プルシェンコと500系の運命   

 10年02月28日



レルネット主幹 三宅善信  


▼4回転なき金メダルは妥当か?

  注目されていたバンクーバー冬季オリンピックのフィギュアスケート競技は、男子がアメリカのエバン・ライサチェク選手が金メダル、ロシアのエフゲニー・プルシェンコ選手が銀メダル、日本の高橋大輔選手が銅メダル。女子は、韓国のキム・ヨナ選手が金メダル、日本の浅田真央選手が銀メダル、カナダのジョアニー・ロシェット選手が銅メダルとなった。その他の日本選手も、男子の織田信成選手が7位、小塚崇彦選手が8位、女子の安藤美姫選手が5位、鈴木明子選手が8位と、「メダル圏」の活躍をしたので、日本のメディア的には大成功であった。その他にも、「日系選手」がアメリカ国籍やロシア国籍を取得して出場し(註:国内での競争の激しい日本での代表枠取得を目指すよりも、よりナショナル代表に成りやすい国から出場するために、国籍を変更した選手も居る)、上位の成績を挙げたことからも、国際的に見て、日本のフィギュアスケートのレベルが非常に高いことも証明された。しかし、このことが、将来にわたって日本のフィギュアスケートが世界のトップレベルを維持し続けることができるかということとは別物であることは言うまでもない。

  今回のフィギュアスケート競技で最もホットな話題となったのは、なんと言っても、「4回転なき金メダルは妥当か?」というロシアのプルシェンコ選手の主張である。彼は、ショートプログラムを終えて、暫定1位〜3位の選手による公式記者会見の席上でも、4回転ジャンプのできないアメリカのライサチェク選手を挑発した。プルシェンコ選手の挑発にムッとしたライサチェク選手は「ジャンプだけがフィギュアスケートではない。スピンやステップの完成度を高めることにも、より技術が要る!」とやり返した。このような険悪な二人の鞘当ての後、「あなたは4回転ジャンプについてどう思うか?」と、とんだお鉢が回ってきた高橋選手は「私は4回転に挑戦してみたい」と答えて、プルシェンコ選手から「同志よ…」とラブコールを送られ、まるで二昔前のソ連映画を見ているような気分にさせてもらった。

  その上、国際スケート連盟のアメリカ人審判の一人が、先の欧州選手権で優勝したプルシェンコ選手自身の「4回転を跳んだら次の技とのトランジション(繋ぎ)が悪くなる」という言葉を引用して、「オリンピックではその部分に注意して採点しろ」というEメイルを、オリンピック直前に各国の審判仲間に発信したから問題になった。このことは、明らかに4回転ジャンプを跳ぶプルシェンコ選手とフランスのブライアン・ジュベール選手にとっては「不利な」情報である。このことをきっかけとして、欧州も巻き込んでロシアとアメリカの鍔迫り合いが始まり、これまた、かつての冷戦期のスパイ映画のようですらあった。


▼挑戦よりも堅実を選んだフィギュア審判団

  世界最高峰のスポーツ競技大会であるオリンピックの精神が、「より速く(Citius)」、「より高く(Altius)」、「より強く(Fortius)」を目指すものであるとすれば、まさに、プルシェンコ選手の言うとおり、「4回転ジャンプを回避しての安全運転での金メダル」はオリンピックの精神にそぐわないものになる。特に、「転倒」の危険と常に背中合わせの競技であるフィギュアスケート競技においては、より難易度の高い(=転倒のリスクも高い)技に高配点を与えないと、難易度の高い技を7割の出来でこなすよりも、難易度の低い技を完璧に演じることのほうが、結果的に点数が高くなってしまう。そして、そのことがモロに出たのが、ライサチェク選手とプルシェンコ選手の得点差であり、少し、違う形であるけれど、韓国のキム・ヨナ選手と日本の浅田真央選手の間にも、難易度の高いトリプルアクセル(3回転半)を跳んだ浅田選手(演技構成的には、3回転半と2回転のコンビネーション)と難易度の低いトリプルループ(3回転)や同トォウループ(3回転)しか跳ばなかった(演技構成的には、3回転と3回転のコンビネーション)キム選手の成績差にも表れた。

  明らかに今回の冬季オリンピックでは、ことフィギュアスケート競技に関する限りは、果敢に高難易度な技に挑むよりも、堅実に既得の技を表現するというほうが尊重されたのである。ただし、アルペンスキー競技などのコース設定を見ている限り、転倒やコースアウトする選手が続出したことからも、高難易度のコース設定だったことが伺え、国際フィギュアスケート連盟と国際アルペンスキー連盟とでは、考え方が真逆だったことが伺える。


▼N700系に駆逐された500系

  話はまったく変わるが、私は今日、チリ大地震による津波警報が発令されていた茨城県鹿嶋市の鹿島神宮で開催されていた国際シンポジウムを終え、東京駅から東海道新幹線で大阪まで帰った。今日、2010年2月28日は、東海道新幹線における「500系」(16両編成)の最終営業運転日となった。「500系」は、1997年、それまでの新幹線のイメージを根底から覆すジェット戦闘機のような尖ったノーズ(先端)デザインで、東海道・山陽新幹線に鮮烈なデビューを飾ってから、わずか13年間で花道から「引退」し、あとは山陽新幹線区間で8両編成の「こだま」として余生を送ることを余儀なくされた。1964年に「夢の超特急ひかり号」としてデビューしたあの団子っ鼻の「0系」(16両編成)が40年以上現役生活を送ったのに対し、「500系」のあまりにも短すぎる生涯であった。そして、今や、東海道新幹線の標準モデルとして、見ようによっては「カバ」あるいは「マムシ」の顔のように見える醜いノーズデザインの2007年から登場した「N700系」(16両編成)が大手を振って新幹線のフラッグトレインとなったのである。


戦闘機のような500系の外観(京都駅)とカバの顔のようなN700系の外観(新大阪駅

  しかし、「500系」が「N700系」(註:500系のデビューから2年遅れで1999年にデビューした700系の改造型。因みに、この700系のあまりにも長い下あごはダックの嘴のように見える)に取って代わられたのは、その性能故ではない。JR西日本が製造した「500系」の営業最高速度は、山陽区間が300km/h、東海道区間が270km/hであるのに対し、JR東海によってその2年後にデビューした「700系」の営業最高速度は、山陽区間が285km/h、東海道区間が270km/hと、性能では明らかに「500系」のほうが勝れている。JR東海と西日本の共同製作である「N700系」が、その走行性能において「500系」に追いついたのは、10年後の2007年になってからのことである。すなわち、電車自体の性能としては、「500系」のほうが「700系」のそれよりも技術的に勝れていることは明らかである。


▼独創性よりも運用性に重きを置いたJR

  ならば、何故、「500系」は表舞台から追いやられ、「700系」とその改良型である「N700系」が主役の座を勝ち得たのであろうか? それこそまさに、プルシェンコ選手とライサチェク選手との関係と同様の関係――つまり、「あえて難易度の高い4回転に挑戦するか、あるいは、既成の無難な技を完璧に仕上げるか」という選択――が存在するのである。「500系」は、その高速性を尊重するあまり、あまりにも長い先端ノーズ部分を有する1両目(先頭車両)と16両目(最後尾車輌)の客室部分が短くなったことと、超音速旅客機コンコルドのボディのように断面が円形のため、窓側の席が圧迫感を感じるという点である。その点、「(N)700系」は先端ノーズと客室部分の不自然な繋がり(アヒルの嘴あるいはハブの顔のような部分から急に断面が真四角な筒に繋がる)がデザイン的には気になるものの、1両目と16両目の客室の長さも十分に確保され、また、その真四角な断面によって、窓側の席の圧迫感がほとんど感じられない設計になっている。


独特の圧迫感が航空機をイメージさせる
500系グリーン車内

  「500系」は、その長い先端ノーズによって1両目と16両目の客席数が「(N)700系」と比べて、それぞれ12名ずつ少ないが、16両全ての席数を合算すると、1,324席と「(N)700系」よりもわずか1席分であるが多い。これらはすべて、発券業務やダイヤ編成等の都合により、すべての編成車輌の席数を同じにして欲しいというJR東海からの要求に応えて、異なった設計思想によってデザインされた車輌の中に「別の要素」を詰め込んだ苦肉の策である。ところが、「のぞみ」が運用し始めた当初は、16両編成すべてが「指定席」車輌であったが、とちゅうから「自由席」車輌に変更させられ、しかも、場合によっては、乗降客で出入りが混雑する自由席車輌が「1号車〜3号車」ということになり、長い先端ノーズによって出入り口が1カ所しかない1号車では、特に短時間による乗降に支障が来すことも発生した。さらには、通過列車の多い東海道新幹線区間のいくつかの駅で、線路とホームの境に「安全冊」が設置されるようになり、「(N)700系」の各車両ドアに合わせて設置された各駅の安全冊の開口部分と車輌の出入り口部分とが合わない部分のある「500系」には極めて不利な状況となってきた。


駅に設置された安全冊のせいで出口が…
(写真は品川駅)

  確かに、客室部分の居住性という点では、「(N)700系」のほうが「500系」のそれより快適である。しかし、それは「後継種」だからであって、時代の進歩ということを考えれば当たり前のことである。例えば、「N700系」には、客席にノートパソコンが使えるためのACコンセントが装備され、東京・新大阪間では無線ランによるインターネットアクセスも可能になっている。しかし、そんなことは、「500系」が製造された当時、ノートパソコンもインターネットもまだほとんど普及していなかったのだから、なかって当然である。ただ「居住性」だけを比較すれば、一部2階建て新幹線だった「100系」のグリーン車2階席が最高である。何より、売店を含む通路部分が1階にあるため、グリーン客以外の騒がしい乗客や車輌の中を通過したり、物売りワゴンサービスが来ないために、東京・新大阪間3時間タップリと熟睡できた。

快適性の高いN700系グリーン車内

▼こんなことでは日本の将来が心配

  しかし、私が新幹線(のぞみ)に求めるものは、その速度と便数の多さ(東京・新大阪間5分に1本)である。以前にも苦言を呈したことがある(2003年10月10日付『JR東海の「のぞみ」が叶うだけ』が、停まる駅数の異なる「ひかり」と「こだま」の料金が同じなのに、停まる駅数のあまり変わらない「のぞみ」と「ひかり」の料金が異なるのは理解しがたい。しかも、最近の「のぞみ」ときたら、かつての「ひかり」よりも多くの駅に停車する。別料金を取るのなら、せめて「のぞみ」は東京・新大阪間ノンストップで運転してもらいたいものだ…。その点、豪雪地帯を走るJR東日本は、1994年以来営業運転している総2階建ての「E1系(=600系)」上越新幹線Max(12両編成、営業最高速度240km/h)や、2010年度中に新青森まで延長される東北新幹線用の「E5系」(10両編成、営業最高速度320km/h)など、いろいろとユニークな新幹線を独自開発しているそうだが、残念ながら、北関東から東北地方へ行く用事がまったくない私にとって、利用する機会はおそらくないと思われる。たとえ、東北へ行く用事が出来たとしても、その時は、飛行機を利用するだろう…。せいぜい、その斬新なフォルムを東京駅の新幹線ホームで見かけるくらいだが、今のところ、どれも「500系」には叶わないと思う。


巨大なイカが交尾しているように見える
上越新幹線Max

  このように、昨今の日本の新幹線の栄枯盛衰を見ていると、バンクーバー冬季オリンピックにおけるフィギュアスケートの採点方法と共通するものを感じてしまったのは、私だけであろうか? 科学技術というものは、常に世界の最先端を目指して努力精進していないと、あっという間に「置いてき放り」を食らってしまうものである。世界一の地震大国に位置しながら、1964年の開業以来四十数年間人命に関わる重大事故を一度も起こしたことのない、極めて安全性の高い高速輸送システムである新幹線が、地球温暖化防止という点からも、もっと世界中に普及してもよさそうなのに、台湾以外に日本の新幹線システムを採用した国がないというのも寂しい限りである。後発のTGVや中国その他の国のリニアの後塵を拝さないことを祈るのみである。このことは、日本のフィギュアスケート陣にも言える。常に、世界最難度の技術に挑戦している気概こそが肝心なのである。

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