一家5人餓死事件とノアの方舟
       00年 08月26日
 
レルネット主幹 三宅善信

▼栄養ドリンク剤の効能

  お盆で、それぞれの生家に戻って来ていたご先祖様(の霊魂)が(地獄に)戻られる日とされている8月16日夕方、大阪府泉南市で一家と見られる5人の腐乱した遺体と極度に衰弱した2人が発見されたというニュースが飛び込んできた。その後の調べで、この5人は成人した兄弟姉妹で、死因は餓死。どうやら、この家の主(生き残った男性)が奇妙な宗教を奉じていたらしいということが判明した。

  平成の時代に入ってこの方、モラルハザードに陥ったこの国において、悲しいかな私たちは少々の「事件」では驚かなくなってしまった感があるが、やはり、今回の「事件」には、少なからず特異性を覚えた。というのも、数々の霊感商法や監禁致死事件がカルト宗教集団絡みで起こってきたが、いずれの場合も、たいていは「金絡み」のいわば「下品な」事件であった。「ポア」・「定説」・「天声」等の流行語を生み出したが、いずれの場合も、あまり氏素性のよろしくない人物が、教団内において「教祖」として崇め奉られるようになった途端に、成金趣味の贅沢三昧の挙げ句、さらなる収入増と信者獲得競争を繰り広げた結果、引き起こされた「事件」が中心であった。

  その点、今回の「餓死事件」はおおいに変わっている。バブル以来、金の亡者となり果てたこの国において、一家揃って餓死するなんて「清貧」もいいところだ。少なくとも「宗教ビジネス」とは縁のない話みたいだ。適切な表現とは言い難いが、宗教界にとって近頃稀な「いい話」と言ってもよいくらいである。飢饉などによる食糧難や山や海での遭難によって餓死するのなら、悲惨なことではあるが、十分あり得る話であるが、家の門を一歩外へ出れば食べ物のあり余っている飽食ニッポン社会において、ドリンク剤だけ飲んで、一家揃って飢え死にするなんて、考えただけでもゾクゾクする話である。栄養ドリンク剤を造っている会社もいい迷惑だ。TVコマーシャルを見れば、それさえ飲めば、朝飯抜きでもシャキッとして力が漲(みなぎ)るかの如くの印象を与えているが、それほど濃厚なエッセンス(タウリン・アルギニン・ロイヤルゼリーや各種ビタミン等)だけを抽出して造られているはずのドリンク剤を毎日数本飲んでも、それだけでは「元気溌剌(はつらつ)」どころか、餓死する(効能が期待できない)ということが実証されてしまったのだから…。


▼どこかで聞いたような話

  今回の事件を起こした家族信仰を「宗教」と呼んで良いのか悪いのかは、まだまだ不明な点が多いのでなんとも言えない。というよりか、信仰集団であった若狭一家7名の内、5名が既に餓死してしまい、残された母親(若狭昭子さん)とその兄(若狭隆雄さん)の衰弱も激しく、たとえ健康を回復したとしても、彼らから「まともな(客観的な)」聴取が取れるとも思えないので、結局、真相は藪の中のままで「事件」が「解決」するのであろうが、現時点で公表された資料だけで、私なりの観測を述べたい。

  今回の事件の謎を解く鍵は、なんと言っても、若狭家の庭に掘られた大きな「坑(窪地)」であろう。曰く、「この家の主である若狭さんに『降りた』神様から、『庭にこれこれの坑を掘れ』と言われて、それを実現したまでのことだ」というに違いない。それに対して、私自身も含めて、自分で「常識がある」と思っている大方の人の見解では、単に「気が狂った奴が起こした意味不明の行為」であると決め込んで、坑の分析を打ち切るのが常である。

  しかし、「これに似たような話が、世界中の誰でもが知っている旧約聖書の『創世記』の中に収録されている」と言ったらどう思われるであろうか? それは、『創世記』第6章から第9章までの、いわゆる「ノアの方舟(はこぶね)」の物語である。今、誰でも知っていると言ったが、念のために一応、少し「おさらい」をしておこう。

  旧約聖書の冒頭に収録されている『創世記』は、概ねその第1章が、いわゆる「天地創造」の話。第2章から第4章までが、いわゆる「アダムとイブ」の失楽園の話。第5章が、アダムからノアに至るまでの家系図。すなわち、最初の人間(アダムとイブ)から、だんだんと人類が地上に増えていってノアとその息子たち(セム・ハム・ヤペテ)に至ったという、いわば「繋ぎ」の話。そして、第6章から第9章までが、今回、話題にしている「ノアの方舟」の話。ついでに書くと、第10章が、また「繋ぎ」の家系図。第11章が「バベルの塔」の話(人類が諸民族に分かれた理由)。第12章から第25章までが「アブラハム(ユダヤ人の祖先)」の話。以下、第26章から第50章までが、イサク・ヤコブ・ヨセフといったアブラハムの子孫(ユダヤ人)がなぜエジプトで奴隷の身になったかという話。そして、モーセの活躍する『出エジプト記』への話は展開して行く。


▼「ノアの方舟」との共通項

  さて、問題の「ノアの方舟」の話であるが、概略は以下のとおりである。「全能(であるはずの)主なる神ヤハウェ」が、世界と人間(アダムとイブ)を造ったのであるが、人は最初からその父(ヤハウェ神=以下、単に神と称す)の意図を外れて、罪を犯し(原罪)、その子孫(弟アベルを殺したカインの末裔)が地上に満ちていった。ある時、神は、天地創造のやり直し(人類を含めたあらゆる生命のジェノサイド)を決意する。その時の神の台詞は以下のような激しいものであった。「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這(は)うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」(第6章第7節)。そして、ノアだけに言うのである。ノア夫婦とノアの3人の息子夫婦とノアが選んだあらゆる種類の動物の番一組づつの(つがい)だけを載せる方舟を造れと…。

  全き人であるノアは、神の言葉(ノアにしか聞こえていない)を真に受けて、陸地のど真ん中に、巨大な方舟を建造し始めるのである。当然、街の人々は「ノアは気が狂った」と思って、これをバカにした。ノアの家族だけが一生懸命方舟を造り、完成した暁には、ノアの家族とノアが選んだ動物たちだけを方舟の中に載せて、なんと、アスファルトを使ってこれを密封してしまった。すると、天の底が抜けたような豪雨が40日40夜降り続き、地上から陸地がなくなり、全人類を含めた地上のあらゆる動物を大洪水が一掃してしまう。その後、150日経って洪水が退いた後、ノアは地上に降り立って、神と契約を結び、新たな世界の「アダム」となるのである。

  5人揃って餓死した若狭さん一家が何をしようとしていたのかは知る由もないが、ノアだって、もし大洪水が起こらなければ、方舟の中で「一家8人の遺体発見」となるのがオチであろう。どういう訳か、ある時、ノアにだけ神の声が聞こえて来、しかも、それまで一度もノアには神の声が聞こえたことはなかった。一家のメンバーが「家長」の言うことに従順で、しかも、一般の人々から見れば、とんでもない行為を行って行ったという話である。聖書には、この種の話がいくらでもある。しかも、旧約聖書は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という世界の宗教人口の過半数を占めている「アブラハムの宗教」の共通の聖典である。ということは、全人類の過半数の人が、この種の「変な話」を信じていることになる。そういう観点から、今回の「餓死事件」を見れば、メディアなどで報道されているのとは全く違った見方ができるのではないであろうか…。今後の展開が興味深い限りである。


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