「食の安全」などそもそも期待できない 
       02年08月31日
   三阪和弘 (神戸大学大学院国際協力研究科)


 昨年の狂牛病の発覚以来、国内での「食の安全神話」は音を立てて崩壊している感がある。現在、狂牛病や企業の不正表示などで「食の安全」は一躍注目を集めているが、これまでも必ずしも「食の安全」が保たれていたわけではなかった。

 記憶に新しいところでは、ダイオキシンの問題が思い浮かぶ。ダイオキシンが世間の注目を集めた頃、「発癌性」や「環境ホルモン」といった活字が、マスコミを賑わしたが、現在はそれほど話題にはなっていない。それ以外にも、時折目にする残留農薬の問題(最近では中国から輸入した枝まめ)が思い浮かぶが、それもすぐに消え去ってしまう。


 食の問題は、多くの場合、解決せずに残りつづけている。農家では農薬を使っているし、無農薬といってもどこまでが本当か疑わしい。

 日本の場合、食の大部分を輸入で賄っている現状を考えれば、海外での生産地や海外からの輸送の際に、どのようなことが行なわれているのかを完全に把握することはほぼ不可能である。それらを考えると、「食の安全」などそもそも期待できないのである。

 (皆さんは、家畜や養殖魚のえさに、抗生物質が与えられていることをご存知だろうか。これなども、消費者は知らず知らずのうちに、“薬”を飲まされていることと同じである。)


 ところで、口から入るものといえば、通常の飲食物の他に“薬”がある。その薬の中で、特に漢方薬については、神憑り的な「安全神話」があると思われるのだが、いかがだろうか。最近話題になったダイエット薬についても、漢方薬という「安全神話」に惑わされ、深刻な被害に合われた方々が大勢いることを鑑みると、いかに危機感の欠如した思い込みに基づく行動が恐ろしい結果をもたらすのかを改めて痛感させられた思いである。

 漢方薬も薬である以上、当然のことながら人体に影響がないわけはないのである。また別角度から見るならば、三宅氏が指摘されたように、そもそも影響がないような薬なら、価値はないといえよう。

 えてして、我々日本人は“熱しやすく冷めやすい”。これがサッカーや野球のように、人体に悪影響のないものなら、それでも結構である。しかし、漢方薬といった薬をはじめ、通常の飲食物に関しては、それでは済まされない。

 マスコミが取上げる一時期だけに注意を払い、その後再び忘れ去っていくようでは全く教訓が生かされず、無意味である。このようにいったところで、また忘れた頃に、漢方薬の被害なども繰り返されるような気がしてならない。

 要は、何事も“リスク”はつきものであり、それは一時的なものではなく、継続していることを認識すべきということである。100%安全なものなんてない。食べ物だって、水だって、薬だって、すべてである。

 しかし、我々は生きていくためには、“飲んで食って”いくしか方法はない。その際、少しでも“リスク”を意識していれば、人は知らず知らずのうちにそれらを回避していくものである。

 おそらく今後も完全に安全な飲食物を入手できない以上、我々はマスコミの情報に左右されることなく、最低限の科学的知識を身につけることによって、健康に生きていきたいものである。


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