宗教右派:大統領選挙に見るアメリカ人の宗教意識 
       00年 3月 13日
 
レルネット主幹 三宅善信

▼「宗教国家」アメリカ

  民主・共和両党の大統領候補氏名争いの天王山である3月7日のスーパーチューズデーも、終わってみれば、民主党A・ゴア候補(現副大統領)とG・ブッシュ候補(現テキサス州知事)という両本命候補の勝利に終わった。しかし、日本でのマスコミ報道や政官界関係者の予備選結果の「分析」を見聞していると、どうもアメリカ人の政治的判断基準、特に、それに及ぼす宗教的価値観について、根本的に理解していないように見受けられるので、ここはひとつレルネット流の解釈をしてみたい。

  私の同志社大学院博士過程時代の指導教授である森孝一神学部長の説をひとことでいうと、「アメリカ合衆国という国家は極めて宗教的意志を持った国である」ということである。そのことについての詳しい論証は、森氏が懇談社選書メチエから1996年に刊行した『宗教からよむ「アメリカ」』に詳しく紹介されているが、アメリカという国家の行動原理を理解する上で大変、示唆に富んだ「ためになる」本なので、皆さんも一読されることをお薦めする。確か、立花隆氏も新聞紙上で絶賛されていたように記憶している。アメリカ宗教史学者のMartin Martyは「『歴史におけるアメリカの存在意義は何か?』という根元的な問いと真剣に取り組むことのない思想が、アメリカ国民に強い影響を与えたためしはない」といい、また、現代ドイツの神学者Jurgen Moltmannは「アメリカは共通の過去を持っていないために、共通の未来についての意志を欠くと、昔の民族的アイデンティティへの逆行してしまう国である」と言っている。

  同書における森教授のアメリカ史、ひいてはアメリカ文明、および政治(大統領のイメージ)に与える宗教の影響の大きさに対する分析は全く当を得ているが、そのことに対する評価の点では、私と森教授とは全く逆のスタンスである。森氏は「特殊性(例えば天皇制)よりも普遍性(共和制)を、地域性(例えば血=民族の論理)よりも世界性(イデオロギーや教義)を評価する」姿勢であるが、私の場合は、逆に「普遍性よりは特殊性を、世界性よりは地域性を評価する」という姿勢である。というよりかは、世間で言われる普遍性(universal)や世界性(global)という概念自体を信用していないのである。「普遍」と呼ばれるものの多くは「大きめの特殊」に過ぎず、「世界」もまた「大きめの地域」に過ぎないケースが多い。大きめの特殊が、自らを「普遍」と称して小さい特殊を虐める(例えば、金融界におけるグローバルスタンダードの嵐)ことに対する私の批判については、「主幹の主観」愛読者の皆さんなら、先刻ご承知のはずである。

  いずれにしても、アメリカ合衆国という国家が人類史上稀にみる宗教国家(Theocracy=神権政治)であるということに対する認識では、森教授と私の見解は共通しているので、その観点から今回の大統領選挙(予備選)について、就中(なかんずく)、共和党の大統領候補指名争いでその存在が注目された「宗教右派(Religious Right)」について考察を進めてゆきたい。


▼宗教右派はどうして生れたのか

  最初に、アメリカにおける宗教右派(Religious Right)の発生要因から書く。第2次世界大戦に「独り勝ち(同じ戦勝国でも、戦場となった英仏は経済的には落ちぶれた)」したはずのアメリカでは、その後の米ソ冷戦・ベトナム戦争期を経て、既成の価値観に反対するヒッピー・麻薬・フリーセックス・同性愛・ロックンロール・中絶・ウーマンリブ等のいわゆる「カウンターカルチャー(対抗文化)」が1960〜70年代にかけて盛んになった(これらの現象は、西欧や日本にも大きな影響を与えた)。ところが、この対抗文化の弊害ともいえる伝統的な「家族」の崩壊や犯罪の増加、戦争で打ち負かしたはずの日本やドイツの経済的追い上げ等によって、「強いアメリカ」のイメージを崩壊させられていった。そして、1980年前後になると、これらの社会現象対する伝統的価値観側からの猛烈な反撃が始まった。そのことが端的に現れたのが「強いアメリカ」を掲げて登場したレーガン政権の成立である。西部劇のヒーローのようなレーガン大統領が「悪の帝国」ソ連をやっつけるといったステレオタイプ化した図式がもてはやされた。このレーガン政権誕生の背景にあるのが「宗教右派」の運動であった。

  アメリカ人の宗教心は、われわれ世俗化された日本人や西欧人が想像するより遥かに信仰熱心である(「神の存在を信じますか?」というギャラップの世論質問に、アメリカでは95%もの人がYesと答えたのに、英国では35%の人しかYesと答えなかった)。アメリカでは、現代の手法で世論調査が行われるようになって以来、一貫して、「あなたは先週、教会の礼拝に参列したか?」という質問に対して、「Yes」と答えた人の割合が60%を下回ったことは一度もない。つまり、過半数のアメリカ人は毎週、教会での日曜礼拝に参加している「良きクリスチャン」なのである。さもなくば、「公立学校で、進化論(彼らの主張だと「進化という一仮説」)だけでなく、(旧約聖書に書いてある)神による創造説(いわゆるアダムとイブの話)も教えるべきだ」というような法律が通過するはずがない。驚くなかれ、「イエス・キリストを救い主として受け容れるように、他の人に伝道したことがありますか?」という問いには51%の人が「Yes」と答え、「聖書を実際に神の言葉として、一語一句文字通りに(神による創造や世界の終末など)真実なものとして受け止めますか?」という問いにも31%の人が「Yes」と答えている。これらの傾向を有する人を福音主義(Evangelical)者と呼んでいるが、「あなたは福音派(特定の教派のことではない)のクリスチャンですか?」という問いには、38%の人が「Yes」と答えている。そして、今回問題にしている宗教右派については、「あなたは自分を宗教右派(Religious Right)のメンバーだと思いますか?」という質問には18%の人が「Yes」と答えている。

  しかしながら、レーガン政権成立まで宗教右派の勢力が政治的に大きな影響力を行使することはなかった。というのも、日本のように「与えられた民主主義」の国では、選挙権も文字通り20歳になれば自動的に区役所からハガキが来る(有権者になる)けれども、「民主主義を勝ち取ったと自負する」アメリカでは、一定年齢に達した人が自分で「登録」しなければ有権者にはなれないということが影響している。31%ものアメリカ人が、「聖書を実際に神の言葉として、一語一句文字通りに、真実なものとして受け止める」ということは、「世界の終末」や「キリストの再臨」いわゆる「至福千年王国=ミレニアム」が今すぐそこに迫っているということを信じているということであるから、この世における現実の政治的選択にはあまり関心を示さなかった(投票行動を取らない)という訳である。

  ところが、「アンチ・カウンターカルチャー(反対抗文化)」勢力が形成されるや、Moral Majority(道徳的多数派)やChristian Coalition(クリスチャン連合)と言われるような保守派の団体が次々と結成され、レーガン政権成立前後の経済不況で職を失った「怒れる中流白人」たちが大量にこの運動に流れ込んでいった。時を同じくして世論に大きな影響を与えるようになっていたテレビ伝道師(Televangelist)たちも、その論調を大きく右傾化(原理主義化)させていった。彼ら宗教的右派勢力の掲げる3つの目標は以下のとおりである。

1) 「Humanism批判」:日本にでは、ヒューマニズムは「良い意味」で使われるが、アメリカのコンテキストでは、「人間中心主義」であるヒューマニズムは、全ての事象を「神抜き」で説明してしまうので、ネガティブな意味に取られる(リベラルと同様)。地域の公選制である教育委員職を奪取して、公教育の場において進化論を批判し、公立学校での祈祷(聖書の朗読)の時間を復活させるのが目的。
2) 「Pro-family」:「伝統的な家族のあり方」を大切にする。男女同権には反対。なぜなら、男女同権を認めると、同性愛者が夫婦になることを拒絶できなくなるから。
3) 「アメリカ至上主義」:アメリカ=神の側、神意を実現する国。ソ連(中国でもイランでも日本でもいい。ともかくアメリカに楯突く国)=サタンの側。これをやっつける。


▼誰が宗教右派を取り込んだのか?

  21世紀最初の合衆国大統領を決める今回の大統領選挙の予備選で注目されたのは、現職副大統領のゴア候補とブラッドリー候補の争った民主党の側でなく、ブッシュ前大統領の長男であるG・ブッシュテキサス州知事とJ・マケイン上院議員が激しく候補指名を争った共和党の予備選であった。民主党の予備選は、世間からほとんど注目されることがなく、ブラッドリー候補などは「私がテレビのニュースで採り上げられるには、逮捕でもされなければ無理だ」とマスコミ関係者にぼやいたくらいである。ブラッドリー候補が主張した「銃規制」の問題など、アメリカ社会にとって重要だと思うのは私だけではあるまい。6歳の子供が同じ年の友達を学校で射殺したというショッキングな事件がもう少し早く起きていたら、ブラッドリー候補にも「目」があったかも知れない。一方、共和党の予備選は、宗教右派との関わり合いという点で、大いにアメリカ世論を湧かせた。

  長年、民主党VS共和党という2大政党制が続いてきたアメリカにおいて、大統領はおろか州知事や上下両院議員の選挙においても、両党に属さない候補者が議席を獲得するということはきわめて困難である。特に、1年近くかけて候補者選びが行われる大統領選挙ではその傾向が強い。ここ何回かの大統領選挙では、民主・共和両党に属さない「無党派層・中間層」という新たな政治勢力が出現し、大統領当選者を決める大きな要因となっているが、かといって、両党の公認候補になれなかった人が大統領に当選するにはまだまだ道が遠いのが現状である。1992年の選挙では、立志伝の人ロス・ペロー氏が、また1996年の選挙では、湾岸戦争の英雄コリン・パウエル氏が「第3の勢力」として一時、もてはやされたが結局のところは、11月の本選挙までもたなかった。

  ところが、今回の共和党予備選においては、さらに奇妙な現象が起きた。いわゆる「マケイン旋風」という現象である。民主・共和両党の本命、ゴア副大統領とブッシュ知事よりも、世論調査の結果では、ベトナム戦争の英雄ジョン・マケイン上院議員(アリゾナ州選出・共和党)の方が人気が出たのである。特に、マケイン候補の人気は、無党派層・中間層では抜群であった。1月の時点での世論調査の順番では、1位マケイン、2位ブッシュ、3位ゴアという結果になってしまった。民主党の指名候補選びが、早々にゴア氏に傾いてしまったので、本来、民主党員であった人や無党派層が大量に共和党の州予選に参加し、彼らが押す中道よりのマケイン氏の得票が伸びたのである。そこで、危機感を抱いた「本命」ブッシュ氏は、対抗上、「禁断の果実」ともいえる「宗教右派」勢力に急接近したのである。

  州毎で行われる党員集会といっても、アメリカは大きな国なので、わざわざ会場まで手弁当で出かけていって投票行動を行う党員の数は全党員の数パーセントに過ぎず、雨が降っても槍が降っても、自己の政治的主張をするために党員集会に参加する宗教右派の勢力の票が侮れないものであるからである。ブッシュ氏などは、彼らの機嫌をとるために「カトリック教会は邪教である」と公言している超右派(アメリカにおける保守派とは「WASP=白人アングロサクソン・プロテスタント」のこと)の牙城ボブ・ジョーンズ大学まで出かけて講演をした。自分のことを宗教右派だと自覚しているアメリカ人は18%もいる。この18%という数字がいかに大きな数字であるかは、アフリカ系アメリカ人(いわゆる黒人)の総人口に占める割合が12%であることを考えるとよく理解できる。このブッシュ氏の行き過ぎた右寄り行動に対して平均的アメリカ人は眉を顰めた。こうして、宗教的右派のご機嫌を取ることに成功したブッシュ氏は、スーパーチューズデーにおいて、マケイン氏を破って共和党の大統領候補指名を不動のものにした。


▼「禁断の果実」を食らった者の将来は…。

  ところが、ブッシュ氏は共和党の指名候補となり得たものの、大統領選の本選挙では、マケイン氏を支持していた人の過半数は、同じ共和党のブッシュ候補よりも、宗教的なスタンスが近い、中道よりの民主党ゴア候補に投票するであろう。そこで、奇妙な逆転現象が生じるのである。国民全体からいうと最も人気のあったマケイン候補が2大政党制の弊害に阻まれて、共和党の指名候補に選ばれず、その結果、その支持者層の大半が同じ党のブッシュ候補(第2位)ではなく、敵対する党のゴア候補(第3位)に流れて、結果的には、ゴア候補の支持率が急上昇(3月12日時点では、ゴア49%対ブッシュ43%)してしまったのである。民主党にとってみれば、まさに「漁夫の利」である。サイレントマジョリティ(物言わぬ多数派)に支持されたマケイン氏が共和党の大統領候補に指名されていたら、ゴア氏には勝ち目はなかったであろうが、投票行動において、個々人の政治的判断よりはひとつの教条的な要素のみによって狂信的な統一行動をとって実力を発揮する先鋭集団の票という「禁断の果実」を食らったブッシュ氏が相手なら、ゴア氏も大いに有望である。

  それにしても、このパターン、どこかの国の政治状況と似てきていないだろうか? 低い投票率と、雨が降っても槍が降っても投票所に足を運ぶ一部勢力の意見が、サイレントマジョリティの良識を押し切ってしまうのである。また、権力の側も、一度「禁断の果実」を食らってしまえば、その甘さの虜となってしまい、政権のバランス感覚を失ってしまうのである。そういえば、「人類史上最も偉大であり、神に祝福された国家(マケイン氏の撤退の弁での表現)」であるはずのアメリカ合衆国の「共和制」の理想が、この大統領選挙で揺らいでしまったことを当のアメリカ人たちは気づいているのであろうか? アメリカ合衆国建国からまだ百年少ししか時を経ていなかった明治初年に欧米各国の諸制度を勉強して廻った岩倉使節団の人々が、アメリカ大統領主催のレセプションの際、偉大なG・ワシントン大統領に始まるアメリカ合衆国の高邁な国家理念や共和制という政体ならびに南北戦争を克服した歴史についての説明を縷々拝聴した後に、ひとこと何と質問したか読者の皆様はご存知か? 「ところで、その国父ワシントン大統領閣下の子孫の方は今、どういうお立場に就かれているのですか?」アメリカ側の政府高官は言葉を失ったそうである。

  長年、天皇や将軍を戴いてきた日本人にとって、偉大な創業者の後継者がどうなったのかは最も関心のあるところ――逆を言うと、共和制という政体が根本的に理解できていない――であったのである。逆に、共和制を信奉するアメリカという国は、偉大なワシントン大統領の末裔がどうなったかということは、考えてもみなかったのである。この精神的ギャップは今でも埋められていないが、今回の大統領選挙を観てみると、共和党のG・ブッシュ候補が勝ったとすると、初の親子二代大統領になるし、A・ゴア候補が勝ったとしても、ゴア氏の父親も上院議員であったので、いわば「世襲」政治家の大統領である。「移民の子が一代で大統領にまでなれる」というアメリカンドリームは、とっくの昔になくなってしまっている。日本では、民主的選挙で選んでいるとは言いながら、既に60%以上の国会議員が「世襲」議員であるが、アメリカも日本並みに成熟してきた国家になりつつあるとも言える。「God bless America (神よアメリカに祝福あれ)」と言って筆を置きたい。


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