国際首脳弾劾所の創設を
 
 05年12月14日



レルネット主幹 三宅善信


▼フセイン大統領捕縛2周年

  世の中の移り変わりが早すぎるのか、あるいは、あまりにもわが目を疑うような事件が多すぎるのか、われわれはつい、マスコミの煽動に乗せられて、出来事のタイムラインを追いかけるだけで精一杯で、物事の本質をじっくり考察したり、そのことの歴史的な意味づけに付いてまでよく考えてみるようなことをしない日々が繰り返されているような気がする。当『主幹の主観』シリーズでは、できるだけ古今東西の出来事を織り交ぜて、違った角度から光を当てて、それぞれの「事件」をもう一度、再評価するように務めているつもりである。

  今から、ちょうど2年前の2003年12月14日、アメリカのイラク占領軍の広報官が、その記者会見の冒頭「Ladies and Gentlemen」といつになく改まった口調で、取材記者たちの注意を喚起した後、「We got him! (奴を捕まえた!)」と同年4月のバグダッド陥落以来、イラク国内を点々と身を潜めていたサダム・フセイン大統領の身柄を拘束した旨をインパクト強く、一言で公表した際のことを昨日のことのように思い出す。日付だけでなく、狭いところから引きずり出された様からして、まるで『忠臣蔵』の吉良邸討ち入りである。

  その際に、米軍から公表された映像は、頭髪や髭は伸び放題(変装しているのだから当然)の逃亡生活にやつれたフセイン大統領の姿と、あれほど威勢の良かった独裁者が、米軍の医務官と思われる人物の指示に従って、無抵抗に口内の検査を受けているシーンであって、バグダッド陥落後も、イラク(あるいは近隣諸国)のどこかに身を隠しながらも再起を期して反米レジスタンス活動の指揮をしていると思っていた一部イラク国民にも、「フセイン時代は二度と戻ってこない」と確信させるに十分な映像であった。もちろん、その映像の真贋(註:たとえ、個別の場面は事実映像であったとしても、順序を変えたり繋ぎ合わせたりする編集的手法によって、いくらでも「見せ方」を工夫することはできる)については何とも言い難いが、ともかくアメリカの狙いは一応、成功したかに見えた。


情けないフセイン大統領の姿

この時点で、ブッシュ大統領による「勝利宣言」とも言える『大規模戦闘終結宣言』後、7カ月続いた占領軍に対する小規模な抵抗や自爆テロが収まるかに見えたが、事実は、その全く逆で、フセインという「重石」が取れたことによって、それまで、イラク国内で抑圧されてきた様々な勢力(宗教政略や南北の少数派など)が、その主張を公然とするようになってきたのである。その後の占領軍の死傷者数は、戦争中よりも遙かに多いことは言うまでもない。


▼あなたはフセイン裁判を見て何も感じないか?

 「サダム・フセイン大統領捕縛」から、1年半の長きにわたり、フセイン氏が米軍の管理下でどのような扱いを受けてきたのかは知らないが、アメリカの支援によって設立されようとしているイラクの新政府にとって最も都合の良い時期(つまり、第1回総選挙の直前)を選んで、サダム・フセイン氏を裁くための特別法廷が始まった。事実上の裁判の指揮権を握り、公判の中継映像ですら自分に都合の良いようにいかようにも自由に編集できるアメリカ側に極めて都合の良い「フセイン特別法廷」の映像の中ですら、この裁判が極めて不公平なものかは明白である。


四面楚歌の法廷でひとり奮闘する
フセイン氏

  一例を挙げてみよう。検察側の証人には、分厚い資料の持ち込みが認められているのにもかかわらず、フセイン氏にはメモを取る用紙の持ち込みすら認められていない。長時間の裁判過程において、誰が何と発言したかは重要な要素であるが、検察側の質問に対して、前回と一言一句でも違う答えを言ったら、それだけで糾弾しようと言う意図が見え見えであるが、人間の記憶力はそれほど正確なものではない。そのために、メモという手段があるのだが、それを奪われているだけでも、フセイン氏にとっては極めて不利である。しかし、フセイン氏は、その手続き上の不平等を自らの手のひらに書き記したメモを見せるという見事なパフォーマンスによって、世界中の良識ある人々に対して訴えたのである。


公平な裁判が行われたら
フセイン氏が勝訴する?

  それ以外にも、今回のアメリカ主導(もちろん、公式には「イラク国民」が裁いていることになっているが…)の「裁判」に名を借りた「勝者の敗者に対する復讐劇」は、人権を無視する法手続的にはまことにお粗末なものである。民主主義や人権を声高に標榜する者は、例えその“敵”に対しても、民主主義や人権に配慮した扱いをしないと、自分たちの標榜する理念が薄っぺらいものになってしまうということを肝に銘じていただきたい。


▼だとすると、「東京裁判」はどうだったのか?

  だとすると、現在よりも遙かに人権意識が低かった、しかも、テレビやインターネットもなかった60年前の東京裁判(極東国際軍事裁判: International Military Tribunal for the Far East)なる裁判が、いったいいかなる仕儀によってなされたのかは、論じるまでもないであろう。どのような理屈を付けようとも、その根幹にあるものは、「勝者の敗者に対する復讐劇」以外の何者でもなかったことは明白である。日本政府は「無条件降伏」したのだから、何を言われようとも反論する余地はなかったとしても、東条英機氏をはじめとする「戦争犯罪人」たちにも、ひとりひとりに「人権」があって、それは、その人物の民族・国籍・宗教・社会的地位の差に関係なく、公正に裁かれる権利があったはずである。逆を言うと、その手続きを正当に踏んでいないような裁判は、たとえその被告が犯罪者であったとしても、「無罪」になることは言うまでもない。

  しかし、現実はそうではなかった。1945年8月15日(註:降伏文書に調印したのは、9月2日であるが、一般に「終戦の日」と認識されているのはこの日。詳しい説明は、『今こそ「和魂」を取り戻せ』をご一読いただきたい。)の「大日本帝国の敗戦」という事実が何よりも優先して、そこから逆算して、1941年12月8日の「真珠湾攻撃」以前のことまで裁こうというのだから、そちらのほうこそ法手続的には野蛮きわまりない。もっと、気の毒なのは、たまたま戦争末期に、日本の占領下であった大東亜の各地で、直接戦闘行為の指揮をしていたというよりは、捕虜収容所の監督をしていたり、軍医をしていたりしていた人々が、934名も“BC級戦犯”という濡れ衣を着せられて、処刑されたことである。彼らのほとんどは、戦争の指導(意志決定)をしたのではなく、ただ、上官の命令に従っただけである。どこの国の軍隊でも、上官の命令には従わなければならないことになっているはずである。戦後に、それを後付裁かれたのでは、軍隊という組織が成り立たなくなる。


▼日本の将来の発展を呪う儀式でもあった

  東京裁判に関しては、これまでにも多くの人が言説を展開してきたので、私が何か付け加えるまでもないが、ただひとつだけ言うとしたら、「勝者の敗者への復讐劇」ということに加えて、日本国の再生阻害のための呪符でもあるという点である。戦犯法廷を設置するための「極東国際軍事裁判所条例」に基づき、東条英機氏らが起訴されたのが、なんと1946年4月29日であった。言うまでもなく、当時の天長節(昭和天皇の誕生日)である。1946年1月1日の『新日本建設に関する詔書』(いわゆる『人間宣言』)にある(「…朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ…」)ように、常に国民と共にあって、敗戦の痛手から一生懸命に復興しようとしている国民を励ますために、同年2月19日から始まった「国内巡行」に出られた昭和天皇の誕生日を心から祝えないようにしているのである。

  それが単なる偶然ではないことは、あろうことか「死刑」とされた7名の絞首刑が執行されたのは、1948年の12月23日のことであった。この日は、いうまでもなく、当時の皇太子であった明仁親王、つまり、今上天皇の誕生日である。だから、昭和の御代が終わっても、それ以後数十年にわたって、日本の天皇が自らの誕生日を素直に祝えないように呪いを懸けているとしか言いようがないのである。天皇誕生日の皇居へ参賀に集って日の丸の小旗を振っている国民の中に、この史実を認識している人が何人いるだろうか? また、皇居宮殿の長和殿のベランダで国民の祝意ににこやかに手を振って応えられている天皇陛下の胸中に去来するものはなんだろうか…。


国民の祝意にお応えになられる両陛下


▼ブッシュ大統領を戦犯として逮捕することができるか?

  さて、フセイン裁判に話題は戻る。なぜ、21世紀の現在でも、60年前に行われたかくも野蛮な「裁判に名を借りた復讐劇」が繰り返されるのか? 答えは簡単である。「勝者が敗者を裁く」以外に、戦争犯罪を裁く方法が担保されていないからである。この方法だと、裁判結果を執行することは容易でも、その判決が“正義”とは無縁なものになってしまう可能性がある。仮に、何も悪いことをしていない小国と、悪意満々の大国が戦争したとしたら、悪意満々の大国が勝ってしまうだろう。そして、何の罪もない小国の指導者が「戦争犯罪人」として処刑されてしまうということが十分起こりうる。例えば、唯一の超大国であるアメリカのブッシュ大統領が、戦争犯罪を行ったとしても(私は、今回のイラク戦争はジョージ・W・ブッシュ氏による戦争犯罪だと思っている)、ブッシュ氏は、世界最強の軍隊を持つ国の最高司令官なのだから、実際に彼を捕縛することは不可能である。警察や軍隊を差し向けても、悉く返り討ちに合うであろう。

  この辺りの事情が、アラブ諸国や世界各地のゲリラたちが潜在的に抱いている不満である。この不満を解消しない限り、正規軍同士による正面装備の衝突という勝ち目のない手段ではなく、爆弾や暗殺といった「部分的勝利」をめざすテロ攻撃がなくなることはない。これが最も、一般市民が巻き込まれる可能性が高いので、「戦闘地域」における正規軍同士の戦争より、よほど質(たち)が悪いことになる。

  筆者はもちろん、ユーゴスラビアの内戦の事後処理を教訓に、少しでも戦争裁判の「正統性」を担保しようとして、2002年7月にオランダのハーグ設置された国際刑事裁判所(International Criminal Court)の存在を知らないわけではない。それどころか、日頃行っている国際NGO活動を通じて、本条約の制定のために1990年代の後半からかなり支援活動を行ってもきた。しかし、このICCで十分だとは、思っていない。これはあくまでも、本格的な戦争犯罪者を裁くための国際機構設立までの経過措置だと思っている。


▼国際首脳弾劾所とは?

  そこで、筆者が提案する国際システムは、「国際首脳弾劾所」である。問題は、戦争の“事後処理”として、戦犯法廷が開かれることにある。これでは、いつまで経っても、「勝者が敗者を裁く」という弊害を乗り越えることはできない。ところが、筆者が提案する「国際首脳弾劾所」のシステムは、これまでのものとは全く異なるラディカルなシステムである。それは、以下のようなプロセスを経る。

すなわち、いかなる国家であっても、彼もしくは彼女(ここでは、仮にMr. Aと呼ぶ)が、一国の首脳(大統領とか首相等)に就任したその日から、Mr. Aは、この国際首脳弾劾所の被告としてその名前を登記されるのである。そして、専門の「検察官」がMr. Aの行状をその日から、詳細に記録し、一両年の内に詳細な報告書を作成し(もちろん、その後も次々とアップデートされる)、国際社会と当該国の国民に対して、そのレポートを公開するのである。そこで、もしMr. Aの行動に(戦争犯罪に相当するような)良からぬことがあったとすれば、その国民が次回の選挙で良識を発揮して、そのMr. Aを大統領あるいは首相(議院内閣制の場合は与党)を再選させなければよいのである。これで、戦争犯罪に当たる行為は、不公平な事後処理ではなく、事前もしくはon goingの段階である程度歯止めをかけることができるはずである。もし、国際首脳弾劾所からの警告にもかかわらず、当該国の国民がMr. Aを引き続き、その国の首脳に再選させたとしたら、今度は、その戦争責任は、その当該国の国民にもあることになる。

  もちろん、この制度が機能するためには、当該国の民主主義が成熟していることと、国際首脳弾劾所の権威が国際的に信頼を得ていることが必要である。当該国の民主主義が成熟していれば、国際社会からの警告を国内の政治情勢の変革へと結びつけることができるであろう。もちろん、そうでない国は実際の戦争まで突入して、国民は辛酸をなめることになるが、国民の生命財産という高い授業料を払って、より改善されることになるであろう。国際首脳弾劾所の権威が国際的に信頼を得ているかどうかという問題については、弾劾所が数十年間「公正できちっとした仕事」が続けられたら、それなりの評価と権威を獲得することができるであろう。

例えば、百年の歴史を持つノーベル賞なんか、たとえ受賞した科学者が、それまで当該国内ではあまり知られていなかった人物であったとしても、ノーベル賞を受賞したその日から、すっかり世間の見る目が変わってしまうように、そのうち、国際首脳弾劾所からネガティブな評価を受けた政治家は、当該国の選挙で勝てなくなるようになるであろう。これなら、強大な軍事力を持ったアメリカのような国の首脳をも間接的に裁く(選挙で落選させる)ということができるし、戦争の勝ち負けではなくて、もっと公正な点から、Mr. Aの行状を評価することができる。当然、この制度が確立してきたら、各国の首脳もだんだんと、国際首脳弾劾所からの歴史的評価を気にして、政権運営に当たるようになるであろう。数十年を長いと見るか短いと見るかは、60年前の東京裁判から今回のフセイン裁判までの進歩のなさを斟酌すれば、世界人類のために払えるコストだと思う。


戻る