11/10更新

テコで地球は持ち上げられるか? 金融グローバル化の盲点 1998.11.10

「レルネット」主幹
三宅善信

「私に十分な長さのテコと足場を与えてくれたら、この地球でも動かして見せよう」という有名な台詞は、シラクサ(古代ギリシャの一国)の科学者アルキメデス(紀元前287?〜212年)の言葉である。シラクサ王からの依頼で、王冠を壊すことなしに、黄金100%でできているかを確かめる方法(アルキメデスの原理)を入浴中に思いつき、裸で町に飛び出した稀代の天才のエピソードはあまりにも有名である。その他にも、内側が螺旋構造になった管を回転させる揚水ポンプを発明したり、カルタゴに味方したシラクサを攻めてきたローマ軍のガレー船を鏡やレンズを利用した熱光線で焼き払ったり、テコの原理を用いて造った巨大な投石機の発明者としても知られている。

本当に、十分な(とてつもない)長さのテコさえあれば、何でも持ち上げることが可能なのであろうか? しかし、何も私がここで物理の授業をするつもりでないことは言うまでもない。今回の「主幹の主観」で採り上げるのは、今話題になっているヘッジファンドの常套手段であるデリバティブ(金融派生商品)のことである。実は、私がハーバードにいた時に、一番、仲の良かった友人(日本文化史の研究をしていた日系米国人)が卒業後、直ぐに国際金融の世界に入ったのには驚いたものだ。当時は、何でも規制緩和のレーガン政権(中曽根政権)下で、バブルが急激に拡大していった時期である。彼は、1年の間に、ロンドン→ニューヨーク→東京と居を変え、あっと言う間に、1日に数千億円の金を動かす国際的エリート金融マンになった。数年後に東京で出会った時に、「金融の世界の話を素人にも判るようにしてくれ」と頼むと、ポジションだのスワップだの、別の意味も想像してしまう言葉をポンポンと使って説明してくれたが、門外漢の私には、やはりよく判らなかった。ただ、彼が「日本の会社(銀行や証券会社)なんかカモですよ。彼らは絶対に損をしますよ」と言ってのけたのと、「こんな仕事は 十年も続けるものではない」と言っていたのがやけに印象的であった。事実、彼はトントン拍子に出世して、30歳台前半で、外資系銀行の金融デリバティブ部長になっていた。

その彼と昨年、久しぶりに出会うと、意外なことに「金融関係の仕事は辞めました。だって、もう私が現役でできる間に日本の経済が立ち直る可能性はほとんどないから…。それに、この国の所得税は恐ろしく高いし、儲けすぎるのもバカらしいし…」といってニコニコしていた。もちろん、不況で高給取りがリストラされたのではなく、新しいビジネスを起こすためためだ。そう言えば、ここ一両年、日本の金融機関はたくさん潰れたし、「こんな仕事(金融)は十年も続けるものではない」と言っていたとおりになっただけだ。彼はまた、昨年夏に、「近い内に銀行と証券会社が潰れて円安になりますから、三宅さんも資産は全部ドルに替えた方がいいですよ。僕なんか毎月の最低限必要な分しか円は持っていません」と言われたが、「当方には、円であろうとドルであろうと大した資産もないなので、どっちに転んでも大した被害は出ないよ」と言って笑ったものだ。それも、その後、直ぐに山一証券と拓銀の破綻で、彼の言うとおりになった。

私の一友人ですら、早くからここまで判っていたのだから、欧米の政府や大企業の経営者たちは、昨今のこの国の経済破綻ぶりを、心の底では笑って見ているであろう。あのバブルの時代になんら次の時代への布石を打たなかったのだから…。まるで、イソップ童話のキリギリスそのものである。いや、キリギリスの方が遊んだだけましである。われわれは大した遊びもせずに、破綻してしまったのである。いまや、われわれ日本人が「一生働いても東京の都心に家を建てることはできない」と言われた一等地を、外国資本にいいように買いたたかれて、次々と彼らのものになっていっている。初めから、日本人はマネーゲームをやる資格がなかったのだ。大やけどをしてから、やっと気が付いて、今頃になって、欧米の支店を閉鎖してももう遅い。

ところが、この日本一国の経済不況に基づく金融不安が、この国ほどファンダメンタルの強くない(日本はこれでも世界第2位の経済大国で、世界最大の債権国でもある)東南アジアや中南米あるいはロシアといった経済基盤の脆弱な新興市場国に次々と波及し、とうとう「独り勝ち」であったアメリカ経済まで直撃したから、話はややこしくなってきた。8月13日のモスクワ市場における混乱は、わずか2週間で、社会主義経済から資本主義経済への脱皮を図るために苦労してきたロシア経済を吹き飛ばし、モスクワ市場の株価は5分の1に下落してしまった。ロシア権益に深入りしていたあの国際的投機家ジョージ・ソロス氏率いるクオンタム・ファンドなんか、2週間で20億ドルを失った。わが野村証券も6億ドルの損失を蒙った。そして、9月23日、「元米国連銀の副総裁ノーベル経済学賞を受賞した学者が何人もいるから絶対に儲かる」と豪語していたヘッジファンドの名門LTCM(Long Term Capital Management=わが「長銀」と名前が似ているのも気になるが)が、破綻しそうになって、慌ててニューヨーク連銀の音頭取りで同社に緊急出資を仰ぐという事態に至って、とうとう世界恐慌に突入してしまった。

古典的な経済学の理論に依ると、「(個々の投資家の「自分がけが儲けたい」という意識の総体である)マーケットは神の見えざる御手に導かれて、上がり過ぎればどこかで下がり、下がり過ぎればどこかで上がるという調整機能が働く」ということになっているが、ここ数年のわが国のマーケットを見ていると、下がる一方である。そもそも、このようなリスクをヘッジするのが、デリバティブ等を手段とするヘッジファンドの仕事ではなかったのか? ここで、デリバティブの手段のひとつであるオプションについて簡単に説明すると



例えば、ケーキ会社を経営するA氏が、クリスマスシーズンを前に、現在、100kg2万円する小麦粉をマーケットで調達する際に、肝心の大量の小麦粉(例えば100ton)が必要な1カ月後の価格が、もし3万円になったら大変なので、1カ月にでも2万円で買い付けることのできる権利を現在1000円支払って買っておくというものである。もし、A氏の市場価格予想が当たれば、クリスマスシーズンに現物で小麦粉を買うB社よりも900万円も安く(30,000円X1,000―21,000円X1,000)購入することができる。逆に、A氏の予想が外れて、小麦粉の市場価格は100kg1万円に暴落すれば、A氏は1,000円で予め買った「2万円で購入する権利」を放棄して、現状市場価格の1万円で100tonの小麦粉を購入すればよい。つまり、B社と比べて、余分に1,000円X1,000=100万円を支払うだけで済むのである。つまり、100円を支払うことによって1,000円分のリスクをヘッジしたことになる。

実際には、ここまで単純ではないけれども、これらに金利スワップやその他の作業を複雑に組み合わせることによって、このような手練手管を駆使して、あらゆる商品(もちろん、「通貨」そのものも含む)のリスクがヘッジされているのである。ここだけ聞けば「いいことずくめ」である。ところが、リスクヘッジの手段が高度化することによって、マーケットが相互に雁字搦めに縛られ合い、ほとんどプロなら誰もが損をしない(価格が上下に変動しない)相場が形成されるに至った。

しかし、それでは「儲け」が出ない。相場は、上下に変動することによって初めて「儲け(損失)」が出るのである。投機をすることの目的はあくまで「儲けを出す」ことであるから、相場が動いてくれなければ話にならない。素人のような「現物」取引とは異なり、機関投資家と呼ばれるプロは、ほとんどハイリスク・ハイリターンの「先物」取引をするから、相場は、上がっても下がっても、うまくやれば儲かる構造になっている。つまり、激しく変動することが必要なのである。ところが、先程、述べたように、実際には、相場は各種のヘッジで縛られ、動きにくい状態になっている。

そこで、考え出された方法が「レバレッジ(leverage=テコの原理)」という方法である。本エッセイの冒頭に記したように、いみじくも2300年も昔にアルキメデスが言ったように、とてつもなく長い棒(巨大な資金)さえ用意すれば、地球(グローバル・マーケット)ですら恣意的に動かすことが可能になるのである。そして、実際に、多くのヘッジファンドが世界中の投資家だけでなく、銀行その他の公的資金からも巨額な金を集めて、それを行ってきた。そのシステムが弾け飛んだのが昨今の世界金融恐慌である。なぜだか説明しよう。

まず、アルキメデスも気が付いていたかどうかは知らないが、テコの原理の盲点である。確かに、長い棒さえ用意すれば重たいものでも持ち上げることができる。例えば、体重45kgの女性でも体重45,000ton(100万倍の体重)のウルトラマンを持ち上げることができる。ただし、ウルトラマンを1m持ち上げようとすれば、その女性は100万m=1,000kmもテコを降り下げなければならないのである。つまり、ウルトラマンをたった1m持ち上げるために、彼女はスペースシャトルが地球を周回する軌道の2倍も高い(宇宙空間)所からテコを振り下ろさなければならないのである。ところが、ウルトラマンの体重が1tonでも増加すれば、彼女はあっと言う間に宇宙の彼方に放り投げられてしまうことになる。これが、テコの原理を使った「レバレッジ」という恣意的なファンド(基金)が吹き飛んだ理由である。予想が少しでも反対側に傾くと、悲惨な結果になる。

次に、「神の見えざる御手」が相場を調整しえたのは、かつては、その市場が「閉じられた系」であったからである。熱力学の法則のごとく、エントロピーは増大してゆく。つまり、高いものは低く、低いものは高く、温度差は平準化してゆくのである。なぜなら、その「閉じられた系(=市場)」そのものの持っている熱エネルギーの総量は一定だからである。しかし、現在の国際金融環境は「グローバル化」と称して、各国の市場規模より遥かに巨額なマネーが、瞬時にして出たり入ったりする。新興工業国であるマレーシアのマハティール首相が、営々と育成してきた同国の金融市場を国際的投機家のG・ソロス氏が「玩具にした」ことに怒って、同氏を「国家反逆罪で逮捕してやる」と口走ったそうだが、ごもっともなことである。コンピュータの中だけの架空の数字とはいえ、一国の総資産よりも遥かに巨額な資金が、「神」ならぬ一投機家の手によって、その国の市場を席巻するのである。ヘッジファンドの通った後には、ペンペン草も生えない。私の友人が「こんな仕事(国際金融マン)十年も続けるつもりはない」と言ったのは、ネズミ講よろしく、ある時までは派手に儲けることができても、最後 には破綻が生じることが判っていたのであろう。

金融のグローバル化の前提には、各国の市場規模の差や経済開発状況の差という「差異」が必要である。他者を踏み台にする(高低差を利用する)ことによってのみ成り立つ行為なのである。つまり、「グローバル化(地球化=平準化)」という、バラ色のお題目とは逆行するものが内包させているのである。われわれは、1980年代の後半に、あっと言う間に、社会主義経済体制が世界規模で連鎖崩壊するのを体験した。このままだと、金融資本主義体制の崩壊が起こることはあり得ないと誰が言い切れるのであろうか?

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