香田さんに見る日本国民の迷路(戦後の曲がり角で) 
 04年11月12日
鈴木敏広

1、前の事件を振り返って

  この10日ほど前にイラクで香田証生さんが無残に殺害された。慎んでお悔やみを申し上げ、願わくばこういう分析が香田さんの死の尊厳を傷つけないことを願う。

  この件に触れる前に、5月にあった3人の人質事件について触れておきたい。かの折私は「人質の持ち帰ったもの」として、彼ら3人に対する自己責任論へ向けて反論しようと思った。今のところ大きな変更の必要は感じてないが、考えておくべき点が出来たことはこの機会に追伸として報告したい。

ア  かの3人の人質だった若者の行為は、日常の生活では為しがたい事の故に、日常の生活の維持に増して高い価値を実現しようとしたかに見えるが、それはむしろ逆かも知れないという事。

  イラクの子供にとっても高遠さんにとっても、肉親との間で取り交わされる養育や成長・生活に勝るものはなく、その意味からはたとえ彼らの行為が命懸けであっても、生活の相からみれば彼らは大した事をしているわけではないと言うべきかも知れない。人質達の行為を特別扱いしないほうが良い。

  この価値軸からみえる一種の後退の自覚の問題(本来は余分な仕事だという事)を織り込んでなかった。これは大切な知人からの批評により考えさせられた点である。


イ  また、次は上と関連するとは思うが、彼らの「止むに止まれない」行為も、彼らがイラクで為そうとした事とは別にそのために日本に放置してしまった事の両面を見ないと公正な評価とは言えないかもしれないという点である。

  と言ってもその両方を全て知っているのは本人だけだし、こんな事を言えば喜んでプライバシーを暴きたがるだけの輩がいかに多いかも学んだ。そのためこの問題は「ア」の価値軸の問題と併せて、脇に置いて片目では見えるようにしておきたいと思った次第である。


  自分の中ではこれら留保条件が付け加わったわけであるが、彼らがイラクの地で実したものやイラク人の心に残したもの、生き伸びて持ち帰った友好の確認・・そういうトータルな事柄が何事かではあったろうと今も思っている。 彼らが言っていた「もう一度行きたい」「イラク人を嫌いになれない」という言葉は多くのイラク人と共有できるものであるだろう。

  逆に当時の彼らに、「そんな危険なところに軽はずみで行って」という評価は正しいだろうか。彼らが理解できないのなら、同じ言葉を「当時の」現場のイラク人の前で言ってみれば分かるかもしれない。そんな危険な所に住む人の前で「ここにボランティアに来ることは軽率だ」と。当時のイラク人はおそらく複雑な表情をし、「同感だ」とは言わなかったろう。 一般的な危険を冒してそこに行った彼らがそこで捉えていた当時の現場のリアリティを蔑ろにする事は少なくとも僭越な事ではないだろうか。

  要するに、国境のこちら側の間尺で見ているだけでは現場のリアリティや相手に受け入れられないほどの軽率な態度だったかは分からないと思われる。日本国内ではそういう現場の疲弊の実感もなく、救出劇の公費負担ばかりが問題になった感がある。しかし誰かに役に立つ行為でも、一方ですべては消費行為を伴うものだ。彼らの実現しかけた小さな「支援」に関するリスクは国民の自由度の対価として考えた方がよいと今も思っている。いわゆる自己責任論がパウエル国務長官初め多くの国で当惑をもって受けとられ、エコノミック・アニマルと言われた過去を思い起こさせた事も事実である。


2、香田さんの不幸(内面からみると)

  福岡の青年を襲った今回の不幸な事件では、まず最初に本人も家族も謝っていた。しかし真に誤るべきは殺したグループである。また取り返しのつかない「迷惑を掛けた」のは、一青年の命を一顧だにしなかった政府のほうであると思う。乏しい情報に基づく予測で言えば、香田さんの行動には外界への正常な関係付けの意識はあったろう。それは、彼が旅行や見聞の目的地を「イラク」の「サマワ」を選んでいるからである。いま私達日本人が自分の空間的な関心を生活領域の外に拡張していけばイラクに至る関心はディズニーランドを巡る若者と同じく全く理解可能なものと言えるだろう。「イラクはどうなってるんだ。サマワで自衛隊は何をやってんだ」・・そう思わないほうがおかしいくらいに思う。

  しかし、もはや彼の地への旅は、「危険行為」とか「冒険とか」そういう了解しかなりたたないというのが大方の判断である。関心のある外界はそのままでは自分の今日の活動範囲とはならない。先に考えた意味では彼は、「現場のリアリティ」を共有できず、ホテルでも外国人の宿泊を拒否され、「相手に受け入れられないほどの軽率さ」しか身につけてなかったわけだし、その観点から多くの国民は彼を馬鹿だと言う。それはそうかもしれない。ただ、それで問題は終らない。


  私が気になるのは彼はそんな危険な行為に赴くに、お金をほとんど持ってなかったという点である。この事は無謀というよりも、初めから自分の生存や行動への計画性そのものが失われていたように見える。往路や帰路への判断の不在、果ては自分の命というものへの了解が希薄になってはいなかったろうか。もしかしたら放心状態か心の失調をきたしていたのではないだろうか。私はこういう状態を「正常な関係付けの意識や計画への希薄な時間意識の結合」と考えるものである。自己意識や判断力が相当程度無くなっていたとしたら、イラクに行く前から、初めから生きる意欲を無くしていた可能性さえあるかもしれない。

しかし、空間的な見当識は保たれながら、自分の生命の維持や人生計画に無頓着になることは少年少女期・思春期の若者にある程度広く見られる傾向ではないだろうか。自分の心のありかにさえ気が付かないままバクダットに立っていた青年が過激なグループに拉致されたという、ありうべき事件ともいえる。彼は、初めから世間の常識やや「迷惑を掛けるな」という声の届かないところで、ひとり闇の中を歩いていたと言えないだろうか。

  問題はこういう若者のありうべき分別の無い行為を起点としても、我々国民はその死への向き合い方を選ぶように促されている事にある。それがこちら側の主観のなかにある同朋の意識とか国家意識である。こちら側に同朋意識や国家意識がなければ彼は単なる地球上の愚かなひとりの青年であるしかないが、そこで終らないのはこの事件が歴史・国家との接点を持つからである。国には在外邦人の保護義務があり、香田さんにも健康で文化的な生存権が国家によって保証されていたはずである。保障が無理でも尊重くらいはされたはずである。国法を犯した罪人でもない。結果は全く何の保護もなく、一顧だにされることなく、抹殺されてしまったのである。このことの重大さを前に国家は「馬鹿だったから」とは言えないはずである。そうであるならばその権利の内実=生存権の尊重を、香田さんに対して生きる側が証さねばならなかったのではないだろうか。


3、香田さんと政府の共通点(外側からみると)

 「2」で、私はこの事件は歴史・国家との接点を持つと言ったが、歴史性を持つこととそれが国家と接することとは同じ事ではない。ただ、今日の歴史性が我々の生存時間を国家との関係に関係させている以上、その枠の中でしか問題を解決できないのである。


(1)危うくなるばかりの生活の当事者

  香田さんは仕事や貢献のビジョンも無かったのであるから、彼がイラク住民に関わるものをものを持たない異邦人であることは紛れもない。またザルカウイなる一派も聞くところではビンラディンのような流れ者である。少なくとも以前にイラク住民の生活に何も付け加える事のなかった部外者ではないだろうか。

  そもそも誰の見方かも分ったものではない。少なくともザルカウイはイラククに対して政治的に当事者であろうとしているに過ぎず、香田さんはどんな当事者性も持ってないため、和解しあう共通の基盤をはじめから持ってなかったのである。2人のどちらかがイラク国民の生活に関してすこしでも当事者であろうとしていたら異なった展開もありえたかもしれない。

  しかし、そもそもこのような異邦人がこのような出会い方をしてしまう状況を作りだしたのは、アメリカの過剰な当事者性が、サダム・フセインという反イスラエル勢力に的を絞った壊滅作戦に踏み切った一結果であると私は想像する(それ以前の歴史もあるが)。

  アメリカが介入して以来、イラクの存続そのものがアメリカの国家戦略の影響下におかれ、その為にイラクにおいて生活を維持しようとしても反アメリカか親アメリカかという政治的な(それ故先「1−ア」で見た価値軸では後退の)態度表明が先に問われるという不自由な環境が出現しているだろう。子供の食事や生活や医療・学校などの価値軸が霧散してしまいかねない事の中にイラク人の不幸の深さは測ることができるのではないか。この政治的な関係が人間の他の在りかたに先立って指標化されると、生活上の価値に関する当事者性が奪われていくのも当然である。

  この意味では、5月の人質事件では、彼らの行為はイラク人の生活上の当事者性に訴えるものであったが、逆に普通に生活している人をもろともに吹き飛ばす空爆や砲撃を繰り返すアメリカ軍とその支援部隊がイラク人から遊離していくのは明白である。相手の人間を親米・反米に二分して処断する点はザルカウイも同じである。


(2)政治的当事者

  ではこのイラクの地で政治的当事者であるべき者は誰だろう。先ず第一にそこに前からいたイラク人である。また、外国にいて戻ってきた亡命イラク人もいる。それだけならまだ救いもあるのだろうが、問題をここまで混乱させているのは紛れも無くサダム・フセインを攻撃した後も治安維持と称して市民を収容したり無差別に殺戮しているアメリカ軍その他の軍事的支配者である。


  もちろん日本の自衛隊も例外でないどころか確実に後方支援を目的としているはずだ。百歩譲って、国が遠謀熟慮の末、国益を導くために南部イラクのインフラ整備に乗り込むことが有効と判断したとしよう。資源のない日本国家がそういう臭覚でもってイラクの地に足がかりを作ろうとすることは、正常な関係意識といえるかも知れない(「自衛隊がサマワに行った本当の理由」森哲志著をご覧いただきたい)。

  しかし拉致グループの要求であった「自衛隊撤退問題」がそもそも惹起されたのは、アメリカの進駐に現在の自衛隊が一体の部隊として見られたからであるが蓋し当然であろう。そう受け取られる要素が強力なアメリカ支持声明やイラク特別措置法には内在している。


政治的な脈絡としては、そもそも始まりとされるマンハッタンの9.11事件の実行犯とされる20人以上のサウジアラビア人名簿さえ相当作為的で杜撰だと聞く(何人もが今も生存していたり架空の人間で、捜査当局はその修正もしていない。その頃から今に至るまで、アメリカの標的はサウジアラビアではないかとも言われ、国際紛争や軍事作戦がどういう目的で為されているかは、はなはだ複雑怪奇である(「非米同盟」田中宇著などから))。

  つまるところ今後、彼の地で反アラブ親アメリカとか親イスラエルの政治勢力が拡大することは不可能だろう。その意味から中東ではアメリカ追従に光はない。ましてこの自衛隊派遣の違憲性・非行性は明らかである。日本政府や大使館・自衛隊はもはやイラク市民との実質的な対話や復興計画をつくれなくなっているのではないか。邦人保護のための情報入手にも事欠き、大使館の政治的機能不全は今回も暴露された。

  こういう状況を私は香田さんと五十歩百歩だと考える。要するに明日からの計画が立たず、自身の安全もあなた任せで戦地に赴き既にロケット弾の警告も受け、それでも帰る名目を自分でどんどん潰している。何処が香田さんと異なるのか。個人はその若さや判断力の減衰により放浪したり、身の処し方を誤ることもあるだろう。しかし、日本は近代国家として少年や思春期の冒険に乗り出した頃とは異なり、放浪が許されないばかりか、法律に基づくことしか出来ない。少なくとも日米安保や自衛隊法の雑則(本務規定でなく)の追加条文などの国民を欺くようなアクロバット的な行政がいかに危険なものであるか。もちろん国民は殺害映像にばか騒ぎする輩も含めアクロバットに付いて行く覚悟はない。

  危ういのは香田さんだけではない。政府こそイラクの石油などに正常な関係意識を持ちつつも、希薄になった自己認識や現実判断力によって、今や将来のある青年を死なせてしまったばかりか、国民全部を戦場の当事者に引きずり込もうとしている。政府には香田さんを馬鹿と呼べない理由が二つあるだろう。

(1)彼はあくまで保護すべき「国民」だったのにそれをしようとしなかった事。
このことの重大性は時とともにはっきりしてくるはずだ。

(2)政府こそ復興支援計画に失調をきたしている事、である。

  イラクの復興への関与は自衛隊でなく非軍備の、アメリカとも関わりを断ち切った支援組織を作って後日行うべきである。少なくともイラク人の殺戮の場に立ち会ったり支援してはならない。それが国際関係意識に連結した理性的で安全なプロセスであると思う。


4、NHKの仰天報道

  ついでながら、今回の事件において最もサプライズドな「事件」はNHKの報道の方であった。この香田さんの命が危険に晒された48時間のうち夜の7時のニュースが2回あった。通常は始まりに主要なニュースタイトルを紹介した後、細かく報道するのであるがNHKは二日間、初めのタイトル報道もせず、ただのべたらに延々45分と40分も、何日も前に起こった中越地方の地震関連報道を続けていた(救出された子供の入院風景や避難所でのシャンプーやら…ご記憶の人も多いだろう)。

  その後、突然トピックス的に流れたニュースも1分間ほどで、解説者や記者のコメントもなしでわずかに紹介するという手法は、何万人もの被災者が家の外で生活している困苦があったとしても、あまりに作為に満ちたものと感じられた。この報道よりも直後の西武球団松阪選手婚約発表報道のほうが長かったかもしれない。更に2日後では、前日にサマワの自衛隊宿営地内に落ちて始めて爆発したロケット弾の詳細報道もせず、またもや延々と地震のその後を報道していた。このときも40分以上過ぎて「今入った連絡では自衛隊施設に被害が出たらしい」と見え透いた事を言って重大事件を真っ先に詳細報道しなかった言い訳をしていた。


  政府にとって不利な事は小さく報道する、これが公共放送であると思っているのだろうが、これでは国民が緊迫した時間の中で香田さんについて考える機会や材料を大きく損なうものであることは明らかである。報道責任の放棄と言える。他の民放のニュースがどこも香田さん事件を一番に報道し外部の解説者を呼んで考えるという最低限のことはしていたのに比べても異様に見えた。

  ザルカウイ一派の要求を首相が拒絶したことで残酷に処刑されようとしていた青年の事が1分間のニュースで片付けられたという点こそ、NHKの根本姿勢として今後何年も語り継がれるべきだろうと思う。(最近のNHK不祥事と比べても見劣りがしない。)


  NHKに煽られてでもないが、ここで私もかの地震に関して考えてみた。古来大きな天変地変があるとそれがどのような神の顕現(祟りと表現される)なのかを占うことが肝心であった。どの神様が現れになったのか。何時帰っていかれるのか、その間どう神様をもてなし過ごすべきか。そのために重要なカミマツリが行われてきたのではなかったのか。

  今回の中越地震で私が思いうかべたのは、かの長岡市や小千谷を拠点として奮戦・活躍し、非業の死を遂げた人物である。幕末戊辰戦争のおり、長岡藩には家老として勇猛に戦った河井継之助がいた。戦争回避のために官軍と交渉に及んだ最後の会談場所が小千谷であった。会談決裂による結果は長岡市街の壊滅であり、その後の奥羽列藩諸国の敗走でもあった。この小千谷で戦争回避を目差す努力が灰燼に消え、その後の戦闘の中で傷つき死んだ無念を持つ河井継之助の荒魂があるとしたら、今日長岡や小千谷で目を覚まさねばならない理由があるのではないか。

  あるいはまた継之助の片腕で同じく戦死した山本帯刀(たてわき)の元に養子にもらわれた五十六少年も長岡の生まれである。彼も後に日独伊の三国同盟や日米開戦に反対し続けながらも開戦に引きずり込まれ、大活躍の後、結局は多くの部下を追う様に死を遂げてしまった。

  彼ら個人の悲哀がどれほどのものかは計りえないが、その戊辰戦争や太平洋戦争の戦争回避の努力から何も学ばない平成16年の日本に荒ぶる神として現れ来ったとしても、不思議でないくらいにこの国は混迷している。神々の話など部外者が軽々しく言うべきことではないかもしれないが、こういう想起をするのは私だけだろうか。


  戊辰戦争では官軍だけは死んでも靖国神社に祭られているという。米軍は対日戦争でどれほどの民間人を殺害しても戦争犯罪に問われはしなかった。イラクでは自衛隊が、米軍にのこのこ付き従っていく。せっかくの不戦憲法やこれまであった安保極東解釈も蹂躙して進む自衛隊法や民間人の犠牲についてNHKは何も語らない。こういう状況を河井継之助や山本五十六の御霊はどう見ているのかと中越地方の地震を引き合いに出せば思わざるを得ない。未だに激しい余震が収まってない。どこかの神社で神意を占っているとしたら教えていただきたいと思う。(なおこの発言部分は私の空想であり、河井家や山本家の御霊に震災被害の責任を被せようなどと意図したものでは全く無い。あくまで天変地変を生活の反省に生かす術が神道にはあるかもしれないという事である。)


5、首相は釈明を

  繰り返しになるが、香田さんの失調を嘲う資格はこの国の指導者にはないだろう。重症の失調患者は政府である。犯人の要求を即座に拒否した小泉首相は、せめて遺体帰国後直ちに家族のもとに出向き事の経過を説明し決断を下した理由を釈明すべきだったと考える。少なくとも在外邦人保護の命題を自らの命令で果たせなかったのであるから。ひいき目で言えば田中角栄あたりならそれくらいはしたのではないだろうか。いずれにしろ国家が個人の命を省みないことが当たり前のような勇ましさにはどんな開明もないと考える。もちろんザルカウイ一派もアメリカ軍も命をもてあそぶ勢力として同じに見えてくるのである。


  香田さん殺害から10日も経たないうちに、ファルージャではザルカウイなどの壊滅を表向きの理由とする掃討作戦(反米抵抗勢力の抹殺)が始まった。アラファトも不自然な突然死に近かった。世界の治安は急速に悪化し、日本も今年、戦後の曲がり角を曲がったのだと思われる。


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