弔 辞


■ 金光教教主 金光平輝

故金光教泉尾教会長三宅歳雄大人の御前に謹んで申し上げます。

あなたは御神縁のままに願いを立ててわが道の教師となられ、教会長として、一筋に御取次の御用にあたり、終生、神も助かり氏子も立ち行く道の実現につくされましたことは、まことに有難いことであります。

いま、あなたの御帰幽にあい、痛惜にたえません。

ここに、玉串をすすめて、哀悼の意を表し、霊のお道立てと、あとあとの大みかげを祈ります。

                                          平成11年9月4日

■ WCRP日本委員会 常務理事
妙智会教団会長 宮本丈靖

私はいま、偉大な宗教家三宅歳雄先生を失った悲しみと、はかり知れない寂しさで、何を申してよいのか言葉が見つかりません。

私が先生のご逝去の報に接しましたのは9月1日の早朝5時、朝のおつとめが終わったときでございました。

「諸行無常」という言葉も、「生者必滅」のことわりも、私は身に沁みて心得てはおりますが、それでもなお襲ってくる哀切の念は、ますます深まるばかりでございます。

思い起こせば、私が先生にはじめてお逢いしたのは、昭和45年、第1回WCRP京都会議の前、準備委員会のときだったと記憶しております。

あれからはるか30年、本当に親しくご交誼をいただきました。

いつお逢いしても、きちんと衣服を整えられ、その風貌は硬骨な古武士を想わせました。と申しましても頑迷固陋な印象だけではなく、ご修業によって磨きあげられたお人柄は、とても清すがしく、しかも親しみやすく、私とお逢いするたびに、「おお、法友がきてくれた」と、歓迎して下さったお姿がいまも目にあざやかに浮かびます。

先生はローマ教皇をはじめ、世界の各界の指導者と何度も逢われるなど、世界中を身命を惜しまず東奔西走され、難儀助けのために一心に祈りつづけて、この混迷の世に救いの灯を高々と揚げられました。そのお働きの姿を見聞きするたびに、心から感銘を深くし、私は世界平和へ渾身を込めるとは、かくあるべきだと強く、厳しく教えられました。

いま私ども妙智会教団あげて取り組んでおります『子どものための宗教者ネットワーク』はいよいよ来年5月に開催の運びとなりましたが、この世界の子どもたちを救わんとする活動も、先生の平和に対する高邁なご精神を学ばせていただいた結果でございます。

先生は、『わが祈りはわが命 われ死すともわが祈り死なず 御神願の中にわれは生き通す わが祈りは永生われは永遠』と書きのこされておられます。

私どもは、先生の遺されたこの世界平和への祈りを、永遠に受け継ぐことをここに固くお誓いいたします。

日蓮大聖人はご遺文の中に『悦ばしからんときも、今生の悦びは夢の中の夢。霊山浄土の悦びこそ、実の悦びなれ』

と、仰せられております。先生はいま、百歳になんなんとするご宝寿をまっとうされ、天より4種の花ふり、虚空に音楽聞こえる寂光土に逝かれました。

先生は戦後宗教者の国際連携に力を尽くされ、世界宗教者平和会議の設立に参加、そのあと委員会議長、平成6年からは名誉会長、さらに世界連邦運動の名誉理事長、日韓宗教者協議会会長など務められ、平和運動、難民救済活動に取り組まれました。

いま先生を失うことは、日本の、いや世界の宗教界にとりまして、まことに無念のきわみでございます。

三宅歳雄先生、どうぞ私どもの世界平和に向けての努力を見守りください。長い間、ご指導を賜わり、誠にありがとうございました。

ご冥福を心からお祈りし、弔辞とさせていただきます。

                                          平成11年9月4日

■ 金光教泉尾教会信徒代表 川島晴見

親先生・・・
親先生・・・
私ども信徒一同の親様、親先生・信徒われわれの生神様と仰ぎ奉り、称え奉る教えの親様、親先生・・・。

ああ。われら、親先生との永遠のお別れの時を今ここに、お迎え申さんといたしております。一同の代表として、今、何を申し上げてよいのか・。ただ茫然として、流れ出る涙を止めることのできない今の私でございます。

昭和2年、24歳のお若さでこの泉尾の地にご布教下さり、72年の長きにわたり世のため人のためにお尽くし下され、日本中のみならず、海外にも、平和のため、難民救済のために百回を超すご外遊をされました。今や「世界の親先生」と、そのご偉業を仰ぎ、頂く、私どもでございます。必ずや、「百歳を越えられても」と、そう信じ、願い、その親先生をわが誇りといたしてまいりました。

親先生には「われ永生」「わが祈り死なず」と言われ続けられてまいられました。あのお元気なお姿、お声が、今も、この耳に聞こえてまいる思いでございます。

信徒一同、今、親先生とのご神縁を思い起こして、助けられてまいりましたこれまでの道歩みを胸に、親先生゜親先生゜と心の中で叫び続けております。

不肖、私などは既にない命を親先生から頂戴いたしました。そのご恩は一生、忘れられるものではございません。高知の田舎から出てまいり、何ひとつ解らぬ私が今日の建設業のおかげを頂き・何と御礼申して良いのか・。親先生とのご縁がもしなかったならば、今日の私はございません。私の命の中には、親先生が生きていて下さる。親先生のお祈りがいきいきとお働き下されてある、そう堅く信じるものでございます。

かつて親先生に握っていただいたあの御手の温もりは、今でも忘れてはおりません。信徒の多くが参拝のたびに、親先生に確しかと握っていただいた御手の温かさを決して、決して忘れてはいないのでありましょう。

「なんでもの願いに生きよ」との親先生の強いご信念、ご信心をわが命の教えと頂き、泉尾教会の生命として守り続けさせていただきます。そして、この胸に、偉大なる親先生を頂き続けてまいります。さらに、それを、わが子に、わが孫に教え、引き継がせていただきます。

親先生との尊いご神縁を語り伝え、信心相続のおかげを頂戴いたします。

さらに、これからは二代先生を親先生と仰ぎ、頂きます。そして、三代先生のお若いいきいきとしたご指導を喜んで頂戴いたします。親先生が願いとされてまいられました、「人よ幸いであれ」歩みを全信徒が手を取り合い、実践させていただきます。

親先生、私共は今、お別れ申すのではなく、ますます元気に頂き、親先生の御教えを力の限りに実践いたします。

私共の今月今日の中に、生かし続けさせていただきます。親先生゜どうか祈り子、われらをいついつまでもお祈り、お導き下さいませ。

心からお願い申し上げます。

親先生、有り難うございました。

御神願、有り難うございました。
                                          平成11年9月4日

戻る