〜 イベント報告 〜

欧米や中近東からもパネリストを招き、
国際シンポ『宗教は文明の衝突を回避できるか?』を開催  
     
05年05月28日

5月28日、IARF/WCRP「愛・地球博」出展委員会主催の国際シンポジウム『宗教は文明の衝突を回避できるか?』が、万博「地球市民村」内の交流ホールで開催され、欧米の諸宗教対話機関の関係者ならびに、パレスチナでユダヤ人とアラブ人の和解のための実践活動を行っている指導者を招き、4時間にわたって議論が繰り広げられ、愛知万博に来場した大勢の一般市民にも問題提起を行った。



万博「地球市民村」で開催された
国際シンポジウム

国際シンポジウム『宗教は文明の衝突を回避できるか?』は、IARF/WCRP「愛・地球博」出展委員会の西田多戈止委員長の挨拶に続いて、IARFジュネーブ事務所代表のジョン・テイラー博士(前WCRP国際事務総長)の40分間におよぶ基調講演で幕を開けた。


基調講演を行った
テイラー博士

テイラー博士は、ケンブリッジ大学時代に、日本におけるイスラム教研究の草分け的な学者である井筒俊彦教授から学んだ諸宗教に対する幅広く、かつ深い洞察に富んだ知識と学究姿勢が、その後の彼のWCC(世界教会協議会)やWCRP(世界宗教者平和会議)での諸宗教対話にかける情熱の基礎になったエピソードを紹介した後、長年にわたるキリスト教徒とイスラム教徒の対立の背後にあるものの意味を分析すると共に、相互間の不信を取り去るには、具体的な問題について、両者が協同して取り組むことが相互信頼の醸成をもたらし、結果的には最善の方法であるという趣旨の基調講演を行った。

 続いて、三宅善信金光教春日丘教会長をコーディネーターに、米国のオリビア・ホームズUUA(ユニテリアン・ユニバーサリスト協会)国際局長、イスラエルのシュロモ・アロンIEA(諸宗教出会い協会)議長、パレスチナのアイマン・ジェバラ氏(中学校校長)、安田暎胤薬師寺管主に、基調講演者のテイラー博士を加えてパネル討議が行われた。


丁々発止のディスカッションを
繰り広げたパネリストの面々

 基調講演を受けて、上記4名のパネリスト各氏による10分間ずつの応答の後、同志社大学とハーバード大学の両大学院で、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教・仏教等について広く学び、諸外国語にも堪能で、長年にわたって諸宗教間対話の方法論の研究を進めてきた三宅善信師の、鋭くかつ大阪人特有のユーモアに富んだ質問が各パネリストに矢のように浴びせられ、国家と教団と個人の関係や、教育や経済の適正な配分など、立場の違いによっては答えの異なるような答えにくい問題にまで突っ込んだディスカッションとなって、大いに盛り上がった。

 最後に、フロアの一般参加者からの質問にパネリストたちが応えたが、当初は宗教家による万博参加に懐疑的あるいは批判的ですらあった「地球市民村」の世俗のNGO諸団体関係者も、一カ月間におよぶ多様かつ圧倒的に示唆に富んだIARF/WCRP「愛・地球博」出展委員会の諸プログラムにすっかり脱帽した感じで、この日も、国際シンポジウム終了後、出演者を特別に招いて、他のNGO関係者が勉強会を開催するなど、宗教界の面目躍如たるプログラムであった。

なおかつ、信頼されている組織であるもうひとつの理由として、社会に広く根を下ろしたことが挙げられるでしょう。社会は組織のリーダーである庭野先生や三宅先生に対して、「暴力」や「不正義」といった克服しなければならない困難な状況を与え、常にその困難に対して「彼らは何をしてくれるのだろう」と注視してきました。

また、この2団体は、重要な「道具」でもあります。というのは、地域社会における人々と、国際社会における人々を結びつけてきたからです。かつて、IARFは「インド西部の都市グジャラートにおいて、ヒンズー教徒とイスラム教徒の間に対立がある」という報告を受けて、青年たちに地域社会レベルのプロジェクトを実行させました。大地震によって壊滅的な被害を受けた街で、モスレムはヒンズーのために寺院建設を手伝い、ヒンズーはモスレムのためにモスク再建を助け、破壊されたものを修復してゆきましたが、これは実に象徴的な活動でした。この出来事を通して、互いが互いに敬意を表してゆくこと。そして、若い世代が古い世代の偏見を乗り越えていくことができた訳です。同じように、イスラエルとパレスチナ間においても、偏見を乗り越えてゆくことができるのです。ある時は象徴的な活動により、ある時は教育によって……。

また、IARFはいくつものワークショップを開催しました。イスラム教やキリスト教の教師、ヒンズーや仏教の僧侶など、様々な宗教指導者が参加しました。ある時は、アフリカやアメリカの先住民族の文化に関して、「どうすれば、互いの文化を学び合うことができるか?」あるいは「どうすれば、われわれの学校のために良い教科書を作り、良い教師になるための教育を施すことができるのか?」といった主題を取り上げ、その他にもテレビの放送を通して、良い宗教対話教育プログラムを作り、われわれの知識や態度を変えてゆく試みがなされました。

われわれは、「イスラム教徒は皆、原理主義者だ」とか、「キリスト教徒は皆、帝国主義者だ」あるいは「日本人は皆、軍国主義者だ」といったような、レッテル貼りを基にした偏見でもって相手を見ないように注意する必要があります。われわれは、歴史を忘れてはいけません。過去に起こった出来事を記憶し、そこから学んでゆくのです。しかし一方で、われわれは、誤った歴史の記憶も正してゆかなければなりません。ヨーロッパ人は、歴史において犯した過ちにもう一度目を向けるべきでしょう。

しかし、同時にわれわれの歴史の良い点も学び、活かしていくことも考えていかなければなりません。本当の意味で、真に宗教的な対話――これは「学問的な」という意味ではなく――には、霊的なリソース(資源)も使わなければなりません。この愛知万博において、われわれは沈黙の中に祈りを捧げることにより、これからしようとしていることの力を得ています。そして、この力によって、われわれは「暴力に対抗する正義の戦い」をこれからも継続し、また、仏の教えである慈悲の心に、コーランにおける慈愛に、また、イエス・キリストの示した愛に戻っていくことができるのです。


▼問われる宗教家の実践

社会的に「政治家は、どんな問題でも解決できる」と言われても、われわれ宗教家はそう思わないでしょう。もちろん、問題によっては、ある程度助けることができるけれども、ある時は、逆にわれわれ自身が間違いを犯し、問題を起こす原因にもなっています。 困難や問題を解決する過程において、単に言葉だけで悔い改めを行うのではなく、実際に悔い改め、それを行動で示し、壊したものを再び創り直してゆかなければなりません。他方、真の意味での教育をしなければなりません。単に繕うもの、国粋的なものではなく、国際的な教育です。われわれは好奇心を持って、異なった世界の文明・文化を学んでいく必要があります。そういった意味において、この度の万博は、いろいろな国が参加していますから、われわれに多くの刺激を与え、人間の文明と文化や社会の多様化を示してくれることでしょう。

われわれは、衝突して戦争をするために「在る」のではなく、協力して応答してゆくために「在る」んです。そして、そのための道具が存在している訳です。そのひとつが、われわれのような組織であり、また、大きな国際的な枠組みでもあります。国連を批判することは容易です。しかし、国連はわれわれの行く手にビジョンを与えてくれます。世界中の非常に多くの問題と、それらの問題解決に関するビジョンを提示してくれます。この新しい千年紀の問題を明らかにし、対処してゆくのです。例えば、貧困の撲滅が挙げられます。世界の多くの場所において、教育そしてヘルスケアを受けることができない人々がいますが、これは、まさに貧困から起因しています。ですから、まず貧困を撲滅し、皆が文字を読めるようにすることが大切です。また、男女間の平等性を確立し、すべての文化において互いが協力しながらしてゆくということが大切です。

われわれは、今現在生きている人間に限らず、将来、生まれてくる新しい世代や自然に対しても責任を持っています。自然に対する思いやりを持ち、大切にし、守ってゆくということは、われわれ宗教的伝統の重要な部分でもあります。もし、われわれが、ただ単に言葉上だけでなく、現実に一緒に手足を動かして、自然やわれわれ人間家族に対して仕事をし、パートナーシップを作っているのだとすれば、何事も1人だけで達成することはできないということです。お互いがお互いを必要としているのです。そして、霊性を持って協力し合って行くことができるのであれば、われわれが現在不可能と考えていることを実際に達成していくことも可能になろうかと思います。ご清聴、有り難うございました。

(連載おわり 文責編集部)