諸宗教会議のゴールはどこに?

 5月16日から18日にかけて、東京・渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターをメイン会場に開催された「子どものための宗教者ネットワーク」第1回フォーラムに参加させていただいた。今まで、宗教協力に関する会議については、三宅主幹からいろいろとお話を聞いて、あれこれと想像はしていたけれど、実際に目の前で見聞きし、体験して学んだことが非常に多くあった。このフォーラムについて興味のある方は、オフィシャルH.P.を見ていただくとして、ここでは私自身の勝手な思いを書かせていただこうと思う。


 これまで国際会議に参加する機会などなかった私にとって、とにかく、大きな会議だった。国内・海外から200人ほどが参加していて、ぐるりと見渡しても日本人と外国人の比率は日本人の方が少ないくらい。フィリピン、パレスチナ、インド、アメリカ…。様々な国から大勢の人が参加していて、日本語と英語が公式言語として使われ、スペイン語の通訳も入っていた。

 この会議を通してひとつだけ疑問に思ったこと。それは、こういった会議の目指すべきゴールはどこにあるのだろうか、ということ。会議のテーマは明確にあるし、参加者もそのテーマの重要性を認めるからこそ、遠くからもやってくる。今回の参加者の方々もフォーラムの命題である「子どものために何ができるのか」ということを真剣に考えていて、実際にそのような活動に携わっている人ばかりだった。彼(女)らは朝食の席でも子どもたちの教育の問題や貧困の問題について真剣に語り合っていた。しかし、彼(女)らの知識と経験をもってしても、これだけの人数の意見を2日半のうちにまとめるというのはかなり無理があるように思えた。結論は出せないと思った。


 もちろん、実際に顔を合わせて話をすることの意味はある。しかし、グループ討議の際の発表では、「子どもたちは愛される権利がある」、「教育の大切さを認識すべきだ」等々、素人の私でも考えられるのでは…。と思うような内容が多く、実際に携わっている方々の討議にしては、あまりにも理念的すぎるような気がした。せっかく、世界中から志を同じくする人々が時間とお金をかけて集まったのに、それぞれの立場があり、時間の制約もあり、解決するというにはあまりにも難問が多すぎるのだろうか。では、問題の解決でなければ、こういう場合、何をゴールとして目指しているのだろう。

 三宅主幹に、この疑問をぶつけてみた。多くの会議・フォーラムに参加されてきた体験や意見を伺い、2つのことが見えてきた。ひとつは、このような会議が、同じテーマの下、活動する人たちの情報交換と人脈形成の場となっていること。「人脈」というと何かダーティなイメージが浮かぶ方もいるかと思うけれど、この場合、良い意味での人脈。互いに近いフィールドで活動しているわけだから、融通し合えることがあるかもしれないし、1つの団体では困難なことも、2つ3つの団体が集まることによって可能になることもある。実際に顔を知っていて友情があればこそ、スムーズに話を進めることができる。

 ふたつめとして、このような活動を外に向って知らしめること。ひとつめが内における人脈作りならば、こちらは外の世界との人脈作りとも言えるかもしれない。以前にも書いたけれど、宗教界の活動というのは驚くほど、世間に知られていないことが多い。そんな中、宗教界以外でも活動を知ることによって協力や参加をする人や興味を覚える人もいるだろう。そのことによって活動がより円滑になったり、幅が広がったりする。そのための広報にも役に立っている。

  私が現時点で得た回答は、こういった会議のゴールは問題の解決そのものではなくて、各問題をより解決しやすくすることにある。と言ってしまったら、言い過ぎだろうか…。

宇根希英
                                      2000/6/04

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