創価学会の場合

社会的問題に対して、教団としての見解を表明するケースの多い創価学会の場合、「脳死・臓器移植問題」に関しても、十年以上も前から教団内に専門家による研究チーム(創価学会生命倫理研究)を発足させるなど、積極的に取り組んできた。以下、同教団の公表している資料を中心に紹介する。               



▼脳死・臓器移植問題に対する見解                            
 
1997年4月

*この見解は、1986年5月に医療関係者を中心に結成された創価学会生命倫理研究会(座長=森田修平ドクター部長)が討議を重ね、1994年末にまとめた見解の要旨。


<脳死の判定には厳密な基準が必要 >  

脳死とは一般的に、「全脳機能の不可逆的停止」の状態と定義されている。すなわち、人工呼吸の処置を続けることで血液の循環等が保たれ、臓器や細胞はまだ活動している状態であっても、「死に至る過程が不可逆」であるというものである。この場合、人間としての「生」が戻らないのであるから、こうした回復不能な脳死状態を「人の死」として認めることに反対する理由はない。

ただし、脳死を人間生命の完全な「死」として認めるには、より深い考察と議論・厳密な判定が要請される。 世界の趨勢は、多くの国が脳死容認の方向に進んでいる。脳死者からの臓器移植についても、法的・人道的に合意を得た医療行為とされ、移植が実施されている国が多い。


<情報を提供し社会的合意の深化を >

 しかしながら、現在までの日本国内の議論の推移をみると、心臓死に対する社会的合意は形成されているが、脳死の容認については、これまで、医療機関も慎重な姿勢をとってきた。

その理由として、

(1)日本人独特の身体観・死生観が、脳死や臓器移植の概念に馴染み難い
(2)国民に納得のいく説明が十分になされていない
(3)「脳死の判定基準」が厳格に反映されていないのではないかという疑問
(4)社会の中に存在する医療不信・医師不信

などに起因していると思われる。

近年、脳死を容認しようとの動きがみられるのは事実であり、脳死者からの臓器移植の社会的合意を深化させていくためにも、この件に関する日常的な情報公開が求められる。


< 臓器提供者「本人」の意思尊重を >   

脳死者から臓器を摘出・移植する上で前提となるのは、臓器提供者(ドナー)本人の自発的かつ自由な意思である。

本人が生前に脳死を「人の死」と認め、「脳死における臓器提供の意思があった」と確認できていない場合、たとえ家族の意向があっても、臓器摘出に対しては、慎重でなければならない。

患者自身が生前に「脳死と診断された場合は自分の臓器を他者のために役立てたい」という、明確な意思を示していた場合は、その意向に添うよう努力が望まれる。

こうした問題は、本人の生き方の選択を尊重するためである。


<移植環境の整備充実を >

現在の課題となっている移植環境の整備の充実については、

(1)本人の意思を生前に表明し登録できるようなドナーカード制度
(2)臓器移植ネットワークや臓器授受に関わるコーディネーター制度の整備
(3)臓器売買等の営利行為が発生しない法の整備

といった点を十分に検討することが求められる。

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