諸宗教の祈りに思ったこと


 5月18日、「子どものための宗教者ネットワーク」第1回フォーラムの最終日、予定されていた全ての会議、勉強会が終了した後に、諸宗教による「祈りの集い」が開催された。このフォーラムの発起人でもある妙智會教団のご本部、本殿大講堂が会場となった。不謹慎だけど、面白かった!

 まず、ご本部の立派なこと。無駄のない落ち着いた建物で、小さ目の美術館かと思うような佇まい。そこに、溢れんばかりの信者の皆さんが笑顔で出迎えて下さっている。本殿に入ると、正面の壇上に高さ5・6mほどの内陣(ないじん)が金色に輝き、その右手にはパイプオルガンが据えられている。

 その壇上に諸宗教からの代表者たちが並び、献灯献花の後、妙智會教団が初めに祈りを捧げ、継いで、仏教・キリスト教など10グループに分かれて各宗教の祈りが続いた。代表者が祝詞やお経をあげるグループ、全員が順に祈りの言葉を唱えるグループ、中には歌を歌うグループもあり、ユダヤ教の代表者たちはギターの伴奏に合わせて歌った。それぞれ、お祈りの形式も言葉も違うけれど、会場にいた全ての人が、どの祈りにも熱心に耳を傾けていた。


 信仰を持っている人は、他人の信仰心も大切にできるのかな、と感じた。私が信仰心を持っていないから言えることかもしれないけれど、他人に自分の神様や信仰を共有させようとするのではなく、信仰の対象や質を問わずに信仰そのものを大切にできれば、この世から宗教による対立はなくなるんじゃないかな。他人がどんなお祈りをしていたっていいじゃない。どっちにしても言葉が違ったら解からないんだから…。

 でも、この考え方はあまり受け入れられないのだと思う。この日、最後に行われたパティーの席上で南米某国の駐日大使館の関係者の方とお話しする機会があった。「どういう関係で来ているのか」と聞かれたので、「金光教泉尾教会という教会と縁のある会社に勤めている」と説明すると、「では、金光教の信者なのか?」と。違うと答えると、「信者でもないのになぜ、そこで働くのか?」…。

 私は多くの日本人同様、友人の教会の結婚式にも参列すれば、祖父の仏教のお葬式にも参列し、神社にも参拝する。特定の宗教は持っていないけれど、いろいろな宗教が私の考え方に影響しているし、キリスト教にも仏教にも神道にも素晴らしい点があると思う。などなど、必死に説明したけれど、彼には理解できない思考パターンだったのか、私の英語力の限界を超えていたのか、「やれやれ」と首を振られただけだった。

 ほんの2・3時間前に「祈りの集い」で私が感じたこととは大違いだった。このギャップを埋めることはできないのだろうか…。いや、できると信じるからこそ、そしてそれが平和につながると信じるからこそ、地道に活動をされている方々がいらっしゃる。「きっと、いつかは」と。
宇根希英
                                      2000/6/02

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