校門を出れば日本ぞ
03年12月20日


レルネット主幹 三宅善信

▼き○がいに刃物

 「ポゼポロミトシンキン」この言葉が表している意味の解る人は、今回の作品を読む必要がないかも知れない。ポゼポロミトシンキンって、茨城県にある信用金庫? あるいは、何か新種の病原菌(バクテリア)の名前? などと思った人は、是非、お読みいただきたい。実は、この奇妙な呪文は、読者の皆さんがよく知っている言葉の唐音(註:明代の中国語)読みなのである。

  今年(2003年)も、日本国内では、いろんな嫌な事件が相次いだが、冬休みを目前に控えた12月18日、京都市立宇治小学校の一年半の教室に、精神異常者と思われる45歳の被害妄想の男(註:「45歳で被害妄想の男」と言えば、作者である私も、ある意味、そうかもしれない)が、新品の包丁(註:人を殺めるために購入した計画的犯罪)を持って乱入し、男児2人が頭を切りつけられるという事件が発生した。幸い、傷は浅く済み、犯人の男はその場で教諭らに取り押さえられ、現行犯で逮捕された。地元警察署の調べでは、犯人の男は過去25年間に22回も「精神分裂病(註:最近この病気のことを「統合失調症」などという訳の分からん名称に言い換える動きがマスコミ等にもあるが、他の「差別用語」や「北朝鮮」といった呼称同様、単に言葉の字面だけ変えれば、それで問題がなくなると思っている大いなる勘違いと同じ構造である)」で入退院を繰り返していたということで、この犯人も精神異常者ということになり、新聞等で犯人の名前すら公表されないのである。

  25年間にもわたって入退院を繰り返しているということは、医学的には回復の見込みがない、完全に「いってしまっている」人物であることが明らかなのであるから、このような「き○がいに刃物」状態(註:「き○がい」と表記したのは、私が本当に表記したい4文字をそのまま表記すれば、インターネットの検索エンジンから自動的に排除されるので、まことにバカバカしい方法であるが、それを防ぐための措置である)丸出しの人物を社会に野放しにしておくということは、社会全体の安寧にとっても大いなる脅威であり、この男が長年通院していた精神科の医師にも(彼を十分治療せずに野放しにしたという意味で)責任の一担があると私は思う。もし、世間一般の基準から考えて、「彼は頭がおかしいので、罪には問えない」という論理が正しいのなら、フセインもビン・ラディンも金正日も、皆、無罪である。彼らがしていることは、正気の沙汰とは思えないからである。


▼30人学級が日本をダメにする

  事件の結果、まず判明したことは、問題の宇治市立宇治小学校(註:この小学校の小松某なる校長のプッツン釈明会見を視て、これまた完全にいかれていたと感じた人は多いだろう)の驚くべき防犯意識の欠如である。アノミー状態(註:社会規範が崩壊した状態)ともいえる21世紀の日本社会に暮らすわれわれは、2年半前(2001年6月8日)の「(大阪教育大学付属)池田小学校事件」に等しく衝撃を受けたはずである(註:池田小学校事件については、拙論『水と安全はただ:池田小学校事件に思う』に詳しく論評しているので、是非、ご一読いただきたい)。しかも、一般市民ではなく、同じ小学校関係者といえば、事態をより深刻に受け止めたはずである。


問題の宇治小学校の校門付近の様子

  にもかかわらず、数秒間に1コマしか映らない役立たずの監視カメラしか設置していなかったことや、誰かがその地点を通過したことを知らせる防犯チャイムを――子供たちもその前をよく通過して、「たびたび鳴って煩(わずら)わしい」という理由で――スイッチを切ったままにしていたというのだから、お粗末なことこの上ない。そもそも、この小学校の関係者(教職員だけでなく、宇治市教育委員会等も含めて)の意識の低さに呆れると同時に、就学年齢の児童を持つ人の子の親としては、断じてこんな学校に大切な子供を預ける気はしない(註:筆者の子供たちは、従前から校門にガードマンを常時配置している学校に通学させており、保護者ですらアポなし入校は容易ではない。また、校門の前にはたいてい大阪府警のパトカーも停まってくれている)。多少、経済的負担は増しても、大切な子供の安全には代えがたいからである。たいていの学校は、一番奥まったところに職員室があるが、今後は、校門即職員室前という風にすれば、児童や不審人物の出入のチェックが容易にできるはずである。これなら、わざわざガードマンを雇わなくても済む。

そもそも、日本国内で、最も浮世離れしている存在というのが、公立の小中学校の現場であるということはいうまでもない。そのことへの不安を父母が体感するからこそ、不況下でも、これだけ学習塾産業が繁盛するのである。農業からハイテクに至るまで、日本の他の産業は皆、厳しい国際競争に晒され、不断の生産性向上努力を繰り返してきた。それでも、日本の労働者の給与水準が欧米先進諸国と比較しても高くなりすぎたことから生じたコスト当たりの生産性の低さを補正するために、ここ十数年、さまざまな形で生産設備の海外移転やリストラが行なわれているのに、ひとり小・中公立学校だけは、「少子化」という競争の圧力の低下(註:「児童数の減少」が直接経営に響く私立学校にとっては「競争圧力の上昇」であるが、「親方日の丸」の公立校にとっては、ただ単に「仕事量が減る」というだけのことである)に加えて、教職員のリストラを進めるどころか「30人学級の実現」などという世迷い言を吹聴して、教職員の数を増やしこそすれ、減らすことをしていない。

私が地元の公立小中学校で学んだ頃(1965〜73年)は、1クラス40名以上いた(私が通った私立高校に至っては、1クラス50名以上いた)が、その頃と比べて現在のほうが教育レベルが上がったか? あるいは、子供たちが社会生活を営む上でのマナーを学校生活を通して習得したか? といえば、答えは「ノー」である。教育レベルは低下するは、最低限のマナーの習得どころか学級崩壊にはなるは…。いくら一人の教職員が見る子供の数を減らしたところで、その教職員に意欲と能力がなければ同じことである。もし、めちゃめちゃ意欲と能力の高い教諭がいるならば、たとえ1クラスに100人の子供たちがいても、その子供たちは素晴らしい教育を受けられるであろうし、たとえ1クラスに10人しか子供がいなくても、教諭がどうしようもないバカなら、その子供たちは不幸である。文部科学省も馬鹿げた「ゆとり教育」などという空念仏や、日教組も「30人学級の実現」などというお題目を取り下げるべきである。この40年間、文部省や日教組がしてきたことがすべて裏目だったことは、現在の凋落した日本社会が証明しているではないか! 戦後、廃墟の中から日本の高度経済成長を担って行った人々は皆、(文部省や日教組が蛇蝎のごとく憎んだ)戦前の教育を受けてきた人々である。公立学校は、少子化が進む限り、教職員をどんどんリストラしてゆき、余剰人員は学校の警備員として再配置していゆけばよい。何事も学校の中という閉じられた空間の中で、世間では通用しない感覚で、物事を処理している異様な空間である。


▼日本の中の別世界

報道によると、この事件があった宇治小学校の所在地は、京都府宇治市五ケ庄三番割という変った地名であったが、「最近どこかで書いた覚えのある地名だ」と思いつつ、事件の様子を知らせるマスコミのヘリコプターからの映像を見て驚いた。件の小学校の周りは、すっかりと都市近郊住宅地化した地域(註:京都市中心部まで30分以内で通勤できる)ではあるが、小学校から200mほど離れた場所に、大きなお寺の伽藍が映っていた。この寺院は、江戸時代の初期(1661年)に明国(福建省)から渡ってきた隠元禅師(註:いうまでもなく、インゲン豆はこの禅僧が日本に伝えたものであるが、他にも、西瓜・蓮根・孟宗竹・木魚など、すっかり日本の風情の一部となっているものも隠元禅師による招聘物である)によって開山された(日本)黄檗宗(おうばくしゅう)の大本山である萬福寺という禅寺がある。

黄檗宗は、教義的には(日本)臨済宗とほぼ同じ(註:中国で発展した達磨大師に始まるといわれる禅宗の内、南宗禅は黄檗希運によって完成された。彼の高弟のひとりである臨済義玄が臨済宗の始祖となったが、平安末期に宋に留学した栄西によって、先に日本に伝えられたのはこの臨済宗であり、中国では「親」であった黄檗宗が隠元によって日本に伝えられたのは、逆に約450年後のことである)であるが、黄檗宗は中国から伝承された仏教、宗派の中では時期が最も新しいので、日本では通常、仏教の経典は漢字の音読みの中では、呉音で発音されることが多い。この黄檗宗だけは、諸事、明代の中国南部地域の読み方(唐音)で発音される点が、日本人一般には非常に違和感がある。

耳に聴えるお経の声だけでなく、萬福寺の境内の諸堂も、われわれが親しんでいる禅寺の「侘び寂び」の境地からは程遠い、ド派手な極彩色の柱壁や、独特の唐様のカーブした屋根など、異国情緒満点のお寺である。福建省の黄檗山萬福寺の住持(住職)であった隠元禅師は、日本からの再三の求めに応じて1654年に来日(註:当時の日本は鎖国をしていたが、明国とオランダだけには例外的に国を開いていた)し、修学院離宮や桂離宮の造営で有名な後水尾法皇や徳川幕府4代将軍家綱らの尊崇を得て、山城国宇治の地に大明帝国のそれと山号まで同じ黄檗山萬福寺を開山したのである。本論の冒頭に述べた「ポゼポロミトシンキン」とは、われわれが最もよく馴染んでいるお経のひとつ「般若波羅蜜多心経」の唐音読みだったのである。


NHK大阪ホールで開催された黄檗宗の音楽法要。画面右上方に巨大な木魚が見える

私はこの秋、NHK大阪ホールで行なわれた『国際永久平和祈念祭典』というイベント(音楽法要)に列席し、今年度の祭典(法要)の大導師を務めた仙石泰山管長老師以下、黄檗宗の僧侶による唐音読みの般若心経と芸術家とのアンサンブルを拝聴する機会に恵まれ、なんともいえないエキゾチシズムを感じることができた。そういえば、江戸時代中期の女流俳人である田上菊舎は、芭蕉の歩んだ「奥乃細道」の道順を逆コースで辿ったりした粋人であったが、彼女は、江戸・上方と生家のある九州との間を生涯に何度も旅行して、多くの作品を残したが、その中の最も有名な句が寛政2年(1790年)に、この宇治の黄檗山萬福寺を詣でた際に詠んだ「山門を 出れば日本ぞ 茶摘みうた」という句である。

旅行マニアであった菊舎が、鎖国政策のため海外へ出かけることが叶わなかった時代に、文字通り、日本では唯一とも言える唐様(註:建物だけでなく、僧侶の衣装やしぐさから読経の声まですべて明風)のお寺を訪れ、すっかり海外旅行気分を味わった後、その山門を一歩外へ出た途端、目の前には絵に描いたような日本的景色である「茜襷(あかねだすき)に菅(すげ)の傘」といった身なりで茶摘が行なわれている宇治の茶畑が飛び込んできたという場面を詠んだものであるが、その黄檗山萬福寺と今回の事件があった宇治小学校とは本当に目と鼻の先なのである。当時、菊舎が感じた、山門内の日本人の美意識にとっては極めてストレスを感じさせる異国情緒と、門外の長閑な田園風景との対比は、今日、公立の小学校という社会の常識からは隔絶された別世界と、その校門を一歩出れば、それを取り巻いている世界は、アノミー状況に陥ってしまったどうしようもない日本社会そのものであり、その現実との乖離(かいり)に為す術もない教育現場との対照感がこの忌わしい事件に見事に出ているとは、皆さんは思わなかったであろうか。

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