政策提言「日本の心 新生作戦」に思う
00年06月11日
三輪隆裕 (愛知県・清洲町 日吉神社宮司)
aao31130@syd.odn.ne.jp
 私は、最近、極めて興味深い文書を入手しました。それは、「日本の心 新生作戦」と題される、自由民主党の政策パンフレットです。その中で、古来から伝承されてきた「日本の心」を取り戻し、日本人の心と暮らしの豊かさを実現するために次の五つのことが訴えられています。

*日本の歴史、伝統、文化を守り、伝える。
*日本の美しい風土を愛する。
*日本人が築いてきた家族や地域社会のあり方を大切にする。
*日本人が大切にしてきた道徳観・価値観を身につける。
*日本人がつくりあげてきた社会規範を守る。

そして、標語として次の四つの言葉が示されています。

私たちは日本の伝統文化を守り伝えます。
私たちは美しい日本と触れ合える暮らしを実現します。
私たちは家族の安らぎを大切にします。
私たちは、“心のけじめ”を大切にします。


 オウム真理教の事件や青少年犯罪の凶悪化という日本社会の現実に対して、自民党が、日本の伝統的な倫理観や共同体の再生を図って、日本の社会の立て直しを政策提案しているものであると認識されます。私は、これを見て合点が行きました。先の話題となった森総理大臣の発言は、まさしくこの文脈上にあるものに他なりません。

 保守合同の結果誕生した自由民主党は、独占的に戦後の日本のデザインを決定してきた政党でありました。対決軸として左翼労働運動を基盤とする社会党が存在しましたが、その政治的な要求を、池田内閣以降の経済成長政策の実現の中で吸収し、日本社会のバランスを取ることによって戦後政治を形作って来ました。俗に五十五年体制と呼ばれるものです。

 しかし、オイルショックを端緒としてその路線が綻びを見せ始め、1989年のベルリンの壁崩壊以降急速に現実化した左翼運動の凋落と冷戦の終結の結果、対決軸を失った自民党は、逆に、将来の展望が明確に描き切れない状況のもとで内部分裂し、日本の政治は、目的地のないダッチロールの航海に入りました。その間にアメリカ合衆国は体制を立て直し、過去の冷戦に注ぎ込んでいた人材と資力を新しい産業社会、新しい国際社会の構築に注ぎ込み、経済を再生させ、IT社会を実現させたことはご承知の通りです。漸く日本でもアメリカを手本にして、進むべき産業構造の変革の方向が固まってきましたが、気がついてみると、十年程続いた迷走の結果、統一的な目標や価値観を喪失した大衆社会の中で、わけのわからない犯罪が続発し、かくてはならじと、伝統的な倫理観や共同体の再生を正面に据えたのでしょう。これには、グローバリゼーションの進展のもとで、地域に固有な文化や伝統の見直しと尊重の機運が世界的に高まってきたことも原因となっているでしょう。グローバルは同時にローカルを刺激するのです。

 さて、このことは、私に日本の政治状況への新しい期待を抱かせます。自民党がこのように伝統的な保守主義を標榜してくれるならば、もう一方の民主党は、従来から、「市民」「個人」「自由」といったいわば西欧生まれの近代的価値を正面に据えていますから、ここで、保守と進歩、伝統と近代化といった対立軸が明確になってくるからです。左翼運動の凋落によって保守と革新、伝統と革命といった対立軸を失った日本の政治は、長期に渡って迷走をしましたが、漸く、互いに政策対立し、どちらも政権政党として選択可能な二大政党の存在という状況を作り出す可能性が出てきました。

 ここで、この可能性を現実化せしめる為に、私は、次の諸点を両政党に望みたいと
思います。

1、ここで、露になった対立軸の基盤を決して崩さないこと。この対立軸を外したら、また混迷の政治状況に戻ってしまう。「保守・伝統」と「進歩・近代化」という対立軸は極めて解りやすい。「村落」と「都市」、「伝統」と「変化」、「規律」と「自由」、「全体」と「個人」、「国家」と「市民」といった対比がすぐ浮かんできます。

2、両政党とも現在の地球社会の状況に応じた対応を行って欲しい。間違っても一国独善であってはいけない。地球一体化による国家主権の弱体化は経済・外交政策が地球規模の視野で決定されることを導きますから、その基本政策はそれほど違わなくて良い。そうならなければいけない。環境問題への対策についても同じ。

3、政治の合理性ということでは、一致して欲しい。民主政治と市場経済の維持は必要不可欠です。低コストの政を行うために、分権、民営化、小さな政府の実現は避けて通れないところです。

 ところで、現在の日本社会における倫理観の欠如という問題に対して、民主党はどのような処方箋をかくのでしょう。民主党の標榜する価値は、輸入品が多いので、もう一つ日本人には解りにくいのではないでしょうか。日本には真の民主主義や個人主義は根付いていないとしばしば指摘されるのは、同様の理由でしょう。

 今後は、社会の倫理観の回復をどのようなプロセスで図って行くか、その為に教育はどのように変革されるべきかといったことが、大きな政治の争点になって欲しいと思います。

 とまあ、書いてきましたが、こんなにうまくいくわけはないなあ、と正直なところ思っています。私の「提言」にしておきましょう。

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