生教分離…。

あなたは去年1年間、何回くらい宗教的あるいは宗教に関わる行動をとりましたか? 1回もない? 私も最初はそう思ったけど、考えてみると案外気がつかずにやっていることがある。初詣でお賽銭を投げた。神社の境内を通って近道した。友達の結婚式で教会に行った。京都で神社仏閣巡りをした。祇園祭を見に行った。PLの花火大会(なんと、打ち上げ数10万発!)を見に行った…。

たぶん、もっともっといろんなところで、気がつかずに、あるいはただの観光や習俗として宗教行為の端をかすめていると思う。もちろん、神社の境内で近道することが宗教行為だとは言わないけど、ここで考えるべきなのは、そこに神社(宗教)があるということ意識していないこと。道路かせいぜい公園くらいに思って通っているけど、れっきとした宗教法人の所有地なのに…。解放してくれているから通って悪いことはないんだと思うけど、何か、そこに宗教施設があることを意識しないのは「わざと」のような気がする。日々の生活と宗教が故意に切り離されている。

だって、今までだってどこの神社仏閣へ行ってもそこがどういう宗派なのか、誰を祀っているのか、気に懸けたことなんてなかった。修学旅行で京都へ行った時も、事前学習で「○○天皇が○○年、病気の回復を祈願して建立」とか、そういう歴史は習ったけど、そのお寺が何という宗派でどんな教義を持っているかなんてことは無視された。教えられなかったし、考えもしなかった。

 昨秋、大阪学院大学で比較宗教論を教られているコマロフスキー教授(前ロシア連邦在大阪総領事)のご講演を聞く機会があった。教授は日本の学生の、自国の宗教に関する知識は「無に等しい」と嘆いていらっしゃった。また、「宗教はその国の文化の重要な一部分であり、宗教を知らないと自国の文化を理解でない。外国人に自国の文化・素顔を教えることが出来ない」と断じていらっしゃった。「学校で宗教教育が必要である。それは、何かの宗教を宣伝するものではなく、宗教について適当な知識を与え、日本の仏教や神道が歴史の中でどのような役割を果たしたかということの知識を与えなければならない」とおっしゃっていた。

確かに。外国人に神社とお寺の違いを聞かれて、答えられますか? 「宗教」が違うと言ってしまえばそれまでだけど、じゃあ、何故、お寺の中に神社があったりするの?浄土宗と浄土真宗の違いは何? なんてなったら、お手上げ。(実は、最初は「曹洞宗と日蓮宗の違いも判らない」って書いたんだけど、我らが主幹が、「それはいくらなんでも…!」と仰天したので、恥かしくなって「浄土宗と浄土真宗」に変えてみたんです。でも、周りの友達に聞いてみたら、やっぱり、皆、「曹洞宗は道元、日蓮宗は日蓮」ってことくらいしか知らなかった。)

 この、宗教に対する知識(=免疫)の無さが最近、あちこちで信じられないようなカルト宗教ができて、そこに皆「はまって」いってしまう原因なんだろうな。小さな子供が初めて見るおもちゃに気を取られるように。夢中になって…そして虜になって。他のおもちゃはおろか、ご飯にも家族にも見向きもしなくなって…。やっぱり、「知る」ということは大切なことだと思う。

宇根希英
                                       2000/2/20
 

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