日本人の大半は無宗教?

 先日、主幹のお伴で奈良県天理市の天理教教会本部を訪問する機会があった。久々に、国内でカルチャーショックを受けた。この日まで、私は「日本人の8割は熱心な信仰生活なんて無縁だ」と思っていたのに、本物の「熱心な信仰」というものを見せられた。天理教の全てを見たわけではないけれど、いや、ほんの一部分しか見てはいないけれど、テレビでしか見たことのないイスラム教やアーミッシュの人々の信仰のような生活に密着した宗教のパワーを感じた。


おやさと館
  天理市に着いて、まず目に飛び込んできたのは、とにかく巨大な建築物(=おやさと館)。着工から半世紀近くが経って、未だ建築半ばだという。神殿を中心に、一辺870メートル四方の6階建ての建て物群が囲んでいる。イメージ的には、中国の城塞都市のよう。中には教団施設をはじめ病院や大学などが入っているらしい。そして、街中を行き交う人々の中に「天理教」と背中に染め抜かれたハッピ姿の人がたくさんいる。私には驚きだったけれど、他の市民の人も違和感を持っていないように見えた。

  そして、神殿への参道は広く、「南門」という門は高さが11メートルもある。もちろん神殿自体も巨大。それも、一棟ではない。「世界の中心」という「かんろだい」を四方から囲む形に、現在、三棟が建つ。その一棟一棟が奈良の東大寺大仏殿のように大きい。特にご本尊として何らかの像があるわけでもないが、「かんろだい」を拝めるように広間が広々として柱もとても太い。でも、大きさよりも驚いたのは、行事があるわけでもない平日の昼間にも関わらず、多くの人が参拝し、熱心に天理教の「つとめ(お経)」を唱えながら手踊り(振り付けのようなもの)を繰り返していたこと。小さな子供を連れた人も、老夫婦も、学生風のグループも。入れ替わり立ち替わり、常時数十人が祈っている。中には足が悪い女性を数人が囲んで拝み、一人がその足にむかって気を送るような姿も見える。



南門

  板張りの回廊へ出て神殿をグルリと回ってみた。そこにはまた、多くの信徒の方々が真っ白な雑巾を持って床や手すりを拭いて、ご奉仕している。そういえば、入り口のところでも履き物番のご奉仕をされている方が数人いた。これだけの広大な施設にも関わらず、そこかしこに人の気配があり、様々なご奉仕をされている。

  ううーむ、と唸るしかない。もう、言葉が無かった。多分、神殿を回る間、私はほとんど口をぽかんと開けていたと思う。今までにも、大きな建物も太い柱も見たことはあったけれど、この、人々の信仰の熱気のようなものをここまで感じたことなんて、なかった。今まで見たことのあった巨大建築物は、近代的なビルでなければ、「歴史の産物」だった。でも、ここは正に現在進行形の巨大宗教施設。「習俗に参加する宗教」や「なんとなく話しを聞いてみる宗教」ではなくて、信徒の皆さんが積極的に関わり、切実な思いで「つとめ」を唱えている、熱い宗教だった。

  神殿周辺に溢れているパワーは私にも感じられた。どこから、これほどの力が湧いてくるのだろうか…。「日本にもこういう宗教があったんだなぁ」と認識を新たにさせられた。「日本人のほとんどが無宗教」という私の認識は崩れつつある。

宇根希英
                                      2000/11/06

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