三宅代表とカーター元大統領とノーベル平和賞の不思議な関係

 2002年10月11日、元アメリカ合衆国大統領のジミー・カーター氏が、今年度の『ノーベル平和賞』に決まった。実は、レルネットの三宅善信代表一家とカーター氏夫妻とは、家族ぐるみの付き合いがある。同氏がまだ現役の米国大統領であった時代(1979年)に、三宅代表の亡祖父(故三宅歳雄師=WCRP世界宗教者平和会議の共同創設者)が世界を代表する宗教家のひとりとしてホワイトハウスに招かれたことに始まる。

  大統領退任後も、中東和平・ボスニア和平・西アフリカ疾病対策・各地での選挙監視など、カーター氏(カーターセンター会長)の事業と三宅家のNGO活動とは共通することが多かったので、両家の交流は続き、三宅代表の両親(三宅龍雄師・夫人)と弟(三宅修師)が、アトランタのカーター邸に招かれたこともあり、わざわざ1日だけ来日されたカーター氏夫妻が、大阪の三宅邸で食事を楽しんだというエピソードもあるほどである。


三宅一家と夕食を共にしたカーター元大統領夫妻

  また、現役大統領時代に起きたイランのアメリカ大使館人質事件の際には、イランに独自のパイプにあった三宅歳雄師が裏で調停工作を行ったこともあったし、中米ニカラグア・コスタリカの安全保障問題関係で三宅龍雄師(WCRP名誉会長)がカーター氏と意見交換したこともある。カーター氏は、三宅歳雄師の英文による著作『The Living of Peace』に序文を寄せて、日本の一民間人による世界平和活動への貢献を称えている。

  ブッシュ政権との関係で言うと、カーター氏は、1990年秋、京都で開催されたWCRP創設30周年行事に来日、続いて1991年春、金光教泉尾教会での講演のために再来日した際、イラクのサダム・フセイン政権対して、国際社会が一致団結して「湾岸戦争」を戦った時期であるにもかかわらず、『新世界秩序における日本の役割』と題する講演では、ジョージ・ブッシュ米国大統領(現ブッシュ大統領の父親)のあり方を、「世界平和の守護者に見せかけながら、その実、石油資源の確保ならびに、中東地域におけるアメリカの発言力の拡大に主眼を置いた不純な行為だ」と批判した。その時から、カーター氏の「反ブッシュ」という姿勢は変わっておらず、心血を注いだ中東和平の出発点となったイスラエルとエジプト間の『チャンプデービッド合意』と、その継承であるクリントン政権下のイスラエルとパレスチナ間の『チャンプデービッド合意』を反故にした現ブッシュ政権のあり方には、相当な不快感を抱いている。

  1999年春には、東京での小渕恵三外相(当時)との会談の直後、三宅龍雄師と三宅善信代表と会談し、「北朝鮮への食料支援のあり方」・「中国=チベット問題」・「アフリカにおける寄生虫駆除対策」・「ボスニア諸宗教委員会設置」および、翌2000年11月に中東のヨルダンで開催される第7回WCRP世界大会へのカーター氏の参加の仕方等について、意見の交換をした。

  さらに、三宅善信代表は、ニューヨークやワシントンDCでも、何度かカーター氏と講演やパネルディスカッション等で同席したことがあるが、カーター氏への『ノーベル平和賞』受賞に関しては、今年6月に、WCRPがケニアのナイロビで開催された『子どものエイズ問題に関するアフリカ宗教指導者会議』の席上、同会議の共同議長を務めたノルウェー国教会のオスロ司教G・シュテルセット師と意気投合し、多くの意見交換を行った。このシュテルセット司教こそ、ノルウェー国会から付託を受けた5人の「ノーベル平和賞選考委員」のひとりである。もちろん、三宅家とカーター氏との関係について話し合われたことは言うまでもない。


ノーベル平和賞選考委員の
シュテルセット司教と三宅善信代表

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