ユーゴと日本 どちらが本当の民主国家か
       00年 10月21日
レルネット主幹 三宅善信

▼ミロシェビッチ政権の崩壊

  10月6日、ユーゴスラビアの大統領選挙の結果発表(選管は、48.22%の得票率をあげた野党連合のコシュトゥニツァ候補の第1位は認めたものの、単独で過半数の得票を得た候補がなく、コシュトゥニツァ候補と38.62%で2位となった現職ミロシェビッチ候補で決選投票を行う)に怒ったユーゴ国民は、連邦議会や国営通信社などを占拠。これまで、ミロシェビッチ大統領と一枚岩だと見られてきた連邦軍や治安警察も、さしたる(大規模な流血に至るような)抵抗もせずに、民衆の"暴動"を見過ごし、パルチザンの"英雄"チトー(社会主義革命以来、四十数年間にわたってユーゴスラビア連邦を統治した大統領)亡き後のユーゴを継承してきたミロシェビッチ"独裁"政権が、あっけなく崩壊した。



 大統領の辞任を求める民衆

  TVの画面を通じて視る首都ベオグラードの光景(歓喜する民衆の姿)は、まるで、ドミノ倒し的に瓦解した十年前の東欧社会主義諸国でのシーンのVTRを巻き戻したようで、私はある種の感慨をもって眺めていた。「ベルリンの壁崩壊」時には、IARF(国際自由宗教連盟)の理事会に出席するためにフランクフルトにいたし、「チャウセスク政権崩壊」直後に、"革命"の勃発地であるトランシルバニア地方の町チミショアラを訪問したこともあるからだ。また、ゴルバチョフ(ソ連)大統領からエリツィン(ロシア共和国)大統領に実質的に権限が移動したクーデターの際にも、私はたまたまイルクーツクにいた。世の中の動きというものは、いったん「流れ」ができてしまうと、何者も抗することのできない濁流となって、善きも悪しきも「旧陋(アンシャンレジーム)」という言葉で一括りにして押し流してしまう。明治維新の際にも、軍事的には"正規軍"である幕府軍のほうが優位であったにもかかわらず、"反乱軍"である薩長勢力が「圧勝」してしまったのも、同じ「流れ」のせいであると容易に想像できる。薩長勢力の略奪行為はすべて、「勝てば官軍」でまかり通ったのだ。だか、今回のユーゴの政変では、略奪行為はほとんど起きていない。

▼選挙は常に「与党有利」

  それでは、今回のユーゴの大統領交代劇は、いったい"革命"であったのか、単なる"政変"であったのか、どちらであろうか? そもそも、まったく「公平な」選挙というもの存在しない。程度の違いはあっても、どの国においても選挙というものは、現政権側に「有利」になっているものだ。たいていの場合、選挙を実施要項(タイミング等)は現政権側が決めているし、たとえその国のメディアが選挙(準備)期間中は、与野党の候補者を平等に取り扱ったとしても、政権側はその期間中に、選挙目的の減税や経済刺激策を発表できるし、外国からの国賓を招いたり、サミット等の国際会議へ参加したりして、ニュースの画面に露出する機会を意図的に増やすことができる。また、たいていの国では、NHKのような"国営"放送が存在し、議会の承認なしに予算が執行されないということからみて、予算の執行権を握っている政権側に甘くなるのは当然である。理想を言えば、選挙の結果(得票率)が51%対49%であったとしても、51%を確保したほうを勝たせるのが、"民主的"な選挙制度であるはずであるが、たいていの場合は、得票率が5分(与党)5分(野党)では「与党圧勝」、4分6分で「トントン」、野党側が完勝するためにはダブルスコアくらいに、野党が得票数を伸ばさなければ政権交代ができないようになっているのが現実だ。

  そういう訳で、今回のユーゴの大統領選挙においても、ミロシェビッチ政権側は、合法・非合法を含めて、考えられるかぎりの「狡(ずる)」をしたと思う。だから、もしコシュトゥニツァ氏側の得票が、ミロシェビッチ政権側の選管発表のとおり、「コシュトゥニツァ候補は、得票数ではミロシェビッチ候補を上回ったが、どちらの候補も単独では過半数を制することはできなかった(よって、決選投票が再び行われる)」というような程度の中途半端な勝ち方しかできなかったとすれば、政権移譲劇は起こらなかったと思う。ユーゴ国民が怒ったのは、政権側の選挙結果の発表が、投票場へ足を運んだ自分たちの実感(たぶんコシュトゥニツァ候補のダブルスコアくらい)とあまりにもかけ離れていたからであろう。

  また、ミロシェビッチ大統領側も、"大政翼賛"的議会のもと、批判勢力のない長期政権がおまりにも長く続いたので、"裸の王様"になってしまい、「大統領の支持率は30%」という選挙前の世論調査の結果が、政権中枢部まで上がってこなかったのであろう。実際、野党勢力は数多くの弱小政党に分裂していたので、「勝てる」と思ったのであろうし、何よりも、昨年春に上梓した『Time Will Tell:本当にセルビアが悪いのか』に書いたように、米英を中心とするNATO(北大西洋条約機構)軍の数十日間にわたる空爆によって首都ベオグラードをはじめ主要都市が破壊されたにもかかわらず、セルビア民族が一致団結してミロシェビッチ大統領を支持し、"夷敵"からの攻撃に耐え抜いた実績があった。ミロシェビッチ大統領は「国民は自分を支持している」と勘違いしたのであろう。


▼ユーゴは民主主義国家

  戦争というものは、為政者にとって、不思議な魔力を持っている。「ナショナリズム(国威)の宣揚」とでもいうのか、外国と戦っているときには、たいてい、国民は現政権を支持するものである。逆に、こんな時に、理想論や厭戦論を説こうものなら、たちまち「非国民」のレッテルを貼られてしまう。だから、内政が不振なときには、往々にして為政者は国民の目を反らせるために、外国とことを起こしたがる。しかし、ここで言うナショナリズムというものは、何も、国民がその為政者(政権)を支持したということではないということを忘れてはならない。為政者は、戦争期間中の国民の熱狂的な支持を、自分の人格そのものへの支持と勘違いしてはならない。湾岸戦争中のブッシュ大統領への米国民の支持率は90%を超えていたが、そのわずか1年半後に行われた大統領選挙では、ブッシュ氏は、経済政策の失敗を突いたクリントン候補にボロ負けした。ブッシュ氏は「こんなことなら、もう少し、戦争を始めるタイミングを遅らせたら良かった」と後悔したに違いない。サダム・フセインという恰好の仇役がいてくれたのだから…。この点でも、今回のミロシェビッチ大統領の落選は、構造がよく似ている。

  ユーゴ国民の"民度"が高いことは、今回の政権交代劇でよく証明された。アメリカをはじめとする外国勢力からの圧力(軍事的攻撃・経済制裁等)には、国民一致団結して耐え抜き、その上で、ミロシェビッチ大統領の政策運営の失敗に対して、国民自らの手によって、これを葬り去ったのである。アメリカがかねて言っていたように、セルビアには民主主義が存在せず、ミロシェビッチ大統領が非道な独裁者であり、連邦軍や治安警察が国民を抑圧するためのミロシェビッチ氏への私的な親衛隊であったのなら、今回の政権交代をなんと説明する。どこの国でも起こりうる現政権側の多少の「狡(ずる)」はあったとしても、きちんと民主主義は機能して、ミロシェビッチ氏からコシュトゥニツァ氏への政権移譲は行われたではないか…。

  しかも、アメリカの言っていることは、民主主義の観点から見てもとてもおかしい。欧州各国は、コシュトゥニツァ"新"大統領の政権を直ちに「承認」し、ユーゴに科していた「経済制裁」の解除を決めただけでなく、経済支援を約束し、折から(14日)開催されていた欧州首脳会議へ同氏を招待さえした。しかるに、アメリカは「今後、ミロシェビッチ氏のユーゴ政治への関与は許さない」と表明した。これは、民主主義の原則を大いに逸脱する発言である。ミロシェビッチ氏は、選挙に破れたとはいえ、大統領選挙で2位の得票率を得た政治家であり、ミロシェビッチ氏を戴くセルビア社会党は議会での第1党である。今後は、最大野党の指導者として、大いにユーゴの政治をチェックし、コシュトゥニツァ政権側が失政を犯したら、またすぐさま「取って代われる」ように準備をするのが当然であろう。それが議会制民主主義というものだ。「一党独裁」の共産主義政権は論外としても、共産党の存在を認めない(アメリカなど)政治も、本当に民主的な政治とは言えない。


▼戦争責任は国民自らが追求すべき

  しかるに、アメリカは、大統領選挙に破れたミロシェビッチ氏を「ハーグの国際戦争犯罪法廷に引き渡せ」と要求したが、その要求を足下に断ったコシュトゥニツァ大統領の見識を高く評価したい。ミロシェビッチ氏の大統領時代の不行状を裁くのは、ユーゴ国民自身の務めである。日本など、太平洋戦争の敗戦時に、連合国に言われるままに、東条英機元首相をはじめとするA級"戦犯"を極東軍事裁判法廷に引き渡してしまい、日本人自らの手で、先の大戦に対する総括と責任の追及をする機会を失ってしまった。そのツケが戦後数十年経っても、近隣諸国からゴチャゴチャ言われる遠因となっている。大東亜戦争・太平洋戦争に対するしっかりとした原因の調査と責任の追求をせずに、「一億総懺悔(そうざんげ)」などという、訳の解ったか解からなかったか判らないようなお題目だけを唱えて、結局は、自らの手で誰も責任を取らなかった(責任追及しなかった)ではないか…。これなど、現在でも、官僚や大企業の経営者が、たとえ政策や経営に失敗しても、誰もその個人的責任を負おうとしないのと軌を一にしている。確立した個人の責任のないところに、民主主義は存在しない。

  ユーゴ社会が、目を見張るような大変革を遂げている時、情けないことに、わが国会は、参議院への「非拘束名簿式・比例代表制」の導入(現行は、拘束名簿式・比例代表制)を巡って"空転"していていた。あいも変わらずの野党による「審議拒否」と与党による「強行採決」の繰り返しである。こんなことなら、この国に議会は必要でない。選挙が終わった時点で、各政党別の「持ち点(議席数に相当)」を決め、国会審議などせずに、各法案毎に、賛否別各政党の「持ち点」の足し算をして、過半数を得た法案から順にドンドンと可決してゆけばよい。金のかかる国会議員など不要である。

 私自身は、前々から『この国のかたち』等で指摘しているように、「日本には議会制民主主義は相応しくない」と思っている(私自身は「幕藩政治」を支持)が、多くの国民が民主主義を支持し、また、建前上は政治家たちも「日本は民主主義国家である」と標榜している以上は、議会においては、民主主義の原則をキッチリと実践すべきである。しかるに、極東軍事裁判の時と同じように、口では「民主主義」と唱えながら、行動は極めて「非民主主義的」である。議会制民主主義の普遍妥当性を信用していない私が、議会制民主主義のなんたるかを理解しているのに、議会制民主主義を支持しているはずの政治家・メディア関係者・国民が、議会制民主主義のなんたるかを理解していないことは困ったことである。野党は、たとえ採決で負けると判っていても、国会にはちゃんと出席して、議場の中で理路整然と与党の非理を説けばよい。それを見て、与野党どちらの見解を支持するかは、次の選挙で国民の決めることである。より多くの主権者である国民が、「野党の意見が正しい」と判断したら、政権は交代するし、そでなければ、現状維持となるだけである。理路整然とした説明が理解できず、議事堂外での罵詈雑言しか国民が理解できないとしてら、日本人の民度は、所詮その程度のものである。



連邦議会へ突入する民衆


▼日本には本当の民主主義は存在していない

  それより深刻な問題は、この国の政治家には、本人の主義主張によって本人の所属する政党を決めているのではなく、「この党(この派閥)にいれば当選できそうだから」とか、「常に政権与党でありたいから」といったような不純な理由で、党を決めている連中が多いということである。細川内閣の成立以後、選挙と選挙の間(議員の任期中)に所属政党を変えた国会議員の延べ数は、ゆうに千人を超えるであろう。また、政党も、「共和党」とか「労働党」とかいった主義主張名で区分けするのではなく、「与党党」と「野党党」という名称に変えたらいいと思うくらい、「主義主張はどちらでもいいから、ともかく政権の側にいたい」という議員が多すぎる。所属政党名は、有権者が投票時に判断するための有力な指標であるにもかかわらず、当選してから、所属政党を変える不届きな政治家が多いのは政治不信の最大の原因である。

  さらに、一度、野党という「冷や飯」を喰った自民党は、「常に政権党(与党)でありたい」と願うあまりに、村山内閣以後「連立を組む相手は誰でも良いから、ともかく(議席数を)足して過半数になりさえすれば、主義主張などどうでもいい」という下品な政党に成り下がってしまった。すなわち、この国においては、民主的な選挙を通して、いくら有権者が現政権の政策に「NO」を突きつけた(与党を過半数割れに追い込む)としても、政権党は、連立を組む相手を変えるだけで永久に政権与党であり続けるというとんでもないシステムが確立してしまった。これなら、実質的な選挙が行われない一党独裁の共産主義国家とほとんど変わらない。国民の民度が低く、ユーゴなら、民衆が大挙して国会へ押し掛けてもいいような場面(総選挙で負けた与党が「国民からの支持を引き続き頂戴した」言って政権に居座り続けた場面)でも、誰もそのような行動を取ろうとすらしない。経済力や科学力は別として、民主主義という点だけから見れば、今の日本は、ユーゴスラビア以下の三流国であることは間違いない。民主主義の成熟度の指標は、ひとえに、選挙による政権交代が行われるか否かにかかっているからである。


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