チャイナ・シンドローム

 08年4月23日



レルネット主幹 三宅善信


▼アメリカの正反対は中国

 読者の皆さんは『チャイナ・シンドローム』という言葉を聞いたことがあるであろう。元々は、1979年3月16日にアメリカで公開されたジェーン・フォンダとジャック・レモン主演の映画の題名で、原子力発電所が深刻な事故で制御不能状態に陥り、ついには炉心溶融(メルトダウン)が起こって、高温の核物質が大地を溶かし続けて、ついには地球の反対側の中国にまで達してしまう。というセンセーショナルな内容のサスペンス映画であったが、その映画公開のわずか十二日後の3月28日に、ペンシルベニア州のスリーマイル島の原発で、深刻な原発事故が本当に起こったので、世界の人々の目をこの問題に向けさせる先導役を果たすことになった映画である。それまでは、医学用語として医療専門家の間でしか使われなかった「シンドローム(症候群)」という言葉が流行し、社会現象を称して「○○シンドローム」と盛んに命名されるようになった。

 もちろん、この映画の「チャイナ(中国)」というのは、比喩的な表現で、地球儀(もちろん、『Google Earth』でもいいけれども…)をご覧になったら判るように、アメリカ合衆国の地理的な真反対側は中国ではない。真反対側はインド洋の中央辺りである。しかし、この映画の作者(ひいては、この映画の本来の観客であるアメリカ人たち)は、気分的には「中国をアメリカの正反対」というように認識していたから、こういう題名を付けたのであろう。では、中国の何を「アメリカの正反対」と認識していたかというと、民族や歴史や文字や社会制度といったあらゆる面において、総合的に判断して「中国をアメリカの正反対の国」と認識していたということであろう。

何も、政治・軍事的に対立している「共産主義vs資本主義」という意味のステレオタイプ化された「対極」なら、当時はまだソ連という強大な敵が存在していたのだから、『ロシア・シンドローム』でも良かったはずである。しかし、実際には『チャイナ・シンドローム』と命名されたし、それで、正解であった。ソ連は、その十年後の1989年の「ベルリンの壁崩壊」に引き続いて、雪崩を打つように自己崩壊し、もはや「アメリカの敵」ではなくなった。同じ年に「天安門事件」が起きたが、中国はその後も「共産党一党独裁体制」というその政治的本質をまったく変えていない。その意味で、『チャイナ・シンドローム』は正解だった。

 21世紀に入って、中国は、地下資源や食料など、世界中のあらゆるもの呑み込みながら、地球温暖化ガスや大気汚染物質を地球規模で猛烈にまき散らし、中国自体が暴走を始めて制御不能となった原子炉のごとき状態になりつつあることは誰の目にも明らかである。このメルトダウンした汚染物質が地球の反対側(中国人にとっても、おそらく「地球の反対側はアメリカ」という意識であろう)に達する日は、そう遠くないであろう。


▼「平和の祭典」という衣の下から鎧が見えた

今年は、四年に一度のオリンピックイヤーである。二千数百年前、都市国家(ポリス)が群雄割拠して覇を争った古代ギリシャでは、オリンピックが開催されている期間中だけは、各ポリスが停戦したと言われる。それ故、オリンピックは「平和の祭典」と呼ばれた。

4月から5月にかけて、のべ地球二周半の距離に当たる行程を世界中の人々の手から手を経て、聖火がオリンピック発祥の地ギリシャから今回の開催地中国へとリレーされた。以前は、オリンピアで採火された聖火のリレーは、オリンピックの開催国内を回るだけであったが、今回の北京オリンピックでは、大々的に世界中を聖火が駆けめぐることになった。その意図は、急激な経済発展によって「超大国」となりつつある中国の国威を全世界の人々に見せつけるためであった。この「聖火リレー」というショーを考案したのは、1936年のベルリンオリンピックを演出したあのアドルフ・ヒトラーである。もちろん、目的は、今回の北京オリンピックと同じである。

しかし、その世界各地での道程は、チベット民族の文化や自決権と信教の自由を力ずくで奪った中国政府への批判行動の絶好のアピール場と化し、それをまた力ずくで排除しようとする中国側の屈強な「聖火防衛隊」のあり方は、まさに「自分たちにとって都合の悪い意見を主張するものは抹殺する」という中国政府のやり方が従来通りであるということを逆に証明してみせる結果となった。まさに、「平和に祭典という衣の下から人権抑圧という鎧が見えた」瞬間であった。


▼長野で問われる日本の品格

  その聖火リレーが日本にもやってくる。4月26日に、長野の街を疾走することになっている。世界中の人々が、日本人がどのような行動を取るか注視しているということを忘れてはいけない。最悪のシナリオは、中国当局の意を受けた団体が現場で一般市民に配布した五星紅旗(中華人民共和国の国旗)を沿道の住民が振って、聖火リレーに声援を送ることである。もし、そんなことになったら、その映像が中国側のメディアに良いように使われるだけである。

  ただし、この最悪のケースが起こる可能性はかなり高い。何故なら、日本では一般にマラソン大会において、主催者側が配布した(例えば主催団体である新聞社の)小旗を無批判に(深く考えずに)沿道の住民が振って選手たちを応援するという習慣が身に付いてしまっているからである。だから、これだけは絶対に避けなければならない。その映像が中国側に良いように利用されるだけでなく、欧米の人々には、「日本人は人権に関する意識が低い」といった誤ったメッセージを伝えてしまうことになるからである。

  二番目に悪いケースは、聖火リレーを実力で妨害しようとする輩が乱入して現場か混乱し、これを排除するために警察が実力行使するという事態である。この場合は、中国側にも、欧米側にも「日本政府には統治能力がない」と認識されてしまうであろう。

  私が考える最良の方法は、以下の方法である。聖火リレーを歓迎する沿道の住民たちが「日章旗(日の丸)」と共に、手に手に「雪山獅子旗」(チベット亡命政府の国旗)(へ跳べるように)やダライ・ラマ14世法王の写真を持って整然と聖火リレーを見送るのである。もちろん、日本国内でチベット亡命政府の国旗なんぞは容易に手に入らないであろう。しかし、今は、インターネットが普及した社会であるので、「雪山獅子旗」も「ダライ・ラマの写真」も幾らでも簡単にダウンロードできる。この日本の民衆の姿が全世界にテレビ中継されたら、それだけで、世界の人々の目に映る日本の国の「品格」は数段上昇するであろう。

 北京オリンピックの聖火リレーに対する世界中の抗議行動は何を意味すると、中国の人々は思っているのであろうか? 単に、「自分たちの成功を妬む輩の妄動」とでも思っているのであろうか? 私には、この問題に対する中国指導部の言葉は、「毒餃子」事件の際の中国当局の白々しい自己正当化以上に虚しく感じられる。こんな「善悪の判断」もできない国家に、世界の平和を守る役割を担う国連安保理の常任理事国を任せるわけにはいかない。

チベットという一小国の、しかもその亡命政府の宗教指導者にすぎないダライ・ラマ14世の自己抑制の効いた真摯な言葉のほうが、はるかに世界中の人々の心を打っているという事実に目を背けるべきではない。もし、中国政府が北京オリンピックを成功させたいと思うのであれば、1979年末の「アフガン侵攻」でソ連が失ったもの(モスクワオリンピックのボイコットだけでなく、間接的にソ連邦の崩壊に繋がった)の大きさを噛みしめるべきである。

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