石切探検隊!パート3


 石切神社の周辺の様子をいろいろと書いたけれど、なによりも注目したいのは、この界隈がこれだけ多くの人を引きつけているということ。「なんでもあり」の怪しげな祠の集まりや、お百参りに、占い集団に、どこにでもありそうなお土産やさん。どちらかといえば、全部、時代錯誤。どこにニーズがあるのかわからない。にも関わらず、圧倒的なパワーで人を引きつける。

 その理由を考えてみた。まず、整理しておきたい。石切神社周辺の山側は薄暗くて、道も狭くて、猿か猪でも出てきそうな雰囲気。「やま」は、やはり人間の領域ではないらしい。ところが、ほんの100mほど里側に下りると、あの混沌の人ごみの商店街。この「やま」と「さと」という言葉にこだわりたい。

 パート1・2は、石切神社から帰ってきたばかりの興奮状態の中で、思うままに書いてしまったにも関わらず、「やま」と「さと」という言葉が自然に出てきた。一目で見分けられるほど、山側と里側の風景・雰囲気に違いがあったわけだけど、同時に、「『やま』には神が、『さと』には人が住んでいる」ということが、私の心の中にも染み付いているということだろう。昔話や神話を読んだり聞いたりした中で、「やま」に神々しさを感じる文化が身に付いている。

 私の中でひとつの図式ができてしまっている。ここを境に霊界(やま)と俗界(さと)が接している。これが、私の独断と偏見に基づく結論。「石切神社とその周辺は、物理的にも精神的にも、俗界と霊界の境目。」 (ごめんなさい、関係者のみなさん。) でも、それは線のようにはっきりしたものではなくて、「やま」から、なんとなく「さと」になっていく。その「なんとなく」の幅の中にあるのが、あの商店街。そう思うとあの商店街が非常に世俗的でありながら、神的な要素をたくさん含んでいたのもの納得できる。

 しかも、こういった境目は、私たちの身近にこそ存在している。だって、人間がいなければ神も霊界も存在しないから。第一、うんと離れていたら「境を区切る」必要もなくなってしまう。きっと、あちこちに、この境界の役割を果たしている場所は存在しているんだと思う。かつて、私たち日本人の側に今よりももっと、神々が存在していた証拠。だから、今、和服の着付けも知らず、横文字だらけの歌を歌って、マックを食べていても、占いやお参りが大好きで、あの混沌とした空気に触れると嬉しくなってしまうのかな。だから、あんなに大勢の人が集まってしまうのかな。

 ひたすら、思い付きで書いてしまったけれど、皆さんはどう思われますか? ぜひ、石切神社に行ってみて、肌で感じた感想など教えていただけると嬉しいです。

宇根希英
                                      2000/4/14

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