火星大接近と北朝鮮 
 03年08月24日


レルネット主幹 三宅善信

▼火星と競うもの

 8月27日、火星が6万年に1度という万載一遇(千載一遇より凄いレアさ)で、地球に超大接近をするそうである。そのこと自体の話題性で、ちょっとした「火星ブーム」が起きているが、歴史上、火星という星は、夜空に怪しく輝く独特のあの赤い光(註:火星の表面の鉄分が酸化して赤く見えているだけであるが)によって、古代人たちはそこに何らかの宇宙的な意味(註:からの連想として、戦いがイメージされた場合が多い)を見い出そうとしたのである。恒星と違い惑星は、その名のとおり、一見、不思議な動き方をするし、なおかつ、金星(Venus=Aphrodite)に次いで地球に最も近い火星(Mars=Ares)は、その分、地球からの距離の位置関係の差が大きく(註:太陽に対する地球のと公転半径と比べて、ほとんどの恒星の地球からの距離は無限大と言っていいほど大きく、その分、恒星は地球からの見かけ上の大きさが変化しないが、公転軌道半径が地球のそれの約1.5倍である火星は、仮に両惑星の軌道が正円だとしたら、最接近時と最遠隔時とでは、両惑星の距離の比は約5倍になるので、見かけ上の明るさの差は、距離の二乗に反比例して最大25倍まで変化しうる)、場合によって明るく輝いて見えたり、暗く見えたりといった見かけ上の差が著しく大きい。したがって、天体間の距離の差についての知識などなかった古代人たちは、いよいよそこに「天命」を感得しようとしたのである。

 火星の怪しく輝く赤さについての特別の「信仰」は、洋の東西を問わず、蠍座の赤い主星アンタレスへの信仰と共に見られる。古代ギリシャにおいて「火星と競うもの」という名前を与えられたのアンタレス(Antares=anti+ares)は、無敵の英雄オリオンを倒した蠍(註:「どんな猛獣でも狩ることのできる」オリオンが、蠍に刺されてあっさりと死ぬ話。以後、オリオンは蠍を恐れて逃げるので、天空でもオリオン座(冬の星座)と蠍座(夏の星座)を同時に見ることはできない)として、特別の地位を得ていた(註:因みにオリオン座の1等星ベテルギウスも赤い)。そして、それらの「赤い星」の中でも最も明るい星が火星なのである。戦いの神アーレス(Ares=火星)とアンタレス(Antares)は、天空における不吉なライバルとして見られていたのである。

古代中国においては、「火星と商(アンタレスを中心にした三ツ星の中国での呼称)が隣接する時に天下大乱が起きる」と信じられていた(註:興味深いことに、中国でも「商と参(オリオン座の三ツ星)」を仲の悪い兄弟に見立てて、「人生の相見ざること参と商の如し」という俚諺まである)。広大な中国大陸を最初に統一した始皇帝が崩じる一年前に、突如として、火星が輝きを増し、そのことが大秦帝国崩壊のきっかけを作った「陳勝呉広の乱」を初めとする各地の反乱軍の人民扇動の大儀名分のひとつとなった。


▼傾国の美女
  
 また、火星と天下大乱に関する歴史上最も有名な「事件」と言えば、8世紀の前半、唐に繁栄をもたらせた「開元の治」と呼ばれる治世を築いた玄宗皇帝が、美女楊貴妃を手元に置いて愛玩したことから、急速に大唐帝国の安定が揺いでいったという出来事である。いわゆる「傾国の美女」の話である。楊貴妃に出遭うまでは、名皇帝として、その前の時代、国政に混乱をもたらせていた女性上位の「武韋の禍」(註:興味深いことに、儒教父性原理の中国社会では「女帝」は嫌われたが、日本ではこの時期(奈良時代)は「女帝」全盛であり、聖武天皇の后である光明皇后などは則天武后を理想的人物と仰いでいた)を終息させて、政務に精励し、中国的安定を回復させた玄宗は、ある時、17歳で息子(息子と言っても第18番目の王子であるが)の妃になった楊玉環のことが目に止まるのである。そして、この女(=楊貴妃)を自分のものとした。その時、玄宗は宝載(皇帝の年齢)56、そして楊貴妃の御齢は22歳であったと言われる。

 そして、この時から名君玄宗の凋落が始まるのである。皇帝は、三千寵愛を一身に身に受けた楊貴妃の言うがままになり、妃の機嫌を取るため従兄弟の楊国忠を政治的な重要ポスト(最終的には宰相)に採り立て、また楊貴妃の養子となった節度使(註:辺境警備の軍司令官)の安禄山(ソグド人と言われる)にまで巨大な権力(3つの節度使を兼任)を与えてしまうのである。旧来の門閥制を廃し、科挙の制度で有能な官僚を採用した「武韋の禍」の副産物としての整った新官僚制度の下、「美女」を得てからの十数年間のsweetな生活を送った玄宗が、71歳の時、既に宰相となっていた楊国忠と対立した安禄山が15万の兵を要して、大唐帝国に反乱を勃発するのである。いわゆる「安史の乱(註:安禄山とその息子の家来史思明が起こしたので「安史の乱」と呼ばれる)」が起こるのである。そして、756年、ついに長安の都を占拠した安禄山は自ら大燕皇帝を僭称し、大唐の乗っ取りに成功するのである。玄宗は楊貴妃を初め、近親の者を連れて長安の都を脱出し、『三国志』でも有名な蜀の地、成都へと亡命するのである。

 その逃避行の初日、楊国忠は家来たちから真っ先に殺され、また、近習たちは、混乱の原因を作った楊貴妃の処分を玄宗に厳しく迫まり、ついに楊貴妃を縊(くび)り殺させるのである。玄宗は、しぶしぶこの決定を受け入れたが、楊一族を廃することによって、大唐帝国の威信は持ち直し、「安史の乱」は収束を遂げる(註:安録山も史思明もその息子に殺され、自滅する)わけである。しかし、愛人に先立たれ、名皇帝の栄誉も失った玄宗(註:帝位は粛宗が継承した)は、失意のうちに数年を過ごし、762年、78歳でこの世を去るのである。日本でいえば、天平文化全盛の頃の話である。その約50年後の805年、白居易(白楽天)は、あの「漢皇(玄宗のこと)色を重んじて傾国を思う。御宇多年求むれども得ず・・・・・・」で始まり、後世の日本文学にも多大な影響を与えた『長恨歌』を作詞するのである。


▼天下大乱の兆?

 このように、東アジアの「中国世界」おいては、歴史を通じて、火星は極めて気紛れな天の意志を表す危険な星と信じられてきたのである。そして、その火星が、この夏、なんと天文学的には6万年に1度というタイミングで、地球に大接近するのである。地球が太陽の周りを365.24日で公転(それ故、4年に1度閏年がある)し、火星は地球の約2倍の687日ほどで公転することはよく知られており、大雑把な計算をすれば、地球と火星は2年に1度は相対的に接近した位置関係になる(註:地球の2年は火星の1.06年に相当するから)のであるが、地球の公転軌道は、ほぼ円軌道(離心率1.7%)を描いているが、火星の公転軌道はかなり楕円軌道(離心率9.3%)を描いているので、その最接近の度に、少しずつタイミングがズレてゆき、天文学上は、2003年の8月27日が過去6万年間で最も近いと言われているのである。

 8月27日と言えば、北京で初の北朝鮮、米国、中国、日本、韓国、ロシアによるいわゆる「6カ国協議」が開催される日である。核兵器を独占しておきたい安保理常任理事国である米中露3国の関心は、もっぱら北朝鮮の核開発の阻止である。そこで、日本がいくら拉致問題を持ち出しても、そのような(国際的な安全保障にとっては些細な)問題に、どこまで米中露が協力してくれるかは疑問であり、また逆に、6カ国協議で拉致問題が正式議題として採り上げられなかった場合、北朝鮮をして「拉致問題は国際的には解決済み」というお墨付きを与えてしまう危険性すらある。この協議会を主導する米中両国にとって、日本は、北朝鮮が恭順の意を表した場合、経済援助をすることになったら、財布代わりとして日本に金を拠出させることしか頭にいない。また、「何事も穏便に」という(両班以来の歴史がある)官僚国家の韓国政府にも、6カ国協議で大した成果を期待するのは、無駄であることは、直前の大邸ユニバーシアード大会への北朝鮮のボイコット騒動への弱腰の対応を見ても判かる。小泉政権の外交力が問われるところではある。

 中国的儒教文化圏の中にある朝鮮民主主義人民共和国という国家が、そして、その金王朝の太祖(註:二代目の皇帝)である「傾国の美女軍団」に囲まれた金正日氏が、玄宗皇帝に、その治世の終焉をもたらした火星の大接近のエピソードを知らないはずはなく、その火星が超大接近する8月27日に、長安ならぬ北京の地で6カ国協議が行われることの意味は大きい。かつて、軍事大国であった秦に対抗するため、他の6カ国が合従したり、連衡したりして、古代中国の戦国時代が形成されたのであるが、まさに現在の6カ国による合従連衡策はいかに進み、なおかつ、天下に大乱をもたらした「安史の乱」のような戦乱が東アジアにおいて再び繰り返されるかどうかは、まさに「天のみぞ知る」ということなのである。場合によっては、この6カ国協議の結果次第で、自民党総裁選を控えた日本の政局が一挙に流動化する可能性もあるだろう。


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