今こそリットン調査団を:北部同盟の化けの皮
01年10月11日


レルネット主幹 三宅善信

▼公正な刑事裁判なら無罪に

 10月8日未明(日本時間)、米英両国軍によるアフガニスタンのイスラム原理主義勢力タリバンおよびオサマ・ビン・ラーディン氏率いるアルカイーダに対するair attack (空からの攻撃=空爆)が開始された。先月11日のニューヨークの世界貿易センタービルならびにワシントンD.C.のペンタゴンへの同時多発テロ攻撃に対する(と自称するアメリカの)報復攻撃がいつ行われるかということが注目されていたが、とうとうこの日、アメリカは「血の同盟」である英国と共に、アフガニスタンに対して直接的軍事行動を開始した。

 しかし、一般に「報復攻撃」と呼ばれている今回のオペレーションは、不可解なことばかりである。まず、どこの誰が行なったかも判らないテロ攻撃に対して、アメリカは初めから"犯人"を決めつけていた。普通、テロ事件は、発生直後に、事件を起こした(と思われる)団体から「犯行声名」が行なわれるのが通常である。なぜなら、テロ事件は多くの場合、国際社会に対して公平に発言するチャンスを与えられていない(と自覚する)集団が、自らの政治的主張を聞かせるために世界の耳目を集める目的で行なう(場合が多い)ので、犯行声明なきテロは、テロ事件を起こすことの行為そのものに意味がないのである。ところが、今回の事件については、犯行声名が発表される前から(とうとう誰も犯行声名をしなかった)、事件発生後のほんの2・3時間も経たないうちから、アメリカは今回の事件の首謀者をアフガニスタンのタリバン政権に匿われていると言われるオサマ・ビン・ラーディン氏と決めつけて行動を開始していた。「見込み捜査」もいいところだ。

 どこにそのような証拠があるのか判らないが、同盟国や安保理に対して、何度も「証拠を出す、出す」と言いながら、結局は、証拠を出す前に既成事実を積み重ね、パキスタンをはじめとする周辺国に対し、アメとムチを使い分けて圧力をかけ、タリバン政権包囲網を敷いてから、証拠と呼べるか呼べないか判らないような状況証拠を出して、ビン・ラーディン氏を攻撃するための自己正当化を行なったのである。こんな、でっちあげの状況証拠など、アメリカに山ほどいる金さえ積めばなんでもするハイエナのような弁護士を雇えば、全部、「証拠不十分」で"無罪"(どころか、名誉毀損で数百億円ふんだくれる)になってしまい、公判維持ができないことが目に見えている。

 そこで、一層のこと、ビン・ラーディン氏を葬り去ることを考えたのである。"正義"の銃を振り回す"世界の警察"が聞いて呆れる。"野蛮"なインディアンを"文明化"してあげる"正義"の騎兵隊と同じ構造である。自らを「新しいイスラエル」と称して、先住民(インディアン)から国土を簒奪した歴史を有しているアメリカである。何度も言うが、私は何もテロリストを擁護しているのではない。数多くの一般市民(非戦闘員)を巻き込む行為が許されるはずはない。しかし、タリバンと同じくらい、アメリカという国も、インチキな「ならず者」国家の要素があるということを主張しているだけである。


▼ヤクザ的二者択一論

 その間、ブッシュ大統領は、迂闊にも(実は、これはアメリカ人の本音が思わず出てしまったのであるが)今回の作戦に対して「十字軍(Crusade)」という用語を使い、世界中の良識のある人々とイスラム諸国からの反感を買ってしまった。(註:ベトナム戦争で活躍した米海軍の艦載戦闘機のF-8は"Crusader"と呼ばれていた)しかし、彼はたびたび「これは正義と悪との戦いである」と自己の行動を正当化し、あるいは世界中の国々に対して、「正義の側(自分たちのこと)につくか、それともテロリストの側につくか」という、いわばヤクザ的な二者択一を迫り、圧倒的な軍事力で恫喝して、パキスタンのムシャラフ政権まで取り込んでしまった。

 今回のテロ事件が起こるまでは、昨年の軍事クーデターによって成立し、核兵器まで保有するパキスタンのムシャラフ政権のことを「ならず者国家」と名指しで批判し、同政権の転覆を図っていたにもかかわらず、その隣国に、もっと"悪い奴"が出現すると、例によって「敵の敵は味方」の論理を用いて、ムシャラフ政権を承認してしまった。今回の"敵"ビン・ラーディン氏も、20年前の「アフガン戦争」の際にソ連軍と戦わせるために「CIAが育ててきたライオン」(註:アラビア語のOsamaは、「強いオスライオン」の意)ではなかったのか? 大きく育ちすぎて手が追えなくなった、ペットを捨てる無責任な飼主とかわらない。私はこれまで、アメリカの説く"正義"がいかにインチキであるかということを縷々述べてきたが、今回の一件でもこのことは明らかになっている。


▼いつをもって戦争の"起点"にするのか

 一方、アフガニスタンに対する今回のアメリカによる巡行ミサイルやステルス爆撃機等を用いた空爆についても意見がある。今回の同時多発テロはもとより、60年前の「パール・ハーバー」の時もそうであったが、アメリカはいつも、「経済封鎖」などで、相手国にそうせざるを得ない状況にまで追い込んでおきながら、一旦、相手が攻撃してくると(当然、予想していても)「不意打ち」と言い、「卑怯な作戦」と言ってきたが、闇夜に一般市民が生活する街中に、数百km離れたはるか洋上の艦船から巡行ミサイルを打ち込んだり、相手のレーダーにも映らず、対空砲火も届かないところからステルス爆撃機で攻撃することを卑怯と言わずに何を卑怯というのか…。これを不意打ちと言わず、何を不意打ちと言うのか…。もちろん、アメリカの論理によると、「自分たちは事前に十分警告した」と言うであろう。

しかし、"警告"なら世界中のテログループが、年中、アメリカへの警告をしているではないか。「次はお前の番だ」と……。また、今回の事件の"起点"をアメリカは勝手に「9月11日」と決めつけているが、ビン・ラーディン氏の側からすれば、アメリカ(クリントン政権)が仲介してパレスチナとイスラエル(バラク政権)で"合意"した中東和平合意をイスラエル(シャロン政権)が勝手に反故にして、パレスチナ国家の「樹立宣言」を延期させられて以後、希望を失ったパレスチナ人のインティファーダ(投石闘争)に対するイスラエル政府の過剰防衛(ロケット弾まで撃ち込んでいる)が1年以上も続くパレスチナでのイスラエルと残虐行為と、それを放置している米国による間接殺戮が"起点"だとも言えないこともない。


▼パレスチナの惨状を見ぬふりをしてきた国際社会

 これもアメリカの自分勝手なダブル・スタンダードの現れである。アフガニスタンへのアメリカの空爆の直後、絶妙のタイミングでカタールの衛星テレビ局アル・ジャジーラが、オサマ・ビン・ラーディン氏およびアルカイーダの指導部が映っているビデオを放映した。このビデオにおいて、ビン・ラーディン氏は非常に冷静に――今回のアメリカによるアフガニスタン空爆を予想して、事前に収録されていたと思われるが――アメリカに対し理路整然と反論した。ビン・ラーディン氏の主張の要点は;これまで80年間に渡り、アメリカがイスラム教諸国に対して行なってきた数々の国家的犯罪行為を指摘し、中でもパレスチナの民衆に対するイスラエルの度を過ぎた武力行使とそのことが国際社会において事実上、見過しにされているということ。国連で、何度もイスラエルに対する非難決議が採択され、また、イスラエルのパレスチナ占領地域からの即時撤退要請が国連で決議されているにもかかわらず、アメリカとイスラエル両国はこれを無視ししてきたこと。そのアメリカが今回アフガニスタンを攻撃するために、国連決議を云々する資格がないということ(しかも、米国は、これまで滞納してきた国連への分担金を急遽払い込んだ。これなど、自分の意見を聞いて欲しい時だけ国連を利用する汚いやり方だと私も思う)。

 さらに、アメリカを中心とする国際社会が、パレスチナの人々の困難およびイスラエルによる犯罪行為に対して、このような見て見ぬふりをする状況が続く限り、今回のアメリカで起きたようなテロ事件は後を絶たないであろうということを予想し、これまで、海外での戦争(アメリカが攻めてゆく戦争、すなわち軍人しか戦闘に関わらない)しか経験したことのないアメリカ人に、他の国々の人々が経験したような、罪もない一般市民が巻き込まれる戦争の恐怖を味あわせて、パレスチナ人の痛みを解からせるのが目的ということを主張した。この主張には、中東だけでなく、アフリカや旧ユーゴ、中南米などの民衆も、かなり共感したことであろう。

 さらには、アメリカの日本に対する原爆投下についても触れ、多くの無抵抗な一般市民を巻き添えにしたアメリカの非人道的な攻撃のあり方、なおかつ、そのことを「(事実上、決着がついているのに、ソ連に参戦させたくないため)日本に対する戦争を早期に終わらせるため、アメリカ軍の将兵を傷つけないため」と言って自己正当化して見せるアメリカの欺瞞について指摘した。ここまで言われて「それでもアメリカに付いていく」と主張している小泉首相の神経を疑う。まるで、ヒモの男に縋る女のような情けない状態だ。唯一の被爆国として、また、イスラム教国でもなく、キリスト教国でもない唯一の大国として、今回の戦争の調停役になり得た立場を自ら放棄した日本の政策は、長い目で見れば、禍根を残すであろう。

ビン・ラーディン氏の放送を聞いて、パレスチナの住民は大いに盛り上がった。あの衝撃的な世界貿易センター(WTC)ビル崩壊シーンよりも、その様子をテレビで見て、大いに喜んだパレスチナ人の騒ぎのほうが私にはショックだった。イスラエルの全人口よりも多くのユダヤ人が暮すというニューヨークの繁栄の象徴(金融街はユダヤ人が仕切っている)が崩れ去るシーンを見て、パレスチナの住民は、まさに溜飲を下げるような興奮状態であった(ところが、ある筋から聞いた話であるが、数千人が犠牲になったWTCビルへのテロ攻撃であるが、どういう訳か、あのビルに何百人ものユダヤ人が勤務していたはずなのに、今回、亡くなったユダヤ人は、たった一人だそうだ。彼らだけ、直前になんらかの事前情報を得ていたのだろうか?)。


▼ビン・ラーディン氏のほうが論理的

 ビン・ラーディン氏とブッシュ大統領のスピーチを比較して見ると、どちらも、根本命題に独善性があるという点では共通しているが、理路整然としている点ではビン・ラーディン氏の方が上である。ビン・ラーディン氏の主張していることで、普遍妥当性を欠いているのは、「アラー(神)に対する信仰が絶対的基準である」と言っていることだけである。イスラム教の信仰という要素を除けば、ビン・ラーディン氏の言っていることは極めて論理的である。しかし、ブッシュ大統領も、キリスト教に対する恣意的信仰を価値判断の基準に置いている点では同じであるのだから、この点は相殺される。ブッシュ大統領とラーディン氏の論理の整合性だけを比較すれば、ビン・ラーディン氏の方がはるかに首尾一貫していると思われる。

 問題は、国際社会の実態が、論理性があると思われるビン・ラーディン氏の言うことよりも、軍事的・経済的に力があるアメリカの言うことを唯々諾々と聞いているというところにある。本来ならば、普遍妥当性があると思っている自己主張が、現実には受け入れられないと思い込んでいる彼らが、現在の"不当な世界秩序"に、意図的に従わなくなるどころか、これを破壊しようと試みるのは、当然の帰結である。国際社会の不満分子には、適当な"ガス抜き"の機会を与えてやらねばならないのは、"支配者"の債務だ。これまで何度も指摘してきたように、アメリカは『ドラえもん』のジャイアンである。彼の意見が正しいから、皆(国際社会)が彼に従っているのではなく、単に彼が強いから彼に従っているだけであるということを知るべきである。日本なんか、さしずめ、ジャイアンの腰巾着のスネ夫である。国際社会から尊敬される存在になど、なれようはずもない。


▼カンボジア方式は可能か?

 アフガニスタンを実効支配しているタリバン政権に対する米国の攻撃、ならびに北部同盟に対する一方的な肩入れと合法政権化の論理を見ていて、私は、今から約70年前の歴史上のある出来事を思い出した。これまでアフガニスタンでは少数勢力となっていた北部同盟(を構成する3〜4つの極少数のゲリラ勢力の集合体)が、タリバンに政権の座を追われたのには、アフガン人にとってはそれなりの理由がある。いずれにしろ、タリバンの政策の条理・不条理をわれわれ第三国人が云々するべきではない。われわれの(欧米化された)基準から見れば、伝統的なイスラム社会は、はるかに閉鎖的であり、女性に対して差別的であり、なおかつ非合理的だと思う選択であるが、アフガニスタンの人々自身が、欧米化された生活ではなくこのタリバン政権(伝統的イスラム教徒の生活)を選んだのであるから、われわれがとやかく言う筋合いの問題ではない。

 このタリバンによって政権の座を追われた対ソ連アフガン戦争の英雄故マスード司令官(今回の米国同時多発テロ事件の数日前に、何者かによって暗殺された)他の北部同盟の残党勢力が、ウズベキスタンやタジキスタンと国境を接する山岳地域でゲリラ活動を行なっていたが、その勢力に対する支援をアメリカやロシアなどの大国が始めたのである。アフガン人同士で殺し合いをさせることによって"尊い"アメリカ人(ロシア人)の血を流さずに済む。しかし、ゲリラの残党勢力だけの寄せ集めでは、"国民的政権"というにはあまりにもお粗末なので、かつて、追放されたザヒル(シャー)元国王(註:「シャー」は、ペルシャ語の「王」の意味。もちろん、『機動戦士ガンダム』の敵役「赤い彗星シャア」もこれから取られている)をシャッポとして担ぐために亡命先のイタリアから呼び戻し、このシャー(形だけの傀儡の国王)の下に新"政権(国家評議会)"を樹立し、そして、その"政権"がアメリカと友好同盟関係を結び、その"政権"の支援要請に基づいて、アメリカがアフガニスタンに駐留することを正当化しようとする見え透いた企みである。ある意味で、米軍が国内に駐留している国は、すべてアメリカの"属国"であるといえる。

 このことは、この10年間ほどの例で言えば、ポル・ポト政権による社会混乱後、長年の内戦を闘ったカンボジアにおいて行なわれた紛争調停の方式と一緒である。ただし、カンボジアでは暫定統治を国連主導で行い、いわば"多神教"の仏教徒同士のもめごとであったが、「all or nothing」の一神教徒同士だと、妥協が不可能である。カンボジアの歴代政権が腐敗し、シアヌーク国王が追放(1970年)され、ロン・ノル将軍が政権を掌握。その後、国内各派が群雄割拠の内戦に陥り、ついに毛沢東主義のポル・ポトが政権を簒奪するに及んで、社会の現状を無視した共産原理主義的国家運営とそれを受け入れない国民の大量虐殺等(国民の約3分の1が殺された)によって、社会が混迷を深めた。

 その混乱に乗じて、隣接するインドシナの大国ベトナムの介入を招き、親ベトナムのヘン・サムリン政権が成立する(国を奪われる)ことによって、はじめて、カンボジア人としての"国民"意識が高まり、これに対抗するため、これまで「三つ巴」で敵対していたポル・ポト派(共産主義)、ソン・サン派(仏教主義)、ナラリット派(王党主義)が同床異夢の連合を組み、最終的には、ヘン・サムソン政権のフン・セン首相まで取り組んで、北京に亡命していたシアヌーク殿下をシャッポに新しい国家を建設することができた。日本も大いに貢献した。というできごとがわれわれの記憶に新しいが、実は、今回のアフガニスタンのケースは、それよりも、ある意味で、70年前の東アジアにおけるある事件と共通性がある。


▼満州国のときと同じ

 300年間続いた清朝が崩壊し、20世紀に入って中国大陸が混乱の時代に突入したのと時を同じくして、欧米列強および日本は大陸に介入し、それぞれの"国益"と称する帝国主義的権益の拡大を図った。中でも、日本の関東軍は、政府の命令を無視し、次々と満州地域で軍事作戦を行っていった。最も有名なのは、日本国内では「満州某重大事件」と呼ばれた1928年の満州の軍閥「張作霖爆殺事件」である。(因みに、この事件を隠蔽しようとした田中義一内閣は、国会での答弁と天皇への上奏の食い違いを叱責され、総辞職に追い込まれた)。そして、北京を追われた清朝最後の皇帝「宣統帝」こと愛新覚羅溥儀を執政に迎え、満州国を建国(1932年)させたのである。

 満州国の国家としての目標は、日・朝・満・蒙・漢の諸民族の共存共栄(五族協和)の理念を掲げて、満州の地に王道楽土の建設を宣言したのである。しかし、"中国(中国という言葉自体、実態というより理念に過ぎないことは、萬遜樹氏が『ニッポンの始まり」について』――「中国」を軸に「朝鮮」を回廊にして』で指摘している)"大陸の分割に繋がる"満州(漢民族ではない女真族の故地)奪還"を目指す蒋介石の"中華"民国政府は、国際連盟に本件を提訴した。そして、日本政府の提案により、英国人のリットン卿を団長とする調査チーム(英米仏独伊で構成)が、日本と中国へ査察に派遣された。いわゆる、リットン調査団である。

 しかし、リットン調査団が国際連盟で公式報告をする前に、日本政府は執政溥儀の満州国を承認した。リットン調査団はその報告書において、関東軍の軍事行動は正当な自衛行為ではないとしながらも、満州における日本の特殊権益を認め、また、満州の人々(女真族)が広範囲な自治を確保することを提案した。しかし、その満州国は、中華民国政府の保護下に置かれるべきである。とした対日勧告を42対1で国際連盟が可決したことに怒った日本の全権代表松岡洋介は、「とうてい受け入れられない」と演説した後、自席へ戻らず、そのまま議場から退場し、翌年、日本は国際連盟を脱退した。

 中国大陸では、関東軍は抗日ゲリラ勢力を掃討するのに手を焼いたが、正規軍でなはないゲリラたちは、常日頃は一般民衆に紛れており、突然襲いかかってくるので、一度民衆の中に逃げ込まれると区別がつかないということもあって、関東軍は結果的には多くの現地の一般住民をも巻き込んで殺害することになり、これが後にいろいろな虐殺事件として問われるようになったのである。この70年前のリットン調査団のことを、今回のアフガニスタンにおける、ザヒル・シャーを戴いた新政権樹立を画策するアメリカの動きを見て、私は思い出した。


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