郵政暴れん坊将軍に一太刀を
 
05年08月23日


レルネット主幹 三宅善信

▼「一所懸命」と「改易」

  平安末期の荘園制の最盛期から鎌倉幕府による守護・地頭職の設置を経て、わが国では、古代律令制国家以来の名目上の「公地公民」制は完全に消滅した。代わって台頭した武家というものは、「一所懸命」という言葉が表すように、御家人たちが自らのいのちを懸けた絶えざる領地争いによって、その「所領」を実効支配することと、その「支配」に対して「(朝廷による承認とは別の)公的な正統性」を付与する権威として成立した「幕府」への「忠誠」によって成り立っていることはいうまでもない。したがって、武家への懲罰としては、ある武士個人の「切腹」よりも、その武士が命を懸けて代々継承してきた領地や屋敷を没収される「改易」のほうが、一族郎党が将来にわたって路頭に迷うことになるので、罪が重いと言える。

  令外の官の征夷大将軍を棟梁に頂く武家による軍事政権である幕府支配体制は、鎌倉幕府による確立期、室町幕府の変容期、そして、戦国時代を経て成立した江戸幕府によって完成した(幕藩体制)ことは言うまでもない。まず初めに、武家政権が最も長期間・広範囲にわたって安定していた江戸時代における「大名家の改易」について考えてみたい。

 「改易(取り潰し)」という言葉聞いて真っ先に思い浮かぶのは、五代将軍綱吉の時代に起こった播州赤穂5万石を知行地としていた外様の小藩主(註:浅野本家は現在の広島県全域にほぼ相当する安芸国と備後国の大半を領した外様の大大名であるであるが、播州赤穂藩はその一分家に過ぎない)浅野内匠頭長矩による殿中刃傷事件(いわゆる『忠臣蔵』のプロットになった出来事)の結果として幕府によって沙汰された赤穂浅野家の改易が最も有名であるが、江戸時代の間に改易されたのは、何も「外様大名」だけに限らず、例えば、三代将軍家光の実弟である駿河大納言徳川忠長のような将軍家に最も近い大名(将軍の実兄弟)から大久保忠隣や本多正純といった三河以来の譜代大名に至るまで、実に多くの大名家が改易されている。


▼徳川幕府は「改易」で喰っていた

  初代家康から幕府の諸制度が完成した五代綱吉に至るまで、治世の短かった四代家綱の29家を除くと、いずれの将軍もその治世下で40家以上の大名家を改易させている。天下統一によって、合戦による領地拡張が不可能となった徳川幕府の収入増は、ある意味、諸大名の改易によってもたらされたと言っても良いくらいである。まさに、「勝ち組」による弱者の食い潰し以外の何者でもない。五代将軍までの徳川幕府成立後百年間で、実に200家以上が改易されたのだから、「三百諸侯」と言われた諸大名家のほとんどは、この期間中一度は改易の危機に瀕していることになる。

また、「改易」までは行かなくとも、「転封(=国替え)」という処置によっても、長年その領地に根ざしてきた諸侯の勢力を弱める政策を幕府は採ってきた。最も有名な転封は、豊臣政権の「五大老」の一人として、徳川家康と対立し、関ヶ原の合戦で西軍に与した上杉景勝が、敗戦後、会津120万石から米沢30万石へと4分の1の石高へと格下げされたのをはじめ、二百数十年間の江戸時代を通じて絶え間なく行われた転封は、改易と共に徳川幕藩体制を維持するための最大の強権的手段であった。これらの「処分」がいかに巧妙に実施されたかは、たとえ幕府側の一方的な理不尽な処分であったとしても、たった一家として、これに抵抗して、幕府軍と一戦を交え、城を枕に討ち死にした大名家がないことからも窺われる。

  大名家が改易されるための表向きの主な理由は、以下の5つである。@幕府への敵対行為(無届けの築城・改築や武器弾薬の買い付け等)。A大名家同士の無届けの婚姻(敵対勢力同士の姻戚関係強化)。B無届けの養子縁組(家督相続者の決まらない内に藩主が急逝した際の末期養子を認めない)。Cお家騒動と乱心(後継者争い等の大名家内の内紛と藩主自身の不行状)。D藩内の統治能力の欠如(家臣団内の派閥抗争や領民の一揆等)

  しかし、大名家が改易される際に、公儀(幕府執行部)から沙汰されるこれらの理由付けは、あくまで「表向き」であって、たいていの場合は、幕府内での権力抗争の敗者の粛正であったり、将来「敵」になるかも知れない勢力への予防的先制攻撃であったりすることが本当の理由である場合が多い。



▼選挙区の住民のことなんか関心外の刺客候補たち

  さて、ここまで「改易」や「転封」という徳川幕府の諸大名統制政策を見てきて、読者の皆さんは何かお気づきになったことはないだろうか? 『主幹の主観』シリーズの愛読者の皆さんなら、言わずもがなであろう。今回(第44回)の衆議院議員総選挙における自民党小泉政権執行部によるいわゆる「造反」議員に対する事実上の議員身分の剥奪策である。先の通常国会における『郵政民営化法案』に反対票を投じた(もしくは、棄権・欠席した)自民党所属議員を今回の総選挙で公認せず、それどころか、「現職」(註:8月8日の「解散」によって、衆議院議員は全員職を失ったのだから、厳密には「前職」であるが、「新人」や「元職」と区別する意味で「現職」という言葉を用いた)の自民党所属議員に対して、自民党執行部がまったく別の人を立ててこれを公認し、長年にわたって衆議院議員として政権維持に貢献してきた功労者と戦わせ、「執行部の言うことを聞かない」現職議員の放逐を謀ったのである。

  視聴率が稼げる『小泉劇場政治』が大好きなマスコミは、これを「刺客」と呼んで囃し立てた。衆議院議員は「代議士」とも言われる如く、本来、歴史的風土や産業構造などのまったく異なる選挙区から選出されることによって、国民各層の多様なニーズ(民意)を汲み取るシステムになっているので、「小選挙区」という細分化された単位から国政に選ばれることになっている。だから、衆議院議員にとっては「地元との繋がり」が、参議院議員よりもいっそう大切なのである。

ところが、今回、自民党執行部が採用した「刺客」作戦は、公認候補者の多くが地元とはほとんど何の繋がりもない「パラシュート(落下傘)候補」ばかりである。仮に彼(女)らが当選した(結構、「有名人」が多く、選挙ではそれだけでも当選する可能性は高い)としても、果たして彼(女)らを地元からの「代議士」と呼ぶことができるであろうか? 選挙演説では、「この地に骨を埋めるつもりで…」と言ったとしても、おそらく彼(女)らの関心は、自分を空挺部隊(落下傘で適地へ突入する部隊=国会議員)に選んでくれた小泉執行部のほうばかり見て、おそらく「地元」のことなんかどうでも良いと思っていることであろう。落選したら、さっさと本拠地へ引き上げていくであろう。仮に、彼(女)らが当選したとしても、次回の総選挙で「今度は○○選挙区で刺客に立ってくれ」と執行部から指名されたら、平気でそちらへ移るであろうことは火を見るより明らかである。


▼「憲政の常道」を逸脱した昨今の日本とドイツ

そもそも、今回の総選挙に至ったプロセスからして、「憲政の常道」を逸脱している。もちろん、日本国憲法の規定によって「解散は内閣総理大臣の専権事項」(註:日本国憲法の定める「本来の解散」は、第69条にある「(衆議院で)内閣不信任案が可決された」場合の立法府に対する行政府側の対抗手段のひとつであって、第7条の3項にある「天皇の国事行為としての解散」を、「(天皇の国事行為は)何事も内閣の助言と承認の下において行わなければならない」のだから、「(当然、内閣の首班である)総理大臣が任意に解散を決定できる」はずである。との解釈が吉田茂政権以後、定着している)なのだから、法律的には、内閣総理大臣は、衆議院を「解散」することはいついかなる場合でも可能である。極端な場合、総選挙を終えて新しく選出された衆議院議員が初登院する特別国会の初日にすら解散することができる。

しかし、そんなことが「常識」では許されないのと同様、自らが提案した法案が、僅差とはいえ衆議院では可決されたのに、大差で参議院で否決されたからといって、可決してくれた衆議院を解散するのは、許される道理がない。内閣総辞職するのが“筋”というものだ。私が小泉総理の立場であれば、「いのちを懸けた郵政民営化法案」が廃案となった以上は、それに反対した野党第一党である民主党と協議して内閣を総辞職し、暫定的に岡田克也氏を首班に選出して、岡田首相による施政方針演説(当然、郵政民営化に対する岡田政権の施策を盛り込ませ)を行い、野党としての自民党総裁小泉純一郎が代表質問を行った時点で、解散(いわゆる「話し合い解散」)を断行し、主権者である国民に信を問うという形を取るであろう。

なぜなら、今回のような形で「国民に信を問う」という理由を付けて衆議院を解散し、たとえ総選挙で勝利したところで、前回これを否決した参議院の構成は一向に変化していないのだから、やはり参議院では否決されることになるであろう。もし、総理が「衆議院議員総選挙の結果が民意とイコールだ」というのなら、「参議院は無くても良い」と言っているのと同じで、「二院制」を規定した日本国憲法の精神にもとる。それとも、参議院で再度否決されたら、衆議院を再度解散するとでも、言うのであろうか? これは、明らかに「解散権の濫用」であって、この点では、亀井静香氏らの小泉総理批判は当を得ている。

同様に、ドイツのゲアハルト・シュレーダー首相が、求心力の低下を一挙に解消するため、「憲法」に当たる『ドイツ基本法』においては、本来、首相には解散権は付与されていないにもかかわらず、また、シュレーダー氏が率いる社会民主党(と連立を組む緑の党)が、連邦議会では多数派与党であるにもかかわらず、わざと与党に内閣信任案を連邦議会で否決させ、大統領に解散権を発動させるという挙に出たのである。というのも、野党陣営の選挙準備が整っていない(註:ドイツの首相には解散権がないため、連邦議会議員(=日本の衆議院議員に相当)の任期満了に伴う総選挙の日程は予め判っており、野党も十分に選挙準備ができる制度になっている)内に、自分たちだけが選挙準備して総選挙にうって出ればその分、有利だからである。しかし、この方法は、ナチの台頭を招いた『ワイマール憲法』下における政党政治の不安定化への反省のもとに、これを阻止するために規定された『ドイツ基本法』の首相選出の方法を骨抜きにするものにするものであり、「憲政の常道にもとる行為」であると言われても致し方ない。

この「憲政の常道にもとる手段」によるドイツの総選挙が、これまた「憲政の常道にもとる手段」によって実施されることになった日本の総選挙の翌週、つまり、9月18日に実施されるので、読者の皆さんも、日本の総選挙だけでなく、ドイツの総選挙の結果(それまでのプロセス)も注目していただきたい。日独という第二次世界大戦の敗戦国同士が、何百万人という尊い人命の犠牲と引き替えに獲得した平和と議会制民主主義(註:第二次大戦前の段階ですら、日本もドイツも共に議会制民主主義国家であった。その点が、現在に至るまで一度たりとも「議会制民主主義」が実施されたことがないような全体主義国家から批判される筋合いはないことは言うまでもない)の運営形態が「独裁政治」に陥らないようにするための方途が、戦後60年を経たこの夏、場合によっては、共に終焉を迎えようとしていることに警鐘を鳴らしたい。


▼11月にもう一度「総選挙」をしなければ…

さて、再び、日本の国内政治に話を戻そう。今回の「郵政民営化解散」とは、かような不条理な解散ではあったが、いったん衆議院が解散されてしまったからには、与野党の政治家たちは、何よりもまず、自らの身分保全のため、総選挙で再選されることが最重要課題となる。いかに正論を吐いたところで、国会議員の身分を失ってしまっては、議論の土俵へすら上がらせてもらえなくからである。しかして、内外共に重要課題山積の今の日本の状態を放っぽり出して、政治家のセンセイ方は、それぞれの選挙区へと散って行ったのである。しかも、その総選挙が、「今回の争点(テーマ)は郵政民営化(への賛否の)一本である」という小泉総理お得意の「シングルイシュー政治」(私は、この手法について、既に2004年7月に拙作『一言主神(ヒトコトヌシ)の末路は?』において厳しく批判している)への国民の白紙委任を求めるものであるというのだから、お粗末きわまりない。まさに「YesかNoかでお答え下さい」という安物のクイズ番組である。この点からも、テレビ局と小泉氏は頭の周波数が同じであることが見て取れる。

  もし、小泉自民党執行部が画策するように、今回の総選挙で「刺客」組が次々と勝利して、小泉政権が過半数を確保したら、「郵政民営化は国民の信を得た」と称して、選挙後早々の特別国会で、衆参共に承認を求めるであろう。その場合、当然、衆議院では、「郵政民営化賛成派が多数を占める(註:もともと多数であった)」であろうから、法案は通過するであろう。しかし、参議院が「良識の府」としての参議院の独自性を主張して、もう一度『郵政民営化法案』を否決したら、小泉総理は再び、衆議院を解散するのであろうか? もし、こうなったら、日本は“無政府状態”に陥るであろう。

また、もし、参議院が「良識の府」としての参議院の独自性を自ら放棄して「衆議院のカーボンコピー」と成り下がって、『郵政民営化法案』を可決するなら、小泉純一郎氏積年の悲願であった郵政民営化法は無事、成立の運びとなる。しかし、よく考えて欲しい。今回の衆議院議員総選挙を始めるに当たって、小泉総理は「今回の争点は郵政民営化一本である」と自ら宣ったのであるから、そのことを成し遂げた以上、今回の選挙で選ばれた「自民党公認」の代議士たちは、皆「御用済み」となるはずである。

なぜなら、本来、国会議員にとって大変重要な課題であるはずの外交・安全保障、年金改革、国内景気対策、教育改革、少子高齢化問題などの政治的諸課題での意見の一致・不一致を度外視して、ただ「郵政民営法案への賛否」だけをシングルイシューとして選出されたのだから、いずれにしても、もう一度、“解散”して、有権者に信を問うていただかなくては、主権者たる国民は、代議士たちに対して、特別国会以後の4年間次々と惹起して来るであろう諸問題への賛否に対して、まったくの「白紙委任状」を提出されられているのと同じことになるからである。


▼嘘ばかり付いてきた小泉政権の4年4カ月

  しかし、上記の両パターンとも、「まともな議会制民主主義国家」であれば、あってはならないことであろうから、それらの事態をもたらせた根本原因である今回の小泉総理による「解散権の濫用」そのものが、許されるべきものでないことは言を待たないであろう。おそらく、戦後4番目の長期政権となった小泉内閣は、4年4カ月も続いたにもかかわらず、北朝鮮の核武装阻止をめざす6カ国協議や拉致問題では、徒に歳月を費やしただけで、成果らしい成果を挙げることができず、また、日本外交長年の悲願であった「国連安保理常任理事国入り」についても、P5(現常任理事国)だけでなく、AU(アフリカ連合)等からも虚仮にされた(註:「日本の常任理事国入りを支援する」との甘い言葉に、ODAの増額ばかりさせられ、結局、AUは日独を含むG4の案を拒否。いわば「ODAの食い逃げ」をされた)。それらの外交的失政から国民の目を逸らすための解散であったのか?

さらには、戦後初めて「戦闘地域」であるイラクへ鳴り物入りで派遣した自衛隊も、一向に安定しない治安の中で、サマーワというイラク政治からみれば全くの辺境(つまり、国際的にも日本のプレゼンスが見えないということ)ですら、本来の復興支援業務もままならず、それどころか「撤退」の時期すら見失いつつある。1年延長した「イラク特措法」も、期限である12月に「撤退する」となれば、その準備に3カ月はかかるであろうから、早々に決断しなければならない時期に差し掛かっている。逆を言えば、この時期に「撤退」を決定していないということは、すなわち、12月にまた「再延長する」と言っているも同じことなのである。しかし、そのことは今回の総選挙でも一切、触れていない。

また、小泉氏は、自民党総裁就任時の“公約”であった「(ことの賛否は別として)8月15日の靖国神社参拝」すら、1度たりとも実行したことがないではないか…。「靖国神社へ参拝するのは(先の戦争に対する)日本の反省がなっていない証拠」と中国や韓国から、60年も前の失敗を未だに対日交渉を有利に行うための外交カードに使われ、それだけでも国益にとって十分マイナスなのに、ごまかした形で、なんとか年に1度の靖国参拝を実施しているにもかかわらず、肝心の「8月15日に参拝する」という公約を守らないことによって、靖国参拝賛成派からも「裏切り者」扱いされているのは、小泉総理の感覚の悪さの象徴である。

同じく、“公約”だったはずの「(財政再建をめざす小泉政権では)赤字国債の発行は30兆円以内に押さえる」という約束も、守れなくなった際の国会答弁では「(こんな公約、情勢が変わったのだから破ったって)たいしたことない」の一言で、あっさりと反故にしてしまったのである。そして、小泉政権4年4カ月の間に、財政再建どころか国の累積債務は、170兆円も増えてしまったではないか。そのくせ、「2010年代初頭には、単年度会計のプライマリーバランスを均衡させる」などと平気で言っている。仮に、お言葉どおり、単年度会計が黒字化したところで、それまでには1,000兆円に達するであろう気の遠くなるような国の累積債務をどうやって処理するつもりだろうか?


▼今度は、日本がテロの標的に

  このような宰相を戴いている日本国民は不幸である。というより、未だに小泉氏を選挙で勝たそうとしている「日本国民はバカである」といったほうが適切かも知れない。2年半前、私は拙作『桃太郎バグダッドへ征く』で指摘したように、ブッシュ=ブレアのアングロサクソン“血の同盟”の尻馬に乗ってイラクへ派兵したスペインのアスナール政権は、同国の総選挙三日前に起きたマドリッド同時多発列車爆破テロ事件で吹っ飛び、イラクからの即時撤退と外交政策の方向転換を余儀なくさせられたが、今回の日本総選挙は、これまたアルカイダをはじめとするイスラム原理主義テロ集団をおちょくってか、よりによって「9.11」に実施するという念の入れようである。本年7月のG8サミット開催に合わせて起きたロンドンでの地下鉄同時爆破事件もあったのだから、アルカイダからすれば、これまで一度たりともテロの標的にしてこなかった(それだけに、インパクトが強い)日本こそが最も狙いやすいテロの対象である。

私は既に1年9カ月前に、レルネットの掲示板においても、具体的ターゲットの施設を挙げて警告したように、もし、こんなことで日本国民に犠牲者が出るようなことがあれば、小泉政権はどういう責任を執るつもりであろうか? まあ「劇場政治家」の小泉首相のことだから、犠牲者の元を尋ねて涙を見せた後、テレビの会見を通じて、真顔で「日本はテロに屈しない。断固テロと戦う!」などと宣うのであろう。当の本人は、すっかり「9.11」直後のジョージ・W・ブッシュ大統領気取りで…。直接、危険に曝される一般国民にとっては迷惑以外の何者でもない。もし、本気で「断固テロと戦う」のであれば、何故、北朝鮮の拉致問題を本気で解決しようとしない。はじめから“ポーズ”に決まっているからである。あれこそ、日本の主権が侵されたハッキリとした国家テロではないか!


▼「郵政暴れん坊将軍」にせめて一太刀を!

  自民党本部の“マニフェスト”によると、「郵政改革さえ成れば、財政再建はもとより、少子高齢化問題から、外交安保に至るまで、すべての問題が解決される」というバラ色の“公約”が記されているが、果たしてそんなこと本気で思っている政治家がいるであろうか? それとも、長年、公明党と連立を組んできたせいで、「“郵政民営化”という有り難い“お題目”を唱えておりさえすれば、そのご利益ですべての難問はたちどころに解決する」という、あたかも“信仰”に似た境地に自民党執行部が達しているとしたら、かなり重症である。

しかしながら、実際、今回の「郵政解散→総選挙」という流れを見ていると、良くも悪くもこれまでの自民党の党風(註:「足して2で割る」という融通無碍なキメラ的党風が、長期にわたって自民党政権を継続させる原動力となった)であった“多様性”を放棄し、「郵政民営化」という執行部の信奉する教条への宗旨替えを迫る“折伏”に応じなかった「造反議員」へ“刺客”を差し向けてまでこの抹殺を謀るという極めて宗教原理主義的な政党へと変質してしまったのである。

  よくよく考えてみれば、江戸時代を通じて「三百諸侯」と呼ばれたように、全国各地に、その地域の人々と風土に根付いた藩(大名)が300カ所あったのであるが、その数というのは、現在の小選挙区選出の衆議院議員の定数(300 議席)と同じである。もちろん、藩の規模の大小はあったけれど、実際に「平均的な規模の藩」というのは、だいたい現在の一小選挙区と同じ規模であったと考えれば、江戸時代の「藩」や「大名」のイメージが掴み安いであろう。しかも、徳川幕府という強力な中央集権的政府の命令によって、全国の諸大名は参勤交代によって江戸への参府を余儀なくされた。

よって、江戸城中における諸大名の駆け引きというのは、まさに、現在の国会における議員の政治活動とその規模の点からは類似性があると言える。江戸城の「松の廊下」は、国会議事堂の「赤絨毯」である。因みに、「世襲議員」が多いのも頷ける。それぞれの地方(諸藩)の土着的な利権と一体化した勢力が、継続的に中央政府との交渉を進めていこうとするのならば、コネの効く「知った顔」が継続的にコミットしたほうが効率が良いに決まっているからだ。

  ところが、今回の小泉政権による解散・総選挙は、それまでの代議士の地域的実情や歴史的経緯を一切無視して、自分の言うことを聞かない政治家たちには、自民党として公認しないどころか、「刺客」を差し向けて積極的に落選するように謀り、あるいは、全然その地域の実情や経緯とは関係のない「パラシュート候補」を擁立することによって、執行部のほうにばかり顔を向ける代議士を創り出そうとしている行為は、まさに、「改易」と「国替え」によって、三百諸侯を統治しようとした徳川幕府の封建的手法と相通じるものがあるとはいえないだろうか。その意味でも、今、日本が、徳川幕藩体制確立にも匹敵する大きな政治的曲がり角に来ていることを大いに自覚すべきである。果たして、現在の「松の廊下」で「郵政暴れん坊将軍」に一太刀浴びせる勇気ある国会議員が出てこないものかと、心待ちにしているのは私だけではないであろう。

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