天台座主が1200年の歴史で初めて高野山を公式訪

 09年05月27日

  
  2009年5月27日、ウエスティン都ホテル大阪で開催された奥田聖應師の第111世和宗総本山四天王寺管長晋山祝賀宴において、三宅善信代表が得た情報では、比叡山天台宗の半田孝淳第256世天台座主(延暦寺住職)が、本年6月15日に高野山真言宗の総本山金剛峯寺を歴史上はじめて訪問し、宗祖弘法大師空海の誕生を祝う『宗祖降誕会(しゅうそごうたんえ)』法要に参列し、高野山真言宗管長の松長有慶第412世総本山金剛峯寺座主と会談することになった。


奥田四天王寺管長を挟んで、
半田天台座主と松長金剛峯寺座主をはじめとする仏教界の諸大徳

  平安仏教の双璧、比叡山天台宗と高野山真言宗は、それぞれの宗祖である最澄(伝教大師)と空海(弘法大師)が、平安時代の劈頭804年に派遣された遣唐使の一行として入唐し、それぞれ当時中国で流行っていた天台宗(法華一乗思想)と真言宗(密教思想)を日本に紹介し、従来の「八宗兼学」の南都仏教ではない、宗派仏教が日本に定着する基礎を作った。

  帰国当初は交流のあった最澄と空海ではあったが、後にいろんな点で路線の違いが表面化し、最終的には絶縁関係にあったと言われる。天台宗では、最澄の持ち帰れなかった密教の経典を真言宗から借りられなくなったので、新たに後に第三代天台座主となる円仁(慈覚大師)が838年に入唐し、9年に及ぶ求法の旅を重ねて、天台宗の密教の空白部分を埋めた。以後、真言宗の東寺(教王護国寺)を中心とする密教を「東密」と呼び、天台宗に伝わる密教を「台密」と呼ぶようになった。

 このような歴史的な確執を経て、1200年間にわたって、天台宗と真言宗では、公式には「没交渉」となっていたが、諸宗教対話に積極的な半田孝淳天台座主が呼びかけ、全日本仏教会の会長を務める松長有慶金剛峯寺座主が歓迎の意を表明したもの。松長座主は、「同じ来山されるのなら、宗祖弘法大師の誕生記念日にあたる降誕会(通称「青葉まつり」)に」と、6月15日の来山を招聘したもの。


松長有慶高野山真言宗管長と談笑する三宅善信代表

 この日の四天王奥田新管長の晋山披露宴でも、半田座主と松長座主は、奥田管長を挟んでメインテーブルで談笑し、21世紀の日本仏教界の象徴的な姿であった。レルネットの三宅善信代表は、両猊下から長年、ご高誼をいただいている。



戻る