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★☆ 2011年度掲示板☆★

11年12月28日 戻る

■徹底して「国益」と「正義」を強固に確立し、国際交渉に望むべき
11年12月28日
増田裕昭(カリフォルニア州在住)

私は米国在住23年になりますが、三宅さんの『TPPの何が問題か解っていない』に全く同感です。ご指摘の通り?、「日本が参加する以上、どの分野について話し合うかと?いうこと自体に日本の意見が反映されないのであれば、日?本は参加しない」「交渉官は家族を人質に差し出せ」とい?う覚悟がなければ、欧米、特に米国との交渉には勝てませ?ん。日本も徹底して「国益」と「正義」を強固に確立し、?国際交渉に望むべきです。

短期的には、国際交渉のプロを交渉団に加えることですが?、長期的には、日本の教育制度を根本から改革する必要があります。現在のように、答えのある問?題に手際よく答えれば最高学部に入ることのできるシステ?ムをぶちこわし、小学校から「答えの無い問題にどう対処?すべきか」、「突然与えられた状況にどのように対処すべ?きか」、「いかにして自分の意見を他人に受け入れてもら?うか」などを徹底して教育すべきです。このような教育を?徹底すれば、国際交渉だけではなく、学術研究、ビジネス?、またあらゆる分野の危機管理においても必ずや成果が現?れると思います。



★☆ 2006年度掲示板☆★

2006年12月8日

■リトビネンコ氏はアラファト議長と同じ手口で殺された
 06年12月07日

11月23日(現地時間)、入院中のロンドンの病院で死亡したロシアの情報機関連邦捜査局(FSB=ソ連時代のKGBに相当)の元幹部アレクサンドル・リトビネンコ氏の死因について、極めて入手が困難な「ポロニウム」という放射性物質が同氏の体内から大量に検出されたことから、にわかに国際問題化してきた。

1999年8月に、モスクワ市内で連続して起こった爆破事件は、「ロシア連邦からの分離独立を標榜するチェチェン人のテロリストの仕業である」というロシア政府の公式見解については、私は直接、当時のロシア連邦駐大阪総領事のG・コマロフスキー氏から聞いた。そして、そのこと(チェチェン人独立派への報復攻撃)を理由に、チェチェン人の分離独立運動を武力制圧することによって、ロシア国民から圧倒的支持を受けて大統領に就任したのが、元FSB長官(当時は首相)だったウラジーミル・プーチン氏であった。

元々はプーチン氏の部下筋であったリトビネンコ氏は、ソ連崩壊後、アノミー状態になって自信を喪失していたロシア人のナショナリズムを刺激することによって国民的任期を得て、にわかにエリツィン大統領の後継者にのし上がったプーチン氏の人気の根源が、「実は、チェチェン人独立阻止のためのロシア政府(諜報機関)のでっち上げであった」と、公表したものだから、プーチン政権からいのちを狙われるのも致し方ないところである。

  世間では、今回の放射性物質(註:無色透明無味無臭の放射性物質は、ごく微量で相手にじわじわと決定的なダメージを与えることができる)による殺人事件の手口については、私が2年前の2004年11月21日に、「主幹の主観」コーナーで、アラファトPLO議長の死因について指摘――『アラファト議長はなぜ殺されたのか?』――したとおりである。さあ今度は、誰がこの手を使ったのであろうか? 早々と、「旧ソ連でよく使われていたポロニウム」という報道のされ方をしているところも気になる。誰かが誰かの仕業に見せかけるためにそういうレアな元素を用いているのかもしれない。




■日本文明は縄文と弥生の葛藤と融合
06年01月31日
考古学ファン(埼玉県熊谷市)

日本文明の特色は、一言で言うと「縄文と弥生の融合」ということになると思いますが、その融合というものを最初に達成したのは、古代出雲王朝であろうかと思います。出雲王朝は邪馬台国よりも40年前に出現し、東西日本の分け目となるフォッサマグナを超えた連合政体を日本海側に実現しているからです。現在でも太平洋側はここを境に、 東は縄文的西は弥生的な名残が残っています。一方日本海 側はあまり明確でなく、山陰の出雲弁と東北弁が類似して いるといったことが見受けられます。

一方、古事記/日本書紀などのような日本最古の文書も縄文と弥生の葛藤と融合がイザナミとイザナギの国産み神産みの物語として描かれています。しかし最終的には縄文が弥生に席巻され、イザナミは死に、出雲と伯耆の境、比婆の山に埋葬されてしまったのです。縄文のシンボルとしてのイザナミは一体どうなったのかあまり手がかりはありませんが最近の考古学には目覚ましいものがあります。それで私などは、島根県と鳥取県の県境付近の考古学的ニュースには目が離せないのです。




■フジテレビはホリエモンと同罪
06年01月21日
レルネット主幹 三宅善信

 ライブドアによる証券取引法違反事件が世間を騒がせているが、レルネットの看板シリーズ『主幹の主観』コーナーでは、『平成東京物語』などの作品において、早くからライブドア社長の堀江貴文氏の手法を指弾してきた。

 今さらながら、フジテレビなどは、「自分たちは被害者」面しているが、とんでもない。昨年春のニッポン放送買収に端を発した企業買収騒動の結果として、当初はあれほど、堀江氏の手法を罵倒した日枝会長をはじめとするフジサンケイグループは、どのような裏取引があったかは知らないが、最終的には、ライブドアと和解、逆にフジサンケイグループを乗っ取ろうとしたライブドアの株式の12.75%を取得して、これに取締役まで派遣して、実質、資本提携をしていたのである。取締役を派遣すると言うことは、派遣先の会社の経営に対して“注意義務を負う”ということであって、「知らなかった」では済まされない。

 しかも、昨夏のフジテレビの看板番組『27時間テレビ』内で、細木数子なる胡散臭い占い師を使って、ライブドア社の株式の上昇を“予言”までさせた。このことは、ライブドアに出資しているフジテレビの含み益の上昇をも意味するのであるから、このような暴挙(「風説の流布」に該当する)を公共の電波を使って平気で行ったフジテレビこそ、ライブドアと五十歩百歩であって、即刻、放送免許取り消し処分の厳罰に処すべきである。

 未上場企業である株式会社レルネットも、その収益の大半を株式投機やデリバティブなど金融資本市場から調達しているが、法令違反をしたことは一度たりとてない。ましてや、不特定多数の資本家から資金調達をしている上場企業の開示責任は、未上場企業のそれとは比較するべくもない。どこかのアニメの決め科白じゃないけれど、「錬金術は等価交換」得るものがあれば、必ず、失うものがあるのが世の常である。



★☆2004年度掲示板☆★

■はじめから助ける気なんてなかった
  04年11月01日
レルネット主幹 三宅善信

  アブムサブ・ザルカウィ氏(ヨルダン人)が率いる武装組織「イラクのアルカイダ聖戦機構」によって26日に身柄を拘束された福岡県出身の香田証生氏が、アルジャッジーラに送りつけられたビデオテープの予告どおり、頸と胴体が切り離された無惨な姿で発見されたが、この間の日本政府とマスコミの論調と世論の動向には、「(香田氏は)殺されてもしょうがない」というある種の共通認識があった。

  日本国内では、相次ぐ台風の襲来や大地震によって、多くの国民がその「大切なものを失いたくない」という意思に反して、生命や財産を奪われるいる最中に、アメリカによる侵略戦争による社会混乱によって「塗炭の苦しみ」を味わっている危険度120%のイラクに、極楽トンボのごとく「自分探しの旅」にノコノコ出かけていった馬鹿者の一人や二人が「殺された」ところで、誰が同情するというのだ。生命の危険が予測される地域とはいえ、国家の命令によって派遣されている自衛隊員や、会社の命令によって派遣されている報道関係者とは、まったく条件が異なるということは明白である。

  ちょうど半年前にあった「お騒がせ三人組」による「イラク日本人人質事件」(註:これについては、萬遜樹氏の一連の論評)をご一読いただきたい)の時ですら、「自己責任」論の嵐の中でも、高遠菜穂子氏をはじめとする三人組を弁護する人も中にはいたのであるが、今回の香田証生氏はまったく四面楚歌である。「放蕩息子」とはいえ、「可愛い息子」を殺された親まで平謝りである。こんな親不孝はない。香田氏も、自らの頸を刎ねられる直前には、きっと「自分が何者であったのか」を見つけることができたであろう。まさに、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」(『論語』里仁編)である。

  日本政府も、今回の事件の一報に接した時の町村外務大臣、細田官房長官、小泉総理らの一連の発言からも、はじめから香田氏を助けるつもりなど全くなかったことは明らかである。あるいは、今後、件の三人組のようなお調子者がイラクへ行かないようにさせるための「見せしめ」として、惨殺されることを期待していたかも知れない。もっと「深読み」すれば、このままサマーワに自衛隊を駐留させ続ければ、今後、必ず発生するであろう自衛隊員の犠牲が出た時に、国民のショックを薄めるための「免疫」として、今回の「人質事件」を利用したのかも知れない。

  私は、今回の事件が発生した際に、隣国ヨルダンに置かれた“現地”対策本部長に、大阪府選出の参議院議員である谷川秀善外務副大臣(森派)を日本政府が派遣した時に思った。大阪の宗教界では誰でも知っていることであるが、谷川氏は、代々続く浄土真宗本願寺派(自坊は兵庫県尼崎市)の僧侶であり、アラブ人テロリストとの丁々発止の裏交渉をする人というよりは、人質が殺されたときに、いかに死者をもっともらしく弔うかに重きを置いた日本政府のシフトであったことは明らかである。小泉政権は、はじめから香田氏を助ける気なんて微塵もなかったのである。そうなると、実際の「死体」なんかほとんど見たこともないエリート官僚よりも、しょっちゅう「ホトケさん」を拝んでいる僧侶のほうが適任である。まさに「朝に紅顔ありて、夕べに白骨となす」(蓮如『御文章』「白骨の章」)である。




■「超気持ちいい」選手たち  
 04年08月23日
鈴木敏広

  イラクのナジャフで行われているアメリカの傍若無人ぶりも気になるが、ついオリンピック・ウオッチに遅くまで起きてしまう。

  ひとつ気になることがある。今回のメダルラッシュの原因とまではいかないまでも、選手の「感性の開放」が他の国よりの進んでいるのではないかということである。

  シドニー・オリンピックの女子競泳で田島という女子選手が銀メダルを取って表彰台に向う時にちょっと躓いたことがあった。世界注視の中での次の瞬間の彼女の動きになんだか不思議な気がした。

  彼女は照れて、前傾して頭を上下に振って笑う、日本人なら想像できるだろう照れ笑いを繰り返していた。こういう「照れの表現」が素直に出ていたことがなんだか新鮮にも見えたことを覚えている。こういう天真爛漫さが今までの選手や外国選手にあったろうか。

  恐らくそれ以前の選手ならば、躓いてもそれを無かったかのごとく真っ直ぐ向き直って歩いて行ったのではないか。それが晴れ舞台での世界標準だと思う。

  さて、今回の選手達はどうだろう。私にはアテネでも日本人の感性の表現や開放は力強いと思える。北島康介選手のいう「超気持ちいい!」という表現を見てもらいたい。こういう破格な言いまわしはことさら北島選手の発明ではないが、若者文化に広がる規格破りの表現であることは間違いなく、それを晴れ舞台の感想としてはばからず表明する選手が外国にいるだろうか。外国選手の喜びの言葉を聞き分けることはできないがこういう言葉の流動や乱れ?に任せた表現力を示した人がいれば教えてもらいたい。

  またあの卓球の福原愛選手はどうだろう。彼女のスマッシュが成功したときや相手がミスしたときの「ター」とも「シャー」とも聞こえる声は印象的だった。こういう掛け声は珍しいものではないかもしれないし、勝負どころで技が決まれば歓声が自ら出るのも自然なことである。ただ注目したいのは彼女が15歳の新鋭で、オリンピック初出場の新参である点である。そういう選手が先輩や強豪を相手に毎度大きな声を揚げてはばからない事、これも注目してよいのではないか。

  今日は野口みずき選手がマラソンで優勝した。これはちょっと微妙であるが、彼女のかすかに涙を浮かべた満面の笑顔にも吸い込まれた。こういう表情を外国選手はするものだろうか。ともかく感情を全部出している無防備な表情は全ての金メダリストの共有するものではないように思えるのだ。少なくとも涙を流して喜ぶ外国選手は少ないように思える。

  こういう自分の感情を素直に表現する力は多かれ少なかれ競技に向うモチベーションにも連動していると思えるが、優秀な選手達に宿る「感性の開放」は頼もしい。今日も女子レスリングの決勝がある。彼女たちの表情に注目したい。




■高句麗中国領説に反発したのは北ではなく韓国  
04年08月08日
スパルタコス

  いよいよ日米が支えなければ北朝鮮は体制がもたなくなってきた。これは韓国経済にとって大変悪い。ドイツどころの問題ではない。韓国経済崩壊は南北朝鮮に金を貸している日本経済に大変悪い。北経済崩壊による南北統一は東アジア経済にとって大変悪い。

  しかし、高句麗を中国領とした中国の思いはそんな所にあるのではない。中国は高句麗を中国領にする態度だけでなく、本気で中朝国境を渡河する演習を開始しているようだ。いよいよ北朝鮮が脱落して、支援をしてきた中露が全面に出てきたか。明治以来朝鮮問題は中露の問題という認識が日本人にはあったはずだ。

  中国にすれば、北朝鮮が日米に援助付けにされて傀儡化した後南北統一なんぞされたら、面白い訳がない。日本は最近北朝鮮に強気に出ているし、ここで金体制崩壊までに牽制をかけておかねば、という所。遂に出やがったな、本命さんよ。高句麗中国領問題に反発したのは韓国で、肝心の北朝鮮からは抗議は来てないようじゃないか。そりゃ今の北朝鮮の立場じゃ中露が少々横暴しても文句は言えないよね。とにかく、金正日が倒れても、それで平和になるのではなく、それは新たな緊張の始まりでしかない。いよいよXデーに向けて水面下の熾烈な闘いが始まるのだ。




■サッカーのアジアカップは良い機会  
04年08月07日
 レルネット主幹 三宅善信

  この夏、中国の四都市で開催されたサッカーのアジアカップ大会は、中華人民共和国という国家の本性を日本の人々(特に、誤った「反日教育」を受けさせられてきた若者やマスコミ)に知らしめる良い機会であった。スポーツの試合であるから、贔屓(ひいき)のチームを応援することは自体は、至極自然な感情であるが、何万人もの観衆によるブーイングなどの示威行為は、選手の個々のプレーの善し悪しや審判のジャッジに対して行うもので、相手チームの存在そのもの(例えば、試合開始のセレモニーの国歌斉唱時)に対して行うべきものではないことは、言うまでもない。もし、そうだとすれは、国際試合そのものを行うことが意味のないことになってしまうからだ。もっとも、政治的には「共産党一党独裁」(つまり、価値観の異なる相手の存在を許さない)という全体主義体制をとっている中国政府およびその人民にとっては、このような基本的な論理が理解できないのかもしれないが…。

  私は、今回のサッカー大会で顕在化した問題だけにかかわらず、そもそも「ナショナリズム」などという胡散臭いものをはじめから評価していない。なぜなら、その最大の根拠が、極めて人為的に構成された「近代国民国家(Nation State)」なるものの自己正統化の手段として考え出されたものであるからである。文化(言語や生活様式)の領域としての「民族(nation)」は、世界の各地に厳然として存在するが、「統治機構(State)」については、(歴史上のある特定の時に、特定の誰かの恣意的な意図によって)人為的に創り出されたシステムであるから、その体制を保持し続けるためには、強力な装置(例えば、国家権力の行使)をもって「タガ」を填め続けなければならない。しかも、その「タガ」なるものとしては、表面的には、強制力を伴う軍事力警察力の行使というよりは、「国民」がより「自発的に参加している」と勘違いさせやすいイデオロギーやナショナリズムという幻想を用いるほうが、より巧妙な近代的手段である。

  その意味で、今回のサッカー「アジアカップ大会」での、日本代表選手やはるばる日本から応援に駆けつけたサポーターに対する中国人民(実際にスタジアムに足を運んだ人だけでなく、インターネット等で反日世論を煽った連中)の振る舞いは、前段で述べたようなケースの典型的なパターンであるといえる。ただし、私が問題にしているのは、このような中国人の粗野な振る舞いについてではない。何故なら、決して「勧められた行為だ」とは思わないが、それは、中国人自らが取り組むべき課題であるからである。

  私が問題にしているのはむしろ、過去30年間、このような不埒な中国政府の言動を黙認するどころか、それに追従してきた日本政府関係者やマスコミ関係者の責任の追及(例えば、日中国交「正常化」以来、何兆円もの日本国民の血税を中国政府に「朝貢」してきた連中)ならびに、「親中・反日主義」に誘導されてきた多くの日本人に、その軌道修正を迫るものである。(『新国姓爺合戦:大陸と台湾どちらと組む?』)そのためにも、今回のサッカー大会は、この問題を考え直す日本にとって誠に好都合な機会となったと言える。




■『華氏911』をNYで観て  
 04年07月02日
乾 光孝(神職 New York在住)

 『Fahrenheit9/11(華氏911)』を今日、映画館で見てきました。映画の内容は具体的には控えますが、端的に申し上げると今までの主幹のお説を裏ける様な内容だと思います。

  私が行った映画館では、7月2日夜でしたが、一本上映を遅らせないと見れないほどで、私が見た時も満席になる程でした。

  最後には拍手喝采で、恐らくこの映画を見た人は今度の大統領戦で投票する政党は、1つではないかと思えるほど、辛辣に描かれています。この国の二大政党制がよい影響を将来に及ぼすことを期待したいと思います。



■イラク人質事件について  
 04年04月28日
鈴木敏広

 三宅主幹と萬氏の論文を読んで、感じたことです。お二人の共通点で、かつてのダッカ人質事件に際しての政府の「人命は地球より重い」という発言を「迷言」と揶揄しておられます。

 この点、単に一人の命と地球(其の上に生きる何億の人間もろともを含めて)の軽重を比べれば、明らかに地球や全生命の方が量的には重いに決まってます。この幼児にも分かることに反して「人名は地球より重い」と言うとしたら、それは人名というものを形而上学的に見ているからに他ならないと考えます。

 いうならば人名を尊ぶという「思想」が地球や地球上の生命の即物的な総量より重いということではないでしょうか。

 実際に現場で使われた意味がどうであるかは知りませんが、かの発言を文化として継承するにしても、馬鹿な判断だときりすてるにせよ、そういう可能性を持った発言であるという事は踏まえてもらったほうが良くないだろうかと思います。

 この件に関して言えば、人命を尊ぶという考えは、人は残虐に殺されるべきではないという事と、一人の人生の生と死について考え、死ぬと言う事になったときの葬り方まで考えるという事ではないでしょうか。

 この事が生残る側の人間には重要だという意味で、これは宗教的な課題でもあります。

 こういう事を他に優先して考えるのが宗教家というものだと思っておりますので、私がこのサイトの宗教性を正確に知らないせいもあってか、三宅主幹の表現が宗教家としての立場にたっているようには取れませんでした。(失礼な言い方で恐縮です)

 さらに先の人命尊重問題は、今回の人質の解放の局面で如何すべきだったかに結びつく、参考事例でした。

 当然人質は解放されるべきでしたが「人命は・・」という言い方だけでは一般には誤解を生むという観点は残るからです。

 解決の糸口は、人命というものと自衛隊派遣というものとの異質なものの交換にはおそらく無いと思いま す。結局犯行グループと日本政府は何の接点も持てなかったように見えます。

 自衛隊撤退などは、人質達自身が目的とした問題ではもともとなく、彼らの当初の目的を国民挙げて支援すべきなんだと思います。それを政府は直接犯行グループに訴えるべきではなかったでしょうか。彼らがイラクでしようとしていた事を明らかにし、これからも続けさせてくれと頼むのです。その為にはまず自衛隊を引けといわれたら、「彼らの活動の方がイラク人のためになるというならそうする」として受け入れば良かったのです。

 人質への脅しに屈するのでなく、人道支援の結果を追求する過程で、最も適切な方法がそこにあった事に日本人全部が気づくべきです。人質の方々がやってきた事に日本人とイラク人の共通の現場があると考えれば良いのです。

 脅かされた事については、イラク人に彼ら人質の殺害の理由は無いことを主張し、その筋道で解放すべきでした。そして結果は犯行グループやその周りの組織がそれを理解したから解放が実現しました。

 この件で分かった事は、たとえ過激な行動に訴える抵抗組織でも(犯罪組織と断定するには関係という問題を解かないといけないと思います。)、命懸けのボランティアで活動している日本人は殺せないという事です。

 この事は常識には合致します。更にそういう信頼を過剰なまでにイラク人に寄せて支援活動をしている日本人は、憲法9条の精神(国際紛争を武力でもって解決せず、他国民の正義に信頼して達成する)にかなうものと言えるでしょう。

 この際政府は、救出に掛った費用の一部を請求するだの、自己責任だなどという、もともとの政府責任を棚上げしたみみっちい議論をすべきではありません。

 憲法9条の精神を国際社会に押し出し、アメリカにも、旧敵国条項を温存する国連にも頼ることなく、自分達の法の精神を主張してもらいたいものです。

 行政は法に従属すべきでなく、機を見て果敢に活動すべきですが、法を生かすのも責務です。

 この際自衛隊に代わり、国民から丸腰のボランティアを何千何万人もつのり、空前の規模で特別機でイラクに送り込んではどうなんでしょう。 そしてある地域を日本人による大復興地帯とすることのみが、輸出立国日本の地政学にも憲法の精神にも合致する方法であり、一大チャンスであると考えます。もちろん今度人質にとられば直ちに支援は中止すべきですが。

 こういう行動をする国家はかつて無かったし、小泉内閣に出来るとは思ってませんが、こういう形でのアメリカからの自立は北朝鮮外交にも良い影響を持つかもしれません。



■「死んだカラスが見つかった」という都市伝説 
 04年03月22日
才脇直樹(奈良女子大学 助教授)

 烏インフルエンザの件では大変ご心配をおかけしております。近所(京都府と大阪府の境界の山間部)の家々をTV局が撮影して回っている状況です。対策会議も何度か開かれているようですが、今の所、鶏等の飼い鳥には感染例はないとの事で、今後野鳥からの感染を防ぐためにどうするか、万が一感染を確認した場合はどうするか、などが主たる議題のようです。近所では大きな養鶏家はいないのですが、茨木の平野部の方にはそれなりの大手があるようで、そちらは非常に警戒しているようです。地元での噂では、「実はあの烏、他の場所で発見されたものだった」とか、「もう一羽死んだ烏が見つかった」とか色々言われています。しかし、私の感じでは、いずれも都市伝説(田舎でそういう言葉を使うのもおかしな話ですが…。(^_^;;;; )の域を超えていないようです。

 ところで、鳥インフルエンザに関する最新の御説やそれに関連する章を改めて読ませていただきました。あいかわらず、豊富な情報量で読むものが圧倒されるのですが、特に大江山の酒呑童子やアメリカ(政府もしくは企業)の陰謀説にまで言及されるあたりは、普通の論者ではなかなか思いも寄らないところで「三宅節炸裂!」といった感じですね。そうした、全体の分量からすると少量かもしれませんが、「おっ」と思わせるスパイスの微妙な配合具合が、その辺の週刊誌記事や新聞論説と違ってのめり込んでしまう理由でしょうか。(もっとも、場合によってはスパイスの毒が効きすぎて、そういった一般紙上では公開しにくい内容もあるようですが・・・。(^_^;;;;)

  そういえば、インフルエンザウィルスは135種類もある! っていう導入の仕方と、60年周期か? というまとめ方も秀逸だと思いました。こういう、希有の文才をお持ちの方と知り合いかと思うと、なんだか自分もちょっと偉くなったような気がしつつ、「いやいや、人が偉い事と、自分が偉い事はわけて認識しておかねば。自分もまだまだこれからちゃんとした本でもかかんと・・」などと戒めてしまいます。




■おっしゃる通りだと思います
04年02月15日
 スパルタコス(アルバイト)

 「想像して欲しい。もし、日本人の給与の10分の1でも20分の1でもよい(その金額でも、出身国へ持ち帰れば大金だ)から働きたいという外国人単純労働者(移民)が、大量にこの国に受け入れられたら、困るのは、日本の資本家(資本家はwelcomeだ)ではなく、日本の労働者であることは明白である。「国境」こそが、労働者を守る装置である(アメリカとメキシコの国境を見るべきである)。」

  レスありがとうございます。あなた(註:三宅善信主幹)のおっしゃる通り(註:『労働者階級こそ排外主義の担い手である』)だと思います。

 「一方で、「資本家には国境はない」と断言できる。資本家は、より低い税率、より高い配当、より安い労働力を求めて、国境の壁を平気で越えていくのである。ここ十年以上続いている日本の「ものづくり」の現場の空洞化(工場の海外移転)は、その査証である。」

  というような企業の動きは止まりそうにないです。確かに失業と経済の国際化は無縁ではない。実際は労働者階級は外国製品締め出しのような排外主義以外に、これに対抗するものを持ってないように思いますが、それだけでは日本経済は破滅していくでしょう。これ以上、日本の産業が潰れたら、犯罪者ばかりで日本社会が崩壊してしまうかも知れない。ここに来て、企業の繁栄と国家・国民の繁栄がずれている事に気付きました。この10年で、完全にずれて来たというべきか。中国に決して負けず、抜かれない日本の強みとは何なのかを考えねばならないと思います。

  日本が豊かに見えるのは外国から安いものを仕入れているからであって、その未来は決して安泰という訳ではない、また企業利益が社会に還元せず、外国に逃げる場合もある、企業と国家・社会の共存共栄関係が崩壊する中でどういう経済を目指すのか、資本制が必ずしも安定した未来永劫続ける体制でないと分かると、人類の未来の経済を考えるのは難しいですね。社会主義など未だにプランがはっきりしたものではないので。




■日本自身が強くならなければアメリカに…
 04年02月17日
 田中一家(学生)

〈立証責任はもちろん米英側にある〉を読みました。全くそのとおりですね。米英に戦争を仕掛ける大義はありませんでした。しかし、ここで小泉総理の立場と日本外交について少し意見を述べさせていただきす。

  小泉総理も苦しい答弁が続いていますが、きっと本当はイラク戦争が誤りであったことは最初からわかっていたのではないかと思います。本音はこうではないでしょうか。「私だってイラク戦争は誤りだったと思っている。しかし、だからといって国連の言うことさえ聞かないアメリカを日本がどうやって止められるのか。そんな無駄骨を折ってアメリカに嫌われるよりは追従していた方が結局日本のためだ」

  小泉総理はよく日米同盟の重視を口にします。実際、日本もいつ、どこから不当な攻撃を受けるかわかりません。そんなとき今の日本が頼れるのは残念ながらアメリカだけです。日韓関、日中関係もうまくいっていないのですから(これは日本ばかりの責任とは思えませんが)。確かに日米同盟も信頼するに足るものとは思えません。しかし、今の日本は有事の際はそれを当てにするしかないのです(最近は兵器も自動化されたので多少は本気で戦ってくれるかもしれませんね)。小泉総理は総理大臣として日本の安全を確保することが第一だという意識がはたらき、倫理よりもそちらを優先したのではないでしょうか。

  ここに、日本がアメリカに追従せざるを得ない現実があり、これが現状にそぐわない理想憲法の限界を示していると思います。

  そこで、僕の意見ですが、日本が正しいと思ったことを主張できるようになるためにはアメリカにおもねっている現状を改めて、日本自身が強くならなくてはいけません。あるテレビ番組でアメリカと日本の関係をガキ大将とそれに追随する子の関係に例えられていましたが、これに即していえばガキ大将に意見を言おうと思っても、本人にある程度ケンカの力がなければ万が一ガキ大将に嫌われたあとの身の保障がないのですから無理です。

  日本は自衛隊(戦力の保持)、個別的自衛権の行使を憲法で明記し迎撃ミサイルの整備等防衛関係の設備の充実など、国連軍、多国籍軍が出動するまでもちこたえられる(あくまで最低限度)の戦力を保持することです。これは独りで先を行き過ぎた日本が世界と足並みをそろえ、均衡をはかるに過ぎず、時代に逆行するものではありません。

  これによってはじめて日本はどんな国に対しても自分の姿勢、良心を貫き通し、れっきとした外交ができる、そしてそれは国際社会から大いに評価されると思います。(ここまでしても日本外交が改善しないのなら失望するしかありませんが…)
少し過激な論になってしまいましたがいかがでしょうか。

  ただ、肝心な問題である、どうすればブッシュ(とブレア)を止められたかという点については結論を出しかねています。




■JRは自社の利益しか考えていないと思う
04年02月16日
 三宅善信(レルネット主幹)

  「掲示板コーナー」へ寄せられた田中一家氏の『新幹線の掟破りのせいにできるか?』についてのご回答。

  新幹線の技術的な面を批判するつもりはありませんが、会社としてのJRの姿勢については大いに問題があると思います。といっても、技術面でも、台湾以外では、「新幹線方式」が、世界中のどの国でも採用されなかったという事実も厳粛に受け止めるべきです。明日から半年ぶりに高雄を訪れますが、郊外には既に新幹線の高架線が走っているのをみると、「新幹線ファン」の一人としては、嬉しいものを感じます。

  貴殿の意見の中で私と最も異なるのは、「歴史的経緯」をどう評価するかという点でしょう。まだ、十代とお若いから、「現状」を尊重して、「過去の約束」についてあまり尊重されないのかもしれませんが、「過去の約束」を「状況が変わったから」と言って、簡単に反故にするようでは、今からする約束も、将来「状況が変わったから」と言って、反故にする可能性があるので、いったんした「約束」は、命に掛けても(死んでも)守るべきというのが、私の基本的な価値観です。

  たとえば、日本は、第二次世界大戦前に、当時の先進国であった欧米の列強各国から、相当の借金(今でいうところのODAのようなもの)がありましたが、戦争が始まって、金を借りている国の中には、米英のように「敵国」になった国もありましたが、日本は、戦争中も、律儀に、敵国に対して、利子も含めてキッチリと借金を返して行きました。このことが、日本の戦後復興に、欧米各国が積極的に資金援助したことに繋がります。一方、最近のアジア・アフリカ・ラテンアメリカ・旧社会主義諸国の多くは、「借金返済の不履行(デフォルト)」を平気で宣言したりしますが、こういう国の経済発展は望めないと思います。大切な「妻子を質に入れても借金を返す」というのが、私の価値観です。そこからすると、JR東海は許せません。

  「モラルハザード」云々についての拙論の根拠については、一度、拙作『マイム・マイムの謎』『水と安全はただ:池田小学校事件に思う』 を読んで下さい。

  次ぎに、新旧の料金体系ですが、確かに「表面上」は、出入りがボツボツといった印象がありますが、高齢者が使う「ジパングクラブ」や、海外在住者が使う「ジャパン・レール・パス」といった少数者(弱者)の声が無視され、また、グリーン車(これも、別の意味の少数者です)の各種割引なども縮小され、その上、本文で記したような「デジタル・デバイド」も各所に見られ、これらの諸点を総合すれば、今回の「ダイヤ改正」は、JR自身のためにしたものであって、決して、利用客のためのものではないという結論は、今でも、変わりません。




■新幹線の掟破りのせいにできるか?
04年02月16日
田中一家(学生)

 <JR東海の「のぞみ」が叶うだけ>を拝見しました。多くの点では同感なのですが鉄道に精通している者の観点から少しご指摘させて頂きたいと思います。※JR東海の弁護はしますが擁護は決してしません。

 品川駅は現在確かにあまり意味をなしているようにみえませんが、この駅は線路容量を増やす役割があります。(車庫が品川付近にある関係上品川止の列車を設定することで回送列車を)「のぞみ」は指定席料金は「ひかり」より若干割高ですが自由席も連結され、新しい負担を強いてはいません。また、「のぞみ」の所要時間も延びましたが、増発による待ち時間の減少を考えれば3分という時間は大きなものではないと思います。

 そしてなにより、モラルハザードの原因を新幹線の掟破りに帰するのは三宅様の説では無いでしょうが、おかしいです。モラルハザードの崩壊は新幹線に関わらず、然るべきものであったと思います。

 バブルはもともとはじけるものですし、若者が非行に走ったのは明らかに徹底した個人主義重視の教育の失敗によるものだと思います。JR東海が掟破りをする以前に、〈自分は自分、やりたいようにやればいい〉という意識は既に若者に根付いていたと思います。未成年の分際で僭越ではありますが、私は若者の立場から見て今の教育をそのようなものに感じています。

 第一、国鉄時代にもヨン、サン、トオなど大改正は行なわれていますし、もっといえば革新は鉄道だけにかぎったものではありません。所詮そのような珍説は笑うべきこじつけに過ぎません。

 それどころか、実は300系は世界の鉄道専門家を初めてうならせ、海外に技術輸出された(認められた)超画期的な車両です。(実際、大衆にもてはやされた0系、100系は専門家からは高い評価を受けていなかった)勿論オフセットの連結カバーもそうした技術の一環です。日本の技術力を欧米に見せつけたこの車両はむしろ子供達に「のぞみ」をもたらしたといえないでしょうか。

  〈のぞみを廃止せよ!〉この意見には大賛成です。しかしJRも公共性の度合いは高けれど、一企業である以上大々的なPRも含めて増収に走るのはある程度やむを得ないことかもしれません。




■労働者階級こそ排外主義の担い手である 
04年02月15日
 三宅善信(レルネット主幹)

 スパルタコス氏から『掲示板』に寄せられた「労働者階級に国境はない。何百年前の国家が今の中国・朝鮮・韓国とどう関係ある? もっと前を見ろ。労働者階級はただ、排外主義に反対し、失業と拷問に反対すれば良い」という意見であるが、私は、その説とは、大いに異なる意見であるので、この際、拙見を述べておきたい。

 結論から言おう。「労働者こそ排外主義の担い手である」ことは明らかである。われわれは、たまたま、近代国家史上稀にみる「移民受け入れ拒否国家」である日本に暮らしているので、その事実に気づかない人が多いだけである。欧米のように、隣国と「地続き」で、どんどんと移民が入ってくる国では、「労働者こそが排外主義の担い手である」ことは常識である。

 ここ十年以上続いている日本や欧米先進国におけるデフレ不況の根本原因は、ソ連や東欧の社会主義圏の崩壊によって、安価な労働力が国際市場に溢れ出したことが最大の原因である。このことによって、第二次大戦後、敗戦国であったにもかかわらず、常に欧州経済の機関車役であったドイツの経済と労働市場が深刻な打撃を受けた。ドイツでは、それまで、多少の生活習慣が異なっていたとしても大目に見られていた、安価な労働力として高度経済成長を支えてきたトルコ人などのGast Arweiter(外国人労働者)が、労働力過剰によって排斥され、また、新たに労働力市場に加わった旧東ドイツ出身の低賃金労働者に対して、既得権を侵された旧西ドイツ労働者が「外国人を排斥せよ」と噛みついたのである。同様のことは、オランダやイタリアでも起きた。

 一方で、「資本家には国境はない」と断言できる。資本家は、より低い税率、より高い配当、より安い労働力を求めて、国境の壁を平気で越えていくのである。ここ十年以上続いている日本の「ものづくり」の現場の空洞化(工場の海外移転)は、その査証である。

 想像して欲しい。もし、日本人の給与の10分の1でも20分の1でもよい(その金額でも、出身国へ持ち帰れば大金だ)から働きたいという外国人単純労働者(移民)が、大量にこの国に受け入れられたら、困るのは、日本の資本家(資本家はwelcomeだ)ではなく、日本の労働者であることは明白である。「国境」こそが、労働者を守る装置である(アメリカとメキシコの国境を見るべきである)

 もし、スパルタコス氏が言うように、本当に「我々アジア人は食べていくために一緒にならざるを得ない」としたら、真っ先に、その「被害者」となるのは、他ならぬ「(他のアジア諸国と比べて、やたら賃金の高い)日本の労働者階級」であり、おそらく、最も強行に「アジアの市場の一体化」に反対し、排外的態度を執るのも労働者であると考えられる。




■しょせん、アジアは一つになるしかない運命
 04年02月15日
スパルタコス(アルバイト)

 5人に一人が失業者だというのに、これ以上リストラして一体日本はどうなるというのか?

 宅配便の労働者にはできる事とできない事がある。1日でお届けしますなどと言って、現場の事を全く考えない経営者のやり方は非難すべきだ。単純に労働時間が問題なのではない。役所は労働強度は問題にしない。中身も大切だろう。

 話は変わるが、高句麗の帰属が朝鮮か中国かというのは、現在の我々にとってはどうでも良い事である。労働者階級に国境はない。何百年前の国家が今の中国・朝鮮・韓国とどう関係ある?もっと前を見ろ。労働者階級はただ、排外主義に反対し、失業と拷問に反対すれば良い。

 どの道、石原や松沢がどんな差別的発言を言おうが、日中、日台、日韓、中韓、中台、いずれの関係も深くなっていく。排外主義がどんなに強くなっても、経済が離れられないのだ。どんな腐れ縁でも、しょせん我々アジア人は食べていくために一緒にならざるを得ないのだ。日本がその経済関係上生きていくためにもアジアから離れるなど不可能だ。日本は、というより世界は脱亜が経済的に不可能だ。しょせん、アジアは一つになるしかない運命なのだ。




■立証責任はもちろん米英側にある 
04年02月05日
 三宅善信(レルネット主幹)

  いちいち小泉総理の妄言を採り上げていたら切りがないが、最近、ますます酷くなってくるので、日本の最低限の議会制民主主義の維持のために、また、世界の笑い者にならないために、2つだけ採り上げて指摘しておく。

  強行採決が行われる前の衆院イラク復興支援特別委員会の席で、陸上自衛隊の本隊が派遣される予定の「サマワ市の評議会が存在する・存在しない」についてのやりとりで、民主党の委員から、「総理と防衛庁長官の(「存在する」という)答弁が、(「存在しない」という)事実と反する」と指摘された時、小泉総理は「どうせ(民主党に属する)あなたは、サマワ市の評議会が存在しようと、存在しまいと(陸上自衛隊のイラク派遣に)反対するんでしょう? どっちだって良いじゃないですか!」などという暴論を平気で吐いていた。

  私が野党の責任者だったら、この答弁だけで「内閣不信任案」を提出するだろう。具体的な政策に対する賛否は別として、行政府の責任者(総理大臣をはじめ各国務大臣)は、立法府の議員からの質問(国政調査権)に対して回答する義務があることは、議会制民主主義の常識である。賛否の意見の違いはどちらでもよいが、回答を「拒否する権利」はないのである(註:刑事裁判の場合は、被告人が不利になる証言を拒むことができるが…)。そんなことも解らない閣僚(小泉首相・福田官房長官・石破防衛庁長官らに顕著である)がいること自体、日本の恥である。

  それから、国連の決議なしにイラクのフセイン政権に対して侵略を開始した米英両国ですら、その最大の(自己正当化のための)開戦理由であった「大量破壊兵器の存在」に対する疑問が、議会で真正面から採り上げられているのに、米英に同調した小泉政権は、国会でそのことを指摘されると、ぬけしゃあしゃあと、「フセイン政権が(国際社会に対して)大量破壊兵器の不存在を証明しなかったから悪い」と開き直ったのである。

  バカも休み休みに言って欲しい。どんな犯罪でも、「有罪の立証責任」は、検察側にあるのであって、そのことが客観的かつ合理的に立証されなければ、たとえ容疑者がいくら怪しくても、「推定無罪」であることは、近代法の常識中の常識である。イラク政権(フセイン氏)側に「不存在の証明」などする必要は毛頭無い。米英側に「存在の証明」責任があるのであって、これができなければ、米英側が嘘をついたことになるのである。この点でも、小泉首相、ひいては日本は、世界の物笑いの種になっている。

 「大量破壊兵器を持っているかのような紛らわしい行為をするからいけない」などというのも間違いだ。ポーカーゲームでも、自分が持っていない切り札をあたかも持っているかのように見せかけて、自分より良い札を持っている相手を降ろさせるのがテクニックというものだ。さもなくば、ポーカーは最初にカードを配った時に良い札が来るかどうかだけの単なる運試しのゲームになってしまうではないか。

  野党もメディアも情けない。こんな小泉政権をいつまで延命させるつもりだ。そのことは同時に、日本人の民度がいかに低いかという証明にもなっているのだ。



■日本にとっての「鬼」を見つけ出し、是非とも追難して  
04年02月04日
萬 遜樹

 『BSE・鳥インフルエンザ・鯉ヘルペスの奇妙な関係』を拝読しました。面白い。特に最後の十二支でのまとめは最高ですね。「桃太郎」などを「陰陽」両面から論じられてきた三宅さんだからこその知見と感服いたしました。

  そんな三宅さんには日本にとっての「鬼」を見つけ出し、是非とも追難してもらわなければなりませんね。



■来年からの開門神事がどう変わっていくか楽しみ  
04年01月23日
 居眠り狂四郎

 『神に弾かれた男:西宮神社開門神事異考』を拝読いたしました。今年の開門神事のことは、ニュースで見て知りました。

 その後、いろいろなところで、様々な方のコメントを読むに従い、具体的にはどのような状況だったのか確認しようとしたのですが、にわかに自粛ムードが漂ってきました。

 そんな時、御論を拝見し、なるほど、と感じました。神事の変遷の中で、宮司さんたちの対処は、実に神道的でした(禊を終えれば、罪・穢れはなくなるものですし)。

 時代は変わって、人々の認識も変わり、その中に息づく古代の観念へのとらえかたも変わってきましたが、それが善いのか悪いのかは、わかりません。昔ならば、神に弾かれる=死、でしたが。来年からの開門神事が、どう変わっていくか、それも楽しみです。



■ついにアルカイダのテロ奨励CDを視た!  
04年01月12日
レルネット主幹 三宅善信

 私は、12月16日付本掲示板サイトで、「浅草寺が標的になったアルカイダが製作した画像を見た」という人から寄せられた情報について報告したが、一昨日、ついに、その「本物のCD」映像を直接、この目で視る機会を得た。情報提供者との約束で、読者の皆様にその一部始終をつまびらかにすることができないのが残念であるが、60分間にわたる映像の粗筋は、以下の通りである。

 画面には、オサマ・ビン・ラディン氏が、他のアルカイダ幹部数名と共に、世界地図をバックにした横長机に座って(註:ダ・ビンチの『最後の晩餐』をイメージすると解りやすい)、切々と話しかけるのである。その都度、彼の話の内容を補足するビデオ画面(註:ニュース映像からコピーしたものと思われる。画面の下方には、逐一アラビア語のスーパーが流れている)がタイミング良く挿入されているのである。

 内容は、歴史の経緯を追うように、クリントン大統領が仲介したキャンプデービッドにおけるパレスチナのアラファト議長とイスラエルのバラク首相との「和平協定」の様子とか、その後のイスラエルによる協約違反とそれを黙認するアメリカといったスタンスで、パレスチナ地域における抑圧された人々の抵抗と犠牲の様子を紹介し、世界各地での反米・反シオニズム抵抗運動を採り上げているのである。

 さらに、ペルシャ湾内に停泊するアメリカ軍艦への小型ボートによる自爆攻撃の成功した様子をはじめとするアルカイダの活躍(註:爆破の瞬間など、実行犯側でないと撮れない映像も多々ある)を紹介し、最も長い時間を割いている「バーミヤンの仏教遺跡爆破」の記録映像へと進んで行く。その間、実に良いタイミングで、ビン・ラディン氏の解説やアジ演説が入り、また、サブリミナル効果を狙ってか、メッカ(カーバ神殿)やエルサレム(岩のドーム)などの聖地の画像が巧みに挿入され、視る者の信仰的情熱を擽(くすぐ)るようになっている。

 そして、CDも終わりに近い57分頃に、問題の「浅草寺」が出てくるシーンが登場する。バーミヤンの仏教遺跡爆破の直後に、大勢の人々が参拝する浅草寺の本堂の外観と、僧侶が読経中の内陣の様子が紹介され、画面下方には、何やら不気味なアラビア語によるスーパーが流れるのである。

 約1時間の映像を一気に見終わって、イスラム教徒でもなければ、アラビア語も解らない私が見ても、何やら心を動かされる説得力のある画面構成になっていた。途中何度も登場するビン・ラディン氏の自信に満ちた口調には、それが正しいか間違っているかは別としても、自国民に対して、テレビを通して直接訴えかける機会を持っても、ホンネではなくて嘘言っているの丸出しにしか見えなかった情けない何処かの国の総理大臣とは大違いの「オーラ」のごときものを感じてしまうのは、私だけではないであろう。




■やはり高句麗は中国の一部?
  04年01月09日
レルネット主幹 三宅善信

 「韓国人が怒っていても気にする必要はない」と言えば、何やら挑発的な発言(註:韓国式の表現だと、これもまた日本人の「暴言」と非難される)になるかと思うが、筆者はことある度に、朝鮮(韓)民族は「怒る(泣く、恨む)ことこそが文化である」としみじみ思わされる。欧米の空港などでも、何らかの事情で飛行機の出発時刻が少しでも遅れると、搭乗カウンターの女性スタッフに食って掛かっているのは、決まって韓国人である。飛行機が遅れたのは、彼女たちの所為ではないことは明らかなのに、韓国人にとっては、そうすることが、あたかも「作礼」のひとつであるかのごとく怒っている。

 本日(1月9日)もまた、興味深いニュースが流れていた。韓国の外交通商部(外務省+経産省)は、ある問題について、中国政府に「両国関係に否定的な影響を及ぼす恐れがある」との「憂慮の念」を伝えたそうである。その問題とは、現在、中国で進められている古代史研究のプロジェクトのひとつが、一般的には、朝鮮の古代史に登場する三国(百済・新羅・高句麗)として知られている「高句麗が中国の周辺少数民族ひとつである」という学説を採っていることに対して、外交ルートを通じて抗議しているという話である。

 日本のような島国でもない地域(註:隣国と地続きの国)において、そもそも、現在そこに存在する近代国民国家と、何千年も前にたまたま同じ場所に存在した古代王朝国家とが、なんらかの直接的継承関係があると考えるほうが科学的な態度ではないことは明らかである。ヨーロッパの多くの国は、いわゆる「ゲルマン民族の大移動」後の複雑な歴史的変遷を経て成立したのだし、南北アメリカ大陸の国々は、ここ数百年の移民によって成立したのである。現在そこにある国家を、古代ローマ帝国の継承者であるとか、古代インカ帝国の遺国だなんて、誰も思っていない。

 確かに、朝鮮半島の古代史に登場する三国の内、南側にあった百済と新羅の両国は、現在の大韓民国の版図とほぼ重なるが、「北の大国」高句麗の版図は、どう見ても現在の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の版図というよりは、中華人民共和国の東北部(遼寧省・吉林省・黒竜江省)のほうに重心があるように思われる。私はかつて「高句麗の支配地域に住んでいた人々は、そもそも“中国”大陸の諸国、すなわち渤海・金・遼・清・満州といった諸王朝と近しい関係にあったのである」と『北朝鮮ウルトラ救済計画』において論じたことがある。

 しかし、これらはあくまで歴史学上のひとつの学説であって、そのことが、現在そこに存在する国際的にも承認された主権独立国家の正統性を損なうものではないことは明らかであるにもかかわらず、一国の政府機関が外国の学者の一学説に対して「憂慮の念を伝える」なんて、常識外の行為である。このように、この国は、政権が交代する度に、その直前の歴史(註:近代で言えば、日本帝国主義による内地化政策)を否定し、自説を正当化するために、近代大日本帝国のでっち上げである「万世一系の皇紀2600年」も真っ青の「熊人間(=壇君)」の登場する「韓民族半万年(5000年)」という神話(お伽噺)を根拠にナショナル・アイデンティティを鼓舞してきたのである。因みに、神を否定する共産主義者であるはずの「北の将軍様」も、民族の聖地「ペクトサン(白頭山)」の神話をでっち上げている。

 そして、質の悪いことには、これら作り話を少しでも揶揄する者に対しては、「自分たちのナショナル・アイデンティティを侮辱された!」と言って、烈火のごとく、怒るのである。思考停止状態で怒る(泣く・恨む)者に対しては、まともなこちらは、無視するか、笑うしかないであろう。「靖国」も「竹島」も「慰安婦」の問題も、またしかりである。科学的な方法によって事実関係を押さえようとする前に、先に「結果が出てしまっている」のだから…。



■アルカイダのテロ標的は浅草寺?
03年12月16日
三宅善信(レルネット主幹)

 今朝、アフガニスタンのイスラム原理主義ゲリラ組織に近い人物から、現在、大もめに揉めている「憲法制定ロヤジルガ(国民大会議)」について取材していたら、同氏は「タリバンの施設で興味深い映像を見た」と言うのである。

 その映像とは、2001年3月にタリバン政権の手によって破壊された世界的な仏教遺跡バーミヤンの石仏爆破の詳細な記録映画だったのであるが、その続きの部分に、世界のいくつかの宗教施設と共に、あの『フーテンの寅さん』でお馴染みの赤い巨大な提灯がランドマークとなっている「浅草寺」の映像が映っていたと言うのである。

 ビン・ラディン氏と目される人物から「自衛隊がイラクの地に一歩でも踏み込んだら、日本の首都でもテロが起きるであろう」と脅しまでかけられたのは事実であるが、そのことの実行可能性について、私は『イラク派遣を前にシベリア出兵を検証せよ』で述べたとおり、ほとんど不可能と思っている。

 しかし、確かに浅草界隈なら外国人観光客もたくさんおり、彼(イスラム原理主義テロリスト)はあまり怪しまれずに行動することができる。しかも、東京を訪れる欧米人の観光客は、たいていこの浅草寺を見物に行くので、ここで爆弾テロ事件を起こしたら、欧米人の犠牲者も数多く発生し、世界の耳目は一挙に東京に注がれ、その結果として、アルカイダが再び表舞台に立つことができるようになるであろう。バーミヤンの仏教遺跡を破壊した時も、世界中の人々の関心をアフガニスタンに集めるためだったのであるから…。

 もちろん、そのような“事件”が実際に起こることを望む者はいないが、一応、気になったので、当「掲示板」サイトを通じて、人々に注意を喚起しておきたい。



★☆2003年度掲示板☆★

■何を裁くことによって、何を隠すのか?
 03年12月16日
萬 遜樹

 さすが、素速いご反応で!“予言”された「大量破壊兵器の所在」追求はすでに始まりました。もっとも、フセインは「もちろん、ない」と断言していますが。

 それから、裁き方が注目されていますね。「中東軍事裁判」です。これが三宅さんのおっしゃる「イラクの権力側にあった高官たちは、責任をフセイン氏一人に擦り付けようとするであろう」につながりますね。

 極東軍事裁判を想起させます。何を裁く(=表現する)ことによって、何を隠すかです。日本同様、100年の謎になるでしょう。それまで、数々の「物語」が創出されるでしょうね。

 私は、自衛隊の「イラク出兵」に一定の評価を与えるのですが、その成否は日本人の歴史物語をどう紡ぎ出せるかだと思っています。お二人の外交官の死亡はわが日本政府の失策の結果であることは明らかですが、それも含めてどう日本人の歴史物語を語れるかです。

 もちろん、『桃太郎バグダッドへ征く』のようにアメリカのサルの役割であっては、アメリカ人の物語であり日本人の物語ではありません。また、もとより自衛隊は鬼退治に行くわけではないでしょう。

 現実的ではありませんが、「ビルマの竪琴」で行くのがよいのではないかと思っています。すなわち、鎮魂軍です。黄色い袈裟に竪琴を抱え、経を唱えながら進む。もちろん、足は裸足で、頭は丸坊主です。

 「グローカル」な現代世界での戦争は、総力戦を超えた「精神(=宗教)戦争」です。もし可能なら、ただ新たな精神が世界を救いうるのでしょう。



■フセイン殿 討ち入りでござる!
  03年12月14日
 三宅善信(レルネット主幹)


 2003年12月14日、イラクの戦後統治を行っている暫定評議会のブレマー行政官が「We got Him!」という短い一言で、サダム・フセイン元イラク大統領が同氏の出身地ティクリート付近のアドゥアという町の隠れ家で、米軍の特殊部隊によって拘束されたことを発表した。

 身柄拘束当時の詳細については、駐留米軍のサンチェス司令官(中将)が記者会見し、農家の野菜倉庫の地下の隠れ家で身を潜めているところを急襲され、さしたる抵抗もなく身柄が拘束されたことと、証拠として髭面のフセイン氏のビデオを紹介した。

 もちろん、拘束されたフセイン氏に対しては、それぞれがそれぞれの立場を正当化するための役割を担わそうとするであろう。米英両国は、今回のイラク戦争を始めるための大義名分となった「大量破壊兵器の所在」を明らかにしようとするし、イラクの権力側にあった高官たちは、責任をフセイン氏一人に擦り付けようとするであろう。皆さん、注意深く見ていてほしい。

 今から301年前(元禄15年)の12月14日、敵の急襲(赤穂浪士の討ち入り)によって、屋敷内の炭小屋に潜んでいるところを拘束された(その後、殺された)人物といえば、ご存じ、『忠臣蔵』の敵役吉良上野介であることは言うまでもない。

 しかし、将軍のお膝元で起きたこの「赤穂事件」に対する評価は、当事者である浅野・吉良両家は言うまでもなく、絶対的な力を持っていたはずの幕府ですら予想することができないような方向に変化を遂げ、四半世紀を経た1725(文政8)年に、四代目鶴屋南北によって『仮名手本忠臣蔵』として上演されるに及んで、その事件の性格がすっかり変わってしまったのである。

 そして、三世紀を経た今日でも、毎年次々と新しい解釈のもとに『忠臣蔵』が上演され続けているのである。米英両国を中心とした今回のイラク戦争の歴史的評価が、これから何十年、何百年経って、どのようなことになっているか知る人は誰もいない。(『桃太郎バグダッドへ征く』参照)



■全諸宗教が一体となって、運動するかしないといけない
 03年11月25日
福嶋 光

 地図記号の件、確かにそうですね。数年間デジタル地図の仕事に携わりましたが、記号がないと地図が文字であふれて、見にくくなります。

 本当に国土地理院も、新地図記号に、純然たる宗教施設という記号は必要でした。

 地図メーカーも十字架マークを「・」等に替えている場合も多々みうけられますが、これは、気づいた人間が個別に連絡した場合のみ変更が有るようです。

 全諸宗教が一体となって、運動するかしないといけないですね。



■国土地理院に告ぐ
 03年11月17日
 レルネット主幹 三宅善信

 国土地理院は11月11日、全国を網羅する基本図である「25,000分の1地形図の規格を38年ぶりに大きく改める」と発表した。新規格では、経度と緯度の基準を世界基準の「世界測地系」へと切り替えたり、文字を見やすいゴシック体に改めたりした点では評価できるが、「地図記号」については諸手を挙げては賛成できない。図書館は開いた本(オックスフォード大学の校章の真似?)、博物館はギリシャの神殿(ユネスコ世界遺産の真似?)のようなデザインを新設したそうだが、その前に、もっとするべきことがあるであろう。

 それは、私が以前から声高に指摘してきたことであるが、宗教施設に関連する地図記号についてである。皆さんも小学校の社会科の授業で「地図記号」について習った時のことを想い出していただきたい。宗教施設の内、神社は「鳥居」、仏教寺院は「卍(まんじ)」、そして、(キリスト)教会は「十字架」の図案が、それぞれの地図記号として習ったはずである。お手元に地図(カーナビの画面でも可)があれば、よく見ていただきたい。神社と寺院はよいとして、問題は「教会の十字架」マークである。天理教や金光教や立正佼成会など、およそ、キリスト教とは何の関係もない宗教教団の施設まで、その名前が「○○教会」と付いているために「十字架マーク」が付けられているケースを容易に発見できるはずである。

 日本中に、「XX教○○教会」という名の付いた宗教法人施設は数万件存在する。その内、キリスト教関連の施設は、カトリック・プロテスタントその他すべての教派を合わせても数千件に過ぎない。一方、天理教に属する教会(大教会と分教会とがある)だけでも、1万数千教会も存在する。これらの「教会」に「十字架マーク」が付けられているのである。これを、国家権力による宗教弾圧と言わずに、何と言えばよいのであろうか?

 そもそも、この国では、明治以来、「先進国」である西洋に起源するものをなんでも有り難がる一方、「人畜無害」な神社や伝統仏教は別として、日本の民衆の中から自然発生的に成立してきた「新興宗教団体」を「淫祠邪教」扱いしてきた隠すことのできない歴史(例えば、戦前の「大本弾圧」等)がある。問題なのは、それが単に、戦前・戦中の「忌まわしい歴史」としてだけではなく、民主主義先進国として「信教の自由」が謳われている現在においても、大手を振って、官公庁やメディアによって加害され続けているということである。

 たとえば、海外で大規模な自然災害が発生した時でも、お寺で集めたわずか数十万円の募金(住職のポケットマネーでもできる)のことはニュースに採り上げられても、新宗教教団が集めた数千万円の募金については、メディアから一切無視される。もちろん、これを受け取る当該国の被災者にとって、より喜ばれるのは数千万円のほうに決まっているにもかかわらず…。問題は、官公庁やメディアにしても、自分たちが新宗教に対して、明らかに差別的な待遇を与えているという自覚がないことである。このような例は枚挙に暇がない。

 私の指摘が正しいことは、国の機関である国土地理院の「地図記号」ひとつ見ても明らかである。宗教団体は、他にもイスラム教をはじめ、これらの三分類に属さないものはいくつでもある。そもそも、神社と寺院を分けるのも、「神仏習合」という日本の文化的伝統に対して無教養な小役人による明治近代主義的発想である。この際、全ての宗教法人について差別のない地図記号(例えば、「○に宗」印とか)を新設しても良いのではなかろうか?



■自分の都合のいいときだけアラーの神を持ち出す人が多い?
03年11月17日
    石田勝久

 イスラム教のことは、良く分からないのですが、とにかく自分の都合のいいときだけアラーの神を持ち出す人が多いいですね?

 私は、3年程前オランダにいました、オランダにいた間、イスラム教徒の、何人かの人といっしょに働いておりました。残念な事にイスラム教ってすばらしいんだなぁーと思える人は、1人としていませんでした。

 日本は、仏教徒がほとんどですが、あまりお釈迦様を口にする人はいませんし、また手を合わすときは、家族に不幸があったときと、墓参りをするときぐらいだと思います。その点では、すごいと思いますが、私の自論ですが、宗教とは、相手の立場になって物事を考えるやさしい心を育てるのが宗教だと思います。残念な事に今の日本にも無いことです。

 これは、私からのお願いです日本で、問題を起こさないで下さい。イラン国ってイスラム教ですよね、確かイランでは、麻薬をもっているだけで死刑だと聞きました、なのに日本で麻薬売買をしている、あまりにもナンセンスだと思いませんか?そんな人間に宗教を語らせないで欲しい。




■「のぞみ廃止」全く同感です
03年11月11日
増田裕昭(物理学者・米国在住)

 主幹の主観『JR東海の「のぞみ」が叶うだけ』読みました。

 「のぞみ廃止」全く同感です。特に今回のダイヤ改訂(改悪)は我々海外在住者で「ひかり」「こだま」しか乗れない Japan Rail Pass を利用する者にとっては、救いようの無い大改悪です。

 東京から「ひかり」に乗った場合には、何と最遠で岡山までです。つまり東京からは広島や福岡には1本の「ひかり」では行けないのです。これではもはや「ひかり」の存在意義は無いというしかありません。

 三宅さんには、これからもことある毎に「のぞみ廃止」を声高に唱えていってもらいたいと思っております。




■政権を選択する選挙」に行こう
 03年11月08日
三宅善信(レルネット主幹)

「政権を選択する選挙」と銘打って(当たり前のことである)戦われている今回の総選挙における与野党政治家の発言で気になることがある。それは、小泉総理自身や公明党幹部などから盛んに発せられる「民主党は200議席を目標にしている。首相指名は国会(衆議院)で過半数取らないとできない。だとしたら、(不足分を補うために)組むのは社民・共産しかない。民主党は勝った場合どこと組むのか?」という(民主党は連立政権構想を示していない)という趣旨の発言である。

 発言の目的は簡単である。良識あるサイレントマジョリティ(「支持政党なし」層)に対して、「政権担当能力については問題外である社民や共産と組まなければ首班指名を獲得できないような民主党に、あなたは政権を任せることができるのか?」と、「常識」が発動することを期待して、それでもって民主党への投票行動を躊躇させようとする作戦である。確かに、常識的には、総選挙でよほどの「事件」でも起きない限り、たとえ民主党が「比較第一党」になっても「政権」が取れないように見える。しかし、そこに論理の落とし穴がある。私は、このことについて前回(2000年6月)の総選挙の際に、『共産党が与党になっても大丈夫』という作品中で指摘した。その中で、「半分の半分の半分の半分の法則」と題して、以下のように指摘している。

 もっとも、たとえ「頼りない民主党」が比較第一党(単独では過半数に届かないが、最大議席を獲った場合=現在の自民党と同じ)になったとしても、政権を樹立するために共産党と連立を組む必要はまずない。何故なら、自民党議員の約半数と保守党議員のほぼ全員は、議員本人の主義主張(理念)によって自民党(あるいは保守党)に在籍しているのではなくて、ただ「与党議員」でいたいから、現在の政党に所属しているのだけである。もし、民主党が比較第一党になったら、遠慮なく自民党や保守党の懐に手を突っ込んで「政権与党に入りたい(党籍変更したい)人はどうぞ」と声をかければ、間違いなく、百人以上の議員が雪崩のように民主党入り(あるいは、形式的な新党を結成して連立を組む)するであろう。それで、すぐに安定多数(単なる過半数ではなく、常設委員会の委員長のポストを全て獲ることができる議席数)が確保できる。ここ数年間の当選後の議員の政党渡り歩きは全てそうだったではないか…。いったい、いくつ政党ができて、いくつの政党が消えたのか正確に答えられる人はまずいないであろう。

 つまり、この国では、有権者の中では「支持政党なし」層が最大勢力であるのと同様に、国会議員の中では「とにかく与党でいたい」層が隠れた最大勢力なのである。そんな状況下で、日本の議会制民主主義にとって最大の不健全性は、投票率の低さによって、国民全体のわずか数パーセントしか支持者がいない勢力が、結果的には全体のキャスティングボートを握ってしまうということである。これを「半分の半分の半分の半分の法則」と称する。私に言わせていただけば、直近の国政選挙において2回連続で投票率50%を割るような選挙区は、有権者に「参政権を行使する意志なし」と見なして、当該選挙区を没収すべきである。そうすれば、ドンドンと議員定数が削減できて、国会もスリムになる。それくらいの荒療治を施さなければ、この国の民主主義は成熟しない。

 納税者である私は、選挙権を得て以来25年間、一度も「棄権」をしたことはない。今回の総選挙も、投票日当日には英国(オックスフォード)に出張しているが、もちろん、とっくに「不在者投票」を済ませてある(日曜日に仕事が集中する私は、たいてい不在者投票である)。さあ皆さんも、「政権を選択する選挙」で、主権者としての意志を締めそう。もちろん、最高裁判事の国民審査も忘れずに…。




■JR東海と同じ「小泉流」手法
03年10月31日
 乾 光孝(ニューヨーク在住)

 いつも拝見させていただいております。「のぞみ」のお話は興味深く読ませて頂きました。実際の公に対する宣伝と実状のギャップをいつも鋭く突いておられるところが読み手の気持ちをくすぐりますね。

  「小泉流手法」についてもしかりですね。



■結局我々は、JRのケムに巻かれた
03年10月29日
 匿名(宗教家)

 この新幹線ネタは非常に面白いですね。「ひかり・こだま」「のぞみ・ひかり」の不思議な料金格差には私も以前から疑問を抱いておりました。

 おっしゃる通りです。結局我々は、JRのケムに巻かれたようですね。



■指定席利用者の値下げを散々宣伝しながら、実質値上げ
 03年10月26日
         匿名(大学教授)

 『JR東海の「のぞみ」がかなうだけ』を読んでの感想です。
 
 JRの営業戦略で腑に落ちない点は他にもあります。私は広島京都間の新幹線自由席回数券の愛用者でしたが、今回社内の調査結果によるとかで、300km以上の距離の回数券はすべて指定席利用可能の回数券になってしまいました。実質値上げです。『中国新聞』は、新大阪広島間の利用者から不満が出ていると報じていました。
 
 私は自由席回数券を利用する選択もできるようJR西日本に望んでおきましたが、指定席利用者の値下げを散々宣伝しながら、実質値上げについては知らせないやり方に失望しています。



■日本全国を新幹線網で結ぶという真の意味
 03年10月26日
福嶋 光

 新幹線の件は山陽東海が60ヘルツを採用していたにもかかわらず、上越東北新幹線が50ヘルツを採用したと聞いた時点で本来の姿を失ったと思いました。在来線は直流(九州は交流)ですし、国鉄は東北電力などから電気は買わず自前の発電所を作るのですから。

 大昔、狭軌に縛られていたという現状を打破したのにも関わらず、日本全国を新幹線網で結ぶという真の意味が伝わって無かったという、これが最大の失策です。

 札幌発鹿児島行きとかを簡単に実現出来る夢が消えたわけで、寝台車とか食堂車が結局不要になってしまった遠因です。

 会社の出張で不便だったのは大阪から乗り換えなしに仙台へ行けない事でした。



■小泉流はいつも政治的テロである
03年10月25日
三宅善信(レルネット主幹
 10月23日、小泉純一郎首相は、中曽根康弘元総理の事務所を訪ねて、自民党の比例候補に対する「73歳定年制に抵触する」という理由で、「今回の総選挙で中曽根氏を公認しない」と伝達し、同氏の出馬辞退を迫った。これに対して、中曽根氏は、「総理・総裁をやった者に対して、突如として爆弾を投げるようなものだ。一種の政治的テロだ。こんな非礼なことはない」と激しく抗したという。

  「政治的テロ」まさしくその通りである。小泉氏のやり方は、いつもこのような手法を取る。だいいち、もし、はじめから公認しないつもりだったのなら、このような総選挙公示数日前のタイミングではなしに、もっと早くから中曽根氏にその意志を伝えるべきである。そうすれば、中曽根氏も小選挙区へのカムバック等の準備ができた(少なくとも、中曽根氏自身が選択できた)はずである。人事権を有する総裁が、それをこの時点になって行うというのは、卑怯千万である。おまけに、中曽根氏の元もとの地盤は、現在、小泉内閣の官房長官を務めている福田康夫氏の選挙区と重なっているのであるから、首相としての公権力と総裁としての裁量権を濫用していると言われても致し方ないであろう。政治家の生殺与奪は、あくまで、有権者の判断に依るべきであって、それ以前の段階で、党内事情によって排除されるべきではない。

 次ぎに、もし、「73歳定年制」を適用するというのなら、御齢85歳の“大勲位”中曽根氏は、前回も前々回の総選挙も、ずっと「73歳以上」であったのに、公認されてきたという、前任者(過去数代の自民党総裁)の判断を平気で踏みにじるというものである。「政権」というものは、「継続性」を唯一のレジチマシーとしているのではないか? それ以外の手段(前任者を否定する)で「政権」を樹立するのは、いわば「革命」である。私は、「革命」政権を信頼しない。なぜなら、前任者の約束を平気で反故にする連中がする将来への約束(マニフェスト・政権公約)なんか信じるに足らないからである。

 何よりも、1996年の衆院選の候補者調整で出された橋本龍太郎・総裁と加藤紘一幹事長による「裁定」によって、中曽根氏が比例選に転出する(小渕恵三氏が群馬5区・福田康夫氏が4区)代わりに、「中曽根氏を比例北関東ブロックの候補者の最上位とし、終身処遇する」と決められたことをなんとする。橋本氏の平成研は解体し、加藤氏は政界から去り、小渕氏はもはやこの世に居ないから、何をしても良いとでも思っているのか!

 政治家にとって「いのち」より大切なものは「約束」である。なぜなら、人間必ずいつかは死ななければならないが、「歴史」への責任は永久に消えないからである。もっとも、小泉氏の政権公約であった「国債30兆円枠」が守られなくなった時の国会答弁で、「(経済状況が変わったのだから)公約を守らないくらいなんでもないことだ」と平然と言ってのけた御仁である。逆である。経済状況こそ、いつの日にか、また変わるものである。政治家にとって必要な資質は、熟慮に熟慮を重ねて、いかなる状況下でも変わることのない「指針」を示すことである。そしでもし、どうしても、その指針が現状に適合できないということが判明したら、自らの主義に殉じて「いのちを絶つ(引退する)」べきである。それが政治家の取るべき道だと思う。テロリスト政治家に、この国の将来を託すわけにはいかない。



■マザーテレサの福者加列とバチカンの世界戦略
03年10月19日
 三宅善信(レルネット主幹
 2003年10月19日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、インドのカルカッタで貧民救済に生涯を捧げ、1997年に死去したばかりの修道女マザー・テレサを「福者」に加列した。通常は、死後百年ほど経過して、社会的評価が確定して初めて「聖人」や「福者」に加列されるのが一般的であるから、わずか死後6年で列福されるのはカトリック教会史上「異例」とも言えるが、これには、現教皇ヨハネ・パウロ2世の意向が大いに影響したと伝えられる。この日、サンピエトロ広場で行われた列福式には、全世界から約20万人が参列した。

 私は、先月、「主幹の主観」シリーズにおいて『マザー・テレサは何人か?』と題する作品を上梓し、ノーベル平和賞の対象となったカルカッタでの業績ではなく、20世紀の民族紛争という観点から、マザー・テレサの意味を論じたが、その背景には、ローマ・カトリック教会(バチカン)という世界最大の宗教勢力の四半世紀にわたる「戦略」の総仕上げの意味が込められている。

 1980年代末から90年代初頭における「ソ連東欧社会主義圏の崩壊」をもたらした最大の功績者は、初のポーランド出身の教皇ヨハネ・パウロ2世その人であることは言うまでもない。日本では、「諸宗教対話」への広い関心(註:諸宗教対話への道を開いたのは、先々々代の教皇ヨハネス23世と先々代のパウロ6世。この2人の教皇の名前を取り、彼は「ヨハネ・パウロ2世」を襲名した)等により、「開明的な法王」と思われているこの教皇は、その「伝統的なカトリックの教えを守ること(例えば、中絶や離婚の禁止)」に関しては、極めて保守的な人物として欧米では知られている。彼は、教会にとって、欧州内に残された「最後の草刈り場」であった東欧社会主義圏をカトリック化するための切り札として、歴史の表舞台に登場したのである。私は、ヨハネ・パウロ2世に、これまで4度(1990年、91年、94年、94年)謁見する機会を得た。

 最近、すっかり体力の衰えが目立つヨハネ・パウロ2世であるが、三日前(10月16日)に「在位25周年」を祝ったばかりの教皇は、その人生の最晩年期に、彼のライフワークの仕上げを図ろうと、矢継ぎ早にいろんな施策を講じている。そのひとつが、マザーテレサの列福と並んで、先月(9月)28日に行った新任枢機卿31名の任命である。枢機卿だけが、教皇が欠けた時に次期教皇を選出する「コンクラーベ(教皇選挙秘密会議)」に参加できるからである。

 これまで、「コンクラーベ」に参加資格のある80歳未満の枢機卿は、109名だったので、今回、数年前に日本人として初のバチカンの「閣僚」となった浜尾文郎大司教を含む「ヨハネ・パウロ2世派」の31名が枢機卿に加わったことにより、現教皇亡き後も、ヨハネ・パウロ2世の意向を汲んだ人物が新教皇に指名される可能性が高くなった。一般の日本人には馴染みの薄い話題ではあろうが、宗教・民族問題がますます「世俗」世界においても重要なテーマとなっていくであろう21世紀の国際社会において、これからもバチカンの世界戦略を注視していく必要がある。



■政局」を超えた「政治」が要請されている
03年10月06日
萬 遜樹

 お忙しいのに、多産でいらっしゃいますね。三部作(『重陽の節句:拉致は金王朝のお家芸』『米朝会談亡者戯?』『毒饅頭喰ったのは誰か』)、拝読しました。いつもながら、どれも面白く興味深い内容ですね。それぞれタイトルが引っかけになっていますし、内外の歴史、仏教、それに落語の勉強にもなる、お得意の効用満点のエッセーに仕上がっていて感心いたします。

 とりわけ、『重陽の節句:拉致は金王朝のお家芸』は示唆に富む内容と思います。私たち日本人は自身のことを知るために東洋史を学んできましたが、これでは片手落ちだと気づきました。相手(北朝鮮、韓国、中国)の思考を知るために、彼らの歴史を学ぶことが必要なのですね。このことに気づきました。

 私たちが至急体勢を立て直さなければならないことは、やはり政治であり外交です。北朝鮮や中国の思考を歴史から学び、私たちも歴史的な視野を収めて中長期的な対処をすることが必要です。歴史は生きています。「政局」を超えた政治が要請されています。



■テレビや新聞にはタバコのように注意書きを書くべき 
03年08月29日
萬 遜樹

 『火星大接近と北朝鮮』を拝読しました。三宅さんはほんとに物語がお上手ですね。たいへん面白く玄宗皇帝物語を拝読しました。将軍様と美女軍団を、火星大接近と結びつけて発信されるとは、まことにタイムリーでした。(これでヒット間違いなしですね。)

 踊る「6カ国協議」、そしてプロのプロパガンダ集団「美女軍団」。何なんでしょうかね。やはりこれも大接近した火星の賜物なのでしょうか。北朝鮮=金正日というのは本当に児戯ですね。「美女軍団」は韓国と日本だけの話題、との三宅さんのご指摘(掲示板『北と南の猿芝居:大邱ユニバ大会』)から思ったのですが、それを送り込んだ北朝鮮も含めて、日本人と朝鮮人は心性がきっとよく似ているのですね。経済の進み具合だけでは国民の人間性や文化度はあまり変わらないということでしょうか。

 実際、日本のテレビニュースや新聞が毎日何をどのように取り上げているかを、少し引いて「大人」の目で捉えると、まことに目を覆うばかりです。下品、下劣、詮索、覗き見、揚足取り、やっかみ、軽蔑、見下し(、それにお涙頂戴、子どもや「弱者」を使ったネタも同じことです)…、そんなことばかり。大人らしい、客観的な、あるいは立場を明確にしたものはまず見当たりません。在り来たりの「真実」を前提にした扇情だけがニュース選択の基準であり報道の角度なのです。

 自らは安全な「第三者」(=日本の「報道」)の笠に隠れつつ、時には都合良く右や左に変わり身よく立ち回る。「ポピュラリズム」(人気取り主義)という言葉は、このようなマスコミのためになくて何のためにあるのでしょう。かつては争乱の星・火星が禍をもたらしたのかも知れませんが、いまはマスコミがその役割を担っています。馬鹿はうつると言います。テレビや新聞の見過ぎには注意しなければなりません。タバコのように、注意書きを書くべきでしょうね。(かつての戦争に国民を導いた真犯人の一人は間違いなくマスコミです。)




■北と南の猿芝居:大邱ユニバ大会 
03年08月21日
三宅善信(レルネット主幹)

 8月21日から31日まで、韓国の大邱市において、ユニバーシアード大会が開催される。最初からマイナーな感(註:大学生の大会のため、トップ級の選手はほとんど参加しない)のある国際スポーツ大会であるが、今回は、北朝鮮による「参加・不参加」のドタバタ劇および「美女軍団」なる洗脳広告塔集団の登場で、メディア的(もちろん、こんな話題を採り上げているのは、世界中で日本と韓国だけだが…)には、格好のネタを提供している。

 「事件」の概略は、8月15日の『光復節』(註:いうまでもなく、太平洋戦争における「日本の敗戦」という韓国と北朝鮮が共通して祝うことのできる数少ない祝日)の日に、韓国の右派勢力のハンナラ党支持者が街頭デモを行い、その際、北朝鮮の国旗を燃やし、キム・ジョンイル(金正日)総書記の肖像画を破ったことに腹を立てた(ふりをした)北朝鮮政府による「大邱ユニバ大会への選手団派遣拒否」声明(18日)に慌てた(ふりをした)韓国政府が、翌19日に、ノ・ムヒョン(盧武鉉)大統領による『遺憾の意』発言によって、即日、北朝鮮政府は「南朝鮮(韓国)が『謝罪の意』を表したのでユニバ大会に参加する」と再通告し、これまた即日、選手団を、翌日には「美女軍団」を派遣してきたという次第である。これだけでも、十分に猿芝居である。

 国旗を燃やされたぐらいで怒っていたら、アメリカなんか世界中で毎日、何百枚という星条旗が燃やされている。だいいち、自由な市民社会においては、決して「お行儀の良い行動」とは言えないが、自国や第三国の国旗を燃やすという政治的な意思表示行動を為政者が禁止することんなてできる訳がない。「デモは全て官製である」という全体主義国家ならいざ知らず…。それを、「同族の安全と尊厳を害する危険千万な南朝鮮地域へ、わがほうの選手団を送る問題について、断固対処せざるを得なくなった」と表明すること自体お笑いである。たとえ敵国から来た選手であろうが、外国人選手の身の安全を守るのが、国際大会を開催する際の主催国政府の責任であることは言うまでもない。

 27日から始まる北京での『6カ国協議』直前の大切な時期に、「同胞意識」をアピールして韓国の国民感情を「味方」に付け、もって、日米韓のスクラムに揺さぶりをかけようという意図が見え見えである。「(ユニバ大会に)来なくて結構です!」って言ってやれば、適当に理由を付けてでも、必ず参加したであろうに…。その証拠に、もし、国旗を焼かれことが大会をボイコットするほどの「同族の安全と尊厳を害する危険千万」な行為であるというのなら、もう一度、ソウルで北朝鮮の国旗を焼いてみればよい。きっと選手団をよう引き揚げないであろう。もし、それで引き揚げたのなら、また、「遺憾の意」を示せばよい。幸い、大邱と平壌は飛行機で1時間程の距離であろう。毎日、行ったり来たりすれば済むだけである。

 21日のユニバ大会の開会式では、予定通り、南北「仲良く」統一旗を掲げて入場行進したそうであるが、こんなものシドニー五輪(1996年)の時なら、それだけでも意味があったかもしれないが、それ以後、何度も同様の「南北合同入場行進」が行われており、いつまでも、単なる「Photo Opportunity(写真用)」のためだけの『南北統一』では意味がないであろう。今時点に至っては、お互いが「触れられると痛い」問題にまで踏み込んで、「具体的な成果」を伴う話し合いをしなければ、国際的にもなんの価値もないことは言うまでもない。日本のメディアも、冷めた「大人の対応」をしてもらいたいものだ。




■「ミソクソ経済主義」である入学金返還運動
 03年08月03日
 萬 遜樹

 『入学金返還訴訟と日本文化』を拝読しました。長文の力作ですね。おっしゃる通り、「味噌-糞」(スゴイ言葉ですね!)とはこのことです。経済というか貨幣の怖さはここにあります。お金に換算できると、価値の画一化が生じてしまいます。経済価値のファシズムですね。

 三宅さんがおっしゃりたいことは、日本人には日本人なりに今も持っている、経済に単純に換算されない価値があるということだと思います。もちろん、これは日本人に限ったことではなく、当然、各民族にもそれぞれあるでしょう。それを打ち砕き、平準化しようとするのが経済グローバリズムです。

 ですから、「ミソクソ経済主義」である入学金返還運動は、多価値的で豊かな生活であるローカリズムを砂漠化せんとする暴君であると言わざるを得ません。馬鹿は何でも単純化したがるものです。多元的価値観や多重的な価値観に耐えうる知性を持ち得ないからです。残念ながら、われわれ日本人はだんだん馬鹿になっているのでしょう。

 日本的知性の「家元」・我らが主幹の役割はますます重要になっています。さらなる舌鋒を揮われんことを大いに期待いたします。



■大学の入学金や授業料には「消費税」がかけられていないから
「消費」者契約法の適用外は当然
 03年08月03日
dada 私立大学経営者

私立大学=家元制度論、たいへん面白く読ませていただきました。たしかに大切なポイントです。さっそく、弁護士にも知らせておきます。

 わたしも、そもそも学校法人とは何かという本質論から反論しなければならないと思っていますが、バターくさくなってしまうせいか、理解されませんので、あなたのように家元制度だと、日本人にはピンとくるでしょうね。

 戦後の日本の学校法人と宗教法人の設定は、ドイツの学問の自由のための共同体としての大学制度や、アメリカの教会=共同体、そして教会から生まれたアメリカの私学、の基本理念に基づいています。それが、最近の経済万能、効率万能、学校も株式会社で結構、といった風潮によって、日本人の意識に定着することなく、拭き消されようとしていますね。そして、まさに家元制度も、もとをただせば、日本の?(あるいは茶道などは、ひょっとしたらキリシタンの)宗教的共同体理念に行きつくのでしょうね。いままでは、日本の会社制度も終身雇用ですから、これまた一種の宗教的共同体なわけですが、それらが今、家族制度もふくめてすべて崩壊しつつあるところから、社会的カオスが生じているのでしょう。

 だいたい、大学の入学金や授業料には「消費税」がかけられていません。教会の「献金」にも。だから、当然、「消費」者契約法の適用外でしょう。学費は「消費」とか「対価」ではなく、「寄付」なのです。学校法人も宗教法人も「寄付行為」で運営される共同体なのです。合格しても逃げていく受験生も入学する学生と同じように、学校法人という「寄付行為」にもとづいて経営している共同体に、寄付・献金をしているわけですよね。檀家でなくても、神社に行ったら、だれでもお賽銭をささげるのとおんなじでしょう。信仰心がなくても、文化財のような価値のある神社には敬意を表する場合があるでしょう。寄付や献金を返してくれ、と言われても、困ります。

 それにしても、文科省もけしからん。文科省は国家という共同体の大枠のなかで、教育研究を私学に対しても許認可権で強力にコントロールしているわけで、そのうえ補助金で規制しているわけですから、今回の訴訟についても、「通達」を出しさえすれば、無用な混乱は起こらないのです。それを「世論」を恐れて逃げているわけです。