イラク戦争解決の鍵はイスラエルにあり
06年11月28日



レルネット主幹 三宅善信


▼太平洋戦争を超えたイラク戦争

  2003年3月20日(現地時間)に始まったイラク戦争は、2006年11月26日で、アメリカが太平洋戦争(1941年12月7日〜1945年8月15日)に参戦した1,348日を超えた。日本ではあまり報道されなかったが、この日、アメリカのメディアはこの話題で持ちきりだった。アメリカ人にとっては、太平洋戦争の期間である3年8カ月が、戦争の成否を判断する大きな基準となっているようだ。

全体主義と民主主義という国家のアイデンティティを懸けて、列強の一角であった日独伊三国相手に全面戦争を戦った第二次世界大戦の期間(註:三国の内、最後まで「抵抗した」のは日本なので、太平洋戦争の終結=第二次大戦の終結)ですら、3年8カ月で片が付いたのに、中東の一途上国に過ぎないイラク相手にそれ以上の期間にわたって決着が付けられないのは、アメリカにとってその戦争の「何かが間違っていた?」と考える人が過半数を占めるようになるのも当然と言えば当然のことである。

  そう言えば、8年5カ月にもわたって戦ったのに、実質は“敗戦”であったベトナム戦争しかり、開戦から5年1カ月を経て決着の付いていないアフガンの“対テロ戦争”しかり、アメリカにとって3年8カ月を超える戦争は、すべて「失敗した戦争」であったと言える。そのことをアメリカ国民は敏感に感じ始めている。11月7日に実施された中間選挙での上下両院におけるブッシュ政権与党の共和党の敗北は、そのことを示しているし、最近では、アメリカのメディアが、これまで決して使おうとしなかった「Civil War(内戦)」状態という言葉を公然と使用するようになってきた。自衛隊のイラク派遣に関して、「(戦争のできない自衛隊がそこに居る以上、そこは)非戦闘地域(である)」という空虚な答弁を繰り返し続けた小泉政権の欺瞞は明らかである。自衛隊員は、たまたま運良くテロ攻撃の犠牲にならなかっただけである。


▼非対称戦争には「終戦」がない

  それではなぜ、世界最強の軍事力(正面装備)を誇るアメリカが、ろくな武器もないアフガニスタンやイラクでの戦争でこれほどまでに「手間取る」ことになったのであろうか? 答えは簡単である。日本やドイツを相手に戦った戦争は、国際的に承認された「独立主権国家」が相手であったが、今回の戦争の相手はテロリストや宗教勢力や部族勢力などといったいわば「非政府組織(NGO)」だからである。つまり、国権の発動たる“戦争”という手段ではなく、犯罪者集団に対する“取り締まり”という手段で対応すべきであったのである。

ところが、2001年秋の「9.11(米国中枢同時テロ)」事件に対して、ブッシュ大統領が「これはテロとの戦争である」という言葉を使ってしまい、事実、1カ月も経たないうちに、その“首謀者”とされるオサマ・ビン・ラディン氏率いるアルカイダを匿ったというかどで、アフガニスタンのタリバン政権に対して“戦争”をしかけてしまったのである。当然のことながら、圧倒的な軍事力を誇る米軍は、あっという間に制空権を確保し、タリバン勢力をアフガニスタンの政権から駆逐したが、アメリカの傀儡政権たるカイザル政権がアフガニスタンを完全に実効支配できているかといえば、実際には、答えは「ノー」である。各地に武装勢力が群雄割拠する1979年末にソ連が侵入し、傀儡政権を立てた後のアフガニスタンと同じ状態になっただけである。

ブッシュ政権は、ソ連のアフガン侵攻失敗からも、自らのアフガン侵攻失敗からも何も学ばずに、「フセイン政権さえ打倒すればイラク人は言うことを聞く」と思って、イラク戦争を始めてしまったのである。しかし、実際に米軍が戦うはめになってしまったのは、サダム・フセイン大統領に忠誠を誓った共和国防衛隊ではなく、シーア派やスンニ派といった宗教勢力や各地に割拠する部族の連中だったのである。彼らはもとより「イラク共和国軍」という意識なんぞ微塵もない。あるのは、この混乱に乗じて「自分たちの勢力の支配権力をいかに伸張させるか」の一点だけである。つまり、アメリカは「独立主権国家」の政府を相手に“戦争”をしていたと勘違いしていたのである。

こういう戦争のことを「非対称戦争」と呼ぶ。「非対称戦争」とは、宣戦の布告もなければ、終戦のための講和会議もない、したがって、「戦争のためのルールブック」とも言える戦時国際法としての傷病者および捕虜の待遇改善等について規定した『ジュネーブ条約』に拘束されない“戦争”ということになってしまう。対フセイン政権戦争としてのイラク戦争は、3月19日の開戦から42日後の5月1日には、20万人以上の米軍が投入されたにもかかわらず、犠牲者数はわずか136名という最小限の人的被害をもってブッシュ大統領による「大規模戦闘終結宣言」が出されたが、その後の「小規模戦闘」において、すでに2,000名以上の米兵が“戦死”していることは誰もが知っている事実である。


▼自由で民主的な国家には、自助努力によってしかなれない

  アメリカを盟主とする有志連合軍は、イラク政府と「講和条約」を結んだどころか、「停戦協定」すら結んでいない。つまり、この戦争は、アメリカがイラクを実効支配していたフセイン政権(註:もちろん、イラク国民の選挙によって選ばれた正統な政権。サウジアラビアをはじめとする他の湾岸諸国は皆、選挙すら行われない圧政国家であることを読者の皆さんは忘れてはならない)というイラク国民によって選ばれた政権に対して武力介入という手段で行ったクーデターであるとも言える。これらの「戦争の正統性」への疑問に答えるためにも、アメリカはイラクの傀儡政権と「講和条約」を結ぶべきであるのに、これを結ぼうとしないのは、いったん講和条約を締結して“戦争”状態が終結してしまったら、占領軍としてイラク国内で国内法を無視して軍事行動を行っている米兵の行為(例えば、捜査令状なしの強制捜査とか、反抗するものへの銃撃等)が、すべて「警察マター」になってしまい、米兵の行動が大幅に規制されてしまうからである。逆に“戦争”状態であれば、米軍に刃向かう者を撃ち殺しても誰も文句は言えない。アメリカは、この一点を確保するために、実に多くのものを犠牲にしてしまった。

  アメリカは、独裁者であるサダム・フセイン氏を排除し、「自由で民主的な」憲法をイラク国民に与えてやりさえすれば、自動的にイラクは「自由で民主的な」国家になると思っているのであろうか? そんなことが不可能なことは、周囲の湾岸諸国の実態を見れば判りそうなものであるのに…。それとも、太平洋戦争で日本に勝利し、東条英機氏らを排除し、「自由で民主的な」憲法を日本国民に与えたら、それだけで日本人がアメリカに刃向かわない「自由で民主的な」国民になったとでも思っているのであろうか? 日本が「自由で民主的な」国家になれたのは、日本が元々「自由で民主的な」国家だったからである。

世界の諸地域で“近代”を迎えたときに、その民族の自らの努力(註:多くの場合、「市民革命」という形の内戦を経て、人民の血を流した犠牲の上に、近代国民国家が成立した)によってのみ、「自由で民主的な」近代国民国家になれるのであって、逆に、例えば、自助努力の足らなかった日本周辺の前近代的な専制国家がいち早く近代化した大日本帝国によって植民地化され、その後、それらの国々が大日本帝国の対米戦争の敗戦によって結果的に“解放”されたようなケースにおいては、それらの国々は、一見「民主化」されているように見えても、実は、その民族自らの努力による内戦の試練を乗り越えていないので、なかなか「自由で民主的な」国家になれないのと同じ理屈である。

▼パレスチナ問題を放置したのがテロの原因

  さらに、中東地域の地政学において、アメリカは大きな勘違いをしている。ブッシュ政権はこれまで、アフガニスタンの問題やイラクの問題と「パレスチナの問題(イスラエルvsパレスチナ)」を別物として取り扱ってきたが、実はこれこそが最大の間違いである。イスラム諸国の反米勢力は、常に「パレスチナの問題」を対米攻勢の際の自己正当化に使うのである。いわゆる「アラブの大義」というやつである。曰く、「可哀想なパレスチナの民衆がイスラエルによって人権を蹂躙されている。しかも、世界の超大国たるアメリカはこれを押さえようとしないどころか、見て見ぬふり、場合によっては支援すらしているではないか! 義に篤いイスラム教徒は、これらの現状を放置しておいて良いものであろうか? さぁ剣を取ってジハードに参加しよう!」といういのである。民衆の前で、このように呼びかけられたら「そうではない」とか「勝ち目はないから止めておこう」と正面切って反論できる政治家は、アラブ社会にはいないであろう。

  つまり、1970年代後半のカーター政権や1990年代のクリントン政権の時代は、アメリカは、良くも悪くも、「パレスチナ問題」に真剣に取り組んできたのである。カーター大統領の仲介のもと、1978年9月にイスラエルのベギン首相とエジプトのサダト大統領の間で行われた『キャンプデービッド合意』や、クリントン大統領仲介のもと、1990年7月にイスラエルのバラク首相とPLOのアラファト議長の間で合意直前まで進んだ『キャンプデービッド会談』といったような努力が、ブッシュ政権下では一切なされなかったことが、民衆から熱狂的に支持されたイスラム原理主義者たちの暴挙を正当化させ、アラブの穏健派指導者たちにまで、原理主義テロリストたちを取り締まることを躊躇させる結果を招いたのである。


▼招かれざる客イスラエルの勝手な参戦

  それどころか、ブッシュ政権は、「対テロ戦争」というパンドラの箱を開けてしまうことによって、イスラエルの「対テロ戦争」への勝手な参加を許してしまった。「9.11」以後のアメリカは、「相手を“テロリスト”と決めつけさえすれば、アメリカへの脅威を排除するために、宣戦布告もなしに相手に対して“先制攻撃”をしても良い」という勝手な理屈を立てて、これをタリバン政権にも、フセイン政権にも適用して攻撃して撃破したのである。当然、パレスチナのハマスや、レバノンのヒズボラ、シリアのアサド政権を“テロリスト”と見なしているイスラエルにとっては願っても叶ったりである。

事実、この数年間、シャロン政権下のイスラエルは、ハマスのメンバーを中心にパレスチナの指導者個人の住宅や彼らが潜んでいると考える施設(たとえそこがモスクであったとしても)に対して軍用ヘリからミサイル攻撃を加え、建物ごと破壊し、多くの婦女子に犠牲を出してきた。また、この夏には、シャロン首相の跡を継いだオルメルト政権が、イスラエル兵2名を拉致したとされるヒズボラを叩くために、レバノンに侵攻してヒズボラとは無関係な多くのレバノン市民を犠牲にした。これらは、ある意味、世界の安全保障に大きな責任を持つアメリカの自分勝手な行動がもたらせた帰結であり、これには、アラブの穏健派だけでなく、欧州各国もイスラエルの暴挙とそれを止めさせようとしないアメリカの無責任な態度に対して公然と批判を行った。

  また、本年1月末に行われたパレスチナ自治政府の選挙(もちろん、人民の自由意志に基づく公正な選挙。EU等の選挙監視団も公正な選挙であったことを認めている)において、パレスチナ人民から圧倒的な支持を受けて選挙に圧勝したハマスを中心としたパレスチナ自治政府に対して、アメリカとイスラエルはこの選挙結果を認めようとはしなかったことは、ますますテロリストたちに正当化の口実を与えてしまった。「たとえ、人民の人民による“自由で民主的な”選挙で選ばれた政府であったとしても、イスラエルやアメリカにとって都合の悪い政府であれば、これを承認しなくても良い(=生存権を認めなくてもよい)」のであれば、相互主義の原則からして、「われわれ(イスラム原理主義勢力)も、イスラエルやアメリカの生存権を認めなくてもよい」という理屈になるからである。

  ところが、アメリカにおける報道は極端に偏っている。確かに、わずか360km2(佐賀市と同じくらいの面積)ガザ地区に140万のパレスチナ人が肩を寄せ合って暮らしているが、イスラエル兵によって、この地域の住民が婦女子を含む9,200人も連行されていっているのに、アメリカではこの事実はほとんどメディアでは報じられずに、わずか1名のイスラエル兵がガザ地区に連れ去られたことばかりを報じている。そして、公の場でこういうこと言うと、「あなたはテロリストの肩を持つのか?」と咎められる。アメリカの民主主義も地に堕ちた感がある。


▼アメリカの良識はいつ発揮される?

  しかし、アメリカにも良識を持つ指導者がいる。それはジミー・カーター元大統領である。普通、退任したアメリカ合衆国の元大統領と言えば、高額の契約金で「回顧録」
を出版して、悠々自適の年金生活を送るのが常であるが、この人は、その値打ちは、大統領を退任してからのほうが上がった数少ないアメリカ合衆国大統領である。その選挙監視活動や平和維持活動や人権拡大への努力が評価されて2002年にノーベル平和賞を受賞したのでご存じと思う。

三宅家はカーターとの親交が深く、私もこれまで10回近くカーター氏と会談をしたことがあるが、本日、BS放送でアメリカのPBSの看板番組『News Hour』を見ていたら、久しぶりに御年82歳のカーター氏がゲストとして登場しており、十数分間にわたる司会者との見応えあるやり取りを聞き入ってしまった。関心のある人は、上記のURLをクリックしたら、当日放送された内容を読むことができるので、是非、聞いていただきたい。

司会者のJudy Woodruffは、視聴者を代表して、典型的なアメリカ人が中東問題について抱くスタンスでカーター氏に切り込んでいったが、カーター氏は「アメリカの報道がいかに偏っているか」を実例を挙げて示し、完全に泥沼化(ブッシュ政権を後押ししているはずのメディアでさえ、すでに「内戦」という言葉を使い始めている)してしまったイラクやアフガニスタンにおける戦争に終止符を打つためには、イスラム原理主義勢力にアメリカ攻撃の口実を与えないようにするためにも、「アメリカが積極的にパレスチナ問題にコミットしてゆくべきである」との見解を、カーター氏自身21冊目の出版となる新著『Palestine: Peace Not Apartheid』(仮題「パレスチナ:アパルトヘイトではなくて平和を」)を紹介しながら熱弁した。日本においても、このような広い観点から国際問題を見ることができる政治家がひとりでも多く出てほしいものだと思う。アメリカでは、先の中間選挙で上下両院とも民主党が勝利したことで、完全に“流れ”が変わりつつある。果たして、わが国はいかに…?

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