「記者クラブ」---大メディア・カルテル・ファシズム
01年6月03日
萬 遜樹

▼「記者クラブ」という恐竜

 「記者クラブ」というものをご存知だろうか。先頃では、長野県の田中知事が打ち出した「『脱・記者クラブ』宣言」で注目された方もいるだろう。記者クラブというのは、日本の政官財界に張り巡らされた大メディアの出城であり、時代遅れの固陋な「業界団体」である。その頂点とも言える「内閣記者会」を始めに、全官公庁、全都道府県庁、全国市庁、政党・教育委員会・経団連等諸団体、大企業等にあり、その総数781(朝日新聞の96年調査で未公表。おそらくはこれ以上)とも言われる。

 人がしばしば自分自身のことを棚に上げて他人をあれこれ言うように、大メディアは自分自身について語ることは少ない。この「記者クラブ」という排他的特権団体についても語らざるべきものとしてきた。それもそのはずである。その有り様を明らかにすることは、日頃唱える高尚高邁な理想とは程遠い大新聞などの実態ばかりか、悪徳政治家や腐敗官僚も顔負けの大メディアのダブルスタンダードぶりを白日に晒すことになるからだ。

 外国人記者からも最も日本的な悪弊と非難される記者クラブは、明治の誕生以来、政府を批判しつつ、一方では権力の代弁機関であり続けてきた。そして戦後においては、自由な報道活動を侵害する排他的特権団体と化し、その上、公共施設の占拠と税金の私物化を臆面もなく現在も続け、挙げ句の果ては官費などでの接待まで受けていたのである。そしてその本分たる報道活動では、匿名官僚等によるリーク(秘密漏洩)を垂れ流し(権力の代弁行為だ)、国民をいつも混乱させているだけだ。

▼東京都税や企業経費にたかる記者クラブ

 例えば、新宿にある例の高層ビル、東京都第一庁舎の六階フロアの約半分は「有楽クラブ」と「鍛冶橋クラブ」という記者クラブ所属記者たちだけの占有スペースだ。ここには、外国社記者を含めたクラブ非所属のジャーナリストは立ち入ることすらできない。各社ごとに「記者室」が設けられ、机や椅子、応接セット、電話などがあり、共有部分には、ファックスとコピー機、テレビやホワイトボード、資料室にロッカー、キッチンとベッドと、記者活動と生活に必要なものすべてが、無償(つまり都税からだが)提供されている。

 94年のことである。NTT本社が日比谷から西新宿に移転することになった。このとき、本社ビルに寄生していた「葵クラブ」が移転に大反対したのだ。本来、各記者クラブとはその「家主」に関する報道のために利便を与えられたものである。しかし各記者クラブの実態は、各社の出城(地域事務所)と化している。そのために「葵クラブ」は移転そのものに反対したのだ。結果的には、クラブの要求によって、NTTは日比谷と西新宿の両方に記者クラブ室を用意させられ、二倍の経費負担となった。

 こんなことはざらである。92年にはJR東海から提示された、これまでクラブ既得権益としてあった無償提供の電話代とコピー費を実費有料にしたいという申し入れを、記者クラブ「東海交通研究会」は会の総意として断固拒否した。もめにもめた挙げ句、最終的にはコピー費だけ支払うことになったが、電話代はこれまで通り、かけ放題をJR東海は呑まされた。NTTやJR東海は民間企業でもあり、これらはメディア権力を笠に着た立派なタカリ行為と言わざるを得ない。

▼記者クラブに支払われている血税は年間100億円以上

 このように、一部民間企業を含め、全中央官公庁以下、全国の市庁は、無償(税金)で「記者クラブ」という名の一部特定の大メディアのためだけに「記者」占有空間を割き、必要什器を提供し、電話代や水道光熱費等を負担し続けているのである。その内、運営経費だけの試算総額で年間約107億円、三大新聞社平均で約5億円となる(この数字は95年現在、公的機関へのアンケートによるものである。回収率は66%で、その実態は一倍半以上となるものと見積もれる)。

 記者クラブでは「会費」が徴収されているという。しかしこれはクラブ員のお茶代で、額にしても一人六百円(98年現在)というものだ。全く開いた口が塞がらないのは、記者クラブに届けられる新聞代もほとんどの場合、税金であることである。記者クラブを構成する大メディアは、官費(税金)で新聞製作費を賄い、それを官費で買わせ、さらに記者クラブに無償で配布させているのである。厚顔無恥とは、このような行為を非難するためにある言葉である。

▼「神の国」記者会見にまつわる怪文書騒動の幕引きのあり方

 昨年のことになるが、森前首相の「神の国」発言が問題となったときの、一事件をご記憶だろうか。森氏が釈明記者会見を開く前日、首相官邸内にある記者クラブ室の共同利用コピー機のそばに「明日の記者会見についての私見」という首相側近宛ての文書が落ちていた事件である。その内容は「総理の口から『事実上の撤回』とマスコミが報道するような発言が必要」とか「いろいろな角度から追及されると思うが、準備した言い回しの繰り返し、質問をはぐらかす言い方で切り抜けるしかない」とかと、記者クラブ員による釈明会見用のまさに「指南書」であった。

 このことが西日本新聞によって報道されたが、当初は「内閣記者会」はだんまりを決め込んでいた。しかしテレビや週刊誌までが取り上げて問題化したため、批判者の質問に答え、「真相を明らかに」しなければならない仕儀とあいなった。次が「内閣記者会」幹事社(共同通信・東京新聞)による回答書である。

《官邸記者クラブ内に落ちていたという文書(以下「文書」)についての件
 「文書」には筆者の記入はなく、現在(六月八日)、筆者を名乗る人物も現れていません。「文書」の内容はご指摘の通り、記者の本分を大きく逸脱したものであることは、間違いありません。内閣記者会に加盟しない雑誌などからいくつかの問い合わせがあったため、記者会の代表者には、問い合わせ状況を報告するとともに、西日本新聞からも報告を受けました。その結果、記者のモラルの問題であり、各社ごとに対応することが妥当ということとなり、記者会全体としての対応の集約はしませんでした。このため内閣記者会としての対応はありません。》

 皆さんはどうお思いだろうか。実は「文書」には《(彰)》という明らかに筆者を示す署名があったのである。このごまかしは「内閣記者会」という記者クラブの存続を守るための隠蔽に間違いない。団体で権益を死守するくせに、都合が悪いときは記者個人のモラルの問題と言い逃れる。しかし、これで幕が引かれてしまったのである。大メディア自身に「真相を明らかに」しようという気がないのだから仕方がない。これが「記者クラブ」というものである。

▼反省もなく続く「リーク」報道体質

 先日のハンセン氏病訴訟を巡る報道でも、記者クラブはその旧い体質を余すところなく示していた。ご存知の通り、政府の控訴断念という英断で決着したが、直前までの先走った「誤報」は、従来通りの「リーク」報道という手法のみに頼っていたせいだ。怒れる田中外務大臣の「マスコミも含めて外務省は伏魔殿」発言は、この記者クラブの体質を指弾している。外交懸案となっている白表紙教科書内容の事前漏洩も、文部科学省官僚のリークと記者クラブ報道のスクラムが成せる業である。

 このリーク報道という手法には、伝える者の責任が感じられない。匿名を条件に話された内容だけが「事実」として一人歩きする。主語なしの間接話法であり、誰が何のためにそう言ったのかが敢えて脱落させられている。この手の発言は必ず、誰かが何かを目論んで行なわれているのは自明であり、当の記者たちも周知のはずであるにもかかわらずである。警察情報、事件報道などもすべて同様である。記者クラブはこれらをただ垂れ流すことが「真実の報道」だと強弁しているのである。

▼官費接待や政府払い下げを享受する大メディア

 大メディアは「官々接待」などを批判するが、大メディア自身が「官『報』接待」を当然のように受け続けてきた。例えば、川崎市では広報課主催で年一回、秘書課で年二回、ホテルや料亭で三大新聞他計十社の支局長らが接待を受けるのが通例となっていた(少なくとも95年までは)。また、温泉旅行なども行なわれていた。仙台市や東京都でも料亭や寿司屋などでの「懇談」は日常的なことであった。繰り返し強調するが、これらはすべて官費(税金)である。

 宮内庁の「宮内記者会」は大メディア15社から構成されている。天皇や皇太子らがご旅行されるとき同行するが、ごく近年まではその度に取材先の地方自治体から「白紙領収書」をもらうことが慣例であった。そしてそれで自分の出張手当を割り増しするのに使っていた。大蔵省に寄生する「財政研究会」と「財政クラブ」も、大臣の国内外出張時に同行取材し、その度に大蔵省広報室から「白紙領収書」を頂戴していた。もちろん、料亭接待も年間20回ほど行なわれていた。すべて血税である。

 表向きはともかく、政官財の権力と大メディアは共存共栄、相互依存の関係にあるのだ。大新聞社の東京社屋は時の政府にすり寄って、払い下げられた元国有地に立つ。産経新聞社、日本経済新聞社、毎日新聞社、読売新聞社、そして朝日新聞社がそうである。これらには田中元首相の息が少なからずかかっている。80年の朝日新聞社東京本社築地新社屋竣工披露パーティー当日、式典に先立つ早朝、渡辺誠毅社長自らが秘密裏に案内して回っていた相手が、誰あろう、すでに逮捕され刑事被告人であった田中角栄氏であった。

▼大新聞社の神経と体質

 大新聞社というものを検証しよう。竹下内閣を吹き飛ばしたリクルートコスモス社未公開株による大疑獄事件は、88年に朝日新聞が川崎市助役の贈収賄疑惑を暴き出したことが始まりであった。しかし、朝日新聞の記者たちはその前年、そこで江副会長(当時)まで登場するリクルートのスキー接待旅行を楽しんでいた。また同年、リクルート社の新デジタル回線サービスを利用開始など、両社の関係は良好であった。何と、疑獄事件発覚直後にも、ファックス一斉同報サービスを契約している。

 一方、朝日傘下の財団法人森林文化協会(実は、当初はゴルフ場を、次にレジャーランドを建設しようと土地買収を始めたが、オイルショックで頓挫。仕方なくひねり出したのが「環境保全」)は、87年に当のコスモス社から500万円の寄付を受けていたが、事件発覚から10年後にしぶしぶ返却している。さらに同じ87年、朝日新聞社の関連グループ社長会に、江副氏が特別講師として招かれていた。当時、経営陣も江副氏らと親しくつき合っており、接待なども受けていたのだ。

 そもそも、リクルートが政官財、それにマスコミ界工作を開始したのは、80年に朝日新聞にリクルート社の商法などを手厳しく批判されたことに発する。利狂人」(リクルート)となじられた同社の江副氏は、様々な懐柔策を広く展開していくことになる。述べてきたように、事件発覚直前までには朝日は見事に懐柔され、以前にはその商法を批判してきたにもかかわらず、費用が安いからとリクルート社の諸サービスを受け容れている。それはともかくとしても、問題は言うまでもなく、接待や寄付や交際など都合が悪いことはひた隠しておいて、「環境保全」のための「森林文化協会」です、なぞと平然と言ってのける神経と体質である。

▼「個人情報保護法案」のファシズム

 いま「個人情報保護法案」というものが国会で審議されている。名称とは実に恐ろしいものである。ここで取り引きされているのは、「個人情報保護」なぞとは無関係で、政治・官僚権力と「記者クラブ」を構成する大メディア・カルテルとによる、情報を独占するトラスト、あるいはファシズムである。国民の知る権利を奪い、憲法に保障された言論・出版の自由を侵害する「記者クラブ=大メディア」だけを「マスコミ」と公認する野蛮行為そのものである。

 大メディア・カルテルが機会ある毎に言挙げする「国民の知る権利」や「表現の自由」とは、自分たちの権利と自由の宣言に他ならない。なぜなら、知った情報を国民に知らすも知らさぬも、いかなることをいかに知らせるかも彼らの掌中だけにあるのだから。情報を寡占するカルテルから独占するトラストへと進めようとしているのが「個人情報保護法案」の正体である。

 その彼らが行なう「報道」の質は、リークや警察発表を鵜呑みにしただけの垂れ流しである。その仕事の典型が、松本サリン犯人に関する誤報事件だ。既得権益など特権を守ることだけに汲々とし、意味のない無謬神話に固執し、自らの立場を超越的であると妄信し、ダブルスタンダードを自覚できず、それを不思議とも思わぬタカリ集団。それが「記者クラブ」を構成する、大新聞社であり、大通信社であり、大テレビ社である。

▼おまけ

 お仕舞いに、記者クラブ制度に単刀直入に「ノー」を突き付けた偉大なる挑戦者を紹介して終わりたい。それはあの山口百恵氏である。三浦友和氏との婚約発表記者会見を、「放送記者会」など三つの記者クラブは別々の会見を求めた。しかし山口氏はこれを拒否し、ホテルの宴会場に報道陣を集めて一度だけ記者会見したのだ。仕事上のことならまだしも、どうしてプライベートなことで何回もクラブで話さないといけないのか、と言ったという。お見事である。


[主な典拠文献]

岩瀬達哉『新聞が面白くない理由』講談社 (※ 文中の経費試算等はすべて本書による)


戻る