生きて働いているということ。そして、それは、欧米、アラブ、中国、アフリカ等のどの文明とも異なったものであるが、21世紀の現在でも、日本人のDNAにしっかりと刷り込まれているこの霊性を知ることなしに、諸文明を理解しようとすること自体が間違いである。

しかし、これらの「和魂」は、近代150年の歳月を経て、普通はすっかり「文字化けしてしまった姿」でしか見ることができなくなってしましったので、内外のまったく分野の異なる十人の碩学(せきがく)との対談を通して、一見「文字化け」してしまったこの国の歴史の深層について、ひとつひとつ紐解きながら、解読(デコード)を試みたのが、まもなく刊行されることになっている『文字化けした歴史を読み解く』である。期待して、お待ち願いたい。

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