森首相の「神の国」記者会見について
00年05月27日
佐藤進持 (国家公務員)
                            Shinji65@email.msn.com

日本国憲法第20条[信教の自由]
@信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。−以下略ー


○完全な宗教裁判!

 昨日の総理の釈明会見と記者との質疑応答は個人の信仰に土足で踏み込み、大勢の記者まえで自分の宗教的信条を告白させるという完全な宗教裁判の様相を呈していた。総理は「天皇を中心とした神の国」発言について説明し、決して天皇主権を意味しているのではないこと、また「神の国」の神は特定の宗教を指しているのではなく、人知を超えた自然、日本の山河等の自然を象徴していると述べた。

 この説明自体は、憲法の「天皇は国民の統合の象徴」であるという象徴天皇制と、日本人が何となく持っている日本独自のアニミズム的神観であり、何ら問題ないと思われる。とにかく、「宗教裁判」という悪しき前例を作ってしまったが、これでこの話は完全に終わりである。


○信教の自由とは

 日本国憲法に定められている通り、信教の自由は保障されている。これは、誰でもどんな宗教(例えオウム真理教や法の華であれ)を信じても良いし、どんな信念を持っても良いということである。

 ただし、総理というような「公的な立場」にあるものの場合は、常に「総理としての良識」を問われるのは当然のことであり、そういう意味で、総理がオウムや法の華のような犯罪を行う教団の信者になったり、また議会制民主主義を否定するような思想を持っていたとしたら、これは責められるべきである。


○神社神道は問題のある宗教か?

 今回の総理の発言は神社神道の関係団体である「神道政治連盟」との私的懇談会でなされた。発言の内容も神道がかっているし、総理自身、神社神道の信者のようである。そこで、信者である総理が、その私的会合で神道的発言をしたとして、それが一体何の問題があるのか? 

 そもそも、戦前の国家神道と違い、神社神道では天皇はあくまで「祭祀の王」であり、何ら政治的な権限を認めていない。この意味で良識のある宗教であり、オウムや法の華とは全然違う。実際、毎年何千万人の人が信仰のためでなく、年中行事としてではあれ、神社に初詣に行くのは、神社神道を戦前の国家神道のような反民主主義的宗教とはみなしていないからだろう。

 だから、総理のいう「神」が特定の宗教(神道)を指しているからと言って、その発言が私的な場所でなされたのであれば、何ら問題ないはずである。総理にだって信教の自由はあるし、その信じている宗教も社会的に認知されているものだからである。


○その他の発言の方が問題だ!

 森総理については、「神の国」以外にも色々と発言しているようだ。

 「鎮守の森やお宮さんを中心にした教育改革を進める」、「神社中心に地域社会を栄えさせる」などとも公言しているようである。

 このような「個人の信仰」を離れて、具体的政策に特定の宗教を支持、支援するような内容を盛り込もうとすれば、憲法違反の疑いが濃厚である。

 ちなみに、前者は憲法第20条[信教の自由]のB「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」、後者は同条@の後半「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」に違反するのでは?

 森総理が右翼的な雰囲気を醸し出しているので、戦前の悪夢への逆行を恐れる気持ちはよく分かる。しかし、それであれば、具体的な政策を法律的側面から責めていくべきである。個人の信仰に立ち入る「宗教裁判」は今回で終わりにしていただきたい。そうでなければ、いつか自分が「宗教裁判の被告」になる可能性だってあるぞ

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