杭州で遣隋唐使1400年記念シンポ開催

  09/14〜17

 2007年9月14日から17日にかけて、中国浙江省の杭州市内のホテルにおいて、遣隋唐使1400年記念国際シンポジウム『東亜文化交流の源流』が開催され、日中両国はもとより、韓米露英の六カ国から百名を越す研究者が一同に会する国際学会であった。



記念講演後、王勇所長とディスカッションする中西進氏

 今年は、推古天皇15年(607年)に、小野妹子が隋の煬帝に対して「日出づる処の天子、日没する処の天子に書を致す」という聖徳太子からの国書を奉じてより、ちょうど1400年目に当たるが、このシンポジウムは、本年5月に大阪の住吉大社で開催された日中交流一四〇〇年記念国際シンポジウム『遣隋使遣唐使がもたらしたもの』を受けて、浙江工商大学日本文化研究所の主催(協力:中国日本史学会、後援:日本国際交流基金)によって開催された学術性の高いシンポジウムである。

 日本からは、前駐中大使の阿南惟茂氏、中西進奈良県立万葉文化館長、村井康彦京都市美術館長らをはじめ考古学から民俗学に至るまで、各地の大学教授が多数参加したが、宗教界からは、天台宗典籍編纂所の野本覚成編輯長、住吉大社の高井道弘権宮司、金光教泉尾教会の三宅善信総長(レルネット代表)が参加した。



A分科会の様子

 9月15日に行われた開会式では、主催者として浙江工商大学胡祖光学長が歓迎の挨拶を行い、中国日本史学会の湯重南会長が開会の辞を述べて始まった。まず、最初に阿南惟茂氏が『現代の遣唐使』と題して、いわば“初代”駐中大使とも言える小野妹子を取り上げて、外交交渉の意味について講演を行い、続いて、中西進氏が『遣外使、第三の積荷』と題する人間や文物以外の伝承物について講演した。

その後、ABCD四つの分科会に分かれて、日中韓米露五カ国の研究者がそれぞれの研究成果を発表した。天台宗の野本覚成氏は、D分科会で『七巻本「妙法蓮華経」の日本請来』と題し、それぞれ違う時代に伝わった法華経テキスト間の差異について、最新のコンピュータ検索技術を用いた研究成果を発表した。住吉大社の高井道弘氏は、B分科会で『遣唐使と書芸の進化』と題して、唐代の書家が日本の書道確立にどのような影響を与えたかを陰影を多数比較しながら解説した。



F分科会で発表する三宅善信氏

 16日は、前日に引き続き、EFGH四つの分科会に分かれて研究発表が行われた。大阪医科大学の非常勤講師でもある神道国際学会常任理事の三宅善信氏は、F分科会において『遣隋唐使と伝染病』と題して、遣隋唐使が日本に伝えたものは、経典や仏像といった「物(もの)」や、漢字や律令制度や宗教といった当時の日本が「先進国」中国から積極的に導入しようとした「事(こと)」だけでなく、天然痘をはじめとする数々の伝染病といった「好ましからざるもの」も伝わったこと。また、そのことが後々の日本文化や宗教に与えた計り知れない影響について、最新の研究成果を交えて、IT映像を駆使して紹介し、「遣隋唐使研究に新しい視野を拓くもの」として、各国の研究者から大いに注目を集めた。



王勇所長の進行で行われた全体会の様子

 この日の午後は、韓国の梨花女子大学の申N(さんずい偏に、瑩)植名誉教授が『新羅遣唐使の歴史的役割』と題して、また、村井康彦氏が『遣唐船から唐商船へ』と題して記念講演が行われ、その後、「学会展望」と題して、主催者の王勇浙江工商大学日本文化研究所長の進行で、欧米各国の碩学から、「遣唐使の研究はひとり日中間の歴史研究としての視点だけではなく、この両国に密接に関連する百済・新羅・高句麗・渤海は言うに及ばず、アジア史全体の中で大きな影響を与えるものである」という趣旨のディスカッションがなされて、二日間に及ぶ国際シンポジウムが閉幕し、翌日は、海外からの参加者が杭州市内の歴史的名所視察した。


戻る